秦氏の末裔 渡来人秦氏と広隆寺の関係
- 秦氏の末裔で有名なのは東儀家。東儀家は雅楽を世襲してきた。秦氏の末裔 秦氏と神道の関係を推察させます。
- 秦氏の末裔で大名と言われているのは、土佐の長宗我部元親、薩摩の島津義久。
- 秦氏は大陸からの渡来人であるが、養蚕機織(はたおり)の技術を伝えたと言われている。 渡来人 秦氏
- 京都の太秦には広隆寺がある。 京都の太秦の広隆寺と秦氏と聖徳太子
- 十善戒は聖徳太子が作ったものではなく、古くからある仏教の教えである。 聖徳太子の十七条の憲法は「何々しろ」と書かれているのに対し、十善戒は「何々するな」と書かれている。 広隆寺の十善戒とモーセの十戒
- 呉服神社(くれはじんじゃ)は、大阪府池田市室町にある神社である。呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる、織姫・呉服媛(くれはとりのひめ)と、仁徳天皇を祀っている。 秦氏と呉服神社
- ユダヤ料理と日本料理のわさび。わさびを漢字で書くと山葵。葵紋、葵祭の葵が使われているのが興味深い。日ユ同祖論 ユダヤ教と神道
- 秦氏と群馬。写真は群馬県にあるピラミッド。京都以外の祇園祭は群馬県に集中している。秦氏に関するメモ
- 秦氏と月。秦氏が創建した京都の松尾大社のすぐ南にある月読神社は松尾大社の摂社である。秦氏と松尾大社の月読神社 渡月橋
渡来人 秦氏
秦氏は大陸からの渡来人であるが、養蚕 機織(はたおり)の技術を伝えたと言われている。大陸というのは、朝鮮か中国と考えるのが普通であるが、秦氏が古代イスラエルと関係があるとしたら。 「秦氏の末裔」にリンクしているページ。 五芒星・四国・古代イスラエル 四国には栗枝渡神社、という神社があります。くりしど神社、くりすど神社と読みます。所在地は徳島県 三好郡 東祖谷山村 栗枝渡で剣山(鶴亀山)の近くです。
秦氏が秦の始皇帝の末裔だと言うのは、疑問符がつくが、秦氏の基となった弓月君は日本書紀に書かれている。秦 河勝(秦 川勝)が聖徳太子と関係が深かったのは確かである。秦氏の系図は、日本の苗字7000傑 秦氏。渡来人 秦氏 韓国と日本
秦氏の氏寺は広隆寺
太秦にある広隆寺は、渡来人系の豪族秦氏の氏寺であり、太秦寺という別名がある。「太秦寺(広隆寺)」から「、」を取った「大秦寺」は、中国における景教の寺院の一般名称である。景教の発祥地は古代ユダヤのあった中近東である。景教というのはユダヤ的キリスト教と言われている。「秦氏=景教徒説」を日本で最初に唱えたのは、明治4年に広島に生まれた佐伯好郎博士である。
広隆寺の隣の大酒神社
広隆寺の隣にある大酒神社(大辟神社)の由緒書には次のように書いてある。
弓月王、応神天皇十四年(三七二年)百済より百二十七県の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、
弓月王の孫(秦)酒公は、秦氏諸族を率て蚕を養い、呉服漢織に依って絹綾錦の類を夥しく織出し朝廷に奉る。絹布宮中に満積して山の如く丘の如し、天皇御悦の余り、埋益(うずまさ)と言う言葉で酒公に禹豆麻佐の姓を賜う。
秦氏は弓月王の子孫という事だが、弓月王とはどういう意味か。弓月王が帰化した三七二年頃、「弓月」という国が、シルクロードの通り道である中央アジアにあった。今のキルギスあたりである。
新撰姓氏録の弓月王と秦氏
太秦公宿祢
男功満王。帯仲彦天皇、謚仲哀。八年来朝。男融通王、一云弓月王。誉田天皇、謚応神。十四年。来率廿七県百姓帰化。献金銀玉帛等物。大鷦鷯天皇、謚仁徳。御世。以百廿七県秦氏。分置諸郡。即使養蚕織絹貢之。天皇詔曰。秦王所献糸綿絹帛。朕服用柔軟。温煖如肌膚。仍賜姓波多。次登呂志公。秦公酒。大泊瀬幼武天皇、謚雄略。御世。糸綿絹帛委積如岳。天皇嘉之。賜号曰禹都万佐うずまさ
献上した綿絹が肌膚(はだ)に暖かかったというのが、波多氏、秦氏の由来のようである。
秦氏の末裔
- 1300年以上もの間、雅楽を世襲してきた東儀家は秦氏出身だそうです。秦氏と神道の関係を推察させます。
- 708年 和同開珎が発行されたのは、秩父で銅鉱山が発見されたのがきっかけですが、この発見には秦氏が関係しているそうです。秩父の隣の比企郡周辺には今でも秦氏の末裔、「秦」姓の人が多い。比企郡を源流とする高麗川(こまがわ)は、渡来人が多く住んでいた事を物語っている。高麗(こうらい)はKoreaの語源で、1000年ぐらい前の朝鮮半島の国。South Koreaは韓国の事。ちなみに1972年の埼玉県知事は「畑 和」はた やわら。
- 倭大国魂神社がある徳島県美馬市付近には秦氏の末裔「秦」姓が多い。美馬市の北20kmの所にソロモンの秘宝があるという剣山があります。秦氏は鉱山を掘る技術、金属を精錬する技術なども伝えたようです。古代、秦氏が剣山の奥に分け入り、鉱山を発見しようとした時、鍾乳洞を見つけて、そこに、ソロモンの秘宝を隠したという事があっても不思議ではありません。
- 「日本の苗字7000傑 秦氏」によると、秦姓を名乗る人(秦氏の末裔)は3万人だそうです。傍系も含めれば、秦氏の末裔は何十万人もいるのでしょう。
京都の太秦と秦氏と聖徳太子
京都の西に太秦(うずまさ)という所がある。その太秦には伊佐良井(イサライ)という地名がある。「扶桑京華志」(寛文5年 松生元敬著)に「伊佐良井 太秦村ニ在リ。深ノ事ハ知レザル和歌有リ」と書いてある。太秦の地名の由来は、古代ユダヤ古代ヘブライ語の「ウズ」(光)、「マサ」(賜物)が語源であるなど諸説あるが、太秦=聖徳太子+秦氏となっているのは偶然だろうか。太秦にある広隆寺は、秦氏と聖徳太子を結びつける。
秦氏と広隆寺
- 広隆寺
太秦にある広隆寺は、渡来人系の豪族秦氏の氏寺であり、太秦寺という別名がある。建立したのは秦河勝 - 弥勒菩薩
広隆寺の弥勒菩薩(国宝 宝冠弥勒)は新羅から渡来したものと言われている。秦氏は渡来人である。 - 十戒
古代ユダヤのモーセの十戒は秦氏と関係がある。
聖徳太子と広隆寺
- 広隆寺
広隆寺の本堂 上宮王院太子殿の本尊は聖徳太子像である。 - 弥勒菩薩
広隆寺の弥勒菩薩(泣き弥勒)は聖徳太子と関係がある。 - 十善戒
広隆寺の十善戒は聖徳太子と関係がある。
広隆寺の十善戒とモーセの十戒
写真は2007年5月撮影。 モーセの十戒の順番は並び替えてあります。
広隆寺の十善戒 | モーセの十戒 |
---|---|
不殺生 (生き物を殺さない) | 殺人をしてはいけない |
不偸盗 (盗まない) | 盗んではいけない |
不邪婬 (一夫一婦制) | 姦淫をしてはいけない |
不妄語 (嘘をつかない) | 偽証してはいけない |
不綺語 (中身の無い言葉を話さない) | 神の名を徒らに取り上げてはならない |
不悪口 (乱暴な言葉を使わない) | 父母を敬う |
不両舌 (他人を仲違いさせるようなことを言わない) | ヤハウェが唯一の神である |
不慳貪 (欲をいだかない) | 隣人の家をむさぼってはいけない |
不瞋恚 (怒りをいだかない) | 安息日を守る |
不邪見 (誤った見解を持たない) |
偶像を作ってはならない (偶像崇拝の禁止) |
十善戒は聖徳太子に縁のある広隆寺の境内に書いてある。 | 秦氏は、ユダヤ教、原始キリスト教、景教に関係があると言われている。 |
十善戒は聖徳太子が作ったものではなく、古くからある仏教の教えである。
聖徳太子の十七条の憲法は「何々しろ」と書かれているのに対し、十善戒は「何々するな」と書かれている。十七条の憲法が聖徳太子の作だとすれば、十善戒は聖徳太子に似合わない。
その十善戒が広隆寺の境内に書かれているのは、聖徳太子以外の何者かの考えがあった事を推察させる。聖徳太子とキリスト
秦氏と呉服神社と木嶋神社と三囲神社
呉服神社
Wikipediaより
呉服神社(くれはじんじゃ)は、大阪府池田市室町にある神社である。 呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる、織姫・呉服媛(くれはとりのひめ)と、仁徳天皇を祀っている。
秦氏は渡来人であるし、機織技術を伝えたのだから、秦氏と呉服神社は関係があるのかもしれない。
蚕の社(木嶋神社)
太秦には蚕の社(木嶋神社)というのがある。この蚕の社の一帯は、大陸から渡来した秦氏が養蚕、織物などの技術を持ち込んだと言われている。蚕の社には、三柱鳥居がある。柱が三本で、上から見ると三角形になっている。三本足鳥居とも言われる。
これは、キリスト教の三位一体と関係があるという話しもあります。太秦という場所から考えると、あり得そうな話です。
三囲神社と三井家と三越
東京向島の三囲神社にも三柱鳥居というのがあります。この三柱鳥居は三井家の屋敷から移築したものです。三井家の氏神は三囲神社です。三井家の名前と京都の呉服商、越後屋を合わせて三越の名前ができました。日本橋の三越デパートの屋上にも三囲神社の分霊が祭祀されています。呉服神社と関係はあるのでしょうか。Wikimedia Commonsに投稿しました。08/09/06。
秦氏の蚕の社・賀茂氏の下鴨神社
秦氏の蚕の社と賀茂氏の下鴨神社に共通する二葉葵の紋と糺の森。
蚕の社
蚕の社の境内には糺の森(ただすのもり)がある。
蚕の社の神紋は二葉葵である。
境内案内板より
この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり、「蚕の社」もそれにちなんだ社名である。
下鴨神社
Wikipediaより
山城国葛野を本拠とし代々賀茂神社に奉斎した賀茂県主(かものあがたぬし)は、八咫烏に化身して神武天皇を導いた賀茂建角身命を始祖とする。賀茂県主は、同じ山城を本拠とする秦氏との関係が深い。
京都鴨川上流域を本拠地とした賀茂氏は秦氏から別れた。
京都の東側にある下鴨神社は賀茂建角身命を祀る。賀茂建角身命の化身である八咫烏は三本足である。
三本足の八咫烏の写真Wikipediaより
下鴨神社の境内にも糺の森がある。下鴨神社の神紋も二葉葵である。八咫烏は自衛隊のマーク
二葉葵
二葉葵を神紋とする神社は、松尾大社、蚕の社・下鴨神社・上鴨神社・貴船神社など。葵紋の使用神社 一覧は玄松子の葵紋
京都の不思議な三 糺の森と二葉葵
京都の東西には不思議な[三]がある。不思議な事に、三柱鳥居の蚕の社にも、三本足八咫烏の下鴨神社にも、糺の森と二葉葵がある。ユダヤ教の契約の箱と神道の御神輿おみこし
グーグルマップで見る蚕の社と下鴨神社の位置関係
ユダヤ教と神道 日ユ同祖論の謎
- ユダヤ教の契約の箱のケルビムと神道の御神輿おみこしの鳳凰ユダヤ教の契約の箱と神道の御神輿おみこし
ユダヤ教の契約の箱と神道の御神輿おみこし - ユダヤ教の塩と神道の塩ユダヤと日本の塩
- ユダヤ料理と日本料理のわさび。
わさびを漢字で書くと山葵で「葵」という字が使われているのは偶然か。
わさびを良く使う民族はユダヤ民族と日本民族です。
ユダヤ料理とわさび - ユダヤ教徒が額につける「ヒラクティリー」と呼ばれる小箱と、日本の山伏が頭につける兜巾(ときん)
- 天狗とユダヤ人の かぎばな。兜巾は天狗も付けています。
- 古代ユダヤの王家の紋章、六芒星。天皇家を祀る伊勢神宮参道の六芒星
- 古代ユダヤの失われた十部族(10支族)を探しているイスラエルの特殊機関アミシャーブが2007年2月、日本の調査を開始する。2006/12/6の「みのもんたの日本ミステリー」が報じた。
- 京都 祇園祭の山鉾には日本には存在しないエジプトのピラミッドやラクダなどが描かれたものが存在する。祇園祭は、京都の八坂神社の祭礼。八坂神社は渡来人によって創られた。
秦氏に関するメモ
- 太秦の蚕の社は秦氏と関係がある。蚕の社にある三柱鳥居から向島の三囲神社の三柱鳥居ができた。この三柱鳥居は三井家の屋敷から移したものである。三井家の氏神は三囲神社で、三井家の前身は京都の呉服商「越後屋」である。秦氏は機織の技術を伝えた。
- 祇園祭の山鉾にはエジプトのピラミッドが描かれたものが存在する。京都以外の祇園祭は群馬県に集中している。
- ピラミッドの目はフリーメイソンやユダヤ陰謀説と一緒に語られる事があります。秦氏も古代ユダヤと関連づけられる事があります。写真は群馬県太田市の明王院のピラミッド。
- 群馬県太田市の世良田東照宮には徳川家の三つ葉葵の紋がある。二葉葵は賀茂氏の家紋である。徳川家の葵紋は、徳川家が賀茂氏の末裔ではないかと推測させる。 賀茂氏と秦氏は、二葉葵でつながっている。
- 「秦氏の末裔」の項にかきましたが、秦氏に関する遺跡が秩父から群馬県に多い。「和同開珎」に関わった金上无は新羅からの渡来人で、多治比真人三宅麻呂は、「多胡碑」に名が刻まれている。「多胡碑」のある吉井町には羊太夫の伝説がある。羊太夫は馬で秩父の銅を運び、羊太夫の女房ら7人が「七輿山」で自害し、輿に乗せ、葬ったと伝えられている。「群馬」には「羊」と「馬」がある。七輿山古墳の隣にはピラミッド型の伊勢塚古墳がある。
- 秦氏の末裔が多く住む美馬市付近には栗枝渡神社(くりすど神社)がある。この付近には古代ユダヤと関連がある風習が残っていると、みのもんたの日本ミステリーで紹介された。ソロモンの秘宝が噂される剣山も近くにある。
- 大津市の三井寺の鎮守神は新羅明神で、渡来人の秦氏と関係がありそうである。三井寺にある「尊星王像」には三本足の烏が描かれている。三本足の烏と言えば八咫烏(やたがらす)であるが、八咫烏を祀る下鴨神社は秦氏と関係があると言われている。八咫烏、八幡神社、八坂神社、弥栄の読みは似ている。
法隆寺の隣にある斑鳩町の三井寺は、聖徳太子ゆかりと言われている三つの井戸があった所から来ている。聖徳太子と秦氏の関係は深い。
秦氏と月
秦氏が創建した京都の松尾大社のすぐ南にある月読神社は松尾大社の摂社である。伊勢神宮にも月読宮という神社がある。京都嵐山に渡月橋があるが、この辺りは秦氏の勢力圏であった。
群馬県太田市の世良田東照宮にも渡月橋がある。世良田東照宮では葵祭が行われる。京都の葵祭は秦氏と関係がある賀茂神社の祭り。世良田東照宮の灯篭には葵の紋と月が刻まれている。 世良田八坂神社では7月祇園祭が行われる。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。