富士山山麓にある不二阿祖山太神宮の三柱鳥居

不二阿祖山太神宮の三柱鳥居と本殿不二阿祖山太神宮の三柱鳥居

2021年12月27日、不二阿祖山太神宮(富士吉田市大明見3537)に自家用車で行きました。上の写真は、その時撮影したものです。不二阿祖山太神宮へのアクセスは不便

直接行かなくても不二阿祖山太神宮の航空写真なら、かろうじて見えます。

左の写真の中央奥で、富士山を背にして本殿に参拝します。富士山山頂は南西16kmの所にあります。不二阿祖山太神宮の三柱鳥居を2015年に制作したのは、白川郷・五箇山の茅葺職人縄文屋根さんです。

縄文屋根さんのインスタグラムを見れば、この三柱鳥居は木材に茅を巻きつけて作った事が、判ります。

不二阿祖山太神宮の三柱鳥居を作った縄文屋根さん

(茅)縄文屋根 2017年6月9日Facebookより。建設中の三柱鳥居など、写真5点あり。

日本に数カ所しか無いという、ちょっと珍しい三柱鳥居。

どういう経緯だったか、大宮司にで三柱鳥居を建てて欲しいと頼まれて、建てたのが2015年。屋根ではないから、案の定、痛むのが早い。

今度は、木造か石造がいいのでは?と提案するも、茅は珍しく、大変評判がいいからと、補修を頼まれる。

どうやら、月刊ムーに取り上げられたり、癒しのパワースポットとして、密かに広まっているらしく、国内外から参拝者が年々増えているとか。聞くと、三柱の真ん中に立ったら、身体の調子が良くなったという話も。

意図したわけでは全くないけれど、そういうモノを造らせて頂けることが、本当に有り難いことだと思いながら、補修作業をして参りました。もし富士山方面へ行かれる際は、良かったら寄ってみてください。

縄文屋根さんは、『日本に数カ所しか無いという、ちょっと珍しい三柱鳥居』と言っていますが、三柱鳥居wikiには、2017年6月9日の時点で、5つの三柱鳥居の写真が載っています。縄文屋根さん自身は、三柱鳥居に関心があまりなかったようです。

『建てたのが2015年』と、書かれていますが、日付は判りません。月刊ムーの公式Twitter「不二阿祖山太神宮に三柱鳥居が建立された」によれば、2015年9月25日には建てられていたようです。日本に7基以上ある三柱鳥居の中で、一番新しいものです。

『月刊ムーに取り上げられた』というのは、2015年3月号の事です。『古史古伝「宮下文書」が語るシルクロードの神々−失われた超古代「富士王朝」と艮の金神大予言』という記事があります。

石垣に埋められていた不二阿祖山太神宮のスワスチカの写真2021年12月27日に私が訪れた時には、社務所に「月刊ムー」が置かれていました。また、スワスチカというムー大陸の絵文字が、本殿の前の石垣に埋められていました。

(茅)縄文屋根さんは不二阿祖山太神宮にいます。2018年8月10日Facebookより。茅で覆われる前の木組みの三柱鳥居など写真8点あり。

3年前に建てさせて頂いた三柱鳥居。やはり構造上、耐久性に問題ありで、そろそろ新しくとのお話。いつの間にやら、すっかり定着してしまったらしい、この鳥居のエネルギーの力で、今回も茅を巻きつけさせて頂きました。

富士山の歴史や、知られていない日本史の話を秘めたこの神社。毎日引っ切り無しに、参拝者が訪れていました。

このFacebookの4枚目の写真を見ると、三柱鳥居の高さは人間の身長の2倍ぐらいだという事が解ります。現存する三柱鳥居の中で最大のものでしょう。

私が訪れた時は、1時間の間に参拝者は1人でした。神社関係者は沢山いて、お正月の準備をしていましたが。

不二阿祖山太神宮(ふじあそやまだいじんぐう)

不二阿祖山太神宮は、何故、富士阿祖山太神宮ではないのでしょうか。

昔から、富士山は二つとない山という事から「不二山」と言われてきました。富士という言い方は、鎌倉時代以降のもので、不二は、それ以前から使われていたのです。それで、富士ではなく不二阿祖山太神宮となっています。

不二阿祖山太神宮の南13kmの所に富士山東口本宮 冨士浅間神社があります。(静岡県駿東郡小山町須走126番地)この神社の鳥居の扁額に「不二山」と記されています。鳥居の扁額に「不二山」と記されている富士山東口本宮 冨士浅間神社の360ストリートビュー

不二阿祖山太神宮のスワスチカ(右まんじ)

本殿の前の石垣には歯車型の石が埋め込まれています(左の写真)。近くに説明書きがあります(右の写真)。『スワスチカは、ムー大陸の絵文字の一つ。神の四大源力を表します。』と、書かれています。不二阿祖山太神宮のスワスチカの写真不二阿祖山太神宮のスワスチカ説明看板

スワスチカとは、「まんじ」のことで、「左まんじ」卍と「右まんじ」があります。大乗仏教の日本の寺の地図記号として使われているのが「左まんじ」で、「右まんじ」は、日本では一般的ではありませんが、アメリカの先住民族では、使われています。また、アメリカの先住民族の祖先は、ムー大陸の人々だという説もあります。

ナチスのハーケンクロイツ(鉤十字)は、「右まんじ」ですが、何故、不二阿祖山太神宮が、「右まんじ」を使ったのかは、解かりません。公式HPの境内案内図では、この「右まんじ」は不鮮明な形で描かれています。スマフォでは見えませんし、PCでも500%ズームしないと見えません。ただ、不二阿祖山太神宮の再建計画と完成予想図には、現在と違う場所に「右まんじ」が描かれています。

ムー大陸・月刊ムーとの関係

不二阿祖山太神宮は、ムー大陸の存在を主張しています。月刊ムーの名前の由来は、ムー大陸です。

月刊ムー 2015年3月号には、『古史古伝「宮下文書」が語るシルクロードの神々−失われた超古代「富士王朝」と艮の金神大予言』という記事があります。

富士王朝(富士高天原王朝)とは、富士山麓に勃興したとされるウガヤフキアエズ王朝の事です。Wikipedia宮下文書では、富士高天原王朝と阿祖山太神宮に触れています。

公式HP「再建と意義」には、『不二阿祖山太神宮は、富士山の東北麓にある日本最古の神社で、富士山麓に栄えた超古代文明の富士王朝の中心を成した天皇家縁の太神宮です。 』と書かれています。

2015年10月17日、18日に、月刊ムーの編集長と行く富士高天原ツアーが開催されました。テーマは『謎の文献(宮下文書)に記された驚愕の超古代不二王朝の謎に迫る』です。日程:17日6:30東京都新宿センタービル前を専用バスにて出発。18:00ホテルにて夕食(御殿場泊)。18日12:00不二阿祖山太神宮で昼食。20:00新宿着。旅行代金39,000円。

以上のように、不二阿祖山太神宮は月刊ムーと深い関りがあります。

再建計画と完成予想図

本殿が完成して建立祭が執り行われたのは2007年。三柱鳥居が建てられたのは2015年。しかし、不二阿祖山太神宮の再建計画と完成予想図には、三柱鳥居は描かれていません。

不二阿祖山太神宮の教義と三柱鳥居は、あまり関係ないようです。

ウガヤフキアエズ王朝との関係

大明見 北東本宮小室浅間神社(富士吉田市大明見2丁目1−1) ご祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

ウガヤフキアエズ王朝(富士王朝)と関係しているとされる神社:明治16年(1883年)、宮司家である宮下家に秘匿されていた『富士宮下文書』(『富士古文書』・『富士古文献』)が公開される。

世界人類が平和でありますように(ピースポール)

左が不二阿祖山太神宮の参拝者駐車場近くに建てられているピースポール。右が奈良県の大神教本院のピースポール。どちらの神社にも三柱鳥居がありますが、偶然の一致です。
不二阿祖山太神宮のピースポール 世界人類が平和でありますように

ピースポールは、May Peace Prevail On Earth Internationalという団体が、世界約180カ国に20万本以上を設置しています。白光真宏会代表の五井昌久氏が主導した運動です。

このピースポールと不二阿祖山太神宮に直接の関係はありません。たまたま、このピースポール建設を運動する方が太神宮を訪れ、趣旨が同様なので許可されたようです。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。