やや微妙な問題ではあるが、韓国について論じるとき、日韓に潜在的に潜む思想問題に触れないわけにはいかない。韓国人と言えば、「自尊心と自国への愛国心は強く主張し、他国つまり日本の愛国心は批判する」という、強いナショナリズムに遭遇する。
これを論理的に説明することは不可能で、生まれながらにして、韓国人の体内深く植え付けられている何ものかである。
実はこの問題の背景には、「中華思想」という問題が深くかかわっていることを忘れてはならない。
 
「中華思想」というのは、中国の漢民族が古くから持ち続けている自国中心主義の思想であり、中国が全宇宙の中心であり、その文化・思想は神聖なものであると自負する考え方である。
そして、韓民族以外の周辺の異民族は、夷狄(いてき)と呼ばれ、文明のない野蛮人という意味の異民族への蔑称として使われた。
更には、禽獣と呼んで、獣にも等しい存在として蔑んむ思想秩序に支えられていた。
実は、これが、いわゆる「儒教思想」に支えられたものである。つまり、この文化・文明というのは、「儒教思想」そのものなのである。
この思想体系は下図左方に図式化してある。
 
中華
夷狄
禽獣
 
[中華思想]
中華 大中華
小中華
夷狄
禽獣
 
[小中華思想]
 
この思想に対しては、当然のことながら、日本をはじめ周辺国の強い反発をかった。 しかしその中で、韓国(朝鮮)だけは別であった。 それは、朝鮮が中国と大陸でつながっており、朝鮮の王朝が歴代中国の王朝から認められてきた唯一の優等生である、という自負心に基くものである。
そして、朝鮮の儒教者たちが、朝鮮を中国と同質の文化をもつ、唯一の同等の文明国として中華の一役をなすものとして、自らこれを「小中華思想」(소중화사상)と呼んだ。
このように朝鮮の儒学者たちが、朝鮮を中国と文化的同質性をもった[小中華](소중화)と自負し、他を夷狄(이적)(いてき)とした思想は、もとは、孔子の「春秋」における「尊華攘夷」(존화양이)に由来するものである。
 
朝鮮の「小中華思想」(소중화사상)では、中国の中華思想と朝鮮の中華思想とは同等であるから、同一カテゴリーにおさめ、中国の思想を「大中華思想」、朝鮮の思想を「小中華思想」とした。
そして、中国における「中華思想」と同じように、それ以外の民族は夷狄(이적)(いてき)と位置付け、さらに獣にも等しい存在のものは、禽獣(금수)と体系付けた。
以上の概念は、上図右側の[小中華思想]に示す通りである。
 
こうして、朝鮮王朝の思想基幹をなす儒教の名のもとに、朝鮮の「小中華思想」(소중화사상)が展開され、その中で日本は、中華圏以外の[邪国]という位置づけとされているのである。
この思想は、今日なお韓国民族の血として脈々と流れ注がれている。
つまり、「中華思想」の中では、正式な[国]にも値しない日本が、何に対しても韓国より上位にいるようなことは、決して許すことができないのである。これが、韓国人のプライドであり、自尊心の正体であれ、あらゆることに序列1番を標榜する国民性の根幹である、といってもよい。
極論すれば、韓国のいうことはすべて正しくて、日本は韓国の言うことを聞くべである、という考え方なのである。単純に、「自国中心主義」になっているのである。
必ずしも、これが韓国人の「愛国心」であるということができるかどうか疑問ではあるが、とにかくやっかいな思想問題である。
 
いったい、朝鮮の「小中華思想」(소중화사상)から、なぜこのような自尊心と愛国心が生まれて来たのであろうか。 心の問題に対して、論理的に明快な解を求めることは不可能であろうが、推測することはできる。
韓国は朝鮮王朝以前から、中国の唯一の属国であり、中国にとって忠実な優等生であったことは、上に述べた通りである。逆に朝鮮にとっては、中国文化をそのまま受け入れていれば、最高の文化を享受できることになり、朝鮮もまた中国同様、最高の文化をもった国家になり得たのである。つまり、朝鮮の文化は、中国文化のコピーであると言ってよい。
朝鮮は自ら汗を流すことなく、最高の文化を手にいれることができる、と考えていた。
日本がどんどん独自の文化・技術で新しいものを生みだしてきたのに対して、韓国は自分の力で何ら努力することなく、その結果、日本との格差が広がる一方であった。
そうでなくても、朝鮮の「小中華思想」では、日本は、夷狄であって、文化的に劣る国であるとされてきたから、日本の実態を認識することすらなかった。気がついたら、日本ははるか先を歩いている、という現実を悟るのである。
これが、朝鮮民族の劣等意識の根源である、といえば、言い過ぎであろうか。
 
「小中華思想」によって、朝鮮(韓国)は世界の一番でなければならないのだから、このことは、大変な衝撃である。しかし、その劣等意識を表面に出すわけにはいかない。そこで生まれたのが、「自尊心」であり、「愛国心」なのである。
つまり、強い「劣等意識」があるから、その裏返しとして「自尊心」・「愛国心」が表に出てくるのである。
朝鮮人(韓国人)は、「自尊心」・「愛国心」というヴェールをかぶって、自らの劣等感を隠して、何でも自分が正しい、自分が1番だ、と言い張っているのである。
 
そんな韓国のどこに見るべきものがあるのだろうか? なぜ、恋するようなところがあるのだろうか? 
真実を隠している国や民族ではあるが、見るべき価値あるものがないわけではない。
韓国は、日本の文化はすべて韓国(朝鮮)から伝えられたものである、と主張しているが、それは事実ではない。朝鮮を経由せずに、日本が中国から直接に受け入れ、それを進化させたものは多数ある。
一方、韓国には、中国からコピーしたそのままの姿が残されている部分もある。そこには日本と異なる部分が存在するのである。
これは、文化的に見るべき価値が存在する部分である可能性を否定できない。
自尊心と愛国心に包まれていない真の文化の一端でも発見し、垣間見ることができれば幸いなことである。

 
 
 
韓国のことわざ
 
 
発行 : 韓国文化研究所
(発行:2013-10-01)
(改訂:2013-10-13)