−11月−

−セオリー1−
最近,日本どころか世界でも話題になりつつあるゴルフの天才青年の参加するトーナメントを見てきました。朝のスタート前に各選手は練習場で練習します。そこで驚いたことがありました。

−セオリー2−
私が今まで何度かトーナメント時に見てきた朝の練習では,全ての参加プロがSWによるアプローチから始めていました。これはタイガーでも同じようにします。今回のトーナメントもそうでした。しかし,一人だけ違う番手から練習する選手がいたのです。それがかの天才青年でした。何と練習場に来て最初に行ったのは2Iによるティーショットでした。

−セオリー3−
きっといつもはSWから始めるのでしょうが,その日は前日からの課題があったのかもしれません。それにしてもセオリーにとらわれない,本人がモットーとしている「急がば回るな」方式を実践している姿を間近で見ることができました。「セオリーにとらわれない」と言えば,授業の「導入」についても同じことを最近感じたばかりです。

−セオリー4−
「導入に時間をかけ過ぎて子どもの意欲を萎えさせてしまった。」という声を聞いたことがあります。ここには大きな勘違いがあるように思いました。「導入」というものに対するこだわり,考え方の問題です。

−セオリー5−
「導入」とは基本的に「学習への意欲を高める」ものです。「導入によって意欲を削いでしまった」というのは,授業の始めの部分をセオリーにとらわれ過ぎて,ただ形式的に行っているということです。意欲を高めないものは導入ではありません。ただ,意欲を高めようとして行ってもうまく行かないことはあります。しかし,だからといって「導入をするから,子どものやる気がなくなっていく」とか「導入などせずにすぐ問題を解かせた方がいい」と言ってしまっては,プロとアマの違いがなくなってしまいます。

−セオリー6−
導入は「つかみ」です。子どもたちの心を知的好奇心でいっぱいにし,解決,追究していきたいという欲求を生み出すものであるべきだというこだわりがなければ,味気なく冗長な時間になってしまいます。

−セオリー7−
導入に「あおり」が含まれると効果的になります。子どもの感覚の流れとしては,まず「えっ,簡単じゃん。分かる,分かる。」から「次は?」となり,「えっ,それはね・・・えーっと。あれ?どうなるんだろう。」という感じです。導入なしで,すぐ課題を提示しても3分の2の子は思考を始めるでしょうが,気になるのはそれでは思考を始めようとしない残りの子のやる気のなさです。

−セオリー8−
しかし,指導者が導入の必要性を感じていなければ,たとえ形式的な導入らしきものをやっても,よけいやる気を削いでしまい,時間の無駄遣いになってしまいます。そういうものなら,導入は止めてすぐ本課題を提示した方がスッキリします。何となく,人がそうしているからするのではなく,自分の感覚を大事にし,本当に納得するものを取り入れるのが大事であるという,当たり前のセオリーを感じさせてくれたのが,天才青年の朝一のドライビングアイアンショットでした。

−光明−
「子どもたちが先生のことを大好きだと言っていますよ。」音楽専科の先生から今日教えてもらいました。いつも厳しくしているので,最初は本当に耳を疑い,聞き直しました。最近,インフルエンザによる学級閉鎖を10月と11月に4日間ずつ二度行い,萎んでいた気分が明るくなり,帰りにはついワインを3本も買って帰ってしまいました。

−プテラノドン1−
クラスには必ず,宿題がなかなかできない子が何人かいて,後のほとんどの子は毎日頑張ってやってきます。ある日,この両方の子に向けて小物を使ってメッセージを送ったことがあります。と,表向きは生活指導ですが,本当のねらいは,インフルエンザによる4日間の学級閉鎖明けで,久し振りに来た子どもたちに何かちょっとしたインパクトのある話をしようと思っただけのことですが・・・。

−プテラノドン2−
朝,まず4日間の宿題調べをして,忘れて来た子に対して「君たちは飛ばないプテラノドンだ。」と言いました。

−プテラノドン3−
「プテラノドンだ。」と言われて,子どもたちはポカンとしていました。古代の翼竜だということはおぼろげに分かる子もいたでしょうが,それがなぜ,「宿題忘れ」に対する説教が始まろうとする時に出てくるのか?と思ったはずです。

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