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インド仏教見聞録

                                         (サールナートのダメーク・ストゥーパ)
インド仏教見聞録
もくじ
1インドの僧院にて(↓)
インド仏教見聞録
自己発見の旅インド編
インド最新事情1,2,3            


インドの僧院にて
                         [平成7年(95)12月記]               

<インドの僧院生活>
  7月の満月の次の日から3か月間、雨季の間南方仏教の僧侶はひとつのお寺にこもって勉学精進するという決まりがあり、私も一人のインド僧としてカルカッタのベンガル仏教会本部ダルマンクルビハール(仏法の芽精舎)でこの雨安居(ウアンゴ)に臨んだ。

 カルカッタへは6月25日に入り、日本の生活パターンをインドの僧院生活に切り替える期間を設け安居にそなえた。特別に私だけ一人部屋が与えられたが、他のお坊さんたちはかなりの法臈(ホウロウ: 僧侶になってからの年齢)があっても二人部屋で生活されている。

 ここでは起床は4時。お坊さんたちは洗面沐浴を済ませ一人一人お堂に入っては思い思いのお経を唱えていかれる。お経を終えると狭いながらも境内の端から端へと何度も黙々と静かに歩く瞑想をする人あり、また台所でチャイ(インドミルクティ)をすすり、ビスケットをつけながら味わい今日一日の予定を話す人あり。

 私は4時にお経を上げた後、少し遅れて来られる宗務総長のダルマパルバンテー(バンテーとはパーリ語で尊者という意味、今では仏教僧のことを皆バンテーと呼ぶようになっている)の横に座らせてもらい、正にインドの抑揚にとんだ深みのある心が清まり吸い込まれて高みに上って行きそうな位に心地よく唱えられるお釈迦様への礼拝文や慈しみの修習などのお経を一緒に聞かせていただき唱和させてもらった。

 朝の軽食は6時、野菜のカレーにチャパティーというインドパンかおかゆが用意され、昼食は11時半から、もちろん毎日が数種類のカレーに白米であった。ここベンガルの人達は毎日のように魚の料理を食べる。お寺でもさまざまな種類の魚を香辛料を使って調理したものを食べさせていただいた。日中は経典の暗唱、お堂の清掃、教団の雑務、瞑想、お坊さんや仏教徒たちとの歓談などに費やされた。

<安居に入る儀式>
  そうして7月12日、満月の晩10時頃人の出入りが静まると、仏堂にこの寺に暮らす僧侶5人が集まり安居に入る簡単な儀式を行った。大理石の6畳程のお堂にみんな裸足になって右の肩を出し左の腕全体を衣で隠すように袈裟を着て、肩を寄せるようにしゃがんで合掌する。そしてお釈迦様の十徳を唱え、礼拝をする。それから二人づつ向かい合ってこれまでの生活の中で放逸に暮らしたり清浄なる生活を保てたかどうかを自らに問いただし懺悔(サンゲ )をする。

 二人づつでするので、残った私はこの僧伽(サンガ:僧の集まり)の最長老であるダルマパルバンテーのところに行きしゃがんで合掌し、

 パーリ語で「尊者よ、私はすべての罪科を告白します」と言うと、
 バンテーは、「よろしい友よ」と答え、
 続いて私は「尊者よ私は多くの罪科を犯しました。それらの罪をあなた様の前で懺悔致 します」
「友よ、それらの罪を反省しなさい」
「はい、尊者よ、反省いたします」
「友よ今後よく守りなさい」
「はい尊者よ、よく守りましょう」
「よろしい、よろしい」

 こうした問答形式のパーリ語の言葉を唱えて自らの細かな修行に関係のない行為、心を煩悩にあそばせてしまっているようなことなどのすべてを懺悔し反省し、今後守っていくことをそのときの相手の方に誓うのである。

 神仏に誓うというとどうしても自分の甘さ都合によって、きっと神様は許して下さるだろうとか、仏様の慈悲は限りなく深いものだから許して下さるに違いないというように、自己の決意が萎えがちなこともこうして面と向かっているともに歩んでいる人と交わす誓いはごまかしかしを許さないものだと言える。

 私自身以前サールナートに居るころ、その前から既にお酒は断ってはいたのだが、たまたま訪ねてくれた日本のお坊さんと話しをしていてなぜかその話になり、もともと酒を飲まないというその方に私は禁酒を誓い、以来飲みたいという気持ちも起こらなくなってしまった。一対一で共に誓い合うという心の連帯はとても強い心を育むものなのだと言える。

 そうしてそれから「この三か月間この寺で安居します」と三度一人一人申請し、総長からこの三か月間お釈迦様の心に専心するようにとの訓示の後、全員で読経し儀式を終えた。
 
 安居に入ると原則として外泊ができないが、知人が病気であるとか、信者が法話を聞きたいために招待したときなどには特別7日間までの外泊が許されている。

 安居一年目の私は次の日から、仏教の教えにとっての基盤ともなる、まず初めに学ぶべきものである戒律について学ぶため、まずパーティモッカ(戒本)というお坊さんの生活上の規則規範を、インド式の学習法で、つまり原典のパーリ語の戒本を暗記する程に朗読するという毎日が始まった。毎日一時間総長の部屋に行き読まされる。発音がおかしいところ、間違えて読んでいるところを直されつつ読み進んだ。
                                                                                                           <インドの仏教のこと>             (カルカッタ本部の外観)
 このベンガル仏教会(正式名バゥッダダルマンクルサバー:仏法の芽の会)は1892年に設立された新しい教団である。

 が、名字をバルアと名のる彼ら仏教徒はお釈迦様の時代の王国マガダ国の子孫といわれており、その昔8世紀から10世紀の間にイスラム教徒がガンジス河上流から中流域に侵入して来た頃ビハールの土地からアッサム、マニプールを通って今のバングラデシュの東部チッタゴンという丘陵域に避難した人々の子孫。

 インドの今の仏教徒の中で最も古い昔ながらの伝統派といわれている人達。その彼らが日常出入りし礼拝しお経を上げ、また先祖の供養もし葬式も行う寺。この三か月の間に何度私もこうした仏教徒の家に招かれ供養を受けたことであろうか。

 またお寺に遺体が運ばれて来て、他のお坊さん方と共にお葬式のお経も上げさせてもらった。こうした先祖の供養については別のページで記したので、ここでは太陰暦で行う儀式について少し記しておこうと思う。

<布薩について>
 既に述べたように雨安居は満月の日の晩に儀式を行いその次の日から三か月後の満月の日までと決められている。この間に半月の日や新月の日があり、半月の日をアストミー、新月の日をアマボッシャ、そして満月をプルニマといってそれぞれに寺内で儀式が行われる。

儀式と言っても安居入りの日や安居開けのプルニマを除いては在家の仏教徒たちがお寺に来て、お寺の中で静かに清浄な生活を過ごすという程度のもの。この儀式は布薩(フサツ)とよばれ仏道に精進する日に当てられている。

 この日は11時頃までに何人ものご婦 人方がお寺に来て三宝・仏法僧への帰依礼拝をし、普段より三つ多い八つの戒律(通常は五戒、つまり不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒の生活をするが、この日はその中の不邪淫が不淫となり、そのほかに6.非時食戒という午後には固形物を食さない、7.音楽舞踊を楽しまない花飾りアクセサリーや芳香を付けない、8.高い立派な寝床には寝ないという三つの戒を加え、八斎戒という)を授かり、そして僧侶たちに食事の供養をする。

 私たち僧侶にとってのその日の最後の食事に仏教徒が家から自分で作ったご馳走を持ち寄りお坊さん一人一人の前に置かれた大皿にスプーンやものによっては素手で料理を分けて 行く。そして残ったものは自分たちが床に座り込んで分けて食べるのである。

 食事のもてなしと言っても特別なご馳走という訳ではなく、もちろん肉魚などのおかずもあるがそれぞれの人達がいつも家で食べているものを持ち寄るというごく飾りけのない質素なもの。おかずの品数が多くなるのと最後に甘いお菓子や果物も皿に置いていかれるのでの皿の上はとてもにぎやかなものとなり、有り難い。

 お坊さんは病気のときを除いて午後は固形物を食べないというのが原則であるから、毎日きちんと十一時半には僧伽の食事が始まる。この布薩の日は特別に八斎戒を受けた在家者も午後からは食事をしないという戒を守る必要からお坊さん達と一緒に食べて普段は二時くらいに食べている昼食を十二時までに済ませてしまう。

 そうして、二時頃までみんなホールなどで横になり、休息を取ってから、お坊さんを指名して来てもらい仏法僧への帰依と再度八戒を授かりお経を聞き、法話に耳を傾ける。

 そうして三時過ぎにはお茶を寺の中に住む人達みんなに施し、その後しばらくお堂などで座り静かな時を過ごし暗くなる頃家路につく。こうして週に一度はお寺で清浄な生活をし、仏教の教えの中で過ごす。仕事を抱える働き盛りの人達にはとてもこうした日に昼間から来ることはできないが、その家を代表しておばあさんが来られたり奥さんがいそいそと金属製の段がさねになった弁当箱を持って出かけて来るのである。

<授戒について>
 ここで特に記しておきたいことは事あるごとにお寺にやって来ては戒律を授かりお経を聞き、法話を聞いてその日一日良い行いをして自分のために徳を積み、また亡くなった家族にその功徳を手向ける。その家の故人の命日には必ず一人か複数のお坊さんを家に招き食事を施し改めて五戒を受けてお経を聞く。

 特別のことではなくこうした小さな功徳を積むということがまったく日常化してしまっているように見える。誰かが亡くなったり法事のときだけ仏教というものを意識する国民とはかなり捉え方が違うようだ。

 何度も事あるごとに同じ戒を授かることをみんなどう思っているのだろうかと一人のお坊さんに聞いてみた。するとインドにあってもこの五つの戒を守ることは結構大変なことなのだという。授かっても授かっても気がつくとつい間違えをおかすこともある。そこでそのつど何度も同じ戒を授かり確認しつつ、正しい間違いのない生活をしたいということなのだそうだ。

 常にこの間違いのない道徳的生活と時々貧困者などに施しをすることで来世には天界に生まれるとお釈迦様が保証して下さっているお守りのようなこの教えをみんなとても大切にしているということなのだと思えた。

 思えば、お坊さんたち自身も半月に一度、新月と満月の日に布薩の儀式を行い自ら受けた227もの戒律を唱え、その中で守れなかったものがあったかどうか確認をすることが義務づけられている。

 しかしこの儀式は残念ながらとても時間がかかるため完全な形で行うことが難しく今日では簡略化されてしまうことも多いが、その精神は一日一日の自分の行い思いに常に注意を払うことであり、人の行いではなく自分自身がどうであったかいうことに向けられている。

 お釈迦様の側から見たら僧侶にとっての袈裟衣は、常に身と心を正すお守りなのかもしれない。それと同じ様に衣服を着て家に生活する仏教徒にとって五戒がお釈迦様のくださった最高のお守りなのだと言えそうだ。

<安居中の様々な出来事>
 この安居の間、オール・インディア・ビック・サンガ(All India Bhikkhu Sangha)という全インドの仏教僧の連盟の理事会がこのお寺の中で開かれたり、ブッダガヤでマハーボディソサエティ(大菩提会)というスリランカのダルマパーラという方の開いた仏跡地振興の仏教会主催の行事にも参加することができた。

 またベンガル文化のルーツを訪ねてという記録映画にもインド僧の一人として出演する機会に巡り合わせた。こうした日々を過ごしつつ三か月の安居を終える日が近づく頃。9月の末頃から、ヒンドゥー教徒にとってのお祭りシーズンの始まりを告げるドゥルガープージャの準備が街の辻々で始まった。

 竹で骨組みした上に色とりどりの布を張って三階建くらいのお堂を作り壇上にドゥルガー神をはじめとした神々を祀る。10月に入ると一日中シャナイという結婚式等に流される日本で言えば祭り囃のような ヴィーナとタブラの気だるい緩やかな音色が聞こえていた。

 この頃には夜街に出るとどのビルにも赤や黄色の色電球が屋上から幾筋も設営され、にぎやかこの上ない。昼間のように明るく灯った通りをみんなきらびやかな衣装をまとってこの時のために新調した新しい金糸を織り込んだクルターやサリーで方々の特設寺院のドゥルガー神をお参りして歩く。

<安居開けの儀式>
 こうしたカルカッタ中の賑わいも終わった10月8日満月の日、この日安居開けの仏教寺院ではパバルナプージャというドゥルガープージャに比べたらとてもささやかではあるが、やはり特別に布製の簡易ステージを設けた中庭の壇上にお釈迦様の像を起き、その後ろに菩提樹の切り株を立てその枝に線香ロウソク等のお供え物や5ルピーや10ルピーなどのお札等を吊して供えていくという年に一度の供養会が行われた。

 パバルナとは安居修了式のこと。特にこの安居開けのお坊さんたちに供養をすること、食事の施しはもちろんのこと歯磨き粉や髭剃り、石鹸、糸と針、皿やコップ、線香にろうそく、タオルなど生活必需品を施すことも功徳があるとされている。

 この日はまた仏前に灯火を盛大にともし て五体投地を繰り返すお祭りでもある。午前中から多くの仏教徒が外に祀られたお釈迦様にお供えをしては室内のホールに入っていく。そしてやはりここでも三宝への帰依・五戒または八戒が授けられお経を聞き、法話がなされる。最後にはコップ一杯の水を大勢の人が手を添えて皿に垂らしていきつつ祈りが捧げられた。

<カティナ衣式>
  さらに安居が開けて次の満月までの一か月間、多くの仏教寺院でカティナチーバラダーン(カティナ衣式)という衣の供養会が行われる。カティナとは一年に一度僧に供養する袈裟用の木綿布地のことで、チーバラとは僧侶の着る袈裟のこと。ダーンとは施しということで、安居開けの僧に一年間着古した袈裟を脱いでもらい新しい衣を施すための行事ということになる。

 カルカッタ中のお寺で催されるこの行事に私と共に安居したお坊さんたちは何度も招かれて行かれたが、私はこの間お寺の仕事でネパールに行っていたため最後の三か所に出席した。

 昼食に招かれて外出するときなどには出発する前に沐浴することが習慣となっていて、風邪などをひいている人以外は皆沐浴を済ませ1階に集合する。全員が揃うと両肩を隠す着方で衣を着直して、法臈の順番に一列に並んで歩き出す。路線バスに乗り込んだり地下鉄で行ったり。人数が多い場合にはお寺のオレンジ色に塗装された大型バスに乗り込んで出かけることもあった。こうした場合もやはり法臈の順で上の人はバスの前に乗る。

  さて、カティナ衣式の行われるお寺に到着すると既に会場の準備などが進められているが、まずはそのお寺に日頃お参りする仏教徒たちからの心からもてなす食事を頂戴してから、在家者の家に行ったり、お寺の中の大部屋で休息を取る。

 そうして会場の準備が整う3時頃から、大勢の仏教徒の老若男女たちが会場に集まって来て賑やかさを増す。お坊さんたちは皆壇上に座り、マイクも用意される。その前にはたくさんの供養される袈裟衣 や果物、米、花、線香、生活用品などが壇の端から端までを埋め尽くしている。

 司会者からこの儀式の準備に特に功績のあった人などが紹介されると壇上のお坊さん方や会場の仏教徒たちからも法話がなされる。その後三宝への帰依、五戒の授受、そしてお坊さんから祝福のお経が唱えられる。

 そして最後にこの供えられているカティナ衣を大皿にのせ会場にいる人々の間に持って行きその皿にみんな少しづつのお布施を置いて行く。このあたりになると会場全体が騒然と盛り上がりを見せる。

 すべての人の施しが済むとその皿は壇上に持って来られ、カティナ衣の施主は前に歩み出て衣を両手で額の前にかざすように持ち準備が整うと、最長老のお坊さんからこのカティナ衣の施しの功徳を授かる偈文が唱えられる。

 長老が一語唱えるとそれに続いて施主も唱えるというように唱和しつつ進行し、最後は会場全員が「サードゥ・サードゥ・サードゥ(善いかな、〃、〃)」と唱え儀式は終了する。

  この後お坊さんたちだけで集まり冒頭で述べた二人づつで行う懺悔式を行った後、その日供養された衣をその寺に住むお坊さんに受け取ってもらうための簡単な儀礼を行う。

 供養された一つの衣をそこに集まった全員に手渡して巡らしその後衣の角に孔雀の目くらいの大きさと表現される印をつけ、そのとき着ている古い衣を脱いで新しい衣を受け取る。こうしたときにもやはり決められたパーリ語の言葉で儀礼が進められる。この後お坊さんたちを送り出し、後に残った在家の仏教徒たちだけでそのステージを使って踊りや歌が披露されることもあるようだ。
                              
 (カルカッタ本部礼拝堂のお釈迦様)

<日本との比較>
  インドの僧院で4か月ほどの生活を終え思うことは、これまで南方のスリランカ、ビルマ、タイ、インドといった小乗と言われている仏教が私たち日本の大乗の仏教とは違うと言われてきたが、僧院の中に入ってその日常 を見てみるにそういわれている程には違いがない。

 逆に同じようなところが多い。真鍮の座高が2mもあるお釈迦様に灯明や線香を灯し礼拝し経を上げる。亡き人をいとい葬式をし、度重なる供養を行う。そこには僧侶が招かれお経を上げることに変わりがない。

 しいて違いを上げれば、日本では仏像とお棺に向かって前に僧が座りその後ろに同じ方向を向いて遺族が座るが、インドでは遺体を挟んで僧と遺族が向かい合って座ることくらいであろうか。このことは普段の行事でも同じことでインドでは僧はお釈迦様の側から信者に対面するのに対して日本など大乗は僧も信者と共に本尊様の方向を向く。

 僧伽に対する信仰を持つか持たないか、三宝の一つ僧伽への帰依の心は南方の仏教特有のものだとも言える。敢えてもう一つ違いを言うならば、そうした行事に唱えられるお経の内容が上げられる。パリッタと呼ばれる日常経典は護経とも訳されるように読まれること自体が御守りのように考えられてはいるがその内容は誠に日常に役に立つ実践的なものが多いということ。

  ところで僧院内でお寺に来た人々とお坊さんたちが普段とても親しく話をしている場面を何度も目撃することができた。行事儀式では画然とその立場を明らかにするのに日常ではとても気楽に話をされる。そして若い十代、二十代の子供たちが来たりすると必ず言うことはお母さんお父さんの世話を見ているかということ。

 身近にいるが故に忘れがちなこと、我が身を授けてくれた父母へ感謝し思いやりの心で接するようにと何度も説かれていた。パリッタの一つ吉祥経にも「お母さんお父さんに奉仕し、妻と子を愛し護る。混乱しない仕事をすることは最上の幸せなり」とある。日本でも四恩十善という教えを説く、ここでもまず初めにこの父母への恩について語られるが普段繰り返して法話されることはないように思える。

 インドの仏教と日本の仏教の違いの最も際立つところははたしてこんなところに、つまり根本的なることを大切にしているか、大事なことを繰り返し説くことによって怠らずにしているかどうかということではないかと思える。パーリ語の経典が所々でほぼ同じ句を何度も繰り返し唱えられるのもこうした意味が隠されているのかもしれない。・・・ (小冊子「ダンマサーラ」第12号より)

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