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外写アルバム

日本語さえおぼつか無い小生。当然、英語は無論、外国語は全てダメ。
にもかかわらず公私にわたって訪ねた外国は40か国以上になろうか。

一番最初に訪ねたのは台湾だった。 以来、アジア各地、北米、欧州各国、中国へは何度も出かけたが、
そうした
中でもメキシコからブラジルまで約6か月かけて車で走破した中南米の旅はドラマチックな旅だった。

主として写真撮影が目的の旅だが、親しい仲間と出かけた「観光旅」、
知人に誘われての「秘境旅」、家族と出かけたサッカー「観戦旅」。
それぞれ色々なハプニングやサプライズに遭遇しての泣笑い旅ばかり。
どれもこれも、いつまでも忘れられない旅ばかりだった。

心残りはアフリカ大陸に足を踏み入れていないこと。
その実現に向けて、命の有るうちにわが家の厚生労働大臣兼、
財務大臣に相談しながら実現したいと思っているが、果たして――。


中国・雲南 駆け歩き
5年前、出かける予定にしていた雲南への旅。突然、新型コロナの大発生で旅行社より中止の知らせ。
以来、すっかり忘れていたが昨年暮れになって旅行社より再開の連絡があり、おまけに旅費の割引も。
迷いに迷ったが、人生最後の海外旅行に−−と思い切って参加した。




元陽の天空棚田(昼と朝)





羅平の菜の花、残念ながら時期が早すぎた


棚田と瀑布のパノラマ−−九龍瀑布


タイの印象記



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夜の市場

夜空のファンタジー

オーロラ観賞には最初にフィンランドへ出かけたが、4日間の内、到着したその夜、数分のみ。
そのリベンジで、確率90パーセント以上間違いなしとの旅行社のPRに釣られてカナダのイエローナイフへ。
推奨通り4日間ともオーロラ姫たちから大歓迎を受け、うち3日間はレベル5という幸運に恵まれた。

その際、思わぬハプニングに遭遇、一時はどうなるか?−−と。
イエローナイフの空港に到着時、機体から出てきた三脚が破損しており、撮影がヤバい状態に。
現地の案内人に泣きついて(爆)、三脚借用を求めたが、オモチャに近い三脚しかなくカメラを乗せるとぐらぐら。
果たして上手く撮影できるか心もとなかったが、とりあえず拝借してオーロラ出現に備えた。

いざ、頭上にオーロラが舞い始めた。その光景に圧倒されつつ夢中でシャッターを切った。
カメラブレに備えて念のために−−と約400枚撮影。ホテルに帰って早々にチェックしたところ
いずれもバッチリ!! オーロラ姫たちが叶えてくれたのだと――? 印象深い旅の一つとなった。


カナダ・イエローナイフで撮影


中国・貴州逍遥




大家族制度の名残=中国・福建省永定の土楼


 「土楼」と聞いて、すぐに中国南部の福建省にある大家族制度の建物ーーと答えられる人は少ないだろう。自分も全く知らなかったが、知人から、それらはいまも現存していると聞き、訪ねるチャンスがあったら是非ーーと思っていた。2008年、写真仲間からどこか撮影旅行で良い所はないか?との話があり、土楼行を話したところ即決、他の仲間も誘い14人で出かけた。
 
 飛行機で中国南部にあるアモイ(廈門)まで飛び、翌朝、バスで土楼の里@エ岩市へ。この地にはかつて無数の土楼が在ったそうだが、現在は大小200戸ほど。土楼にはドーナッツ型の「円楼」、そして枡形の「角楼」があり、いずれも外壁は土と砂利などで固めたレンガ積み。居住空間は木造だった。

 
 もともと土楼は、福建省の西・南部の山地に散在し、宋代から元代にかけて一族を外敵から守るために築造されたと言われる。このユニークな建物を衛星写真で見た欧米の軍事関係者らはミサイルの発射基地では? と誤解したほど世界にも例の無い建物で、今日、世界遺産にも指定された。

 そのいくつかを訪ねたが、中でも最大規模の「承啓土楼」は4階建てで400以上もの部屋があるのにはびっくり。また「田螺坑土楼」は5個が固まって建てられており、山上からの眺めは壮観。


円楼・角楼が集まる「田螺坑土楼」



400もの部屋がある「承啓土楼」。現在は数家族だけが住んでいる


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◇天空の国チベットへの旅◇


 2007年夏、知人に誘われて天空の国「チベット」を訪ねた。その折、まず圧倒されたのは中国・成都から天空の都チベットの首都ラサを目指す飛行機の窓外。雲海から突き出る白銀の峰々が神々しいばかりの姿を次々に見せてくれ、その輝きはまさに天空の地を訪ねるにふさわしい歓迎の光景と感謝した。


雲海の中から天を刺す白銀の峰峰=中国・成都―チベット・ラサ間の飛行機内から


山の崖に描かれた石仏前で見かけた可愛い「チベッチャン」=ラサ近郊で


 首都ラサは、流石に「天空の都市」と言われるだけあって、海抜約3700メートル。いわば富士山の山頂に近いところに市街があり、酸素が薄い上に、昼中は太陽に近いせいか?紫外線が強く、また暑さも相当なものだった。 従って高地に慣れていない者にとっては、すぐに行動しようとすると頭痛や心臓の高まり、吐き気など高山病になると現地の案内役から説明され、約半日、ホテルでゆっくり順応。たまたま訪ねた季節が良かったのか、夕方からは空気も乾燥しており、さわやかな風もあって、酸欠に注意しながら、行動を開始した。

 街の中心には歴代のダライ・ラマが安置されている有名な「ポタラ宮」が小山の上にそびえ、どこからでも眺望できた。とくに夕方からはポタラ宮がライトアップされ、朱色と白色で彩られた宮城¢S体が暗黒の中に浮かび上がり、その美しい光景には感動し、時を忘れて眺め続けた。



ポタラ宮夜景=2007/08 ラサで



チベットの人たちは信仰に熱い。チベット仏教を心酔し、身体を投げ出し一歩一歩進む「五体投地」で
聖地のカイラス山やジョカン寺などを目指す光景が国道はじめ街中でも見られた


 チベットの遊牧民たちは明るい! 突然、訪ねた見知らぬ外国人の我々を笑顔で迎えてくれた。

 彼らはパオと呼ばれるテント状の移動式住居に住み、ヤクやヤギなどを放牧しながら生活する。その生活の原点であるパオ(移動式住居)の中を見せてもらいたいと現地ガイドを通じてお願いしたところ、快く見せてもらえた。

 パオの中は中央にかまど(ストーブなどの場合も)が置かれ、それを囲むようにヤギやヤクの毛皮やジュウタンなどが敷き詰められ、休んだり、寝たりできるようになっていた。隣のパオには色々な生活道具などが置かれ、常食のバターやチーズ、バター茶などを作る作業場でもあった。


遊牧の母子=2007/08 チベットで


 チベットからの帰り、『青蔵鉄道』を利用した。チベット・ラサと中国・西寧を結ぶ『青蔵鉄道』は、世界で一番高地を走ることから「天空を走る」、また「世界の屋根を走る」などと表現され、世界中の鉄道マニアをはじめ、観光客らから大人気の鉄道である。

 ラサ−西寧間は約2000キロ。その間を 1 日半かけて走る。左右の窓外にひろがる雄大な大自然――とくに白銀に輝く6000メートル級の山々に圧倒され、広大な草原ではヤクやヤギと暮らす遊牧民の姿や、いろいろな野生動物にも出会えた、感動の列車旅≠セった。


白銀の山々を背に青蔵鉄道=2007/08 チベット・ラサ郊外で
         


青海湖畔に延々と広がる菜の花畑の中で 


    ◇ヒマラヤに抱かれた「ブータン」◇


 2005年秋、ヒマラヤ山脈の東端、標高約2000〜3000mに位置する秘境のような国「ブータン」を訪ねた。チベットとはヒマラヤを挟んだ反対側にあり、豊かな大自然に抱かれ、農業を中心とする可愛いらしい仏教王国。

 そこに暮らす人々はモンゴル系で日本人によく似ている。男性はゴ、女性はキラと呼ばれる和服によく似た服装が普段着。最近まで鎖国状態で、外国との交流を抑制していたこともあって俗化も少なく、どこか昭和初期の日本の田舎の風景にタイムスリップしたような懐かしささえ感じた。



(下の画面をクリックすると大きくなります)

 
 
 
 
 
       


 谷あいに広がるブータンの首都ティンプー。その周りの小高い山や、街の中央を流れる川にかかる橋などには、世界平和や家族の幸福を祈る言葉が散りばめられたダルシン(幟)やルンタ(小旗)が風にはためく。

 第2の都市パロや、ティンプーの街では、日曜日に朝市が開かれ、大勢の人たちでにぎわう。近年、日本ではお目にかかれない赤子をおんぶする女性の姿も、多く見られた。

 国内各所にゾンと呼ばれる立派な寺院が建つ。とくに、山奥の岸壁に建つブータン最高の聖地「タクツァン」への参道は徒歩で1時間、馬に乗り換えて1時間、さらに徒歩で1時間。登ったり降りたりしながらの難行苦行の参道。もともと空気の薄い所だけに息が切れ、昇天?しそうだった。

    
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   ◇カンボジア 光と影◇


 貴重な遺跡群を誇るカンボジア。その歴史は、近年まで順調ではなかった。周辺諸国との衝突、ポルポト派との内戦など、常に戦争の渦に巻き込まれてきた。その国へ2001年、あの9.11米同時多発テロ事件直後に出かけた。

 旅行社はテロの余波を心配して中止を伝えてきたが、何としても行きたいと話し、己と同様の勇気ある人たち15人で決行してもらい、アンコールワットと周辺の遺跡群、そしてトンレサップ湖畔などを訪ねた。

 何としても行きたいと思ったのは、直前に偶然読んだ本のせいだった。「地雷を踏んだらサヨウナラ」=日本人フリーカメラマンの一ノ瀬泰造さんが、写真とともに内戦の模様をルポした本である。彼は内戦でアンコールワットが戦場となり、破壊されていると聞き、自分の目で確かめて世界に伝えようとワットを取り囲むジャングルの中を接近、あと数百メートルまでたどり着いた時、無情にも本の題名通り地雷を踏んで帰らぬ人となった。

 その彼が命をかけて見たかったであろう、アンコールワットを、同時多発テロ直後の不穏な状況の中、また緊迫感迫る中で見るのが、一ノ瀬泰造カメラマンの心境に近づけるのでは――と自分なりに考え、その思いから、旅行社に頼み込んで出かけたのだった。

 アンコールワットは、すんなりと迎えてくれた。朝日の中、青空の下、夕日に輝く一瞬、生い茂るジャングルに囲まれながらも威風堂々と、そして激しかったであろう戦争の傷跡を見せつけながらも威厳を誇るかのように悠然とそそり立っていた。

 巨大な石の顔が並ぶアンコール・トムのバイヨン寺院、タコの足にも似た巨木に圧殺されそうなタ・プローム寺院、象のテラスなど、いずれの遺跡とも長年の自然崩壊に加えて戦傷で割れたり、崩れたり。悲しいかな立派な石佛ほど顔だけが割られ、痛々しさに身震いする思いだった。


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 「地雷原に眠った一ノ瀬泰造さん、安心して下さい。いまカンボジアは過去の暗い影を打ち消すかのように平和を取り戻し、農業の発展と世界遺産となったアンコールワットを中心とする遺跡群は、世界中から観光客を呼んでいるなど活気づいています。

 遺跡群の修復をはじめ、道路整備やホテルの建設なども進み、人々の表情も明るく、見知らぬ異邦人の私にさえも、笑顔で接してくれます。トンレサップ湖で水上生活する人たちも自然と共生してゆったりと暮らし、また夕げの街中では遺跡に描かれたデバダー(女神)の容姿からヒントを得たという、アプサラの舞もレストランシアターなどで優雅に披露されています。かつて戦場だったことがうそだったかのようにまばゆい光が影を消しています」。