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特写

 長年、色々な写真を撮り続けていると、色々な光景に遭遇する。
ある時は歓喜の場であったり、またある時は悲嘆の場であったり。
そうした中で、未来永劫忘れてはならない光景に出会うこともある。

    忘れてはならない光景の代表的な一つ
 「東日本大震災の被災地」

<5年目の春>

あの日から早くも5年の月日が過ぎた。
この間、徐々にではあるが復興しつつある地域と、
破壊された原発による放射能汚染問題で、全く手づかずの地域がある。

手つかずの地域は今後どうなって行くのか――
原発の問題が解決しない限り市町村になるしかないのか?


放射能汚染のため、住民が帰宅できない住宅街の街角=福島県双葉町


帰宅困難地域の学校--子らの声も無く、校庭には雑草が生い茂る=福島県浪江町


桜の名所も花見客はゼロ。国よ、東電よ、すべてを返せ!=福島県浪江町

桜は放射能に負けず満開になったが、お花見する人影はなし
この地に住んでいた人たちに、果たして本当の春は来るのか?


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 「 一年たっても 」

 2011年3月11日午後2時46分、突然の大地震とともに大津波が東日本の三陸海岸を中心に襲いかかり、大変な被害をもたらした。被災された皆様のことを思うと、すぐにも駆けつけて何かお役に―と考えたが、若さも、力も、お金も無い自分では、被災された皆様方、また救援、支援活動されている方々の足手まといになるだけ、と断念した。 

 しかしながら、マスコミが伝える現地の様子を知るにつけ、その一端だけでもわが目で――との思いが極まり、一周年を機に思い切って一人で現地へ出かけた。仙台空港からレンタカーで、松島、石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田まで、海岸線に近い地域を中心に走った。

「みちのく」は自分にとっては初めての未知の国=Bリアス式海岸の風光明媚な所で、いつかのんびり訪ねたいと思っていた。それが、被災した光景を見に行くことになろうとは全くの想定外。複雑な思いをしつつの旅≠ニなった。 

訪ねた先々はどこも更地のようになっており、どこに街があったのか、集落があったのか、見境がつかない。あの日から一年余の間に、幹線道路の整備や散乱していたガレキ等の撤去など、復興へ一歩一歩を感じさせる光景も目にしたが、鉄路が折れ曲がったまま、橋が無くなったまま、巨大な船が街中に居座ったまま。多量のガレキやゴミ、形をとどめない自動車の山などが仮置き場となっているグラウンドや空き地などを占拠。後々この処理も大変なことだと実感――等々、まだまだ手つかずの所も多く、驚きの連続だった。

                      ◆

そうした光景を目にし、また命拾いされた人々から話を聞くにつけ、いかに今回の地震・津波が巨大で恐ろしいものであったか、改めて思い知らされた。とはいえ、お会いした現地の人々は明るく、笑顔すら見せてくれる方もあった。

 「泣いていては何も始まらない。皆さんからの応援、支援を得ながら、自分たちの手で復興あるのみ――」との強い言葉、強い気持ちが、心に深く響き感動した。
 

     そして 明日は我が身――。
 全国民がいつまでもこの大惨事・大災害のことを忘れず、これからも被災者のために少しでも何か役立つことを考え、実行を――と考える日々です。




<東日本大震災の被害>20125月現在)
死   者  15.858人
行方不明者   3.021人
建物全半壊 380.000戸
漁船の被害  22.000隻
  被害総額  20兆円超(推定)



一年たっても――東日本震災地の現状


津波に洗われた松島

泥に埋まった野蒜駅

壊す前に花化粧

1日も早くを願って

寸断され曲がった鉄路

住宅地に漂着した船

愛児を忍んで

ガレキの山に登って故郷を見る

駅前に停泊した巨大貨物船

両陛下と一緒に追悼式

復興商店がは出来たがー


何分、今回の旅≠ヘ福島、宮城、岩手の三県を
駆け足巡りで、目に留まった表面的な写真ばかりとなったが、
1年たった今もこの様相
であることが悲しい。

だが、現実は一刻も早く復興をするべく、国や、県など行政が
資金を準備しても、建設工事等に係る労働者の不足も問題。
人材を求めて全国に募集をかけてもなかなか集まらないのが現状。
被災地が広く、現地事情も多岐にわたっていることも有り、
復興にはまだまだ時間はかかりそう!!

しかしながら、そうしたハード面的な復興は徐々に形成されているが
一番の問題は被災された方々の「心の復興」
被災者たちは仮設住宅等に住まいつつ、負けてたまるかと力強く
前進されているが、心に刻まれた傷は永遠に消えることはない。
国民全員がいつまでも東日本のことを忘れず応援・支援をすれば、
心の傷を少なからず和らげる一助になるのでは――。

東日本のこと いつまでも心に