埼玉県 三峯神社の三ツ鳥居は三柱鳥居ではない
埼玉県に三柱鳥居はありません。左の写真を見れば、三ツ鳥居の柱は4本だという事が分かりますが、三峯神社の説明書きには、三ツ柱鳥居と記されています。何故こんな間違いが起きたのでしょう。
この鳥居の形は三輪山の大神神社の三輪鳥居(三ツ鳥居)と似ているので三ツ鳥居と呼ぶ方がふさわしいのです。
三ツ鳥居は東京には、ありません。
三ツ柱鳥居ではなく三ツ鳥居
三峯神社の駐車場そばの看板(上の写真。2011年11月15日撮影)には、三ツ柱鳥居と書かれていました。「鳥居の柱は4本です」と、社務所の方に誤りを指摘すると「私も間違いだと思うんですが、先代のした事なので」というお答えでした。ところが、間違いの原因が分かりました。
献納の石碑に三ツ柱鳥居
三峯神社の三ツ鳥居(三ツ柱鳥居)を寄進したのは横浜の魚又講なのですが、その献納の石碑に三ツ柱鳥居と刻まれているのです。しかも、「三ツ柱鳥居」の「ツ」が小さいので、「三柱鳥居」と見誤ったと思われます。この事に社務所の方は気がついていたのでしょう。
三峯神社の三柱鳥居
三峯神社の三柱鳥居の由来は、この石碑に刻まれた「三ツ柱鳥居」の「ツ」が小さい事から来たのだと分りました。では、そもそもの三峯神社の三ツ鳥居の意味・由来はなんなのでしょう。手がかりは、この石碑に刻まれた「講元 植田ハル」と狛犬に刻まれた「寄居町 石匠 中川仙石」という文字です。
三峯神社の三ツ鳥居の由来
日本に三ツ鳥居は20ぐらいは、あります。奈良県の大神神社の三ツ鳥居の由来は、いつ頃どのようにして、この形式が出来たのかは不明で、神社の記録にも「古来、一社の神秘なり」と記されているだけです。
三峯神社の三ツ鳥居の由来はどうなんでしょう。 この献納の石碑は、見上げるほどの高さです。三ツ鳥居とあわせて献納した魚又講は大きな組織でしょう。そんな組織が、このような間違いをする訳はなく、何かの意味があったのではないでしょうか。そこで調査してみました。
三峯神社の三ツ鳥居を献納した魚又講
魚又講の講元は横浜市神奈川区にあるというので、行ってみました。植田ハルさんは亡くなられていました。そのお孫さんに話を伺いましたが、三峯神社の三ツ鳥居が建てられた昭和42年の頃は小学生だったので、何も知らないと言う事でした。三ツ鳥居の由来は分りませんでした。
三ツ鳥居の前の狛犬を作った石工
左の写真は三ツ鳥居の前の狛犬。右の写真は赤丸の部分を拡大したもの。三ツ鳥居の前の狛犬を製作したのは、埼玉県寄居町の中川仙石さんという事で、訪ねてみました。中川仙石さんは亡くなられていましたが、その息子さんに会えました。息子さんが言うには、当時は幼かったので記憶にない、と言う事でした。
結局、三峯神社の三ツ鳥居の由来は分からずに終わりましたが、三峯神社の三柱鳥居の由来については分りました。しかし、それ以外の三柱鳥居の由来については、不明です。岐阜県大和町の三柱鳥居の意味と由来へ続く
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。