「きゃっ」
べちゃっ!!
俺がその異様な音に振り返ると、伊集院が前のめりに縁側から落ちていた。
この間も転んでたな。 ・・・トロいのか??
「何やってんだよ真琴」
そう言って、シズカが助け起こした。
「あーあ、着物汚して」
ばーか、と、からかいモードのシズカを無視して、伊集院は俺に近寄ろうとしたが、足を挫いたのか、小さく呻いた。
俺はそのまま立っている。
「…なあ、シズカ」
伊集院の腕を掴んでいるシズカに話し掛ける。
「お前だって、こんなヤツを義弟にしたくないだろ?
お前の妹が転んだって、手を貸そうって気にもならない人間なんだぜ?」
バチン!
いい音を立てて、伊集院の平手が俺の左頬に当てられた。
痛くは、ない。
ほとんど気配というものがなく、自然な流れで俺を殴るものだから、全く避けることも出来なかった。
「竜くんは、真面目すぎです」
「 はぁ?」
「純粋すぎ」
……由希が聞いたら爆笑しそうだな。
「こういうときは、嘘でも『大丈夫か』って言えばいいんです」
「なんで言わなきゃなんねぇんだよ、そんなこと」
俺が憮然として言うと、クスッと伊集院が笑った。
「ほら、そういうところ。
自分で『こんなヤツ』と仰るのですから、どういう行動を取ればヒトから良く見られるか知っているんですよね。
でも、しない」
「そんなの、諦めてもらう為じゃねえか」
「竜くんはいつもそうです」
「んなわけねーだろ」
「いいえ!!竜くんは純粋だから自分の気持ちに正直なんです!偽って心配するなんてこと、自分を許せないから、嘘を言わないんです。自分が冷たい人間だと思うのは、優しさを知っているからです」
「・・・伊集院・・・俺・・・・・・」
「 寒すぎて凍死しそうなんだけど。」
うおっ、鳥肌立ちまくりだよ!
生まれて初めてだよ、あんなクサイ台詞の連続技かまされたの。
ある意味スゲエ。
隣りでシズカも腕をさすっている。 やはりお前も鳥肌が立ったか。
伊集院の方は、俺の反応がいまいち理解できないらしく、きょとんとしている。
うーーーむ。
「あ、車を準備させますね」
着物の泥を払って、伊集院が言う。
「ついでに靴も宜しく」
初めて言い負かされた(?)俺は、大人しくそう言った。
結局、『振り出しに戻る』って感じだな。
そういえば、お見合いの時間は大丈夫なのか??
俺がそんなことを考えていると、シズカがなにやら伊集院に訊く。
「真琴、そろそろ一宮の坊ちゃんが門からこっちにつく頃じゃないのか?」
・・・・・・はい?
「大丈夫、まだ連絡から一時間 経ってないもの」
「じゃあ、まだまだか」
・・・どういう家なんだよ。
シズカは俺のココロの突っ込みに気づいたのか、
「歩いて帰ったら、何時間 掛かるかなあ?」
と、すっとぼけた声を出した。
「はーー」
すっばらしく広い日本庭園を眺めて溜息をつく。
着替えに戻る伊集院の後姿を見ながら、育ちがいいってのはああいうんだろうなあ、と考えていた。
以前から伊集院に感じていたイライラは、この家に来て、無意識に地を出している伊集院には感じなかった。
「純粋はお前の妹のほうじゃねえか」
なあ?とシズカに言う。
「まあ、ね」
前髪をかき上げてシズカは答える。
「単純バカ なのはアイツの方か」
・・・やっぱり、さっきの伊集院の台詞はそういう意味にも取れるよな。
「竜、どうだよ? 久々に俺と勝負してく?」
シズカが道場を指した。
「…あ〜〜…、いや、俺もう空手も何もやってねぇんだ」
ひらひらと手を振って断る。
「知ってるよ、んなこと」
シズカが言う。
「じいさまが言ってただろ?『伊集院家がどういうものか』」
「…それで思い出した」
すっかり毒気が抜かれてしまった俺は、シズカを無表情で見返した。
「お前、『一宮の坊ちゃん』が伊集院の相手じゃないって知ってただろ」
「な、なんの話かな??」
「………(トボケるの、めちゃ下手…)。『伊集院家』が、相手のこと調べてないワケないもんなあ?
家族で伊集院に隠してたんだろ」
「ん、まあ、そう」
観念したのか、シズカが両手を挙げて白状する。
「婚約したいって子供のころ真琴が言い出したときは、さすがに別人と婚約させるのもどうかと思うから保留にしたけどさ」
いつも邪気のないシズカの顔に、少し伊集院家の後継ぎらしい顔が浮かぶ。
「このまま忘れてくれてもいいし、自分の好きになった相手くらい見分けて貰わないとね。
まあ、そのテストにも合格したから、真琴は転校を許してもらえたんだよ」
シズカは、他人事のように軽い調子で言った。
俺はさっきのシズカの後継ぎの顔を思い出して、こいつはきっと自分の立場を理解して受け入れているんだろうと思った。
自分の心に人を侵入させず、だからといってそれを人に悟られない。
こころをけがされないまま頂点までいける男だ。
さらりと自然に、世の中を手に入れ動かしてみせるだろう。
「お前が試合に出なくなって会えなくなった真琴は、『いちみや りゅうや』を探そうとしてさ。
でもそのころ一宮の坊ちゃんはイギリスに留学中だったんだよね〜」
わはは、と笑って、ふと何を思ったのか、
「そうだ。お前も一宮の坊ちゃん見てけば?」
と言った。
「は? なんで」
「ライバルは知っておかないと」
「いや、ライバルじゃないし。全然まったく。むしろ救世主だし」
「わはは!!!」
爆笑するシズカ。
「いやあ、俺は優しい兄だから、妹の恋を応援するぞ。竜が弟だったら面白いし。
ってことは、坊ちゃんは俺のライバルってことにもなるな…」
何をわけのわからんコトを言ってるんだ。
お前も『坊ちゃん』だろーが。
「あ、そういえば竜はもう格闘技やらねぇの?」
「ああ」
「亡くなったじいさま以外には教わりたくないってわけ?」
「……そーだよ」
っんとに、よく調べてるな。
「祖父の師匠が生きてるわけねぇし、特殊な流派だから他に教えられる人は居ないしな。
だからといって俺が継ぐには実力不足にも程がある」
じいちゃんが開いていた道場はもう閉めてしまった。
空手とも合気道とも少し違う。
試合に出れないのはつまらないから、とりあえずそのときはどちらかに合わせて試合してたけど。
「うちのジイさまに頼んだら?」
「え?」
「竜のじいさまと同じ師匠だったんだぜ?」
「…え?」
血が、沸騰したかと思った。
久々に、体温が上がった。
喉から何かが上がってくる。 熱で目が熱くなった。
また、出来る。
まさか、自分がこんなに飢えているとは思わなかった。
「…そっか、祖父と同じ弟子っていう選択肢があったか」
なるべく声を押さえて言った。
興奮を収えようと、息をゆっくり吐いた。
落ち着け。
「でも、祖父も師匠から離れて独自の技を磨いてたわけだし。
同じっていっても違えよな」
何考えてんだ。
じいちゃんが死んだときにもう止めるって決めたろ?
「この家に来るのも嫌だしなぁ」
…でも、負けっぱなしってのも悔しいよな。
じいちゃんがあのクソジジイより強かったって証明してぇよな。
くそ!!
やりたい。
戦いたい。
またあの興奮を味わいたい。
もっともっと強くなりたい。力が欲しい。
暴れたい 暴れたい 暴れたい……!!!
なんて言い訳したって同じ。
俺は、なにも満足できない。
あの、闘いで感じる 静かな瞬間だけが、俺は。
片手で目を覆って、俺は熱を冷ます。
「……仕方ねぇ」
認めるしかない。
「ジジイに頭下げて頼むことにする」
俺が欲しているのは、それだけ。
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