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「写界小話」

 
 
縁起の悪い写真?

  写真を始めたころ、恩師や先輩から「人物撮影の際、被写体となっている人物の頭や首あたりに
縦や横にラインが入らないよう背景を考えて撮影しろ!」と教えられた。

当初はなぜそんなことに注意が必要か?不思議に思った。だが、出来上がりを見て納得した。
   その人物が串刺しになったり、刃物で切られたりしたような錯覚を覚える写真になっていたからだ。

 実際にはそんなことはあり得無いが、写真を撮られた人、また見る人たちにそうした不快感を与え
ないよう、人物撮影の際はとくに頭の周辺はすっきりした背景で撮影することが賢明のようだ。


   命が縮む?

 かつて、「写真撮影されると命が縮むーー」とか「3人で写されると真ん中の人は早死にするーー」
などと言った風評≠ェまかり通った時代があったようだ。
それらは何の科学的根拠も無く、現にそうなった人がいたとも聞いたことが無い。全くの迷信?

 ある日(2007年1月末)のこと、写真初心者の講座の中で、60年配の女性から突然に同様の
疑問が投げかけられた。「昔、そんな話を聞き、それに対して誰もきちんと答えてくれず、いまだに
その風評が私の中に生きているー」と。 若い人たちは「ええっ」とあっけに取られた様子だったが、
年配者の中にはうなづく人たちも何人かいた。

 「そんな話、いつ、どこで、誰から聞きましたか?」と問いかけると、
誰もが「分からない、何となくどこかで聞いたような−−」という。

 そんな風評が本当であるなら、カメラは殺人兵器≠ナあり、大変な問題。
それこそ国会で論議され、非核三原則ならぬ「非カメラ三原則」?が制定され、
即刻、製造・使用とも「禁止」、手元にあるものは没収、廃棄されるはず。

 こうした風評は全くのでたらめな話。風評・迷信、噂話は馬耳東風で受け流しが賢明。


  35mmフィルムの長さの秘密?

 写真撮影にフィルムを使用した時代の話――小型カメラに使われた35mmフィルムは36枚撮り
または24枚撮りだった。 なぜ、中途半端な枚数になったのかご存じだろうか?

 それは小型カメラを最初に開発したフランス人のオスカー・バルナックさんが、長尺の映画用フィルム
(35ミリ)を小型カメラに転用する際、暗室では長さを測るメジャーが暗くて見えず使えないため、手測
(両手を左右いっぱいに広げた長さ)でフィルムを切って利用した。その長さが毎回36コマ撮影でき、後に
その長さが国際標準になった。

 余談ではあるが、バルナックさんは身体が小さい方で、もしも身体の大きな人だったら枚数がもっと増えていたかもしれない。

 カメラ機能のアップで誰でも、猫でも? 「私でも写せます時代」になったが、枚数を多く撮らない人たちから
「36枚は長すぎる。短いフィルムが欲しい」との声で、各メーカーは競って20枚撮りを製造し売り出した。

 そうした経過の中、今では写真界から一歩後退したコニカが、4枚おまけの24枚撮りを作って売り出すと、
そのお得感がアマ・カメラマンから歓迎され、売り上げが伸びた。他のメーカーも追随し、よく撮る人は36枚取り、
たまにしか撮らない人には24枚撮りが定着した。一方で、12枚撮りを作り売り出したメーカーもあったが、こちら
は短すぎるとして長続きしなかった。



  消えた「写真作業」や「写真用語」

 フィルム写真時代、大半のプロカメラマンは撮影からプリント作成まで、全て自分でこなした。
つまり「DPE」(現像、焼付け、引き伸ばし)を自分で処理することによって「オリジナル作品」と
言える――と。
 だが、一般のアマチュアカメラマンは撮影後、街中の写真屋さんにおまかせ。
確かに個人でのDPE処理は面倒ではあったがーー。

 アマチュアの中にも「自家現」=自分でDPE処理をする=を楽しむ人たちもいた。そうした人たち
の場合、処理作業をする暗室確保が大変。余裕のある人は自宅を改造したり、庭に小部屋を作る
などして暗室を造る人もいたようだが、そこまでは出来ない人は手っ取り早く戸を閉めると暗闇になる
押入れを利用する人が多かった。そこから押入れ暗室という言葉が生まれた。

 布団を外へ出し、その中に水や液がこぼれた時に対処できるシートを敷き、フィルム現像の場合は
現像液と定着液が入ったタンク持ち込んで作業。プリント(焼付け・引き伸ばし)する場合は、小型の
引き伸ばし機や焼き付け機を持ち込み、現像液と定着液を入れたバット(ホーロー製の四角い皿)など
を置いて、体を縮めながら、時には頭や手足を周囲にぶつけながら作業した。

 フィルム現像の仕上がりを急ぐ場合、手間のかかる「タンク現像」ではなく、「皿現」が手軽で重宝された。
皿現は現像液の入った皿(バット)の中にいきなり両手で持ったフィルムを入れ、左右に転がしたり、
揺らしたりしながら指定時間現像し、定着液に移す方法である。現像・定着の指定時間は暗室では
時計が見られないため、処理中はイチ、ニー、サン、シーと秒単位を口勘定しながら液ごとに指定された
時間作業を進めた。

 また、カラーフィルムの現像は数液を使用し長い作業となるため、好きな音楽数曲の時間を測り、
つなぎ合わせてテープに採り、それを聴きながら、曲の節目や終わりに次の液に移す曲現作業
を考え出した人もいて、小生もその恩恵に預かった。

 
 そうした言葉や作業、さらには撮影現場から編集者の元へ送った「写真電送機」も、デジタル・カメラ
時代になって、まさに御用済み。一部のアナログ・カメラ愛好者たちの間で、細々と生き残っているようだが、
いまや風前の灯となってきた。