cinema / 『バイオハザードII アポカリプス』

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バイオハザードII アポカリプス
原題:Resident Evil : Apocalypse / 原案:Capcom『バイオハザード』シリーズ / 監督:アレクサンダー・ウィット / 製作・脚本:ポール・W・S・アンダーソン / 製作:ジェレミー・ボルト、ドン・カーモディ / 製作総指揮:ベルント・アイヒンガー、サミュエル・アディダ、ローベルト・クルツァー、ヴィクター・アディダ / 撮影監督:クリスチャン・セバルト、デレック・ロジャーズ,C.S.C. / 編集:エディ・ハミルトン / 美術監督:ポール・デナム・オースターベリー / 視覚効果スーパーヴァイザー:アリソン・オブライエン / 衣裳デザイン:メアリー・マクレオド / 音楽スーパーヴァイザー:リズ・ギャラキャー / 作曲・音楽:ジェフ・ダナ / 出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ、シエンナ・ギロリー、オデット・フェール、トーマス・クレッチマン、ジャレッド・ハリス、マイク・エップス、サンドリーヌ・ホルト、ソフィー・ヴァヴァサー / 配給:Sony Pictures
2004年アメリカ・カナダ・イギリス合作 / 上映時間:1時間31分 / 字幕:太田直子
2004年09月11日日本公開
公式サイト : http://www.sonypictures.jp/movies/residentevilapocalypse/
丸の内ピカデリー2にて初見(2002/10/23)

[粗筋]
 巨大企業アンブレラ社の地下研究施設“ハイブ”から脱出して数時間。もうひとりの生き残りマット・アディソン(エリック・メビウス)と引き離され、収容された先の病院で目醒めたアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が目にしたのは、荒廃したラクーン・シティだった。
 アリスが意識を失っている数時間のあいだに、ラクーン・シティで何が起きたのか? ――生存者ふたりを回収したアンブレラ社は、“ハイブ”に調査隊を派遣する。だが、“ハイブ”内におけるT−ウイルスの汚染速度は上層部の想像を遥かに上回り、ゲートを開けた途端に汚染は街へと拡がった。調査隊は壊滅し、そこから人を貪り食うゾンビが街へと流出する。
 事態が知れ渡るより前に、アンブレラ社は重要人物の安全確保に奔走した。そのなかに、アシュフォード博士(ジャレッド・ハリス)も名前を連ねていた。寄越された使者に向かってアシュフォード博士は懇願する――娘がついさっき、学校に向かったばかりだ、と。別の使者が博士の娘・アンジェラ(ソフィー・ヴァヴァサー)の保護に向かったが、その途上事故に遭い、脱出困難な状況に陥ってしまう。
 その頃になると、街は混乱の局地にあった。謎の感染症によって死んだはずの人々が蘇り、他人と身内とを問わず襲いかかり肉を貪り、襲われた人間はまた蘇って人を襲う。ある者は病院に縋り、ある者は警察に駆けつけ助けを請うが、対処のしようなどあるはずもなかった。ラクーン・シティ警察署内の特殊部隊S.T.A.R.S.の一員ながら休職中であったジル・バレンタイン(シエンナ・ギロリー)は警察署に駆けつけるなり、事態の原因がアンブレラ社にあることを喝破する。
 間もなくラクーン・シティはアンブレラ社によってゲートを封鎖され、周辺から隔絶された。住人はゲート前の検査所に殺到するが、感染はゲート間際にまで接近、指揮を執るケイン少佐(トーマス・クレッチマン)は検査を中断し、住人たちを威嚇によって街のなかに追い返した。在職中の相棒だったペイトン・ウェルズ(ラズ・アドチ)と合流したジルはその状況に愕然としながら、特ダネに固執して居座ろうとしたテリ・モラレス(サンドリーヌ・ホルト)を保護しつつ避難する。
 ゲートが完全に封鎖されたことで、ラクーン・シティ内部で戦闘を続けていたアンブレラ社のバイオハザード対策部隊もまた取り残された。仲間をひとり、またひとりと失っていくなかで辛うじて生き残っていたカルロス・オリヴェイラ(オデット・フェール)とニコライ(ザック・ウォード)も、救援要請に対して返答がなく、助けに来たと思われたヘリが何らかの物資を落として去っていったことで、見捨てられたことを自覚する。同時に、何か不気味な企みが実現に移されつつあることも悟っていた。
 テリとともに警察署に戻ったジルとペイトンだったが、署内には既に人気がない。警戒しながら生き残りの捜索をはじめた彼らは、運動能力の異常に発達したゾンビの襲撃を受ける。複数に取り囲まれ、絶体絶命の窮地に陥ったジルたちを救ったのは、完全武装したアリスだった――!

[感想]
 ポール・W・S・アンダーソン監督の作品と、日本の北村龍平監督の作品とは不思議と手触りが似ている。前者の『バイオハザード』と本編、後者の『あずみ』『ALIVE』と並べてみると解ると思うが、いずれも強固な世界観を備えた原作があり、それによって完成されたキャラクターなどを援用しながら、独自の迫力あるアクションで物語を飾っている。そのインパクトを重視するあまり、設定と矛盾する動作や要素も平然と残してしまう無神経さがあるのも似ている――たとえば『バイオハザード』終盤でミシェル・ロドリゲスが見せる仕種であり、『ALIVE』で登場するゼロスという存在の位置づけなどがそうだ。その作り方が覗かせるのは、独自の美学とエンタテインメント性を重視する、という基本姿勢である。
 本編の原作は日本で製作・発売され、無数のシリーズ作品を排出することになったゲームである。ゲームはいつ何処から出現するか解らない、そしてその非現実的な動きが不気味なゾンビたちの襲撃をかわし、或いは打ち倒しながらその舞台からの脱出を試みる、ホラー的な要素を盛り込んだアドヴェンチャーもの、という体裁を取っている。ところどころ反射神経を要求される場面もあるが、全体に派手な動きは乏しく、3Dで表現された映像もどちらかというとその不気味さを際立たせるために利用されている。
 前作はその恐怖感とゲーム的なガジェット(コンピュータ制御されたトラップなど)を随所に盛り込みながらも、クライマックスを支えているのは強烈なアクションであった。舞台が狭い地下施設からラクーン・シティ全体に拡大した本編では、更にアクションへの傾倒が著しくなっている。
 前作では何処にゾンビが潜んでいるか解らない、という恐怖感の演出が可能だったが、舞台が広域化し感染も拡大したこの状況では、ゾンビを隠れさせること自体が難しい。序盤からして本編はパニック映画の様相を呈しており、警察署や学校などでは緊迫感が垣間見えるが、それ以外の場面ではホラー映画的な表現がしにくくなるわけで、アクション重視となるのは必然的な推移だったと考えられる。
 本編はポール・W・S・アンダーソン監督が『エイリアンVSプレデター』の製作と時期が重なってしまったために脚本と製作のみを引き受ける格好となり、監督はこれが初めてというアレクサンダー・ウィットという人物が担当している。しかし、脚本のみでもアンダーソン監督の個性は上記の通り十分に反映されているし、納得させられるのはアレクサンダー・ウィット監督の経歴である。監督こそ本編が初めてながら、セカンド・ユニットでのキャリアが非常に長く、アクション表現に長けているという。携わった作品を『ブラックホーク・ダウン』、『トリプルX』、『ミニミニ大作戦』、『ボーン・アイデンティティー』、『デアデビル』と連ねていけば頷いていただけるだろう(うち最初の一本を除いてシリーズ化が検討されているのにも注目)。この抜擢からして、本編が更にアクション重視になったことは察せられるというものだ。
 故にアクション表現についてはもはや文句のつけようがない。ゾンビの大群とアンブレラ社特殊部隊との戦闘シーン、アリスの戦慄極まる再登場とクライマックスで見せつけるこれぞアクション・ヒロインと呼ぶべき活躍ぶりには胸のすく想いがする。前作では独自の舞台を用意したために、世界観以外はほとんどゲームから離れてしまったが、今回は街のなかを動き回るために警察署など見覚えのある舞台が登場し、それに合わせてジルやオリヴェイラなどゲームからの出張キャラが現れたあたり、製作者たちのサービス精神が垣間見える。
 反面、やはりあれこれと盛り込みすぎたが故の不整合や説明不足が目立つのも難だ。序盤は登場人物が多すぎてばたばたしているし、クライマックスの盛り上がりは素晴らしいものの、そこに至るまでに必要なものについて一切解説されなかったものがかなり残っている。
 最大の問題はラストシーンだろう。あまりに性急すぎて、何が起こっているか解らず首を傾げながら劇場をあとにした観客もあったのではないか。恐らく本編ははじめから続編を念頭にしていて、その伏線として用意されたものに違いない。ただ、そう考えても、あれでいちおう完結と捉えることも出来た前作と比べて消化不良を強く味わわされることは事実だ。
 つまるところ、たぶんそれが作品世界全体にとってのクライマックスとなるであろう第三作に橋渡しするための作品であり、徹底したアクション演出によってその中弛みを感じさせないというだけでひとまず評価してもいいと思う。どうこう言うには、鏤められた伏線をどうやって回収するか見届ける必要があります。

(2004//)


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