出雲のことばと生活
出雲弁は暮らしの中で使われ継承されてきました。
貴方の出雲弁を綴ってみませんか。
ちーちぶくれ
(2001年3月3日)
そんじ
(2001年3月3日)
風呂にふゃーる
(2001年3月3日)
のぼし、さじっぽ、しんざい
(2001年3月3日)
【ぼてぼて茶】 出雲地方には「ぼてぼて茶」と称する茶とも間食ともとれる奇妙な茶がある。 この茶には「ぼてぼて茶碗」という専用の茶碗が用いられる。 「ぼてぼて茶碗」はほとんど布志名焼きで、他に比較的に新しく開窯された母里の八幡焼きのもの以外のものを私は見たことがない。 今でも物産館では売られている筈である。 この茶碗に所定の材料を入れてかき回して点てるのだが茶道の茶筅は使わずこれまた専用の「きりぢゃせん」ともいうべき粗作りの茶筅が用いられる。
1.花番茶=茶の葉と花を干したものでこの花がないと独特の泡立ちは得られない。 2.ご飯またはお粥少々。量は半杓くらいであまり多くは入れない。 3.お湯。 当然のことながらお湯がないとお茶は点てられない。 もちろんこれだけではなく他のものもいれるが家によってさまざまなのである。 私の体験では、塩昆布、煮豆はたいていの家で入れる。 この他には漬物の千切り、佃煮類まさにさまざまである。 ただし生物はもちろんご法度である。 またご飯のところもありお粥でないといけないという家もある。 流派というものがなくお師匠さんもないわけだからまさに勝手流なのである。 ご飯も一緒にかき混ぜる派、点てた一番後でぼてっとお粥を入れる派、点て方まで雑多である。 飲み方もまた問題でお行儀よくちびちび飲むとたいへんである。 ご飯やその他の具が残ってしまう。 ずるずると一気に頂かないと恥をかくこととなる。 それを避けるために箸をつけて出す家もある。 ただし箸は一本しかつけられてない。 普通に二本つければお茶漬けと変わりないことになるからだろう。 点てる時の音が「ぼてぼて」というからそうだとか、不昧公お好みだったとか、たたら製鉄の職人の「はしま=間食」だったとか、例によってもっともらしい由来が語られてはいるけれども真実のところは不明である。 金沢[松江] |
【しね】 「しね」は「いぼ(えぼ)」です。 ひざあたりに必要も無くできる皮膚の硬いもの。 普通の「いぼ」は頭が尖っていますが、「しね」は平らな(丸い)状態で上面が干からびた感じの皮膚。 普通のいぼより固く大きさは小さくて1〜2mm、大きくても5mmまで。 気が付くと膝や手の甲にできていた記憶があります。 実際に私がやっていたことですが、「しね」ができたら『なすびのへた』をもらって「しね」にあててこするのです。なすびのエキス?が効いたかどうか。 ひっしで「ひっこめ、ひっこめ」とこすりつけました。 例えば、友達が近くに座っています。「しね」ができた私はさりげなく相手のひざに「しね」を移そうと試みます。「しね」は移ると言われてましたから、自分の片手を広げ、片方は親指で自分の「しね」の部分をおさえ、小指(中指)を相手のひざにあて おまじない言葉 をつぶやくのです。 「しね しね わたれ 一本橋 わたれ」と。 なんと、のどかな時代だったのでしょうか。 でも「しね」は、気が付くとありませんでした。どこへ行ったのでしょうね? 最近は特に見たことありません。 イボコロリなる薬を塗ったり、泥団子を「しねえぼ」の数ほどつくり近くのじぞさんや、かんさんの祠に供えたそうです。効き目はあったかどうか、気が付くとなくなっていたとか。 岡田(よ)[斐川] |
【いのこさん】 「亥の子さん」。旧暦の十月(今の十一月)の「亥の日」に炬燵開きをするという江戸時代からの全国的な習俗が出雲地方でも「いのこさん」と呼ばれて定着していた。 この炬燵は「ほんごたつ=本炬燵」と言われてい、いわゆる「泥行火=どろあんか」→出雲弁でいうところの「ねこごたつ」とは区別されていた。 「ほんごたつ」には「やぐら」で覆われ火の上には「しきたつ」が置かれた。 毎年新しい「藁灰」が入れられ「十能」と「ひばし」が用意される。 「おぇ、いのこさんが、ちかんなったけん、わらばいつくっちょかで。」(出雲弁) 「おい、いのこさんが、近づいたから、藁灰を作っておこうよ。」(共通語) その炬燵に炭火を入れることを「炭をいける」という。 「少し、火がぬるくないか、かきまぜて熱くしてくれや。」(共通語) 金沢[松江] |
【うんだい】
菜の花のことで菜種油がとれる植物です。その枯れ枝を、蛍が舞う季節に竹んばの先に結わえて蛍捕りをしました。他方の手には、たまねぎの茎を切ったのを逆さにして持って。 今は、「菜種油」を採集したり、JAに供出している農家は無くなったのでしょうか。 今岡[加茂]
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【井戸がえ】
これは、飲み水を溜めておく井戸ではなく、家の敷地又は最寄にある「洗物用」の井戸のことで(恐らく防火用水も兼ねているんでしょう)、普段は魚が放してあり、蛙、蛇、いもり等の棲家となっているものです。
今岡[加茂]
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ソバを食べるのに、おつゆに浸して食べるのと、おつゆを上からかけて食べるのと、大別して二通りある。 東京では江戸前というのか、ざるなどにソバを載せてだし、それを一箸ぐい飲み風の小さな容器に入れたおつゆに漬けて、ズルズルと吸い込むのが「オツ」な食べ方らしい。 「つけ」系に対して「かけ」系の代表的なものに、わが出雲の「わりご」と南部岩手の「わんこ」があるが、そんな食べ方があることを、知らない人はまったく知らない。 東京は神田に出雲ソバの店があるが、初めてのお客さんをお連れすると、珍しがって食べる人もいるが、戸惑ってはじめから天婦羅ソバを注文して逃げを打つ人さえいる。 「わりごそば」こそソバだと思ってきた人間にしてみれば、まことに心外なことであるが、風習というか習慣というものは、如何ともしがたい。 そのソバにかけるおつゆのことを【くいしる】といった。 「くい汁」はちょうど鶴のくちばしのような細い突起のある独特の形をした陶器に入っていて、自分の好みに応じてソバにかけて食べる。 その容器を母などは【そばじょく】と呼んだ。漢字でかけば蕎麦猪口であろう。猪口は「ちょく」と読むのが本来らしい。 「これ三郎、横田のおじさんにソバジョク持っていっておくれ。うちのおつゆはおいしいから、たくさんソバ食べてください、といって……」(共通語)
森田[仁多]
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【ちーちぶくれ】 「ほおずき」という植物がある。 今はまったくの鑑賞用だが、以前は皮が破れないように、丸い赤い実の中身を吸い出し、口で鳴らして遊んだものである。
たわいもない遊びだが、もののない時代、いなかでは身の周りのすべてが遊びの道具だったのである。
いなかでは、やけどの火ぶくれのことを【ちーちぶくれ】と言った。 「ほら見なさい、早く薬を塗らないから、火ぶくれができたじゃない」(共通語) 森田[仁多]
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【そんじ】 【そんじ】とは仁多のことばで水車のことである。 語源がどのへんにあるのか、まったく見当がつかないが、有名な仁多米はもちろん、特産の蕎麦の脱穀・製粉のために、農家になくてはならぬものであった。 水車というときれいな感じだが、子供心に「そんじ」には何か怪物めいた響きがあった。 いつもゴットン、ゴットンと自ら回っていて、何か力強い意思のようなものが感じられる大きな存在だったからかもしれない。
夜になれば当然その辺りは暗く、昼間には活動していただけ、その静寂と暗さが怖く、闇に黒々と見えるその小屋の傍をとおるのは御免蒙りたかった。 「いい、今夜あなたの家の水車のそばで、待っていますから、きてくださいよ。」(共通語) 森田[仁多]
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【風呂にふゃーる】 明治以降、市場経済による分業化がすすんで、今では専門の醤油醸造業者がおのおのの銘柄で売り出しているのは周知のとおりである。
そのような人は「先生」と呼ばれ、醤油の麹(こうじ)をつくる「仕込み」の時期になると、1週間も2週間も醸造業者の家に滞在して技術指導をし、「仕込み」が終わると帰っていくのである。
醤油醸造の要ともいうべき「仕込み」の季節。原料や種麹(たねこうじ)の吟味、原料を蒸す・撹拌するなどの力作業、室(むろ=麹部屋)の温度・湿度の管理、麹の生育状態のチェックなどなど、夜も寝ずの管理と作業の日々が続く。 親は当然ながら子どもの相手などしている暇はない。 私は「お手伝い」がしたくて、家族や工人たちが忙しく立ち働く間を駆け回る。 親は仕事のじゃまをする私を面倒がり、挙げ句の果てには怒鳴ることになる。 そんなとき、いやな顔ひとつせずに、「お手伝い」をさせてくれたのが福田先生だった。 痩身の面長な人だったが、細い目がいつも優しく微笑んでいるそんな先生が私は好きだった。
派遣先の息子ということもあったのだろうが、先生は何故か私を「ロクちゃん、ロクちゃん」とかわいがってくれた。 いつも夕方になると、私を誘って風呂に入れてくれる。 「ロクちゃん、風呂にふゃーらや」(出雲弁) これが先生のいつものことばだ。「ふゃーらや」は、私の耳にも明らかに他所のことばとして聞こえた。 私の田舎では、「はいらーや」なのだ。(仁多町)
先生は私の体を流しながら、うちの子にならないか、と聞く。 なるんなら、お菓子でもオモチャでも何でも買ってやるというのだ。 私はテもなく同意し、オモチャもお菓子も買ってもらう。しかし、「仕込み」が一段落して、先生が一緒に帰ろうというと、私はいつも母の後ろにかくれ、先生は笑いながら帰っていった。
福田先生は同じ出雲でも大社にちかい平田というところの人である。 家の前はすぐ宍道湖。 その家の前の宍道湖で、先生はたった一人の息子を水死させたのだという。 私はその話をずっとあとになって、母から聞いた。 その母も亡く、福田先生も亡くなって、もう相当の年月になる。 しかし、「風呂にふゃーらや」という、その懐かしくも優しいことばは、都会の喧噪に浸りきった私の耳に、今もはっきりと残っている。
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【のぼし】【さじっぽ】【しんざい】
食べ物についての著名人のエッセーを集めた『あまカラ抄』に、作家の故・井上靖さんが小さい頃、「すかんぽ」や「つばな」などの野の雑草を食べたことを書いておられて、やっぱりな、と思った。
植物学上の正式な名称は知らないが、食べられるものとそうでないものを、どのようにして共通の知識としたのだろうか? そしてその知識も出雲地域だけでない広がりに驚かされる。
「おなかが減ったのなら、ツバナなりスイバなり、食べていろよ」(共通語)
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