三囲神社は三井系企業と秦氏を結ぶ

秦氏は京都太秦の木嶋神社と関係があります。木嶋神社には三柱鳥居があります。三柱鳥居は向島の三囲神社にもあります。三囲神社は三井系の三越デパートの屋上に祀られています。木嶋神社は秦氏の守り神で、三囲神社は三井家の守り神です。木嶋神社の神紋は二葉葵で、同じ二葉葵を使う鴨氏の祖先は賀茂建角身命(八咫烏)です。

三囲神社

三囲神社の三柱鳥居には、三井邸より移す。原形は京都・太秦 木島神社にあると書かれている 墨田区向島の三囲神社には三柱鳥居があります。右の写真をクリックすれば「三井邸より移す。原形は京都・太秦 木島神社にある」と書いてある事が分かります。2007年撮影。

三囲神社の三柱鳥居は、井戸の上に建てられています。新宿区の鳴子稲荷神社の三柱鳥居も、井戸の上に建てられています。

三囲神社と三井家との関わり

秦氏系企業である三井グループの社名が書かれた三囲神社にある石碑三囲神社の「囲」の文字に三井の「井」が入っているため、三囲神社は三井家の守り神とされています。写真は三囲神社の境内の中にある石碑です。三井系企業の社名が書かれています。三井不動産の名前もあります。写真はクリックで拡大します。

神社の分霊を祀う三囲会
三井グループ各社の総務部によって結成された三囲会では、年に3回(1・5・10月)の祭典と4月の大祭を催します。

三囲神社の石碑に刻まれている三井系企業の名前

  • 株式会社 商船三井
  • 中央三井トラスト・ホールディングス 株式会社
  • 三井化学 株式会社
  • 三井金属鉱業 株式会社
  • 三井住友海上火災保険 株式会社
  • 株式会社 三井住友銀行
  • 三井生命保険 株式会社
  • 三井倉庫 株式会社
  • 三井造船 株式会社
  • 三井不動産 株式会社
  • 三井物産 株式会社
  • 株式会社 三越
  • 三野村 株式会社(三囲会取纏め)
  • 株式会社 二幸

井戸の上の三柱鳥居 三囲神社と鳴子稲荷神社

三柱鳥居と井戸 鳴子稲荷神社の三柱鳥居と井戸 左の写真は、三囲神社の三柱鳥居とその下にある井戸です。右の写真は、鳴子稲荷神社の三柱鳥居とその下にある井戸です。2つの東京の三柱鳥居の共通点は二つ。

  1. 三柱鳥居を建てたり、移したりしたのは、三井家あるいは三井不動産だという事です
  2. 井戸を守るように建てられている事です。井戸が先にあり、鳥居が後から建てられたり、移されたりしたのです。

Wikipediaに記載されている三柱鳥居は、日本全国に10あります。このうち半分以上が、井戸・海・池など何らかの形で水と関係しています。

鳴子稲荷神社と三井不動産

井戸は昔からあったのですが、周囲を整備したのは三井不動産です。

2014年頃の成子天神社再整備プロジェクトは三井不動産によるもので、27階建てマンションが神社の敷地内に建てられました。その時に、三井家と関係の深い三柱鳥居が井戸の上に建てられたのです。

斑鳩町大字三井の井戸

奈良県生駒郡斑鳩町大字三井には、聖徳太子が掘ったと伝えられる井戸があります。秦氏の子孫にあたる秦 河勝は聖徳太子を支えた人物です。

墨田区向島の三囲神社から三越へ

三越屋上の三囲神社の分社の写真 三囲神社から、銀座線の浅草駅までは徒歩18分。浅草駅から三越前駅まで12分。

日本橋三越の屋上には、三囲神社の分社があります(右の写真)。確認はしていませんが、三囲神社の分社は三越の各支店にもあるようです。三越と三囲神社の関係は深いと言えます。

三井財閥

三越は戦前の三井財閥(現在の三井グループ)の礎を築いた企業です。三井グループの各社の社長は、正月、墨田区向島の三囲神社に参拝するという話もあります。

秦氏

秦氏は大陸からの渡来人ですが、養蚕機織(はたおり)の技術を伝えたと言われています。秦氏は、京都太秦付近で栄えました。東映太秦映画村がある所です。太秦には、広隆寺、大酒神社、蚕の社などがあります。

秦氏の守り神である木嶋神社の神紋は二葉葵です。秦氏と関係の深い鴨氏も二葉葵を使います。鴨氏の祖先が賀茂建角身命(八咫烏)なので、三本足の八咫烏と三柱鳥居は関係があるのかもしれません。自衛隊の八咫烏八咫烏と自衛隊

八咫烏に関係がある神社のgoogleマイマップ

googleで「八咫烏」を検索すると、10位以内でヒットする神社は、熊野那智大社と熊野本宮大社。上賀茂神社には、八咫烏のおみくじがある。また、八咫烏神社というのが、奈良県宇陀市榛原高塚と和歌山県東牟婁郡那智勝浦町八尺鏡野にある。

秦氏が勧請した大酒神社

広隆寺の隣にある大酒神社(大辟神社)の由緒書には次のように書いてあります。

弓月王、応神天皇十四年(三七二年)百済より百二十七県の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、・・・

弓月王の孫(秦) 酒公は、秦氏諸族を率て蚕を養い、呉服漢織に依って絹綾錦の類を夥しく織出し朝廷に奉る。絹布宮中に満積して山の如く丘の如し、天皇御悦の余り、埋益(うずまさ)と言う言葉で酒公に禹豆麻佐の姓を賜う。

三越の前身は越後屋呉服店ですから、三越と秦氏のつながりを示唆しています。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。