Book Review 雑誌編

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『GIALLO No.1 2000 AUTUMN』
光文社 / 2000年10月1日付発行 / 本体価格1429円

 分量が多いうえ、統一したシチュエーションなどがあるわけではないので、総評は省きます。各感想も、基本的に初出の際の記述をそのまま切り貼りしたものであることを御了承下さい。何故かヘンリー・スレッサー『臓器移植』だけ読んだ日に感想を書くことを失念していたようなので、そこだけ新たに(2000/11/7)書き下ろしております。

 ピーター・ラヴゼイ『完全主義者』:「完全主義者」を標榜する男の元に突如舞い込んだ、秘密クラブからの招待状。「完全主義者」という讃辞に誘われて招待に応じた男だったが、それは災難の始まりだった。
 手筋はお定まりのものだが、名手だけあってサスペンスの盛り込みがうまく、後半のツイストも絶妙な佳作。これ一篇で1500円払っただけの甲斐はあった、とちょっと思う。しかし老けたねえラヴゼイ。(2000/9/15)

 サラ・パレツキー『<進歩の世紀博>での殺人』:1933年シカゴで開催された万国博覧会。やや鈍なところのある甥と共に訪れた”老嬢”メアリ・パーマー、メイトランドと名乗る紳士の依頼でとある詐欺師を追いシカゴまで遠征してきたニューヨークの破落戸探偵・レース・ウィリアムズ。偶然のような彼らの出逢いは、しかし過去に胚胎した悲劇が萌芽する一瞬であった――。
 どうも万事が中途半端で、乗り切らない。文章展開も謎解きもそうだが、著者の弁にある「ミス・パーマー=ミス・マーブル」という意図とレース・ウィリアムズというハードボイルド探偵の噛み合わせが果たして必要なエピソードであったのか、甚だ疑問である。意外性はあるし(でも途中で読めた)事件全体としてみればきちんと収束しているのだが、手紙文とハードボイルド調の文体が交差して度々リズムを崩したり肝心な証拠などがかなり遅れて出てきたりと全体に組み立てが粗雑で、「だから?」という感想しか抱けなかった。もっと小気味良く、スムーズに話運びを行っていれば佳作になったと思うのだが。(2000/9/17)

 若竹七海『死んでも治らない』:元警察官の大道寺圭は、当時出逢った間抜けな犯罪者たちのエピソードを纏めた本を出版、それを元手に講演を行うようになった。彼にとって十三回目の講演終了後、帰宅しようと愛車に乗った大道寺の首にナイフが突きつけられた。<トレイシー>と名乗るその男は、つい先刻の講演会で大道寺がことのついでに言及した、強盗に失敗したのち山中のホテルで相棒を殺害し逃走した人物だと自らを説明する。だが、<トレイシー>は「自分は嵌められたんだ」と言い、強盗事件からの一部始終を大道寺に語り始める。
 サラ・パレツキーとはうって変わってまー読みやすいこと。何処かしら皮肉の籠もった人物描写と滑らかでおかしみのあるストーリー展開によって殆ど引っかかりを感じないまま読まされてしまった。こちらもある大切な根拠が終盤まで隠されているという点で、作中にある「密室殺人」を格とした本格ミステリと捉えてしまうと疵が大きすぎる作品だが、焦点は事件全体の仕掛けとその逆転にあり、終盤真相解明の行でのカタルシスは手練れの業を感じさせる。本格、とつけるのはエラリアンとして躊躇われるが、ミステリとしての楽しみが横溢する佳作である、とは素直に言える。。ああ未読の作品群が早く読みたし。(2000/9/17)

 ローレンス・ブロック『やりかけたことは』:出所後のポールの日々は単調なものだった。変化も味気もない生活の中でぽっかりと空いた週末にまた何かをしでかしそうで、ポールは土曜日曜も平日と似たようなシフトで働くようになる。問題は帰り道、夜になると華やかな空気を振りまくバーが道程にあることだった――
 訳文は田口俊樹氏。相性の問題もあるのかも知れないが、私にとって一番読みやすい文を書く翻訳者の一人である。今回もいつも通り、翻訳調ではあるがきちんと日本語として消化された呑み込みやすい文章が魅力的で、あっと言う間に読了する。内容自体は格別捻りもない。ただ、展開とそのシチュエーションに短篇の名手としての業が光るのみ。仕掛けや企みが欲しい向きには適当でないだろう。勿体ないと思うけど。(2000/9/17)

 マーシャ・マラー『温泉は飛行機で』:知遇のあるチャーター機会社から、毎月最後の水曜日ごとにやってくる奇妙な乗客の素性を確かめて欲しいという依頼を受けた女探偵。泥温泉に首まで浸かり、対象者の足取りを追い続けて彼女の辿り着いた結論は、意外なものだった――
 長篇の訳出は一本きりという、日本ではほぼ無名の作家。EQ末期から読むのをさぼっていた関係上、私自身読むのは多分初めて。これはシリーズ全体を理解した上で読みたかった。恐らくシリーズ通しの上での約束と思われる描写や説明の端折りが随所に窺われるのだ。本筋の謎は一種のギャグにしか見えないのだけれど、そこに加えられたツイストが小気味良い。目立った佳作でもないが、消閑に読むには最適のテキスト。(2000/9/18)

 柴田よしき『正太郎と井戸端会議の冒険』:人間たちが井戸端会議に興じているその傍らで、その飼い犬飼い猫たちも会議にいそしむのが常であった。雌の洋猫チェルシーは、自分の住むマンションの隣の棟を先日から彷徨いている危険な雰囲気を漂わせた人間について、正太郎たちに語る。他方正太郎の同居人(飼い主)はまた別の場所でどこぞの有名人の妹が二股をかけているとか、かと思えば病床について身の回りの世話も意のままにならなくなった老女のためにご近所連での介護を提案したりと、井戸端会議も花盛りである。その間もチェルシーは件の人間を監視し続け、あれはいつか自分たち犬猫に危害を加えるのでは、と危機感を抱く。他の犬たちと相談に応じている間に、正太郎は一連の出来事に潜む危険の正体を察知した。
 猫の一人称というけったいなスタイルで描かれる本格ミステリ。登場人物を猫にする必然性がクライマックスの展開ぐらいにしか感じられないのが疵だが、ミステリとしては非常によく纏まっている。文章の所々に推敲不足が窺えるのが、ちょっと……あの凄まじい執筆ペースでこれだけ全体像の整ったミステリが書けるだけでも素晴らしい、と言いたいところなのだが……。
 因みに本編に登場する正太郎を主人公としたシリーズの本格的な始動が決定したそうな。(2000/9/21)

 テリー・ホワイト『ランナーと死の配達人』:ドラッグと犯罪に満ち溢れた街。標的とした人物のガードに撃たれ瀕死の状態で空きビルの中で倒れていた<死の配達人>セーガンの前に現れたのは、同じように標的の逆襲に遇いつつ何とか腕時計だけ奪ったものの、それを<ドブネズミ>に略奪されかかり、相手を傷つけて逃走してきた少年<ランナー>だった……
 SF的設定のミステリー、と作者の弁にあるのだが……何処がSFで何処がミステリ? 短篇としては退廃的な味わいとそれでいて優しく穏やかなイメージが混在する特徴的なものに仕上がっているが、SFと断じる必要はないし、「犯罪小説」と銘打つのは構わないにしても、だから「ミステリーとの融合」になっているか、と聞かれたら首を傾げる。作者の言葉を無視した方が素直に楽しめます。作者の弁があるから評価を下げざるを得なくなる。(2000/9/21)

 ウォーレン・マーフィー『千ドル稼ぐ方法』:デヴリン・トレーシーことトレースは父親と同棲相手と共に事務所を開く探偵である。ある日、一人留守番していたところへ、一流シンガーの後ろ盾をひけらかす男が現れた。彼は、後ろ盾であるシンガーの暴露本の発表を目論んでいる女性ライターと取引を行うため、雲隠れした彼女を捜し出して欲しいとトレースに要請する。幸か不幸か他にオファーもなく、魅力的な調査費にも目が眩んで、共同経営者へ断ることなく引き受けたトレースだった、が……
 格別なトリックや、プロットの冴えは感じられない。その代わりに光るのは語り口の滑らかさである。シンプルな私立探偵小説で意外性を演出する上での教科書のような出来と言ったらいいだろうか。(2000/10/1)

 西澤保彦『葬儀と祝宴 『夏の夜会』第一話』:人間の記憶というものは当てにならないものらしい。見元は母方の祖母の葬儀に参列した翌々日、かつての同級生たちの結婚披露宴に参加した。その流れで、小学校三年・四年の時の同級生たちとホテルのカフェテリアで歓談を始めるが、話題に上ったのはその当時、旧校舎から新校舎に移る間に死んだ女教師のことだった。時を経て曖昧になった記憶をそれぞれ手繰りあううちに、意外な事実が少しずつ湧き出てくる……
 シリーズの第一話目ということもあって、目立った山もないまま終わった印象。この回では解くに何らかの結論が出ている訳でもない(一応ある解釈は提示されるが、それは事態を説明するものではなく作品の方向性を示唆するためのものと思われる)し、従ってロジックに対してあれこれ突っ込む必要は感じないが……問題は難しすぎて見分けのつかない名前と、連載形式では平坦に過ぎる展開にある気がする。折角の連載なのだから、それを生かした構成をして欲しかった、というのは贅沢に過ぎるだろうか。(2000/10/1)

 霞 流一『首断ち六地蔵 <第一首>地獄院長は燃えた』:豪凡寺という小さな寺にある六地蔵の首が切断された。「寺社捜査局」なる組織に属する魚間岳士が調査のために訪れると、折しもロケハンにやって来たホラー映画の撮影隊と行き会う。何故か彼らと共に近くにある廃病院をも訪れることになった魚間は、そこで切断された首の一つを発見する。観察のために中に入った彼らを、思いがけない惨劇が見舞うのだった。
 トリックは異様で面白いが、それ以外が殆どちぐはぐで(連作であるらしいことを差し引いても)噛み合っていないのが気に掛かる。また、真相の前に提示されるトリックの一つも、それを否定する証拠が不足していたためにその後の推理全部が中途半端に見せてしまっている。禍々しい要素の一つ一つは魅力的なのだが、それを練らないままばたばたと投げ込んでしまっただけなのが惜しい。恐らくあと五話続くのだろうが……初っ端がこれだと読む気が萎える。先んじる西澤作品にない「連載ならではの構成」にはなっているんだが、他が殆ど纏まっていないのは戴けない。(2000/10/1)

 ヘンリー・スレッサー『臓器移植』:刑務所を出たマイキーは、かつての共犯であり殺し屋として名を馳せたバーニーに会いに行く決意を固めた。元々、弟の入院費を稼ぐためにバーニーの片棒を担ぎ、自らの失態でマイキーは罪を問われたのだ。本来顔を合わせたくもなかった相手に、マイキーはある悲壮な願いを伝えに向かう――
 ある小心な人物が罪を犯すに至る背景、そしてある悲壮な覚悟を切々と描いた秀作。何も考えずに読むと結末の数行はなかなか意味が掴めないが、真意に気付くとその素っ気ない描写が染みてくる。登場人物の大半が悪党であるのに、後味は悪くなく余韻も深い。お気に入りだ。だのに何故私は読んですぐ感想を書いていないのだ。(2000/11/7)

 ジョルジュ・シムノン『モンマルトルの歌姫』:うらぶれたナイトクラブ《ペリカン》の歌姫が殺害された。間もなく、音楽学校に通う世慣れない娘が後継に立つが、彼女も最初のステージを終えて帰宅する途上、姿を消した。特別捜査隊隊長・ベルナはかつての同僚であり、今は車椅子の生活をしている元警視・ジュスタン・デュクロの元へそれとなく意見を伺いに訪れるが、実際に動いたのは、彼らの話をこっそりと立ち聞きしていたデュクロの養女・リリであった。彼女は勇敢にも単身、新しい歌姫として《ペリカン》に乗り込む。
 推理に根拠か乏しいのがマイナスだが、独特の物憂げなムード、滑らかな筋運びなど熟達の業がいい。実質二作しか著されていないらしいのが勿体なく感じられる――問題は、いい加減に切り替わる視点人物と訳文である。原文に起因するものか訳文が拙いのか解らないが、この所為で避けて通る読者もかなりあるだろう、と思わせる程、最初のうちはついていくのが辛い。慣れれば済む問題ではあるが、もう少しこなれないものなのだろうか――?(2000/10/3)

 恩田 陸『劫尽童女(こうじんどうじょ) VOLUME1化現』:数年来行方を眩ましていた伊勢崎博士が突如日本に舞い戻った。彼に英才教育を施し、その頭脳を兵器開発に利用していた組織『ZOO』は隠密裏に博士を拘束するため、人気の減った別荘地に人員を派遣し、包囲網を展開する。アレキサンダーと名付けられた犬を相棒とする男は、その最中、一人のあどけない少女と接点を持つのだが――
 漫画的な設定、だが語り口の上手さが光り長さを気にせず読まされてしまう。連載作品だが一応このエピソードで一区切り付けている辺りも巧妙。ミステリか、と聞かれると首を傾げたくなる(仕掛けはあるのだけれど、別に大した謎でもない)が、ともあれ次回が楽しみである。本書掲載のシリーズものでは、これまでに読んだ中で一番牽引力を感じた。(2000/10/4)

 スチュアート・M・カミンスキー『ヒーラ通りの猫の死体』:リトル・マン・フラッツに殺し屋が潜んでいる、と大男は語った。スウィートと名乗るその男が示した殺し屋の外見的特徴に当て嵌まる人物の許へと、街の保安官にして町長のジョージ・フィンガーハートは案内して廻る。とても殺人に関与したとは思われない人々、通りに転がった猫の死体が話題になるような小さな町。この何処に殺し屋が潜んでいるというのだろう……?
 語り口、人物造形、ラストの捻りまで非常に整った佳作。田舎町の朴訥とした雰囲気の演出もいい。このリトル・マン・フラッツの創始者の後裔でもある保安官・フィンガーハートの物語は他にも著されているらしいが、そちらにも興味が惹かれる。本格ミステリではないが、今のところ今回のジャーロ収録作ではラヴゼイ『完全主義者』とともにベストの出来だと感じる。まだ後ろに何作も残っているが。しかも次はジェフリー・ディーヴァーだが。(2000/10/4)

 ジェフリー・ディーヴァー『トライアングル』:ピートはダグと友好関係を築くためにボルティモアに行くと、モーに告げた。歓迎するモーだが、ピートは彼女の感情を知っている。だからこそ、『トライアングル』という題の犯罪実話本を万引きし、穴が空くほどに読み耽ったのだ。モーをダグに奪われないために。
 ああ、やっぱり巧いよこの作家、と痛感する一篇。からくり自体は手垢の付いたものだが、描写の選び方が絶妙であり、ラストで生きている。この展開で果たして主人公が無事で自宅に戻れたのか、その間一体どのような推移があったのかなど疑問が残るのが傷だが、最後の一言でどうでも良くなってしまう。ラヴゼイ、カミンスキーの作品とベストを争う出来であるのは確かだろう。(2000/10/5)

 高橋克彦『新フェイク FAKE1』:……読んだけど省略。『EQ』時代の連載をそのまま引きずっているので、そちらを読み損なった私には解らない点が多すぎるので。しかし何故こんなに短いのだ。(2000/10/5)

 松尾由美『銀杏坂』:北陸は香坂市の中央警察署に勤める刑事・木崎に、刑事部長の安岡が依頼したのは、些か私的で扱いの難しい事件であった。安岡の親類に当たる女性は、幼少の頃から予知夢を見ることで知られていた。その彼女が暫くぶりに見た夢は、夫を自分が殺害する、という内容のものだった。何とかして自分を止めてくれ、という女性の懇願を受けて、木崎は彼女の能力を事実から否定することを試みるが――
 道具立てに反して落ち着いた雰囲気の処理が、不思議に効果的な一篇。解決部分の推論に充分な根拠が提示されていないのが悩みだが、人間洞察に優れた描写で傷を補っている。ところで木崎が前に巡り会った事件って何処で紹介されているんでしょう。(2000/10/6)

●新世紀謎倶楽部・新世紀犯罪博覧会 第一会場
 歌野晶午『二十一世紀の花嫁』:裕福ではないが、穏やかな結婚生活を送っていた狛江春奈の許に、昔愛し合った男からの手紙が届いた。男は香月好生といい、1986年に今北市で開催された博覧会を推進した若い議員でもあった――忌まわしい過去でもある人物からのラブレターに驚愕する春奈に追い打ちをかけるように、好生からの手紙をネタに春奈を脅迫する手紙が届いた――
 篠田真由美『もっとも重い罰は』:親から受け継いだ資産を取り崩しつつ孤独に暮らしてきた結城宏樹の許を、一人の青年が訪れる。彼は、数年前に結城と別れ、のちに恋愛作家として著名になったかつての妻・多佳子の甥だった。青年は不慮の死を遂げた伯母の元に届いた古びた封書を結城に見せる。それは、結城と多佳子が別れる原因となった女性の名前で書かれた、告発の手紙であった。
 谺 健二『くちびるNetwork21』:発見された惨殺屍体は、唇だけが持ち去られていた。――殺された女・若菜の夫・草野直樹は、欲しいものを得ることに貪欲な男だった。学生時代に当時高校生であった若菜と恋仲になったのち、若菜に双子の姉・綾子がいることを知ると、遊び心から綾子とも密会を重ねるようになる。だが、二人の関係が退っ引きならなくなると、直樹はアリバイ工作を施した上で綾子を殺害する。そのツケを、直樹は十数年を経た21世紀最初の年に支払う羽目になった。
 敢えて三作纏めて感想を書くこととする。と言うのも、この三編は予め事件の根底に共通するテーマを与えた上で記されている嫌いがあるからだ。未読の方の興を殺がないためにも詳しい骨格は詳述しないが、正直これが一篇一篇単独であったなら兎も角、纏めて並べられると意図として成功しているようには思われない。歌野作品をプロローグとして提示されるあるシチュエーションを軸に、各々別のアプローチをしていればもう少し広がりが出たのではないかと思う(ただ、シチュエーション以外全てを自由にした上でこの結果であれば、執筆者同士の意見の摺り合わせが甘かったのだろう)。それぞれ単品として判断するなら、谺作品にはエピソードの処理としてかなり問題を感じるものの、他の二編は文章展開・結末の余韻が巧みで佳作と言える。反面、歌野作品の前に掲げられていた「プロローグ」には一体何の意味があったのかと首を傾げているのだが――?(2000/10/7)

(2000/11/7 構成&一部追加)


『GIALLO No.2 2001. WINTER 新世紀特大号』
光文社 / 2001年12月1日付発行 / 本体価格1429円

 第二号、特大号とは言うが前号より若干厚みを増しただけ。何にしても盛り沢山の作品群、以下に粗筋と各編の感想を記す。ところで、初版の日付は目次左端に記されたものをそのまま写したが……違うよね、これ。

 ローレンス・ブロック『レット・ゲット・ロスト』:ニクソン大統領が二度目の任期を二年勤めていた頃、マット・スカダーはまだ警察官であり、妻子とも平和に暮らしていた。ある日、知人である高級娼婦のエレイン・マーデルに頼まれて、あるアパートメントの一室を非公式に訪問する。そこには、扉を支えるような状態で倒れる男の死体があった。
 普通に扱えばなんの変哲もないエピソードだが、マット・スカダーが、回想という形で物語ると不思議な膨らみを感じさせる。素材とプロットの組み合わせにより価値を押し上げた、正しく職人技の一篇。逆に、スカダーという人物とその来歴に関する知識を持ち合わせないと、あまり味わいを感じないのでは、という危惧をも抱いた。(2000/12/17)

 有栖川有栖『不在の証明』:ひったくりで掴まった梶山常雄の証言が問題だった。追っ手から逃れるために、とあるビル建設工事の現場に身を潜めていた梶山は、その斜向かいにあるビルに、作家の黒須俊也らしき人物が入り、出ていったのを目撃する。そのビルの一室で、同時刻に黒須の双子の弟、克也が殺害されていた。当然の如く捜査陣は黒須俊也を追求するが、彼にはかなり信憑性の高いアリバイが存在した。
 火村助教授・作家アリスコンビの作品。が……正直に言って、かなり期待はずれの出来。筋は通っているものの、トリックもプロットもいまいち以下という気がした。人物造型の上手さと語り口の洗練度は高いものの、それだけでしかない。(2000/12/18)

 エドワード・D・ホック『クリスマスツリー殺人事件』:引退したレオポルドに、警察は迷宮入りした事件の再検討を新たな仕事として託す。その最初の事件が、1961年12月15日、一夜のうちに四名が犠牲となり、それきり途絶えてしまった殺人事件。被害者に共通するのは、車にクリスマスツリーを積んでいたこと。レオポルドは生き残った被害者や遺族たちに話を聞いて廻るが、如何せん古い事件のこと、特に新しい物証も浮かばず苛立つレオポルドだったが――
 現在の視点で過去の事件を洗い直す、という着想が隅々まで行き渡っているのが上手い。当時でもこの犯人に到達する可能性はそれほど低くないようにも思えるのが疵だが、語り口とプロットの丁寧さでカバーしている。(2000/12/18)(2001/3/25文章をちょっと訂正)

 山田正紀『サマータイム』:シーズン最後の日の海の家で、少女が殺された。昨日付けでアルバイトを辞めた君柄怜子という少女である可能性が大きい筈なのだが、雇用主が少女の履歴書を受け取っていなかったために、確認が出来なくなる。元々怜子は化粧が濃い方で、シャワー室で水流を浴び続けた水着姿の遺体が彼女なのかどうか、周辺の人々も確信が持てない。加えて、現場である海の家は法令によってその日のうちに解体される運命にあった。私的な事情もあって、担当した刑事は解決を急ぐ……
 冒頭の一節と上杉久代氏のイラストが醸し出す、晩夏の物憂い雰囲気が秀逸(でも冬号だが)。視点人物の設定と事件推移の噛み合いも考えられているのだが、事件の本質がある種喜劇的であるために、終盤に来てちぐはぐになってしまったのが惜しい。物語の最後で活躍するキャラクターは、登場の仕方はいいのだが全体から見ると唐突。細部はいいのだが詰めを誤った、という印象を受けた。(2000/12/19)

 若竹七海『猿には向かない職業』:警察官を辞し文筆業となった大道寺圭の許を、<お猿のジョージ>の異名を取るケチな犯罪者・花巻譲二が訪ねてきた。大道寺が著書の中で花巻の間抜けな行動を暴露していることを盾に、行方不明になった娘を捜してくれないか、と請う花巻を大道寺は邪険にあしらう。だが、大道寺が一眠りしたその間に、近所で花巻の他殺死体が発見され、大道寺は容疑者扱いされる羽目に陥る。娘の行方不明の一件が事件に絡んでいると判断した大道寺は、漸く重い腰を上げた。
 コミカルな展開は読ませるのだが、後半真相の発覚が唐突なこと、推理部分の論旨がどうにもいい加減さを拭いきれない点で物足りなさを感じた。主人公の行動には爽快感をちょっと覚えたのだけど。(2000/12/21)

 フェイ・ケラーマン『聖なる水』:ラビ・ファイネルマンは白昼、仮装用のマスクを被った二人組に拳銃を突きつけられ、拉致された。目隠しをされ車で連れて行かれたのは贅沢な書斎、そしてラビを迎えたのは、ソフトドリンク産業で財をなしたさる企業の重役。フィリップと名乗った彼が欲しているのは、ラビが記憶しているかも知れない、ライバル会社の新製品に関する秘密情報だった。倫理上の理由から身の危険にあっても情報を漏らしたくないラビは、奇策を弄する。
 ミステリ、というよりはスラップスティックな知的サスペンス、と言うべきか。格別な捻りはないが、人物配置、物語の推移、決着に至るまでの展開に無駄がなく、後味も快い。ラビが提案した趣向に頷く人も多分少なからずいるだろう。爽やかな一篇。(2000/12/21)

 松尾由美『雨月夜』:朧な雲の上に月さえ覗く雨の夜。帰宅途中で後ろから殴られ負傷した男が、犯人の心当たりとして挙げた人物は、眠っている間に自身の霊魂を彷徨させてしまうという性癖の持ち主であった。この類の超常的な事件に功績がある、と周囲に決めつけられてしまった木崎と吉村の両刑事は、事の真偽を確かめに容疑者に会いに行くが――
 語り口は絶妙だが、裏をかこう裏をかこうという意図が全体のバランスを崩してしまった感がある。ミステリとしても怪異譚としても妙に収まりが悪い。いっそ割り切って怪異譚として描いた方が正解だったように思われるのだが。(2001/1/1)

 霞 流一『首断ち六地蔵 <第二首>地獄院長は燃えた』:二つめの地蔵の首は、十二月十三日、「だんまり軒」といううどん屋の軒先で発見された。確認のために現場を訪れた寺社捜査局の魚間と豪凡寺の住職・風峰は、そこで鍋に煮込まれた死体を発見する。
 解決部分の動機説明と犯人の最後の行動が唐突すぎて居心地の悪さを残しているが、全体の珍妙な味わいは悪くない。ただ、この説明だと、探偵役が終盤まで説明を行わなかった理由がない。(2001/1/1)

 ジョゼフ・ハンセン『懺悔』:道路工事現場の掘削作業中、土中から白骨化した女性の屍体が発見された。三年前に失踪したクレッシー・ガーナーと判明し、彼女と喧嘩の絶えなかった年老いた夫・ブレントが最重要容疑者として拘留される。だが、元保安官の牧場主・ボハノンの許を訪れた若い牧師が、別に真犯人がいる、と語り、ボハノンは捜査に乗り出す。
 捻りなし。そして事件の結末も殆ど状況証拠のみで、しかもある人物の説諭によってあっさり犯人が改悛してしまうのも奇妙に見える。語り口の淡々とした味わいには価値を認めたいが、他に目を惹くところはなかった。(2001/1/1)

 折原 一『北斗星の密室 「黒星警部の夜」あるいは「白岡牛」』:雪の夜の白岡地方、不可能犯罪マニアの黒星警部が平和ぶりに愚図っていると、牧場から牛が集団で逃走したという通報が入る。不承不承出動した黒星達は途上、資産家の熊野義太郎宅から火が出たという通報を受けて出動したと語る消防隊員達と遭遇、牧場の方が既に解決済みとあって進路を変更し随行した。だが、熊野宅には人気も火の気もない。不審に思っているところ俄に裏手から出火、誰もいないのに何故、と訝しむ間もなく鎮火させたが、改めて中を覗き見るとそこには熊野義太郎のバラバラ死体が転がっていた……
 久々の黒星警部シリーズ。相変わらず何処か空回りする黒星警部とギャグに苦笑していると、思いの外切れ味の鋭い結末が待ち受けている、といった風情。些かアンフェアなプロローグも含めて、意外にもストレートで出来のいい本格ミステリとなっている。トリックの成立に些か疑問符を禁じ得ないが、この独特な喜劇の味わいが中和してさほど気にさせない。この世界だからこそ通用するトリック、だからこそ評価できるのである。個人的には、相変わらずどこか奇妙な節回しや表現が気にかかりはしたのだけど。(2001/3/17)

 ジャネット・ラピエール『家族の集い』:ダンカン一族では毎年、当主の誕生日に彼らが受け継ぐマウンテン・ホームに集まることが習わしとなっている。男たちが狩猟にかまけている頃、妻たちと一番年少の娘とがまず集い、奇妙に軋んだ空気の中準備を始めていた――
 ラスト数行のオチのためにかなり退屈な中盤を読まされるタイプの物語。これで中盤の起伏、或いは描写が傑出していればと思うのだが、海外のドラマにありがちな饒舌さばかりが際立っていまいち興が湧かない。作者の力量不足が目立ってしまっただけ、という気がした。(2001/3/19)

 アレクサンドラ・マリーニナ『事の次第』:ロシア、ヴォルギナ通りにあるアパートメント。空の旅から帰還したばかりのイリーナ・フィラートヴァが不可解な死を遂げた。通報を受けて駆け付けた警官は、雨の中傘も持たない彼女を不憫に思いアパートメントまで送り届け、数十分間料金を待ち続けた挙句に死体発見者となった運転手・ジーマ・ザハロフを容疑者として検挙、それで解決と看做すが、モスクワ市犯罪捜査局のヴィクトル・ゴルジェーエフ部長は部下である女性分析専門官・アナスタシア・カメンスカヤにより詳細な調査を命じる。事件にはどうやら、別の幼女強姦事件が絡んでいるらしいのだが……
 ペレストロイカ以降ミステリブームが巻き起こっているというロシア発のミステリーである。だが、新参故に未発達であること、また本編が本来長篇であり今回紹介されたのは抄訳に過ぎない、といった事実を差し引いてもそれほど誉められた出来ではない。そもそも抄訳で紹介できるほど単純な筋書きではないという気がしたのだが、細部の省略の仕方がどうもいい加減で、その間の事情が読み手に実感できないのがまず問題。作中、姓が男女で微妙に変化することや独特の言い回し、捜査部署のアメリカや日本との相違点などなど、これからやっと本格的にロシアのミステリ作品が紹介されるという段階である以上、説明しなければいけない点が幾つもあるにもかかわらず、その浸透を見ずに矢継ぎ早に事実を並べ立てるような訳し方しかできない作品を持ち出してしまったのは間違いだろう。こういう状況なら、もっとシンプルに纏まった短篇〜中篇を完全な訳で提示した方がいい。
 で、肝心のストーリーも、中盤の省略が或いは全体を引き締めていた可能性を考慮に容れても、あまり面白い顛末ではない。格別なトリックはなく犯人は(以下モロにネタバレのため→←の間伏せ字)→いきなり登場した殺し屋←で、終盤、ここは抄訳ではないらしいアナスタシアとの駆け引きはそれなりに読ませるにしても、ラスト→アナスタシアの適当な暗号から窮地を脱する←という展開は説得力がなくあまりにも腰砕け。作者にとってこれがデビュー作、しかも掲載されたのは警察の機関誌(!)だったというからこれでも相当画期的だったかも知れないが、ミステリ支持者の多い日本に、まだ浸透していないロシア作品を紹介するという状況ではやはり間違った選択だったとしか思えない。こののち作者は作家専業となり、分析専門官アナスタシアを主人公としたシリーズも多く著しているというから、シリーズであることが作品それぞれの価値を固定していないのであれば続編を、そうでなければ全く別の作品を紹介した方が作者のためにも読者のためにも良かった、という気がする。少なくともこの筋立てで「ロシアのクリスティー」と言われても頷けません。
 付け加えると、私はこの翻訳者の文章力にも疑問を抱いた。「アブストラクト」、と書いたあとに(概要)と付け加えるくらいならはじめから「概要」と記すべき。他にも恐らく抄訳として描かれた部分の焦点を欠いた文章を見るにつけ、今後も同じ方の手で訳されるというのであれば、ロシアミステリ紹介の先行きに不安を禁じ得ない。(2001/3/19)

 恩田 陸『劫尽童女(こうじんどうじょ) VOLUME2 化縁』:組織「ZOO」の追撃を免れた伊勢崎遙は、南房総の丘の上にある孤児院に潜伏した。追っ手を警戒し常に神経を尖らせながら、遙は取り巻くシスターや孤児たちとの交流の中で初めて安らかな時間を得ていた。だが、富永幸夫という少年が入所したのと時を同じくして訪れたカウンセラー、ルポライターたちの中に刺客の気配を察知し、再び遙の身辺は緊迫する――
 この書き手のリーダビリティの高さと物語の引っ張り、情緒的な描写の巧みさは既に折り紙付きと言っていい。安心して読めるが、それだけにスムーズに流れてしまうのが欠点でもあるのだろう。ミステリ的によく伏線が張り巡らされているわけではないが、それが傷になっていないのは読み物としてよく完成されているからだ。――正直、この段階で突っ込めるところはあまりないのである。(2001/3/21)

 ローレン・D・エスルマン『南部の労働者』:私立探偵・エイモス・ウォーカーはとある労働者の依頼で、彼の妻の浮気調査を行う。案の定、労働者の妻はある男とモーテルにしけ込んでいた。労働者の話では、浮気の事実さえ解れば充分ということだったが、間もなくウォーカーは労働者の妻とその浮気相手が件のモーテルで射殺されたことを知る。興味から捜査に乗り出したウォーカーは、同時期に発生した銃撃事件との関連を疑う。
 中盤までは筋、語り口共に土着的ながら快い読み心地があるのだが、ラストが些か腰砕け。もう一歩突っ込んだ絡繰りを用意していれば傑作になったと思うのだが、この結末ではあまりにありきたりすぎる。(2001/3/21)

 西澤保彦『懺悔と呪縛 『夏の夜会』第二話』:過去の謎解きに混沌とした披露宴二次会のあと、見元(みもと)は指弘(いいず)に「話したいことがある」と言われ、新たに酒宴を設ける。指弘は同級生たちが言及しなかった、披露宴に欠席したもう一人の生徒・鬼無(けなし)の存在に絡めて、先刻言い損なったある事実を語ろうとしていたのだった――
 非常に深甚な会話が繰り広げられるが、基本的な仕掛は存外に単純明快。二言三言で済むようなネタである。だが、それを手応えの感じさせるエピソードとして構築していった手腕はなかなかのもの。西澤氏の巧みさは会話の紡ぎ方にこそあると常々感じているが、このシリーズでは氏のそうした巧さが久々にストレートに表現されているように思う。更に迷宮深く侵入しつつある、小学校時代に潰された旧校舎での殺人事件の謎が、最後に何処に行き着くのか――今後が楽しみになる展開である。(2001/3/22)

●新世紀謎倶楽部・新世紀犯罪博覧会 第二会場
 第一会場とは趣向を変え、それぞれに別途感想を添える。
 二階堂黎人『人間空気』:栄田美恵子の元に届いた数通の手紙。1986年の博覧会で投函されたそれらの手紙は自らを「誰にも認識されない人間空気」と言い、美恵子に付きまとっていた男が、美恵子のその後の男性遍歴、そして犯した罪について的確に言い当てていた。水乃紗杜瑠は、馬田警部補の依頼により栄田美恵子が関わったという殺人に纏わる謎を解くことになった――
 うーん、これは困った。一個一個の発想は面白いのだが、纏まりに欠き収束感が失われている。特に、中心となる書簡の絡繰りと著者が愛好する密室のテーマがうまく結びついていないため、解決まで読んでもカタルシスが希薄なのだ。また、細部にあまり神経を配っていない文章が見受けられ、読書のテンポを壊しているのもマイナス。総体として、物語としてもミステリとしても失敗した作品としか思えなかった。
 柄刀 一『滲んだ手紙』:藤堂愛子の元に、彼女の罪を告発するかのような趣旨の手紙が届いた。13歳だが早熟、それでいて心臓に生まれつき欠陥を抱えた愛子にとって、植物人間となったまま今日まで生き続ける母親と共に死は身近な存在だった。だが、たった一度、雪山で本当に危険な状態に陥り、やむなく窮地にあった人を助けずにその場を離れた、という経験があった。愛子は男友達と共に、その時の雪山を訪れ、起きた出来事を確認しようとするが……
 手紙の文面を見た瞬間にラストが想像できてしまうのが唯一にして最大の欠陥だと思う。それでも物語として牽引力があればよかったのだが、謎がそれしかないためロマンチシズムの拙さと叙述の迂遠ぶりが際立っただけで殆ど奏功していない。そもそも、この仕掛はシチュエーション競作であるこの企画には染まないものだと先に気付くべきではなかったか。
 小森健太朗『疑惑の天秤』:碧川英二が久々に兄夫婦の住居を訪れたとき、兄夫婦は大喧嘩の真っ最中だった。それでも何事もなかったかのように兄夫婦は英二を歓待するが、英二はソファに兄の不倫を告発するような手紙を発見する。兄のいない隙に兄の妻・佳代子に真偽を質すと、彼女は肯定した。後日、兄が佳代子に面差しの似た若い女性と歩いているのを目撃、不審に思った英二は女性を掴まえて質問すると、彼女は佳代子の父親違いの妹であり、兄の小説講座の生徒だと言う――一安心したものの、事態はそれで収まらなかった……
 第二会場では一番まともな出来だと感じた、が比較の問題。もう少し長めにするか、視点を英二以外のどこかに置くべきではなかったか。ミステリというジャンルそのものが予定調和を要求する性格上、致し方ないこととは言っても、重要な出来事が同じ日に立て続けに起きた、と書いてしまうのもちょっとぞんざいに過ぎる。ラストの主人公の述懐まで、作者が描きたかったものは理解できるのだが、もう少し別の語り口をしていればより効果的だったはず。
 歌野晶午『新世紀犯罪博覧会・エピローグ』:粗筋省略。歌野氏がこのオムニバスドラマをどのように締めくくったのかは実地で確認していただきたい。ただ、これはあくまで参加者の提示したエピソードを軽く束ねたに過ぎず、いわばデザート程度の意味合いしかない、というのが私の正直な感想である。つまり、プロローグというオードブルに呼応しているわけで。テーマ競作としての統一感を演出する、という意味合いから言えば必要ではあるけれども――とはひねくれ者の見方だが。
○新世紀謎倶楽部・新世紀犯罪博覧会 総評
 テーマは面白かったものの、それが予め前面に押し出されていることを考慮に容れなかった作品が多かった点、企画としては失敗している。テーマさえ念頭に置かなければ寧ろ秀作と呼べたのでは、と思われる作品もあっただけにその意味では残念である。(2001/3/24)

(2001/3/25 構成)


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