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仏教のルーツを知る・インド編4 [平成9年(97)7月記] 前回は、インド西方からの異民族の侵入など、時代の変化とその要請から、仏塔を管理する在俗の信者たちによって様々な地域で新しい仏教が萌芽し、その後大乗仏教として今日に至る思想上の発展がなされていったことを述べました。 当時、大乗仏教誕生後のお坊さんたちは、皆同じ様な230余りの戒律を守りつつ、部派の教えを学ぶ者、大乗の教えを研究する者などがそれぞれの、またはその両方を学べるお寺に住まい精進を重ねていました。 はじめは菩薩という理想像を掲げ民衆の救済を謳った大乗仏教のお坊さんたちも、後に国家の庇護を受けるようになると僧院の中に閉じこもり、部派教団同様に思索に耽るようになっていったといわれています。 〈大乗仏教の時代背景〉 前回余り触れられなかったこの時代の、つまり大乗仏教が興起し、発展を続けていく紀元後2世紀から7世紀頃の歴史について少し見てみようと思います。大乗仏教は中央アジアの遊牧民クシャーン族が北インドを制覇している時期(1世紀中−3世紀初)にその勢力を伸ばしました。 その三代カニシカ王の時に仏像が初めて現れ、またサンスクリット語による仏典の編集なども行わました。そして、そのクシャーン族の勢力が衰えだしたとき、中インドからインド人による国家建設が目論まれていました。 この“インドはインド人のインドに帰ろう”と唱えたグプタ王朝(4世紀初−6世紀中)は、インドの中部、西部、東部を統一し、アショーカ王に次ぐインド統一を成し遂げました。そしてサンスクリット語という聖典語による学術が復興し、バラモン教、ヒンドゥー教が普及し、バラモンの文化が主体性を取り戻していきました。 しかし、そうした安定した世の中は長くは続くことなく、5世紀頃にはまたしても西北の門を突き破って異民族が侵入し、インド社会に混乱をもたらしていくことになります。 このとき侵入を繰り返したのは蒙古トルコ系の騎馬遊牧民・フン族で、仏教寺院なども多く破壊され、インドの民衆を残忍な恐怖に陥れたと言われています。 フン族のインド侵入はそれから6世紀中頃まで断続的に続くことになり、その後7世紀にヴァルダナ朝のハルシャ王(在位606−646)が出る頃には混乱は収まるのですが、その後はまたしても諸国乱立の世が訪れることになります。 最後の古代専制国家を再現した、このハルシャ王の時代に、前回も登場した玄奘三蔵はインドに旅して、仏教徒であったこの王の招きにより18日間にわたり大乗仏教の本義を講義したと言われています。 そして、この玄奘三蔵の40年ほど後、同様に中国からインドへやってきた義浄三蔵(インド在673−685)がナーランダーを訪れたときには、既にそこは密教(密儀を重視する仏教)の根本道場となっていたと報告されています。 玄奘がインドにあった頃には、ナーランダー寺はインドにおける大乗仏教教学の中心であり僧徒1万人を擁する最大の仏教大学であったということですから、つまり、この玄奘と義浄が相次いでインドを訪れたこの間に、インドの大乗仏教の大勢は密教に移行していたということが出来るようです。 (遺跡公園となっている現在のナーランダーの様子) 大乗仏教が当時の宗教家たちの中で論戦を戦わせ、思想上の発展をみていた時代に、民衆にあっては、既にそれを越えて、こうした動乱の時代に身を守り、願いを叶えてくれる強力な超自然の呪術儀礼を求める機運が醸成されていたのでありました。 8世紀頃からは更にインド人に驚異となるイスラム教徒の侵攻が始まるわけで、ますます儀礼呪術の力を期待する時代が訪れていたのです。 〈密教の成立〉 そもそも密教的なものは既に初期の大乗仏教の諸経典の中に現れています。般若心経の中にも“ギャテイギャテイ・・・”という真言が登場していますが、大乗仏教はもともと、こうした真言や陀羅尼を唱え、精神統一の手段としたり、悟りの智恵の表現として用いたり、また呪法の一つとしたのでした。 しかしながら、そのもっと以前からも、今でも南方の仏教国で唱えられているパリッタ(護経)と呼ばれているパーリ語などのお経を読んで除災や招福を祈る簡単な儀礼は行われていたようです。こうした民衆の教化のための呪文を中心とする経典は2−3世紀頃に現れたといわれています。 またお釈迦様の時代にも、既に病いに臥す弟子にお釈迦様が自ら、“七覚支”という実践法について唱えると病いが癒されたとあり、今日でも南方の仏教国では、病人に対してこのお経が唱えられています。 従っていつからが密教の始まりとは一概に言えないのですが、いわゆる密教の経典として、儀礼を主たる内容とする経典は4世紀頃現れてまいります。 私の私見ではありますが、密教とは、古くからインドの民衆の間で根強く信仰されてきた様々な呪法や儀礼を体系化し整理して、その上に仏教的に思想体系を編纂していった知識の集成ではないかと思うのです。 インドの古来の神々を自らの護法の諸尊として取り入れ、大乗経典の中に記録したように、仏教には誠に緻密に何事も整然と整理し体系づけていく習性があります。古来インドで行われてきた悟りのための修行法瞑想法の集大成は仏教の三蔵の一つである論蔵の中に、バラモン教やヒンドゥー教の記録を遙かに上回る内容で収録されています。 密教とはその儀礼や呪法に関して、誠に正確に、そのものを仏教化し、記録し、なおかつ実践されてきたものではないかと思います。 つまり、ヒンドゥー教徒が自らの宗教をヒンドゥー教(Hinduism)だという意識が無く、仏教を生んだお釈迦様という聖者もその中の一つの神として扱うのと同じように、当時の仏教徒も、仏教徒・ヒンドゥー教徒などといった区別を離れ、聖なる仏・菩薩・神々などを組織化して曼陀羅を生み、儀礼呪法のために様々な作法の次第を書き記し儀軌をつくり、それらを包括する思想を表現するために密教経典を生み出したのではないかと思います。 (ナーランダーに残る諸尊を配置した密教的遺跡) そして、密教経典としては既に4世紀頃に登場する「孔雀明王経」などの現世利益を目的とする経典はあったものの、本格的な密教経典として我が国にももたらされた「大日経」、「金剛頂経」といった経典が現れるのが、ちょうど先程述べたナーランダー寺が密教化する7世紀中庸のことであったのです。 〈密教とは〉 それでは密教とはどのような教えなのか。簡単に述べればこれまでの仏教のすべての教えの集約ということが出来るかと思います。 つまり、お釈迦様以来の仏教からは戒律を、大乗仏教からは様々な仏菩薩への信仰や特に空の思想や唯識説などからは教理を、またその他のインド古来の儀礼呪術などを方便として取り入れ、それらの理論付けと体系化を行い整理したものが密教なのだといえます。 その最も代表的なものが曼陀羅であり、お釈迦様を始め部派仏教時代に現れた仏様、大乗仏教で生まれた仏・菩薩、さらにはインド古来の神々をも加え一つの宇宙観を作り上げたものとして、今も人々の関心を引きつけています。 密教の特徴はその神秘性、象徴性、儀礼性にあると言われます。それらが儀式や呪術に一つに溶け合っていると言うこともできます。 例えば、曼陀羅は悟りの世界を象徴的に表現しているものではありますが、それは単に眺めるものとして描かれたのではなく、その曼陀羅世界の中に行ずる人自らが瞑想の中で、神秘的な合一を果たすものとして作られたものです。そして、その曼陀羅と一つに合一する過程に様々な供養や祈願をなす儀礼として現実の世界に提示されるのです。 また密教の経典は、大日如来(宇宙の永遠性普遍性を仏としたもの)が経典の説き手として登場しています。それまでのお釈迦様が教えを語られるという大乗経典などのスタイルとは大きな違いがあります。 お釈迦様は私たちの目線で物事や心の観察を経て悟りへ導く智慧を説かれたのでしたが、密教経典では、宇宙そのものを表す大日如来が悟りの世界から、その働きの現れであるこの世において悟りへ導く道を説かれるのです。 そこでは実在するものはどれも分かちがたい全体であるとの見方から、何事も否定されることなく、たとえ悟りのためには滅することが主張されてきた煩悩さえも、より大きな欲・一切衆生救済の欲へと昇華されるべきであると説くのです。 〈インド仏教のその後〉 7世紀頃大乗仏教の中で主流となっていった密教は、インド以外の地域にも伝播し、またインドの他宗教、ヒンドゥー教やジャイナ教にも密教化をもたらしていきました。既に仏教が伝わり上座部の仏教が定着していたスリランカでも8〜10世紀の間密教が有力であったといいます。 また、7世紀に仏教が伝わったチベットでは8世紀後半密教がはいり、今日に至っています。またインドネシアのボロブドゥールの遺跡に立体曼陀羅を残すように東南アジアの各地にも密教が伝播されたのでした。 インドにおいては、密教はグプタ朝、パッラヴァ朝、パーラ朝などの庇護を受け、ベンガル地方などには巨大寺院を建設し、それが故にかえって後にイスラム教徒から要塞と見なされ攻撃を受けることになってしまったといいます。 これによって仏教は13世紀初頭インドの中央部では衰退し、一部の仏教徒は、チベットやインド東部・ミャンマー国境へと避難し仏教徒として細々と仏教を継承することになるのでした。 次ページに続く・・・ (ダンマサーラ第22号より) |
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