サミットの近く、庚申塚通り沿いの住宅地の中にひっそりと残っている古墳です。
住宅に囲まれたわずかなスペースに小高い丘のような形で残っています。頂上にある恋路稲荷の小さな祠が目印。散歩がてら古墳時代へのタイムスリップはいかがですか。多くの多摩市民は小学生のときに郷土の歴史として習ったはずですし。
案内板によると7世紀前半の古墳とのこと。以前は石室に屋根がかけられて公開されていましたが、傷みがはげしくなり、保存のために埋め戻されました。地面に石室の位置が煉瓦でマークされています。
元々は、まわりを堀で囲まれ、今よりもはるかに大きく立派な古墳だったようですが、明治初期の混乱時に大きく削られてしまいました。盗掘にもあって誰が埋葬されていたのかなど詳しいことは定かではありません。
しかし珍しい八角墳であることや、出土品などから、相当有力な豪族の墓だったと推測されています。稲荷塚のほかにも和田から百草にかけて古墳が点在。千数百年前の多摩丘陵には権勢を誇る集団がいたようですね。
みやこから遠く離れた東の果て。古墳時代の関東地方を知る手がかりは多くありませんが、それだけ想像の余地が大きいとも言えます。ちょっとロマンを感じますね。
(2006年9月)