cinema / 『テッセラクト』

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テッセラクト
原題:“The Tesseract” / 原作:アレックス・ガーランド『四次元立方体』(アーティストハウス・刊) / 監督:オキサイド・パン / 脚本:オキサイド・パン、パトリック・ニーテ / エグゼクティヴ・プロデューサー:河村光庸、松本洋一、宮里一義 / プロデューサー:楠部 孝、甲斐真樹、スージュン / 撮影:デーチャ・シーマンタ / 美術:ヴィサーヤ・ナヴァソン / 編集:オキサイド・パン、ピヤバン・チョペック / サウンドトラック:“ZAN SAB” / 音響:柴崎憲二、伊藤瑞樹 / VFX:オリエンタル・ポスト / 出演:ジョナサン・リース・マイヤーズ、サスキア・リーヴス、カルロ・ナンニ、レナ・クリステンセン、アレクサンダー・レンデル、ヴェラディス・ヴィニャラス、ラーカナ・ヴァタナウォンスリー / パン・ブラザース・フィルムス製作 / 配給:Artist FILM、PHANTOM FILM
2002年イギリス・タイ・日本合作 / 上映時間:1時間36分 / 日本語字幕:安田裕子
200年06月19日日本公開
公式サイト : http://www.tesseract-jp.com/
シネセゾン渋谷にて初見(2004/06/19)

[粗筋]
 ドラッグ取引のためにタイの安ホテルに滞在しているショーン(ジョナサン・リース・マイヤーズ)は、部屋の中で約束の時刻を待っているうちに恐慌状態に陥り、ホテルを飛び出した。ショーパブで出会ったフォン(ラーカナ・ヴァタナウォンスリー)という娼婦と話しているうちにようやく気が晴れ、部屋に戻ってみると、ドアの下に取引の延期を指示するメモが差し込まれていた――
 ローザ(サスキア・リーヴス)は心理学研究の一環として、“夢”に関するインタビューを行うためにタイを訪れ、その安ホテルに辿り着いた。上品という言葉からは程遠い場所だったが、低所得層に属する子供達に取材するには具合がいい。ローザは荷物を運んでくれた英語の堪能な少年ウィット(アレクサンダー・レンデル)からも話を訊くつもりで、あなたを呼ぶにはどうすればいいのか、と訊ねる――
 ショーンとの取引に向かおうとしていたシア・トウ(ヴェラディス・ヴィニャラス)一味は、途中何物かの襲撃に遭う。二度の襲撃で数人の部下を失い、自らも傷を負ったシア・トウは取引の延期を命じる。そんな彼の周辺で、慌ただしく暗躍する影があった……
 安ホテルの地下倉庫で暮らしているウィット少年は、客の荷物運びやご用聞きをする傍ら、合鍵を使って客室に忍び込んでは荷物を着服して売り払い生計を立てていた。客に頼まれた鎮痛剤と消毒液を買ってホテルに戻ったウィットは、ローザが出ていくところとすれ違い、好機とばかり彼女の部屋に侵入した。だが、忘れ物を思い出して戻ってきた彼女に現場を目撃されてしまう。許しを請うウィットに、ローザはインタビューに協力するよう頼むのだった――

[感想]
 SFかと思いきや、イギリス風クライム・サスペンスの応用だった。
 題名の『テッセラクト』は四次元立方体を意味する。二次元の展開図は一次元で表され、三次元の展開図は二次元によって表される。よって、四次元の展開図は三次元によって表すことが出来る――という理屈になる。そういう前置きがあったからこそ、こちらとしては何となくSFを期待していたのだが。
 本編で四つ目の座標軸に指定したのは、どうやら“視点”であったらしい。つまり、通常ひとりの人間の視座に立つからこそ成立する三次元に、異なる新しい視点を同時に導入することで仮想的に四次元を構築した、と主張したかったようだ。
 理屈として間違ってはいない。私は“時”を歪めて複雑な因果の物語を形成するのでは、と想像していたために余計肩透かしを食ったような気分になったが、理には適っている。ただ、言うまでもなくその手法自体は様々な創作の世界にあって決して斬新なものではない。映画で言えば、ガイ・リッチー監督の『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』に『snatch』、ミニシアター系列でロングランとなった『ディナーラッシュ』、先のカンヌ映画祭でパルム・ドールに輝いたガス・ヴァン・サント監督『エレファント』、最近公開されたばかりの名品『21グラム』もそうだし、やや捻った趣向だが『トラフィック』や『アダプテーション』もこれに該当するかも知れない。多視点構造など、創作の世界全般はおろか、映画としてもありふれた趣向なのだ。
 その辺で過剰に趣向を自負しすぎた傾向はあるが、しかし作品の出来自体は悪くない。多視点を導入したサスペンスと単純に捉えなおしても、その丁寧な伏線の描き方、細かなパーツの応用ぶりなど実に巧妙である。気にも留めていなかった小道具が突如力を持って物語を動かす場面が繰り返し登場し、登場人物の言動に心理的背景をきちんと用意し、さりげない台詞に終盤のカタストロフィへと至るいちばん大きな鍵が隠れている、など心配りがよく行き届いている。
 監督のオキサイド・パンはスローモーションや何気ない場面でのヴィジュアル・エフェクトの活用、ワンシーンに細かなカットを無数に注ぎ込むなど演出・編集に明確なスタイルが存在するが、本格的な国際市場進出作となった本編でもそれを崩していない。従来もあった、音響が全般にうるさすぎる、という欠点もまたそのままだったが、そうした一連のスタイルが錯綜した物語を随所にエッジを効かせつつ娯楽映画の文法で表現することに貢献していて、上に挙げた作品群と比べても完成度の高い作品と言っていい。
 視点人物の中でも最も扱いの大きかったショーンのバックボーンをもう少し丁寧に描くべきではなかったか、またここまで伏線を徹底したのなら最後のサプライズにももう少し伏線を提供するべきではなかったか、など幾つかの問題はあるし、そもそもこういうスタイルで“四次元の展開図(テッセラクト)”という本編の趣向が充分に表現できているのか、という疑問はあるが、そういう予備知識なしで鑑賞すれば充分な興奮と驚きとを得られる、かなり濃密な作品だと思う。
 そしてもうひとつ、オキサイド・パン監督作品はいずれもそうだが、まだ日本ではあまり知られていないタイの低所得層の生活や価値観が窺える描写にも注目していただきたい。特にウィット少年を中心とする子供達の会話には、彼らの生活の紛れもない現実が見え隠れしている。

 本編の演出スタイルが監督従来のものと軌を一にしていることは前述の通りだが、それどころかあからさまに前作を踏襲した、と見える場面があるのがちょっと興味深い。作中、ショーンと彼に束の間安らぎを与える娼婦のフォンが出会うショーパブの場面は監督が国際的に名前を知られるきっかけとなった『RAIN』の一場面に酷似しているし、その後ショーンが彼女を部屋に呼び情事に耽る場面の演出はそのまま『ONE TAKE ONLY』を彷彿とさせる。
 特に前者では、フォンが自分の名前を説明するとき「雨(レイン)という意味よ」といった台詞を発しているのが意味深だ。『RAIN』という作品、原題は『Bangkok Dangerous』とまるで別物だが、本編は資本を日本のスタッフが提供しており、邦題について監督が知らなかったとは考えがたい。こうした旧作を彷彿とさせる表現は一種のファンサービスとして盛り込まれたものなのかも知れない。もしそうなら、この監督、なかなか侮れないお方である。

(2004/06/19)


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