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 (南方の仏教国で唱えられているお経の一部をご紹介します。本来はすべてパーリ語で唱えますが、ここでは、一部カタカナの部分のみパーリ語で以下はその和訳となっています。)

 パーリ仏教読誦経典


<礼拝文>
(阿羅漢であり正しく覚れるものであるかの世尊・お釈迦様を、
私は礼拝致します。)

ナモー・タッサ・バガヴァトー・アラハトー・サンマーサンブッダッサー
ナモー・タッサ・バガヴァトー・アラハトー・サンマーサンブッダッサー
ナモー・タッサ・バガヴァトー・アラハトー・サンマーサンブッダッサー

<帰依三宝>
(私はお釈迦様<仏宝>に帰依致します。私はお釈迦様の教え<法宝>に帰依致します。私はお釈迦様の弟子の教団<僧宝>に帰依致します。)

ブッダン・サラナン・ガッチャーミ

ダンマン・サラナン・ガッチャーミ
サンガン・サラナン・ガッチャーミ

ドゥティヤンピ・ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
〃 ・ダンマン・サラナン・ガッチャーミ
〃 ・サンガン・サラナン・ガッチャーミ

タティヤンピ ・ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
〃 ・ダンマン・サラナン・ガッチャーミ
〃 ・サンガン・サラナン・ガッチャーミ


<五戒>
(私は生き物を殺さないという戒を守ります。)
1.パーナーティパーター・ベーラマニー
 ・スィッカーパダン・サマーディヤーミ


(私は与えられないものを取らないという戒を守ります。)
2.アディンナーダーナー・ベーラマニー・スィッカーパダン・サマーディヤーミ

(私は邪淫を犯さないという戒を守ります。)
3.カーメースミッチャーチャーラー・ベーラマニー・スィッカーパダン
 ・サマーディヤーミ


(私は嘘を言わないという戒を守ります。)
4.ムサーヴァーダー・ベーラマニー・スィッカーパダン・サマーディヤーミ

(私は酔いを生じる穀酒、果実酒などの酒類を飲まないという戒を守ります。)
5.スラーメーラヤ・マッジャーパマーダッターナー・ベーラマニー
 ・スィッカーパダン・サマーディヤーミ


<仏の十徳>
(かの世尊・お釈迦様は、供養されるに値する阿羅漢であり、正しく自ら覚れるものであり、智慧と行いに優れたものであり、覚りの世界によく行けるものであり、すべての世界をよく知れるものであり、この上無きものであり、よく制御せるものであり、神々や人間の師であり、真理を自ら覚った仏であり、聖なる方である。)

イティピーソー・バガヴァー・アラハン・サンマーサンブッドー・ヴィッジャーチャラナ・サンパンノー・スガトー・ローカビドゥー・アヌッタロー・プリサダンマサーラティ・サッターデーヴァマヌッサーナン・ブッドー・バガヴァー・ティ

<法の六徳>
(かの教えは、お釈迦様によってよく説かれたものであり、自分で見るべきものであり、時間を経ずして果を与えるものであり、自ら確かめつつ進むものであり、自ら心に獲得すべきものであり、賢者によって各々知られるべきものである。)

スヴァッカートー・バガヴァターダンモー・サンディティコー・アカーリコー・エーヒパッスィコー・オーパナーイコー・パッチャッタン・ヴェーディタッボー・ヴィンニューヒー・ティ

<僧の九徳>
(お釈迦様の弟子の僧団は、よく法にしたがって修行するものであり、真っ直ぐに修行するものであり、悟りのために修行するものであり、人々の尊敬にふさわしく修行するものであって、この四双八輩といわれる弟子たちは、遠いところから持って来て供えるに値するものであり、方々から来た客のために用意したものを受けるに値するものであり、供えたものを受けるに値するものであり、合掌を受けるに値するものであり、世の無上の福田である。)

スパティパンノー・バガヴァトー・サーヴァカサンゴー・ウジュパティパンノー・バガヴァトー・サーヴァカサンゴー・ニャーヤパティパンノー・バガヴァトー・サーバカサンゴー・サーミーチパティパンノー・バガヴァトー・サーバカサンゴー・ヤディダン・チャッターリ・プリサユガーニ・アッタプリサプッガラー・エーサバガヴァトー・サーヴァカサンゴー・アーフネイヨー・パーフネイヨー・ダッキネイヨー・アンジャリカラニーヨー・アヌッタラン・プンニャケッタン・ローカッサー・ティ

<吉祥経>(マンガラ・スッタ)
 かくの如く私は聞きました。ある時、世尊・お釈迦様は、舎衛城のジェータ林の給孤独園に住んでいました。そのとき、一人の神が容色麗しく、夜にジェータ林を隈なく輝かしてお釈迦様のところに近づいてきました。礼拝して、一方に立ち、お釈迦様に偈をもって話しかけました。

 多くの神々も人間も幸せを望みつつ吉祥について考えてきました。
 最上の吉祥をお説き下さい。

1愚かな人に近づかず、賢い人に親しむ。
 尊敬供養するに値する人を尊敬する。
 これは最上の吉祥である。

2適当なるところに住み、先になされた功徳があり、
 正しい誓願を起こしている。
 これは最上の吉祥である。

3多くの見聞、技術、道徳を身につけて、きれいな言葉を語る。
 これは最上の吉祥である。

4父母を養い、妻子を愛し護る。混乱なき仕事をする。
 これは最上の吉祥である。

5施しと、法にかなう行い、親族を愛し護る。非難されない行いをする。
 これは最上の吉祥である。

6悪い行ないをつつしみ離れ、酒類を飲むことを抑制し、
 徳行の実践を怠けないこと。
 これは最上の吉祥である。

7尊敬と謙遜と、知足と知恩。ときどき、覚れる人の教えを聞くこと。
 これは最上の吉祥である。

8忍耐、忠告を素直に聞く、出家者に会う。
 ときどき、覚れる人の教えについて話をする。
 これは最上の吉祥である。

9心の鍛錬、自らの心を知るという実践、神聖なる真理を見ること。
 悟りの世界を明らかにすること。これは最上の吉祥である。

10俗世間に触れても心が動揺せず、憂いなく、汚れなく、安らかである。
 これは最上の吉祥である。

 このようになして、いかなることにも敗北することなく、
 いかなるところでも幸福が得られる。
 これは、神々、人間にとって最上の吉祥である。

<慈経>(カラニーヤ・メッタ・スッタ)
ものの道理に達したものが、平安なる悟りの世界を知りて後なすべきことは、それは以下の通りである。

○能力あり、正しく、素直で言葉優しく、柔和にして慢らないこと。

○満足し、養いやすく、なすべきことが少なく、簡易な暮らしをし、
 諸の感覚器官が静まり、賢明にして、傲慢なく、
 人の家においても貪ることがない。

○他の智者たちから非難される下劣なことはどんなことも行ってはならない。
 一切の衆生は、幸福であれ。安穏であれ。自己を喜べるものであれ。

○いかなる生き物も、動揺する凡夫も、不動の阿羅漢も、長いものも、
 大きなものも、中間のものも、短きものも、微細なるものも、
 粗大なるものも、見えるものも、見えないものも、遠くに住むものも、
 近くに住むものも、煩悩を滅し尽くしたものも、生を求めるものも、
 これら一切の生きとし生けるものは、幸福であれ。安穏であれ。
 自ら喜べるものであれ。

○互いに他を欺くことなかれ。
 どこにおいても、なにものをも軽蔑しないが良い。
 怒りと怒りの想いによりて、互いに他を苦しめることを望むことなかれ。

○母が自分の一人児を命にかけて守るが如く、
 かくの如くすべての生き物に対して無量の慈悲を修習するが良い。

○全世界において、上にも下にも四方にも
 障碍なく、怨みなく、敵意なく、無量の慈しみの心を修習するが良い。

○立てるときも、行くときも、坐せるときも、臥しつつあるときも、
 眠っていない間はこの念を確立するが良い。
 これは、慈しみの梵住(最勝の生き方)といわれる。

○我見に執われず、戒を保ち、自己を見つめつつあるものは、
 諸欲において貪りを滅し去るだろう。
 彼は、実に決して再び母胎に宿ることはないであろう。

<法句経>(ダンマパダ)
1  諸々のものは心が先に行くものなり、心は最勝なり。
   心によって作られたるものなり。もし、汚れた心によりて語り、
   行うならば、それによりて彼に苦しみが従う。
   車輪が足についてくるがごとし。

5  実に怨みは怨みによりて、けっして、ここに静まることなし。
   怨みなきによりて静まる。これは永遠の真理なり。

183 一切の悪いことから離れ、善きことをなすこと。
   自らの心を遍く浄めること。
   これこそ諸々の覚れるものの教えである。

204 無病は最高の利益であり、知足は最高の財産である。
   信頼は最高の親族であり、悟りの世界は最高の安楽である。

50  他人の過失を見るなかれ、
   他人のなしたことなさないことを見るなかれ。
   ただ、自分のなしたことなさなかったことを観察するがよい。

160 自己の主(アルジ) は自己のみである。
   他にいかなる主があろうか。
   自己が良く調えられたとき、人は得がたき主を得る。

62 子が私にある、財産が私にあるとて愚か者は悩む。
   しかし自分さえ自分のものにあらず。
   どうして子が、財産が、自分のものであろうか。

130すべての者は暴力を恐れる。すべての者に生命は愛しい。
   自己を喩えとして、他を打つなかれ打たせるなかれ。 

228 過去にもなかった、将来にもないであろう。
   また、今もないのである。
   常に非難される人は、常にほめられる人は。

224 真実を語るがよい。怒らないがよい。
   少ししかないものでも、乞える者に施すがよい。
   これら三つの行いによって、神々のもとに趣くであろう。

238 君よ、自己を燈明となせ。すみやかに励み、賢くあれ。
   垢を払い、煩悩をはなれよ。
   そうすれば、再び、生と死の苦しみは訪れないであろう。

277諸行は無常であると智慧によりて見るとき、そのとき人は
   苦から離れ去る。これは清浄のための道である。

<慈しみの修習>(メッタ・バーワナー)へ

パーリ経典からの翻訳(全雄私訳)

参考図書 ・南方仏教基本聖典 ウーウェープッラ著 中山書房仏書林
(写真はインド・デーヴァナーガリー文字によるパーリ経典の1ページ) 
      

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