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ゴミの話−身近な環境の恐怖 [平成8年(96)4月記] 先月22日から26日まで、震災から一年を経過した神戸を訪ねた。阪神大震災の避難所で知り合った方を仮設住宅や新築された家に訪門した。どこも真新しい家が次々に出来つつあるが、どの家も軽量鉄骨工法で、しかも手頃な化学物質を多用した建材で作られているようであった。 震災の際に私を避難所に誘ってくれた芦屋のYさんには今回も大変お世話になったが、Yさんは地震の前から自宅のマンションを建て替え中で、地震をはさみそのマンションがこの度完成。入居の手続きまで済ませたが、新築マンションの出す毒ガスに、部屋の中に1時間といることができなかったそうである。 吐き気とめまい。その後おそう腹痛に苦しみ、とても住めるような状態ではなく、入居を1年先送りされるという。もともとスケルトン渡しという壁紙も張らずコンクリートのままで引き渡されることを要望したが、建設業者に撥ね付けられてしまった。そしてYさんは気の毒にも予想した通りに、壁紙や塗料など化学物質の出す毒ガスに生来の敏感な体が反応してしまった。 こうした化学物質過敏症といわれる人々が実は意外に多く既に存在し、増え続けているそうである。建材ばかりではなく、私たちの生活の場には、衣類、寝具、洗剤、食品添加物、農薬、殺虫剤、家電製品、OA機器、プラスチック製品などなど、生物に有害な化学物質が溢れている。知らぬ間に花粉症やアトピーで苦しんでいる人も多いが、その原因を私たちは知らされていない。 そればかりではなく、私たちの周りにはゴミの焼却や農薬によってあのダイオキシンという猛毒が振り撒かれ、空気や食品から体内に潜入させている。動植物の体内で蓄積されたダイオキシンは私たちの体に入り、さらに濃縮されて母乳から乳児に取り込まれていく。 この毒性によって皮膚障害、先天異常、出生率の低下、免疫機能の低下が指摘されている。また、最近の建材や自動車部品を製造したり除去する際に大気に浮遊するアスベストは吸入による肺ガンや肺機能障害の危険性が明らかとなっている。 さらに、家庭の電気製品からは白血病やガンになる恐れのある電磁波が四六時中私たちの体に放射されている。電気毛布・カーペットを使用する妊婦は流産が多く、乳ガンの原因とも目されている。ノイローゼ、自殺、てんかんもこの電磁波の仕業ではないかとの報告もある。(さらに近年環境ホルモンの危険性が喧伝されているが、アルツハイマー病や痴呆症の患者とアルミ缶飲料の嗜好性に関連があると以前から指摘されてきた) こうした生活環境の問題に対して、既に欧米では、科学者や政治家がきちんと社会問題として取り上げ、対応が協議されている。日本で盛んに使われ出した携帯電話もアメリカではその使用時に出る電磁波によって脳腫瘍になったとする訴訟問題が数多くあるという。 にもかかわらず日本では報道すべき立場の人も、採りあげるべき科学者も、対応すべき政治家も、そしてそもそもそうした問題を引き起こしている企業も深刻な問題として取り上げる気配さえないことは誠に悲しむべきことである。 先日テレビの報道特集で、ドイツのゴミ処理の先進ぶりを取り上げていた。ドイツでは、我が国で2000もある大型ゴミ焼却場がわずか46か所しかない。ダイオキシンなどの有毒物質を出す恐れのある焼却によるゴミ処理を避けているためだという。 ゴミそれ自体を少なくする運動も進み、ゴミの大半はリサイクルに回る。アルミホイール、コルク、蛍光灯のガラス、紙、色別にガラスビン、など20以上もの内容で分別されリサイクルされている。こうしたリサイクルは品物を製造した企業が費用を負担してリサイクルのための公共企業を作り、ゴミの回収からリサイクルまでを引き受けている。 更に焼却された灰もその危険度によって仕分けされ、最高に危険な灰は地下200メートルもの貯蔵庫に埋蔵される。ある貯蔵施設にはあと100年分のスペースがあるそうだ。我が国の自治体による、あと数年でゴミ処理施設がなくなります、という言葉の何とむなしいことか。 そればかりではなく、ドイツでは市民一人一人が子供の頃から学校で徹底的に地球資源の大切さとリサイクルについて教えられる。買い物に行くときは誰もが布の袋を持参する。そして、各家庭ではゴミの分別の徹底が当たり前とされている。ドイツの人々の地球や環境に対する責任感とその実行力に脱帽するばかりである。(ダイオキシンの発生源とされる塩ビの使用がどんどん規制されつつあり、ドイツのダイオキシン排出量は日本の1/100という) はたして、私たちは先進国に生きていると言えるのだろうか。産業優先、利潤至上主義の日本株式会社はまさに今も健在という感がする。単に経済規模や技術水準・教育水準の高さ、情報網・交通網の発達を先進国と言うのだろうか。あの震災で私たちは何を学んだのであったか。 地球の力に比べ私たちの技術が作り出したものの余りにももろいことを、そして私たちの命は国家でも役所でもなく身近な仲間が守ってくれたことを、そして人と人とのつながりが何よりも大切であったことに気づかされたのではなかったか。 最近の様々な事件報道を目の当たりにするとき、私たちは自分自身がそのことに知悉し、自ら判断し、ともに主張することの大切さを思う。政治は政治家に、行政は役所に、医療は病院に、情報は報道機関に任せてきたこれまでのやり方が間違っていたことを知らねばならない。 私たちの生活環境は私たち自身で守っていかねば、誰も守ってはくれない。私たちが、手にする物も食品も情報も自ら正しいものかどうかと見分ける賢さを、そして不正に対しては、断固として拒否する強さを身につける必要があるのではないかと思う。 (ダンマサーラ第15号より、括弧内加筆) |