「なあ、本当に覚えてないの?」
伊集院家の長男が訊いてきた。
ほかのメンバーは、布団に座ったままの俺の周りでギャアギャアと言い合いを続けている。
「覚えてない」
「竜って記憶障害じゃないの? 何度も手合わせしたのにぃー」
おい、受験生に向かって記憶障害とはなんだ。
……ん? 手合わせ?
「俺、シズカ。 静だよ?」
シズカ? シズカ…
「あ…あーーーー!!!」
俺は思わず大声を上げて指をさしてしまった。
「ひっさしぶりじゃねえか、シズカ!」
「あ〜やっと判った?」
やれやれとシズカが頭を振った。
シズカは俺が空手をしていたときに何度も試合をしたことがある。
なよっとした顔なのに強くて、試合が済んでからも話したり遊んだりしていた。
「なんだよ、いい男になりやがって! あんときは女の子みたいだったからなあ、判んなかったぜ」
「ま、あれから十年近く経つし? 仕方ないから許してやる」
「なーに、言ってんだ」
わはは、と笑ったら、なんだか後ろで寒気がした。
「…竜くん…? 兄のことは思い出して、私のことは覚えていないんですか?」
殺気だ。 殺気を感じる…。
「ははは、真琴、負けを認めろ」
その殺気を煽るようにシズカが笑った。
「あのな、竜、こいつ馬鹿でさぁ〜」
「兄さま!! 言わないって約束…!!」
「いーじゃん」
「に、い、さ、ま…?」
鬼のような形相で伊集院がシズカを睨む。
「ス…スイマセン」
「え、なんだよ、言えよ」
「いや、こいつ怒らすと怖いからさ〜」
ぼそぼそとシズカが言う。
情けない…。
「言え。お前があとで妹に何されようと、俺には関係ない」
「竜〜〜」
「兄さま!!」
伊集院も必死である。
「俺、このままじゃ、絶対思い出さないけど?」
そう言ってチラッと見ると、伊集院は困った顔をした。
「……」
「ま、このままでもいいならいいけど…」
「…桜の大木のある道場で、試合をした覚えがありませんか?」
伊集院は少し考えて、そう訊いてきた。
「桜…? ああ、そういえば…すごいデカい樹がある所があったような…?」
俺は懸命に記憶を探した。
もともと人の顔とか場所をあまり覚えていない。
ああ、そうだ。 毎年、春夏とそこで試合があった。 すごい満開の花の中で試合をしたような気がする。
道場の裏に、大きな桜の樹があった。
夏は葉が木陰をつくり、俺は試合を待つ間よくそこで寝転がって涼んでいた。
「……?」
そこで会った、ってことだよな?
ん〜〜??
…記憶にない。
「お前さ、そこで猫に引っかかれただろ?」
シズカが助けに入る。
「ん〜…? あ、ああ!!そういえば!!」
あのデブ猫!
俺が気持ちよく寝てたら人の腹に乗ってきやがったんだ!
邪魔で払いのけたら引っかかれて、むかついて追い掛け回してたら、飼い主のガキが来て、ソイツがすげえ生意気で…
「……あり?」
「思い出して頂けました?」
「え…、あ…?」
俺はとぼけた声を出して、必死に記憶を思い起こす。
その生意気なクソガキは俺が猫を虐めたとかいって突っ掛かってきたんだ。
真っ赤になって怒ってるのが笑えて、からかった。
でもアレは…
「…伊集院、お前、男だったのか…?」
「……」
「…ぷっ」
だーはっはっはっは!!!
と、シズカが笑い出して、俺は自分がアホなことを言ったのに気がついた。
伊集院は真っ白になって固まっている。
「あ、ちげ、女だったんだな」
俺は訂正した。
今目の前に居るのはあきらかに女だからな。
「あ、いや、だって髪短かったし、なあ? 口も悪いし、生意気でさ、てっきり男だと思ってた」
俺は一応フォローを入れたつもりだったんだが、シズカは笑い続けてるし、伊集院は反応がない。
シズカは笑いながら俺の肩をバンバンと叩いた。
「真琴はな、お前を婚約者と勘違いしてたんだよ」
「へ?」
「その道場はこの家の離れにあってさ」
向うの方、とシズカは庭の先を指す。
なんか豆粒みたいに建物が見えた。庭広すぎだって。
「ウチのじいさん、格闘オタクなんだよ」
それで当然シズカもやらされて、伊集院の婚約者もこの家で開かれる試合に来ることになっていたらしい。
「でさ、真琴ははねっかえりだから、親の決めた結婚なんかしない〜〜!!って叫んで試合も見なかったわけ。それでお前が昼寝しているところに遭遇して…」
「兄さま!!!」
伊集院が遮る。
「人が黙っているのをいいことに勝手に話さないで!!」
真っ赤な顔をしてシズカをどついた。
シズカは前のめりになり、ドベシャッと顔を畳にぶつけた。
うーん、格闘オタクの孫ってコトは伊集院も何かやらされてたんだろうか。
「マコ」
俺が呼ぶと、伊集院がビクッと肩を震わせた。
苛めすぎたかな。
「大体まだ早すぎますよ!!」
伊集院の親父が叫んだ。
俺たちが過去の話で盛り上がっている間も、何やら色々と話していたらしい。
「だから、結婚は大学卒業後で良いとゆうとるじゃろうが」
「だったらそのときに決めればいいんです!わざわざ婚約なんてしなくても…」
「何を言っておる。 お主と朝季など十のときには婚約しておったであろうに」
「う…それとこれとは話が別です!!」
嫁姑ならぬ、婿舅…。 俺が呆れたように見ていると、父と夫を面白そうに眺めている伊集院の母と目が合った。
ひらひらと手を振ってくる。
「竜ちゃん、私のことは朝季(あさき)って呼んでね」
「あ、はい(竜ちゃん?)」
「アレは私のダーリンの大成(ひろなり)」
「はあ…」
俺がキレイな朝季さんに見惚れていると、シズカが隣りから肘で突いてきた。
「なんだ、お前年上好みか? おばんだぞ」
シズカ…自分の母親に…
俺が口を開こうとして、その前にゴスッと朝季さんのエルボーがシズカの脳天に入った。
「ほほほ、あらやだ、静、居たの?」
「くそぉ〜〜」
シズカは涙目で母親を睨んでいる。妹だけでなく、母親にも弱いのか…。
「どうするんですか、今日の見合いは…」
はあ、と溜息混じりに大成さんが言ったのに対し、ジジイは平然として、
「するに決まっとろうが」
と答えた。
「真琴が今日までに落とせなかったら見合いをする、そういう約束じゃ。
わかっとるな、真琴?」
「はい…でも…」
「もちろん、断ってもいいぞ」
「おじいさま!!」
伊集院がジジイに飛びついた。 麗しい祖父愛…
「私と竜くんの結婚を許して下さるのね!!」
っておい!!
「アイツは生意気でよい。鍛え甲斐があるわい」
ぐへへ、と笑った(ように俺は見えた)。
ず、頭痛がする、この家族…。
「…話が盛り上がっているトコ悪いんですけど、俺、真琴さんと結婚するつもりないんですが」
「真琴の何が不満だ!!」
…おっさん、さっきまで反対してたやんけ。
「いや、真琴さんもこれから色々な人と出会うでしょうし、こんなに早く決めなくてもいいんじゃないでしょうか? もしかしたら今日見合いする人のほうが好きになるかもしれないし…」
「面倒は避けたいってバレバレ」
あ、ばか、シズカ!!
「メンドウ!? 真琴がメンドウ!!!? 」
「あ、いや…」
「竜くんを責めないで!!! 」
バッと俺の前に伊集院が出てくる。
俺は…なんか…すげぇ疲れたよ…。
俺がゲンナリしていると、ぱたぱたっと人が走ってくる音が聞こえた。
「一宮さまがそろそろお着きになりますが」
おお!!天の助け!!!
…ん?
一宮…?
「真琴の婚約者…の、はずだった男」
「は?」
俺はシズカに訊き返した。
伊集院やその両親は、あわただしく部屋を出て行く。
「真琴と初めて会ったとき、お前自分が一宮だって名乗っただろ? 真琴は自分の婚約者が一宮家の坊ちゃんだってことを聞いてたからさ、お前がそうだと思っちゃったんだよ」
「はあ」
「でさ、お前に惚れちゃった真琴は婚約OKOKばっち行こう!!ってやる気満々だったんだけどさ、真琴を猫可愛がりしてる親父が反対して、真琴が16歳になるまで保留ってことに」
「へぇ〜」
「で、この間、正式に向うから話が来て…」
『りゅうくんじゃない!!!』
「って写真ぶん投げちゃってさぁ」
「十年も経ってんだから、顔も変わってるかもしんねぇじゃん?」
「名前が違うだろ」
「なるほど…って婚約者の名前も知らなかったんかい!!」
「や、そうじゃなくて…」
シズカが手を振って、畳に文字を書く。
「『龍弥』…タツミって言うんだよソイツ」
「う、確かに『りゅうや』とも読めるな」
「だろ? 俺ら皆そう読むもんだと思ってたんだよ。よくよく調べたら、このタツミは一試合目で怪我して、真琴が庭に居たはずのとき治療してもらってた。真琴はお前が試合して勝ち進んでたのを見てるし…ま、勘違いが発覚したわけ」
「なんつうか…すげぇ間抜けな話だな」
俺はすっかり呆れ果ててそう言った。
「そういうなって…俺もお前が一宮の坊ちゃんだと思ってたんだからさ…」
「はぁ!? お前、俺のどこが金持ちに見えるよ?」
「俺は? 坊ちゃんに見える?」
「う…」
俺は口篭った。 シズカの言動はとてもじゃないが、お坊ちゃんには見えない。
でも…顔がいいし…上品に見えるな。
伊集院と同じで茶色いキレイな髪とか、どことなく育ちのよさそうな…
「うん、お前は坊ちゃんだ!!」
「…なんだ今の間は」
「細かいことは気にすんなって!!ははは!」
バンバンと、俺はシズカの背中を叩いてから、ここに俺を連れてきた元凶のジジイを睨みつけた。
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