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 仏教の話9  

 般若心経私見
  -私の考える心経解釈

           [平成13年(2001)3月記]




 般若心経は、私たち日本人にとって、いにしえより最も親しみのある身近なお経であり、今日なお我が国の仏教に欠かせないものでもあります。

 どこのお寺や神社へ行っても、また仏壇を前にしても心経を唱えれば気持ちが済むくらい、短すぎず長すぎず読誦するには誠に適当なお経だと言えます。

 それほどに普及しているものだからこそ、心経に関する注釈書は今日何十種類にも及びます。しかし、それらはどれも大乗仏教徒としての立場から解釈したものばかりで、何か抜け落ちたものを感じ続けてまいりました。

 そこで、初期仏教(お釈迦様在世中より滅後100年頃まで)の教えを大切にする者の目から見た解釈、つまり心経が作られた当時の人たちの仏教理解に基づく心経解釈を、歴史的背景も踏まえ述べてみたいと思います。

  一、般若心経の背景

 ところで、般若心経とは、そもそもいかなるお経なのでしょうか。多くの書物に、お釈迦様滅後400年頃、紀元前後に南インドで制作された膨大な分量の般若経典を262字に凝縮したものだと記されています。

 般若経典は、いわゆる大乗仏教が登場する時代に作られた、はじめての大乗経典であり、当時の開放的な仏教徒によって必然的に生み出されていったものです。

 その時代は、ギリシャ、ペルシャなど西アジアからの侵略者たちが繰り返す戦乱、略奪、殺戮によって、北インドは社会的混乱の中にあり、民衆は道徳宗教を退廃させておりました。

 一方お坊さんたちはといえば、「仏教のルーツを知る2」で述べたように、僧院の中に籠もってかなり専門的な哲学的思索に耽っていたと言われています。その為当時、そうしたお坊さんたちの語る深遠な思想哲学ではなく、多くの民衆にとっては、誰もが救いを求められる新しい教えが待望されておりました。

 そこで、後に大乗を名のる革新的仏教徒たちは、そのころ最も勢力をもち、かつ特異な思想を説いていたお坊さんの一派を批判することによって、仏教を革新する運動を展開しようとしました。その一派とは、インド北西のカシュミール地方を中心に一大勢力を誇っていた、一切のものは実在すると説く、説一切有部と呼ばれる部派でありました。

 彼らは、お釈迦様が教えられた教説をより厳密に定義し細分化することに熱中するあまり、本来の目的を見失ってしまったと言われています。そして、無常や無我といった、ものを実体として見ないという仏教本来の見方考え方を、一見覆しかねないと思える哲学を主張していました。

 当時のそうした仏教の説き方、特に実体があるとの主張を徹底的に批判するために、新しい『空』という表現を用いて、般若経典は編纂されていきました。

  二、心経私見

 このような事情のもとに般若経典があることを踏まえた上で、般若心経をわたくしの私的解釈のもとに読んでいきたいと思います。

<経題>
 はじめに、摩訶般若波羅蜜多心経という経題ですが、心経以外はみなサンスクリット語の音訳です。摩訶は大きな、般若は智慧、波羅蜜多は完成、心は真髄という意味で、全体では、「偉大な智慧の完成に関する真髄を説くお経」ということになります。

<観音様とは>
 そして心経は、冒頭、観自在菩薩、つまり観音様が登場し、その行じ覚られたことを披瀝する内容からお経が始まっています。経には、「観音様が深く般若波羅蜜多を行じたとき、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したもう」とあります。

 まずここで、大切なことは、観音様とはどのようなお方かということです。ふつう観音様は世の中にあって生死の苦しみにある人々を救済するべく、相手の立場に変化して救ってくださるお方のはずです。

 とすると、この場合も相手となる方に合わせて姿を変えて、ここに登場されていると見るべきではないでしょうか。この場合の相手は、舎利子、お釈迦様の弟子の中で智慧第一と称されたサーリプッタ長老です。サーリプッタ長老は、分別説法という、ものごとを分析して法を説く名人であったと言われ、お釈迦様に代わって多くの説法をされたほどの方です。

 その方に対して観音様が教えを説かれる、その説く内容は私たち凡夫に対する教えとは違うものであってしかるべきなのではないでしょうか。まずこのことを読み手として、私たちはよく踏まえておく必要があると思います。

<般若波羅蜜多と五蘊>
 次に、その観音様が行じられた<般若波羅蜜多>とは何かというと、それまでの仏教において三十七種あった修道体系を、わずか六つにまとめた六種の完成への道(六波羅蜜)という大乗仏教徒の実践内容を指しています。

 六種とは布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧であり、はじめの五つは智慧の完成に集約されるとされています。そしてその為には自分の命をも含めて他のものに尽くすことが求められ、かつその見返りも評価も期待しない、無執着の心をその本質としているということです。

 そして、観音様がその六種の完成の道を深く行じ、智慧の完成に到達したとき、五蘊はみな空である、と照見したとあります。

 <五蘊>とは、私たちが執着を起こす過程を色受想行識という五つに分析して説明するために、お釈迦様が考案したものです。色は、自分の肉体も含め外の存在、そして受想行識の四つは心の内的働きを表しています。これらによって人間の経験するすべてを表そうとしたものでもあります。

 <色>とは自分の身体も含め眼に見えるもの、
 <受>とは感受すること、
 <想>とは知覚すること、
 <行>とは反応すること、
 <識>とは識別することです。

 たとえば、丸い茶色の物体を知覚し、それを饅頭だと識別して、おいしそうだと感覚として受け入れ、食べたいと反応し執着する、という具合に心の流れを分析していくのです。

 このように私たちに執着を生じさせる五蘊という身心の働きは、それまでの仏教では瞑想の修習によって、よく知り厭い離れ捨てるべきものとされていました。ところが、般若経典を生み出した新しい仏教徒は、智慧の完成により五蘊は空であると知って、苦しみ災厄を克服できたとしているのです。

<空とは何か>
 次に、観音様は、「サーリプッタよ、色は空に異ならず、空は色に異ならず、色即ちこれ空であり、空即ちこれ色である」と、この現実世界の眼に見えるもの(色)こそが空であり、そして、空の世界は別に特別なところにあるのではなくこの現実の中にある、と説いています。

 それでは、はたして<空>とはどういう事柄をいうのでしょうか。実体がないと訳されていることが多いのですが、どのようなことをいうのかはっきりと分かりません。

 <空>とは、実はお釈迦様の時代から今もって仏教において最も根本の見方考え方である、無常と苦を根拠とするところの無我のことであります。

 ただし、当時のお坊さんたちは無我を本来よりも狭い意味に定義しており、その為、対立するお坊さんたちの言葉ではなく、別の言葉でシンボリックに表現することが、新しい仏教変革運動にとって不可欠なことであったのです。

 この世の中はすべてのものが無常です。無常であるが故に私たちには苦しみがついてまわり、自分自身も自分のものも何も確かな自分と言えるものなどありません。

 すべてのものは様々な原因、ある条件の下に、それらに依存して今という一瞬成り立っている、つまり無我と言えるものばかりです。その条件が無くなってしまえばたちまちに変化し、違った見え方をしていきます。ですから、空に、実体がないという訳語をあてているのです。

<五蘊と空>
 そして、「受想行識もまたかくの如し」と、五蘊の色以外のそれぞれも空であると続きます。が、五蘊が空である、つまり無我であるというのは、お釈迦様が繰り返し説法され、その後も基本的な仏教の教理の一つでもありました。

 たとえばお釈迦様の説法を忠実に伝承し記述されたパーリ経典によれば、お釈迦様は次のように、五蘊を用いて無我を語っておられます。

 『「色は常であろうか無常であろうか、
  無常ならば、それは苦であろうか楽であろうか、
  無常にして苦なる移ろい変わるものであるならば、
  これを観じてこれはわがものである。
  これは我である、わが本体であるとするのは適当であろうか?」
 「大徳よ、そうではありません」
 「受はいかがであろうか?想は・・・?行は・・・?識は・・・?」』
  とこのように弟子たちに問われ、
 『・・・それら(五蘊)を厭い離れて貪りを離れる。貪りを離れることによって解脱する』
  (パーリ相応部経典22・49)

 また、
 『色は無我である。色を生起せしめる因(原因)も縁(条件)も無我である。
  無我なるものによって生起したる色がどうして我なることがあろうか。
  このように見て色を厭い離れる。
  厭い離るれば貪欲を離れる。
  受は・・・。想は・・・。行は・・・。識は・・・、
  このように見て識を厭い離れる。
  厭い離るれば貪欲を離れる。
  貪欲を離るれば解脱するのである』
  (パーリ相応部経典22・18)と。

 このように様々な説き方をしながら、五蘊が無常・苦にして無我であり、それを如実に観て厭い離れるならば解脱する、つまり苦しみが無くなるということを繰り返し説かれたのでした。

 このように初期仏教において、同様のことを様々な説き方によって、その過程をもこと細かく説明したものを、心経では、空という新しい言葉を使って簡潔に、五蘊は空であり空を知れば苦しみが無くなる、と述べているのです。

<生滅とはいかなるものか>
 それから心経は、「サーリプッタよ、この諸法は空相にして、生ずることもなく滅することもなく、垢れることもなく垢れないこともなく、減ることもなく増えることもなし」と続きます。

 諸法とは、すべての世にあるものという意味ですが、この場合それまでの仏教で常に用いられてきた分析手法である、五蘊をはじめとする十二処・十八界という、この世のすべてのものを言い表そうとした、これら三種の表現のそれぞれの要素を指していると思われます。

 十二処・十八界については、このあと出てまいりますが、心経のこの部分では、それら三種のそれぞれの要素の相はことごとく空であるから、つまり無我であると如実に知ったので、生滅・垢浄・増減ということはない、という意味となります。

 ここで言うところの<生ずること><滅すること>を、たとえば五蘊について説明しますと、五蘊の色受想行識を自ら観察するとき、そのそれぞれが生じ滅する、そのことを意味しています。

 初期仏教においては、ものを見てそれを知覚し認識するという、その瞬間瞬間に、知覚した、認別した、感受した、反応した、という過程について、生じ滅する様子をありのままに知ることが求められているからです。

 そして心経のこの部分では、すべてのものが空であるとさとってしまったので、そうした生滅がもはや現れなくなったと、五蘊が生滅しない状態を述べているのです。<垢れること>も<垢れないこと>も、また<減ること><増えること>というのも、同様に五蘊それぞれの要素にとらわれ貪ることによって、もはや垢れるということも垢れないということも、減ることも増えることもないのだということです。

 この辺の事情について、お釈迦様は弟子たちに次のように語りかけています。
 『聖なる弟子はすでに人々を俗界に結びつける五つの下級の煩悩を断っても、
  なお、彼の中には、この生を構成する五つの要素(五蘊)にともなう
  微妙な残滓(垢れ)として、我慢や我欲やひそやかな我の傾向が、
  まだ断たれないで残っている。
  だから、彼は、その後もなおこの五つの要素について、
  その生滅を観察し続ける。
  いわくこれが色である、これが色の生起である、これが色の滅尽である。
  また、これが受・・・、想・・・、行・・・、識である、
  これが識の生起である、これが識の滅尽であると。
  そのようにして、彼が、この五つの要素について、
  その生滅を観察し続けていると、
  この五つの要素にともなう微妙な残滓として、まだ残っていた
  我慢や、我欲や、ひそやかな我の傾向なども、
  やがては永遠に断たれるにいたるのである』(パーリ相応部経典22・89)

 また、
 『かかる者(色受想行識の五蘊を厭い離れたもの)を名づけて、
  増さず減ぜずという。
  すでに減じたれば、捨てず、また執着せず。
  すでに捨てたればまた厭わず近づかず。
  ・・・・すでに減じているのであるから色をも増さず減じないのであり、
  受をも・・・、想をも・・・、行をも・・・、識をも増さず減じないのである』
  (パーリ相応部経典22・79)と。

 このように生滅、垢浄、増減とは、瞑想し五蘊などの分析手法を用いて、心の内きを観ていく際に必要不可欠な観点であり、心経では、空を覚ることによってそれらが既に心に現れなくなったと、その状態を述べているのです。

<五蘊・十二処・十八界>
 次に、「この故に空の中には、色も無く、受想行識も無く、眼耳鼻舌身意も無く、色声香味触法も無く、眼(識)界も無く、耳(識)界・鼻(識)界・舌(識)界・身(識)界・意識界も無し」とあります。

 眼耳鼻舌身意を六根、色声香味触法を六竟といい、これらを併せて十二処といいます。そして、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識を六識といい、十二処に六識を加えて、それぞれに界を付けて呼ぶと十八界となります。

 六根とは、五つの感覚器官に考える心を加えた認識器官のことで、六竟とは、そのそれぞれの器官に認識される対象のことです。つまり<色>はいろや形を、<声>は音全般、<香>はにおい、<味>は舌で感じられるもの、<触>は肌に触れるもの、<法>は心で思われるものを意味しています。

 また六識とは、それぞれのものを認識する心をいい、<眼識>は見る心、<耳識>は聞く心、以下嗅ぐ心、味わう心、触れる心、思う心ということになり、それぞれ眼と色と眼識が、また耳と声と耳識が対応して、ものを認識すると考えるのです。たとえば、<眼識>という見る心があって<眼>という感覚器官を通して<色>という形あるものを認識するという具合に、私たちがものごとを知る知り方をこのように説明し、お釈迦様は認識されるすべてのものを表そうとしたのです。

 そこで心経は、これら十二処十八界、それに五蘊も無いと言っているのですが、その前に、<この故に空の中には>という但し書きがあります。この故に、とは何か、それは、前文の生滅、垢浄、増減がなくなった状態を受けていると考えられます。

 既に生滅、垢浄、増減については五蘊十二処十八界のそれぞれの要素について言ったものであることを述べました。従って、それらの個々の要素について生滅することがないのでありますから、当然のことながら、空という覚りの中にあっては五蘊も十二処も十八界も厭い離れており、執着することもなく、そこから苦しみを導くことは、もはや無くなっているのです。

 よって、空という見地に至ってしまえば、五蘊も十二処も十八界も認識することが無い、ということになるのです。

<十二縁起>
 さらに、「無明もなく、無明の尽きることも無く、ないし老死も無く、また老死の尽きることも無し」とあります。ここには無明と老死が記されるのみで、その間にあるものをないしと省略してしまっています。

 正確には、無明(無知)、行(意志反応)、識(認識作用)、名色(五蘊)、六処(六根)、触(接触)、受(感受)、愛(愛着)、取(執着)、有(生存)、生(誕生)、老死(老と死をはじめ苦全般)という、十二縁起といわれる私たちの生存の在り方を十二支に分けて述べたものです。

 しかし、もともと縁起は、すべての存在が原因(因)と条件(縁)によって生じ滅することを述べた、縁りて起こる在り方の法則を述べたものです。その数は三支であったり四支、または六支で説かれ、しだいに長くなって、ここにある十二支の縁起が説かれる様になりました。

 そして、お釈迦様が菩提樹下で成道されたときに覚りえたものこそが、この縁起の法であり、それは、私たちの今という結果を導いた原因をありのままに探求するこころみでありました。その為、仏教は縁起を説くものと言われるように、縁起説は仏教の様々な教えの底流にある中心思想でもあります。

 十二縁起は、たとえば『無明によりて行あり、行によりて識あり、識によりて名色あり・・・・有によりて生があり、生によって老死・愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが生ずる』(パーリ相応部経典12・1)と、この様に説かれ、それは私たちが誤った考えや行いによって苦しみの中に迷う縁起を示しています。

 また逆に『無明を余すことなく滅することによって行は滅する、行を余りなく滅することによって識が滅する、・・・・有を余すことなく滅することによって生が滅する、生を余すことなく滅することによって老死・愁い・悲しみ・苦しみ・憂い・悩みが滅する』(上に同じ)と説いて、正しく考え行うことによって私たちを理想の覚りの世界に導く縁起を示しています。

 苦しみの中に迷う縁起と理想の世界に導く縁起をともに思索しつつ、生まれては老い衰え死してはまた再生する、この苦しみの連続からいかにしたら解放されるか、それを教えるために、十二縁起は説かれてまいりました。

 心経は、この十二縁起も、空の中にあって既に苦しみを離れた者にとっては、もはや当てはまらない、よって無いと述べているのです。

<四諦・八正道>
 同様に、「苦集滅道も無し」とあります。<苦集滅道>とは、四諦八正道(したいはっしょうどう)と言われる初期仏教における最も根本的な教説です。

 お釈迦様がサールナートで、はじめて仏教を説かれたときに、五人の弟子を前に説法されたのがこの教えでありました。詳しくは「仏教というライフスタイル」で既に述べてありますが、簡単に申しますと、この世をどう観じそれをどのように解明し克服していくか、を述べた実践論と言えます。

 <苦>とは私たちの周りのものたちがみな移ろい変わりゆくものであり、完全なもの満足の出来るものなど無く、それが故に自分の思い通りになるものはありません。そのため苦しみを常に味わいつつある現実を述べたものです。

 そして、<集>とは集まり起こることで、その苦しみをもたらす原因をいい、それは私たちがこの世の因果法則を知らず、今ないものを求め今あるものに満足できない欲の心にあるという真実。

 <滅>とは、そうした苦しみを生み出す欲、貪り、怒り、妬み、おごり、恨み、物惜しみなどすべての心の汚れを滅したところに静寂があるという真実。

 <道>とは、そうしたきよらかな心に至る八正道という、わが身心を修める真実の道であります。

 八正道とは因みに、
 <正見>世の中の因果法則を正しく知ること、
 <正思>欲や怒りの心を離れて考えること、
 <正語>嘘、偽り、汚い言葉を用いずに話すこと、
 <正業>殺生、盗み、邪淫、博打など悪行を捨て、なすべきことをすること、
 <正命>正しい仕事により生計を立てること、
 <正精進>悪い習慣をやめ良い習慣を行うように努めること、
 <正念>そのときそのときの行い思いに気づいていること、
 <正定>心の落ち着き集中のこと、をその内容とします。
 八正道は、日常私たちが過ちを犯すことなく心清らかに過ごすための指針となるものです。

 心経では既に述べたとおり、空の中にあって一切の苦しみから離れているので、こうした四諦八正道も、もはや超えていることから、無いと記されているのです。

<さとりも無し>
 そして、「智も無くまた得も無し。無所得をもっての故に」と続きます。

 <智>は覚りの智慧、<得>とはその覚りを得ることです。<無所得>とは、心に受け取るものがないこと、認識されないことです。空の中にあるということは、ものを識別してもそれに執着することなく、あらゆるものに心をとどめることがないからです。

 これまで、ひたすら初期仏教から説かれてきた教説を無と否定したように、すべてのものに心とどめないのですから、ここでは覚りそのものもその覚りに至るための智慧さえも無い、と述べているのです。

<大乗の菩薩とは>
 そして、「菩提薩タは、般若波羅蜜多によるが故に、心にケイ碍無し、ケイ碍無きが故に、恐怖あること無し。一切の顛倒夢想を遠離して、涅槃を究竟す」とあります。

 <菩提薩タ>とは、つづめて菩薩と言い習わしていますが、自らは覚りを求めつつ他を救い幸せに導くという求道者であり救済者でもあります。

 般若波羅蜜多は先に六種の完成への道(六波羅蜜)をいうとありました。ここでは、菩薩とはその智慧を完成させつつあるので、心に<ケイ碍>、つまり束縛や迷いが無く、束縛や迷いが無いので、何も恐れること無く、一切の<顛倒>、つまり大小、本末、美醜、苦楽などの関係を取り違えるなどの思い違いや<夢想>先入観にとらわれるなどありのままに見ないこと、を厭い離れているので、<涅槃>という、すべての煩悩の火が吹き消された状態、つまり最高の覚りに到達する、とあります。

 菩薩の求道者としての立場から述べられていますが、この部分をここまでの内容を受けて解釈しますと、菩薩は智慧の完成のみに専心してあり、細かな修道体系も、ものの在り方、認識の仕方など、それまでの仏教で説かれたすべての教説に束縛されることも迷いもないので、それらにとらわれることも恐れることもない。

 そうしたものによらずとも、空の教えによって何も思い違いすることもなく妄想することなく、最高の覚りにいたるであろう、という意味となります。

<大乗のほとけ>
 つぎに、「三世の諸仏も、般若波羅蜜多によるが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たもう」とあり、今度は仏について述べてあります。

 <三世の諸仏>とは、過去現在未来におられる仏陀のことですが、初期仏教の時代から、お釈迦様も含めて過去に七人の仏陀があったと考えられ、また未来には、弥勒仏が五十六億七千万年後に出現すると考えられていました。そして時代が経て、三世にわたって多くの仏陀が出て法を説くと主張されるようになりました。

 <阿耨多羅三藐三菩提>とは、自ら覚り他を覚らしめ覚りへの修行を完成させた、最高の覚りを指しています。大乗仏教徒にとっては、その三世の多くの仏陀も、智慧の完成によって、最高の覚りをさとった、ということです。

<真言なり>
 そして、「故に知る、般若波羅蜜多は、これ大神呪なり。これ大明呪なり。これ無上呪なり。これ無等等呪なり。よく一切の苦を除き真実にして虚しからず」と、いよいよ心経も終幕を迎えます。ここに<呪>とあるのは、サンスクリット語文ではすべてマントラとなっており、ふつう真言と訳されるものです。

 これまで何度も出てきた般若波羅蜜多は、大いなる無上で無比の真言であるということになりますが、これはどうしたことでしょうか。これまで般若波羅蜜多とは、智慧の完成のことでありましたので、その智慧の完成とは真言そのものだということになります。

 真言は古くは儀式儀礼に用いられる唱え言葉を意味しており、聖なる神々への真実語であります。私たちのいるこの世界とは次元の違う世界への呼びかけとも言えるものです。そして、それが智慧の完成を意味し、一切の苦を除き真実であり虚妄にあらずということなのです。

 ここにいたって、心経、そのもとになる般若経典、そしてそれを生み出した新しい大乗の仏教徒たちの意図したものは、正にこの真言に象徴される神秘的な直観によって、獲得するものであることを表明していると言えます。

<呪を唱えるとは>
 そして最後に「故に般若波羅蜜多の呪を説く。即ち、呪を説いて曰く。ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」とその真言が明かされます。

 本来、真言は意味を訳してしまうと、そのもののもつ呪としての意味合いが無くなるとして、そのままサンスクリット語を音写しているものです。

 ここでは、この真言を唱える意味を検討するために敢えて訳してみますと、<ガテー>とは、さまざまな訳し方があるようですが、私は、到れりという意味に取りたいと思います。<パーラガテー>は、覚りの世界・彼岸に到れり。<パーラサンガテー>も同じように、彼岸に到着せり。<ボーディ>は覚り。<スヴァーハー>は祝福あれ。

 全体では、『到れり、到れり、彼岸に到れり、彼岸に到着せり、覚りに祝福あれ』となります。到れり、もうあなたは既に空に到っているのだ、覚りの世界彼岸にあるではないか、何も迷うこともわだかまりもない、と開眼をうながすものだといえます。この真言を唱え、直観によって空を覚り、その智慧の目で世の中を見て行動することを宣言するものだと言えるのではないかと思います。

 そして、心経は誠に残念なことに、観音様によるこの説法に対するサーリプッタ長老の受け答えなく一方的に終わっています。

  三、般若心経とは何か

 昔、チベット亡命政府のあるインド北部の町ダラムサーラにしばらく滞在したことがありました。そこで出会ったチベットの人たちは、手に数珠をもち、道行くときもその数珠を繰りながら真言を唱えていました。まるで、意識だけが真言の世界に漂っているかのように、その場にいるという存在感が希薄に見えました。

 この世のものすべてのものが空であり、空の中にあるのだから、なにものにもとらわれることなどないではないかと言われても、私たちにはそう簡単にそこに到達することは出来るものではありません。だからこそチベットの人たちは常に数珠を手放さず、真言を唱え続けているのではないでしょうか。

 心経の説き手は観音様で、聞き手はあくまでもサーリプッタ長老です。僧院に籠もり煩瑣な思索に耽るお坊さんたちを批判するために、心経は、仏弟子サーリプッタ長老を聞き手として登場させています。

 そして、分別説法にたけていたサーリプッタ長老に対してだからこそ、それまでの仏教で説かれてきた教説を、観音様は否定していく訳であります。では、はたして私たち凡夫に対してなら、どのようにお説きになられるでありましょうか。

 私たちが大切にしているもの、とらわれている思い、考え方、習慣、こうあるものという考え、こだわっている自分という思いなど、それらのすべてを捨ててしまいなさい、と言われるのではないでしょうか。

 そして、ガテーガテーと唱え、こだわりやとらわれを離れ、何も心にとどめることなく、生きとし生けるもののために自己を犠牲にして生きなさいと。いかがでしょうか。はたして、私たちはそのように出来るものでしょうか。

 直観によって覚る、ということは簡単ではないのです。般若経典が成立した時代のインドのように戦乱に生きる民衆の荒廃した心にこそ、それは必要でありました。平和な、いまに生きる私たちにとって、それはとても難しい。

 だからこそ、お釈迦様は、様々な手法によって、弟子たちに世の中のことを説き聞かせ諄々と説法を続けられたのではないでしょうか。私とは何か。なぜまわりに流され、落ち着かないのか。人生とはいかなるものか。いまをどう受けとめ、いかに生きるべきか。

 このように身近で、なおかつ切実な問題について教えられたのがお釈迦様であり、それが心経で否定された、五蘊、十二処十八界、十二縁起、四諦八正道の教えでありました。

 我が国で広く民衆に受け入れられた心経において、仏教の根本的教説が否定されたことにより、私たちはそれらを深く顧みることをしてこなかったのではないでしょうか。そのことによって、仏教とは神秘的直観によって獲得するものと受け取られてきたのではないかと思います。これによって仏教本来の教えを封印してしまった、と言っても言い過ぎではありません。

 心経を生んだインドでは、どのようにこのお経が民衆に受け入れられていったのか。おそらく彼らは既にもっていた仏教の素養、自らの心を探究するという姿勢の上に、心経を吸収していったのではないか、と私は思います。

 般若心経をいかに読むべきか。私たち凡夫にとって、否定された教説に冠された無の字は、南無の無と受け取っては如何なものかと私は思っています。心経を読誦して満足することなく、それら(南)無と唱える仏教本来の根本教説と向き合い、自ら心の内なるものにたずねいたるために示された教えであると受け取って欲しいのです。

 そうして、がんばっている、つっぱっている自分、我を無くしていく、無我を実現していく、つまり自分の心の中に空を実現するための経典として心経を位置づけていきたいと思うのであります。        −未完− (小冊子「ダンマサーラ」第35号より)

引用文献・阿含経典、増谷文雄著、筑摩書房
参考文献・般若経、梶山雄一著、中公新書
       解説般若心経、田久保周譽著、平河出版

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