朝鮮王朝とその宮殿
高麗時代の1392年、高麗の武将李成桂(이송계)が王位につくと、新たな国家[朝鮮](조선)を樹立した。これが朝鮮王朝のはじまりである。以後、1897年に大韓帝国(대한제국)が樹立するまで500年あまりにわたって継続した王朝である。事実上最後の王朝であるが、実際には1910年の日韓併合まで王制は続くことになる。
李成桂(이송계)は即位後、1394年に首都を開京(개경)(現、北朝鮮の開城(개성)から漢陽(한양)(現、ソウル)に遷都し、種々の政策を遂行した。
1395年、王宮殿として、景福宮(경복군)を創建する。これが朝鮮王朝の最初の雄大かつ壮大な王宮殿である。

朝鮮時代500年あまりの間に26代にわたる王が即位し、大韓帝国時代の27代純宗(순종)までに、歴代王によって、いくつかの宮殿がソウルに創建されている。
경복궁(景福宮)の他には、창덕궁(昌徳宮)、창경궁(昌慶宮)、덕수궁(徳寿宮)、경희궁(慶熙宮)の全部で5つの宮殿があり、これらはソウルの[五大宮殿]と呼ばれている。
創建当時の姿がそのまま残されているものはなく、いずれも戦禍などにより焼失後、再建されたり補修されたものである。
現在でもなお再建・補修が続けられており、貴重な財産となっている。
 
ソウル五大宮殿の地図
ソウルの五大宮殿が位置する地図をご覧いただこう。
徳寿宮(덕수군)がソウルの中区(중구)であることを除けば、他の4つの宮殿はすべて鍾路区(종로구)に位置する。
いずれも地下鉄の便がよいので、見学に当り地理的な困難はほとんどないであろう。 地図右側のメニューから目的の宮殿をクリックしていただくと、その宮殿の詳細を、下にご覧いただくことができる。
古宮マップ
ソウルの五大古宮
 
景福宮(경복궁)
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景福宮(경복궁)は、1395年、朝鮮王朝初代の太祖李成桂(태조 이송계)によって、ソウルに創建された朝鮮時代最初の王宮殿である。
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景福宮(경복궁)は、1395年、朝鮮王朝初代の太祖李成桂(태조 이송계)によって、ソウルに創建された朝鮮時代最初の王宮殿である。
 
昌徳宮(창덕궁)
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昌徳宮(창덕궁)は、1405年に正宮である景福宮(경복궁)の離宮として建造された宮殿である。
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昌徳宮(창덕궁)は、1405年に正宮である景福宮(경복궁)の離宮として建造された宮殿である。
 
昌慶宮(창경궁)
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昌慶宮(창경궁)は、1483年に第9代成宗(성종)王が創建した宮殿である。
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昌慶宮(창경궁)は、1483年に第9代成宗(성종)王が創建した宮殿である。
 
徳寿宮(덕수궁)
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徳寿宮(덕수궁)はもともと朝鮮王朝第9代王成宗(성종)の実の兄である月山大君(월산대군:ウォルサンテグン)が住んでいた個人邸宅であった。
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徳寿宮(덕수궁)はもともと朝鮮王朝第9代王成宗(성종)の実の兄である月山大君(월산대군:ウォルサンテグン)が住んでいた個人邸宅であった。
 
慶熙宮(경희궁)
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慶熙宮(경희궁)は、1616年第15代王光海君(광해군)によって建立された宮殿である。
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慶熙宮(경희궁)は、1616年第15代王光海君(광해군)によって建立された宮殿である。
 
 
경복궁(景福宮)

景福宮(경복궁)は、1395年、朝鮮王朝初代の太祖李成桂(태조 이송계)によって、ソウルに創建された朝鮮時代最初の王宮殿である。
規模は面積43万㎡以上に及ぶ広大なもので、その美しさは抜群である。
しかし、残念ながら、1592年豊臣秀吉による壬辰倭乱(文禄・慶長の役)により、戦禍で全焼してしまうという悲運に見舞われてしまった。
その後250年あまりの間再建されずにいたが、1865年興宣大院君(흥선대원군)が再建に着手し、1868年には復元が完成、高宗王(고종)は昌徳宮(창덕궁)から、ここ景福宮(경복궁)に王宮殿を移した。

1895年、王妃明成太皇后 閔氏(명성태황후 민씨)が日本人暴徒により殺害されるという不幸な事件が勃発した。そのため、高宗王(고종)はロシア公館に避難してしまい、結果として景福宮(경복궁)は王宮としての運命を終結することになってしまった。

その後、1910年日韓併合による日本統治により、景福宮(경복궁)はほとんど破壊されてしまった。
韓国は1991年から景福宮(경복궁)復旧事業に取り組み、2025年には元の姿を復元する計画という。

景福宮(경복궁)は王朝時代最初の最大の宮殿で、広さは約43万㎡(約12万坪余り)であり、多数の建造物、史蹟、宝物などの文化財があり、宮殿全体は現在国の史跡第117号に指定されている。
中でも以下の施設は時に見るべき価値の高い文化財である。
 
(1)光化門(광화문):景福宮の外側の正門
(2)興礼門(흥례문):景福宮の大門
(3)勤政門(근정문):勤政殿の正門(宝物第812号)
(4)勤政殿(근정전):景福宮の正殿(国宝第223号)
(5)慶会楼(경회루):国王が参席する重要な宴会場(国宝第224号)
(6)香遠亭(향원정):景福宮の中で最も美しい風景とされる場所
(7)乾清宮(건청궁):閔妃が殺害された悲劇の舞台
(8)慈慶殿(자경전):第23代国王・翼宗の妃のための宮殿
 
景福宮へのアクセスは、地下鉄3号線경복궁역(景福宮駅)で5番出口を出ると、すぐ目の前である。
広大で様々な文化財がたくさんあるので、ゆっくり見学すると1日では足りないくらいである。事前に十分調査の上、効率よく見学するのがよい。
景福宮の公式ホームページは下記であるので参考にされたい

창덕궁(昌徳宮)

昌徳宮(창덕궁)は、1405年に正宮である景福宮(경복궁)の離宮として建造された宮殿である。
しかし1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)により、すべての宮殿が焼失してしまい、この昌徳宮だけは1615年第15代王の光海君(광해군)によって再建された。
そして、景福宮(경복궁)が再建される1868年までの約270年間、正宮としての役割を果たした。
朝鮮時代の宮殿の中で、王が最も長く住んだ王宮である。

宮殿の北側には、宮殿創建と共に後苑(후원)[秘苑(비원)]と呼ばれる庭園が造られている。美しい自然の中にたくさんの庭亭があるが、壬辰倭乱により大部分が焼失してものを1623年に再建・改修され、今日の姿を維持している。 もともと王や王妃が余暇を楽しんだり、学んだりした場所である。

昌徳宮(창덕궁)は、1963年に国の史跡第122号に指定されると共に、1997年ユネスコ世界文化遺産に登録されている。
自然とよく調和して朝鮮時代の面影が今日に伝えられている貴重な文化財で、広い宮殿と庭園には、見るべきものが多い。
まず、昌徳宮宮殿側で見逃せない文化財を掲げる。
 
(1)敦化門(돈화문):昌徳宮の正門。宮殿の正門としては現存する最古のもの。(宝物第383号)
(2)錦川橋(금천교):韓国最古の橋。1411年建造。(宝物第1762号)
(3)仁政門(인정문)・仁政殿(인정전):国の重要行事が行われた場所で昌徳宮の中で最大の規模の建物。
(仁政門:宝物第813号/仁政殿:国宝第225号)
(4)大造殿(대조전):王と王妃の寝殿。王と家族が生活した宮殿。朝鮮王朝最後の純宗(순종)王はここで崩御。
(宝物第816号)
 
一方、後苑側では次の各文化財が特に貴重である。
 
(1)芙蓉亭(부용정):科挙試験の合格を祝福したところ。(宝物第1763号)
(2)芙蓉池(부용지):芙蓉亭(부용정)の前にあるすばらしい池
(3)宙合樓(주합루):学問探求のための2階建楼閣
(4)不老門(불로문):王の長寿を祈念して作られた門。今なお、こり門を潜ると長生きすると言う。
(5)演慶堂(연경당):1828年に創建された民家形式の建物。(宝物第1770号)
(6)愛蓮池(애련지):芙蓉池にも似た美しい蓮池。池の端には東屋愛蓮亭(애련지)がある。
(7)尊徳亭(존덕정):2つの池の周囲に尊徳亭(존덕정)、貶愚謝(폄우사)、観覧亭(관람정)、勝在亭(승재정)
の4つの東屋が立ち並ぶ美しいエリア。
(8)玉流川(옥류천):後苑奥に逸する泉。歴代王・王妃が風流遊びに興じたという。周囲には、遥逢亭(소요정)、
太極亭(태극정)、翠寒亭(취한정)、淸漪亭(청의정)、籠山亭(농산정)の5つの東屋が建ち並び風流がある。
 
なお後苑は広大で足元がさほどよくないので、特に雨上がりの見学には服装などに注意を払う必要がある。
所要時間は2時間程度である。

昌徳宮へのアクセスは、地下鉄3号線안국(安国)駅下車。3番出口を出てまっすぐ歩き、約5分で入口に到着する。
昌徳宮の公式ホームページは下記であるので参考にされたい

창경궁(昌慶宮)

昌慶宮(창경궁)は、1483年に第9代成宗(성종)王が創建した宮殿である。
成宗(성종)は、昌徳宮が狭いため、王の祖母で第7代王世祖の妃である貞熹王后(정희왕후)、生母の昭恵王后(소혜왕후)、そして養母の第8代王睿宗(예종)の継妃である安順王后(안순왕후)の3人の大妃(대비)(先王の后妃)にもっと広い宮殿でゆっくり暮らしてもらおうと、隣の旧寿康宮(수강궁)の荒れた跡地に昌慶宮を建造したものである。
寿康宮(수강궁)というのは、1418年第4代世宗(세종)王が、退位した第3代太宗(태종)の居住宮として建造した宮殿である。しかし、太宗(태종)が崩御した後は、住む人もなく荒れ果てたものとなっていた。

しかし、1592年壬申の乱(임진왜란)によりすべてが焼失してしまった。
そして1616年第15代光海君(광해군)が再建するものの、その後内乱や火災により一部が再び消失し、1986年になってようやく往時の姿を取り戻すこととなった。
昌慶宮は昌徳宮と塀一つ隔てて隣接しており、宮殿として相互に機能を補完する関係にあった。正殿景福宮の東側に位置するという意味で昌徳宮と共に東闕(동궐)(東の宮殿)と呼ばれた。
この昌慶宮は、王朝の中心舞台になるものの、歴史的には悲惨な事件発生の舞台でもあった。
第19代粛宗(숙종)時代の張禧嬪(장희빈:チャンヒビン)とその一族処刑事件、第21代英祖(영조)時代の思悼世子(사도세자:サドセジャ)の死などの大きな事件は、ここ昌慶宮が舞台となった。

昌慶宮は全体が史跡第123号に指定されており、文化財をはじめとして見るべきものが多数ある。中でもぜひ見ておきたいものを下に掲げる。
 
(1)明政殿(명정전):王宮の正殿で最高の殿閣。(国宝第226号)
(2)弘化門(홍화문):昌慶宮の正門で2階建。(宝物第384号)
(3)明政門と行閣(명정문 및 행각):明政殿の正門かつ昌慶宮の中門と両側の塀。(宝物第385号)
(4)玉川橋(옥천교):正殿に入るとき渡る明堂水(명당수)にかかる石橋。(宝物第386号)
(5)通明殿(통명전):中宮殿で、内殿の殿閣の中で最大規模。(宝物第818号)
(6)風旗台(풍기대):気象観測器具。(宝物第846号)
(7)観天台(관천대):高さ22mの天文観測台。(宝物第851号)
(8)八角七層石塔(팔각칠층석탑):1470年の中国製。1911年設置。(宝物第1119号)

昌慶宮へのアクセスは、地下鉄3号線안국(安国)駅下車。3番出口を出てまっすぐ歩く。昌徳宮の前を通り抜け更に進むと左手に見える。徒歩約20分。
昌慶宮の公式ホームページは下記。韓国語であるが、参考にされたい。

덕수궁(徳寿宮)

徳寿宮(덕수궁)はもともと朝鮮王朝第9代王成宗(성종)の実の兄である月山大君(월산대군:ウォルサンテグン)が住んでいた個人邸宅であった。
月山大君(월산대군)の没後100年余り後の1592年、いわゆる壬辰倭乱(文禄・慶長の役)が勃発すると、時の第14代宣祖(선조)王は満州に避難してしまった。しかし翌1593年ソウルに戻って見ると、一面の焼け野原で住める場所がないほど廃墟と化していた。
そこで比較的状態のよかった月山大君の邸宅を行宮(행궁:仮の宮殿)とし、これを貞陵洞行宮(정릉동행궁)と名付けて次第に宮殿としての体制を整えていった。
その後、第15代光海君(관해군)は、ここを慶運宮(경운궁)と命名し数年間生活したが、すぐに昌徳宮(창덕궁)に移ってしまったため、それから約270年余り慶運宮(경운궁)は主不在の状況であった。
王朝末期の第26代高宗(고종)王になって、慶運宮(경운궁)を修理し、王宮殿として使用されることとなった。
だが、最後の第27代純宗(순종)王は、宮殿を昌徳宮(창덕궁)へ移し、慶運宮(경운궁)には父である高宗(고종)だけが残ることとなった。そのため、純宗(순종)王は高宗(고종)の長寿を祈念して宮殿の名前を徳寿宮(덕수궁)と改名して、今日に至っている。

徳寿宮は史蹟第124号に指定されている。
宮殿内は完全に自由に解放されており、思う存分の見学をすることができる。
見逃すことのできない主な文化財は次の通りである。
 
(1)中和殿と中和門(중화전 및 중화문):徳寿宮の正殿とその正門(宝物第819号)
(2)咸寧殿(함녕전):高宗皇帝の寝殿として使用された建物(宝物第820号)
(3)仰釜日晷(앙부일구):日時計(宝物第845号)
(4)興天寺鍾(흥천사종):梵鐘(宝物第1460号)
 
徳寿宮へのアクセスは、地下鉄2号線시청(市庁)駅で下車。1番出口を出ると、すぐ眼の前に徳寿宮正門の大漢門が見える。
見学所要時間はゆっくり見て約2時間弱。
詳細は下記の公式ホームページに詳しいので参照されたい。

경희궁(慶熙宮)

慶熙宮(경희궁)は、1616年第15代王光海君(광해군)によって建立された宮殿である。
正宮である景福宮の西側に位置していることから、西闕(서궐)とも呼ばれ、またもともとの地名から塞門安大闕(새문안대궐)、塞門洞大闕(새문동대궐)、アジュゲ大闕(아주개대궐)などとも呼ばれたりした。

慶熙宮は、かつて慶運宮(徳寿宮)と虹橋(홍교)で繋がっていて、王朝末期には第2の宮殿として、非常時に王が移転する宮殿としての機能をもっていた。
当時は100以上の建物を有する広大な宮殿であった。しかし、1829年ほぼすべてが火災で焼失してしまい、1831年に再建されたものの、日本統治時代に破壊されてしまった。
跡地には学校が建設されたが、その後学校は移転され、1987年宮殿の復元がはじまって現在に至っている。


慶熙宮全体は、現在史蹟第271号に指定されている。
宮殿の創建当時から見ると、現在の建物の規模は大分小さくなっているが、下記に見学すべき主な建物を紹介しておく。
 
(1)興化門(흥화문):慶熙宮の正門。(ソウル特別市有形文化財第19号)
(2)崇政殿(순정전):慶熙宮の正殿。
(3)崇政門(순정문):崇政殿の正門。
(4)資政殿(자정전):国王が日常業務を行う便殿(편전)。
(5)泰寧殿(태령전):第21代英祖(영조)王の肖像画を安置した場所。
(6)瑞巌(서암):泰寧殿の裏にある岩でかつては泉が沸いていた。そのため慶熙宮をここに建てたという。
 
慶熙宮へのアクセスは、地下鉄5号線서대문(西大門)駅で下車し、4番出口を出てまっすぐ歩く。徒歩約10分。
復元間もないこじんまりとした古宮で、自然に囲まれた憩いの空間である。
1~2時間で見学できるので、ゆっくり歩くとよい。
なお、慶熙宮としての公式ホームページはないので、下記サイトを参考にするとよい。


 
 
 
韓国のことわざ
 
 
発行 : 韓国文化研究所
(発行:2013-10-01)
(改訂:2013-10-13)