Green happines : 00
設備のメンテナンス。それがここカルデアにおいて私に与えられた業務だ。早朝には整備技師班が待機する部屋に集合し、今日やるべきことについて班長から指示をもらう。簡単な事であれば蛍光灯が切れていれば交換に行ったり、ボイラー室や発電施設でエラーが発生すればそちらに向かって検査を行う。故障が見られるのであれば部品の交換を行ったりもする。
そして毎日が猛吹雪の悪天候下にある施設に欠かせないのがドーナツ状の建屋のてっぺんに積もった雪下ろし。一応、建物上部に雪下ろし装置が取り付けられているのだが、機械の許容量を超える雪が積もったりすると動かなくなる場合がある。その時は人間の手でやるしかない。悲しいかな次の日は筋肉痛が待ち受けている。
このように、日々のメンテナンスを必要とする箇所はとても多い。いくら空調がしっかりしているとはいえ、コンクリートの厚い壁一枚を隔てた温度差は激しく、それによる建物の摩耗は防ぎきれない。おまけにメインシステムに携わる機械の放熱やらで、何かしらのトラブルが発生しない月はほぼないのだ。ひどい時は徹夜で作業をすることもある。
今日は発電設備の点検の日だったが、作業がかなり遅れてしまったこともあって、業務終了時間はいつもの時刻を大幅に超えてしまった。もうすぐで深夜の1時をまわるというところで解散となった。
ぐう、と鳴るお腹をさすりながら、さながら暗闇に垂れる蜘蛛の糸を手繰るような一抹の期待を胸に食堂へ向かう。誰かいるんじゃないか。あったかいご飯が残っていないか。
案の定、誰もいなかった。
カウンターからキッチンを覗き込むも、真っ暗である。いつも料理を作ってくれる人がいないし、残り物も見当たらない。鼻をすすると乾いた音がした。
頭の中で、こんな夜中に食べると太るよと天使が囁くが、腹の虫はぐうぐう鳴いている。自分で勝手に作っちまえよ、と黒い悪魔が囁いた。
人間の三大欲求の中でも、とりわけ食欲には耐えきれない。
あたりを見回し、本当に誰もいないのを確認してからキッチンの電気を付けて中へと侵入した。
冷蔵庫の中を確認して、めぼしい食材を取り出しては台の上に並べた。4分の1にカットされてきれいにラップに包まれた玉ねぎに、ほんのちょっと残ってる人参。一塊のよくわからないお肉。鶏のより一回り大きい謎の生卵。そして、今日の夕食で余ってしまっただろうひえひえのご飯。
扉の内ポケットを確認すると、調味料は十分にある。けれど私の料理スキルは凡より下。簡単なものしか作れない。
疲れた時は、好きなものが一番だ。それをお腹いっぱい食べて、お布団に入ってぐっすり眠れば、疲れも吹き飛ぶ。
しばらく食材とにらめっこをしてから、再度冷蔵庫をあけてトマトケチャップを取り出した。
オムライスにしよう。
まな板の上で食材を切って、油をひいたフライパンの上で炒め始めると、食欲を刺激する匂いがあたりに充満する。
その存在に気づいたのは、できたてホカホカのケチャップライスの味見をすべく、手のひらの上に一口分乗せて、口の中に放り込んた瞬間だった。
カウンター席とキッチンの入り口を隔てる柱から、誰かが覗いている。
モグモグと口を動かしながら、しばし見つめ合う。
「ひゃあっ!? 誰っ!?」
思わず叫んだ。自分にしてはすごく大きな声が出て、それで更にびっくりして右肘を台の角にガツンとぶつけて、そこから電撃が走って思わず前かがみになる。ジリジリと痛む右腕をさすっていると、足音が近づいてきた。パタパタと、それは私の前で立ち止まる。
「すっ、すみませんっ。驚かせるつもりはなくて。大丈夫ですか?」
顔を上げる。大人じゃないけれど、けれども子供と呼ぶには少し疑問が残るような年頃の少年がそこにいた。
見覚えがある。カルデアの、マスターだ。
といっても、マスターという知識しかなくて、名前は知らない。同年代かなとも思うけれど、もしかしたら歳上かもしれないし、歳下かもしれない曖昧な外見。年齢差があるとすれば2歳くらいだろうか。
硬直している私を見て、彼はオロオロしながら、まずガスコンロの火を止めた。カチッというその音で、緊張がほどける。
「だ、大丈夫です。……すみません、勝手にびっくりして」
「い、いえっ。声もかけずに覗き見なんかしてるこっちが全面的に悪いというか……なんかほんともう、すんません」
「いや、こちらこそ。こんな時間に料理なんかしてるほうがおかしいですから」
ペコペコと互いに頭を下げて、少年と顔を見合わせる。
全くおんなじ動作をしてるなと気づいて、失礼だけど思わず笑ってしまうと、少年もふっと笑みを見せた。
「ええと……なんでこんな時間に料理を?」
「作業が長引いて、食いっぱぐれて……お腹すいたの我慢できなくて……」
「なるほど」
少年はぽんと手を叩いて、「なんというかその、ご愁傷さまです」と続けた。対する私は返答に窮して、乾いた笑みを浮かべるほかない。
「で、そういう君は、なぜこんな時間に?」
「ええと……」
少年が口をつぐんでしまう。
不審に思って観察するが、別に顔色は悪くない。私みたいに夕食を食べそこねたようには見えない。
「口が寂しいというか、何かつまむものはないかなって」
「なるほど」
すぐに納得した。夜分おそくにお腹がすく。誰にでもある、ごくありふれた理由だ。
フライパンをチラッと見て、それから少年の顔を見る。
「よかったら一緒にどうですか?」
「え?」
「作ったのはいいんですけど、一人で食べるにはちょっと多いような気がしまして」
言いながら、ほぼ初対面の人に手料理を勧めるのはどうかと思ったのだけれど、
「食べます」
二つ返事で受けてくれた。
自分にしては上手に出来たオムレツを、お皿の上のケチャップライスの上めがけて、フライパンをひっくり返してぽんと乗せると、少年が小さくつたない感じの声で「オムライス」とつぶやいた。
「オムライス、好きですか?」
「好きです」
「よかったー。私も好きなんです」
カウンターの向こう側にいる少年にオムライスの皿を差し出すと、少年はすぐに受け取ってくれた。エプロンを解いて壁のフックにかけたところで、電子レンジがピーっと音を鳴らした。あたためたホットミルクを二人分取り出して、私もキッチンからカウンター席へ向かう。
君の分だよ、と少年にホットミルクを差し出してから、隣の椅子に腰掛けた。あらかじめ用意していた取皿に、オムライスの半分を取り分けて、少年に渡す。
「い、いいんですかこんなに」驚愕している。
「……も、もしかして多い? 全部食べられなさそう?」
「いえ。食べます」
決意表明みたいな力強い返事に思わず笑ってしまう。
少年がスプーンを手にとって、オムライスに突き刺した。卵とご飯をまんべんなく掬って、口に運ぶ。その一連の仕草を、何も言わずにじーっと見つめる隣の私。正直に言うと、緊張でドキドキしている。
「美味しい」
どうかな、と聞くよりも先に、少年が感想を言ってくれた。緊張で張り詰めていた意識が緩んで、はーっと息を吐き出す。
「よかったあ……口に合ってよかった。よかったです」
「そ、そんなに?」
「だって緊張もしますよ。一応味見しましたけど、初対面の人にご飯出すわけで……」
言いながら私もオムライスを口に運ぶ。咀嚼して飲み込んで、おいしい! と言ったつもりだったけれど、おいひー! と変な声が出た。でも幸せだ。腹の虫も喜んでいる。
ふいに、疑問がよぎった。初対面の人にご飯を出している、という自分の発言を、頭の中で何度も繰り返す。
「……ところで私、君の名前を知らないです」
スプーンを咥えたまま隣の少年に視線を向けると、彼もスプーンを咥えたままこっちを見る。それからへにゃっと困ったように笑ってみせた。スプーンを皿の上に置いて居住まいを正すから、つられてこっちも同じ動作をしてしまう。
「カルデアのマスターをやってます、藤丸立香です。そういうあなたは」
「です。技師班に所属してます」
「さん。よろしくお願いします」
「こちらこそ。……藤丸くん、でいいですか?」
「はい」
藤丸くんが手を差し出してくる。すぐに反対側の手を差し出して握手に応じた。職員が多国籍のカルデアにおいて、握手は当たり前のように行われるのだ。がっちり握った手を大げさに振って、お互いに手を離す。
それから、いくつか会話をした。どうやら彼と私は同い年らしく、親近感が湧いた。今まで話さなかったのが不思議に思うくらいだったが、立場が違うので仕方がないといえば仕方がない。
最後に少しぬるくなったホットミルクを味わうように飲んで。
「ごちそうさまでした」
「……ごちそうさまでした」
手を合わせて食後の挨拶をする。私が幸福を感じる瞬間のひとつだ。すると藤丸くんも一拍遅れて同じように手を合わせてくれる。
「あの、おいしかったです」
「よかった。……あ、食器そのままにしててください。私が片付けるので」
「や、そんな、手伝いますって!」
「いいですいいです。こっちが勝手に付き合わせてしまったようなもんですし」
狼狽する藤丸くんをよそに、使った食器を重ねて持ち上げようとした所で、ふいに生ぬるい風が頬に当たるのを感じた。
顔を上げると、藤丸くんを挟んで向こう側に誰かが立っているのが見えた。
息を呑んだ瞬間、手の力が緩んで食器をカウンターのテーブルに取り落としてしまった。ガシャンと大きな音がしてから、もし運んでいる最中だったら食器を割っていたかも知れないという、場違いな安堵が胸に広がった。
「マスター、気は済んだかい?」
「……なっ、ちょっ、……ついてきてたの!?」
「当たり前だろう? 僕は君のサーヴァントなわけだし」
驚きで硬直する私をよそに、藤丸くんはいきなり現れた人と会話を始める。
白いゆったりとした服に身を包んでいるその人は、鮮やかな緑色の髪を腰よりもさらに下まで伸ばしている。尋常ではない長さに驚いて、顔を見たらとても綺麗な人で二重で驚いた。
一度見たら絶対に忘れることが出来なさそうな容姿は、あいにく私の記憶にない。初めて見る人だ。とはいえ人なのかすらもあやふやなのだけれど。ともすれば、シーツを2枚折りにして縫い合わせたような真っ白い服も不思議と似合っている。その見た目はあまりにも現実離れしすぎていて、調和の取れた美しさに対する感動よりも、奇妙な違和感だけが膨れ上がっていく。
いつからいたのかわからない。いきなり現れたようにも思えるその人は、一切私に目をくれず、藤丸くんを諭すように話しかけている。
「もうマイルームに戻ろう? まだ報告書をまとめる作業が残ってるんだろう?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! ほんとに! ちょっとだけでいいから!」
「僕は十分待ったよ? それも、マスターが食事を終えるまでね」
穏やかに語るその人は、自分のことをサーヴァントだと言っていた。
サーヴァント。カルデアのマスターが召喚する使い魔。私にはそんな大雑把な知識しかない。中には危ない人もいるらしく、技師班でもたまにサーヴァントに絡まれたという事案が発生している。顔写真付きで警鐘を促す伝聞が回ってくることもしばしばある。
藤丸くんがタジタジになっているやり取りを見つめる。どことなく、今は関わらないほうが良いような気がした。直感がそう告げている。
おそるおそる食器を抱えて、抜き足差し足でキッチンに入り、シンクに向かう。ゆっくり音を立てないように水を出す。食器を洗っていると、
「拭きます!」
藤丸くんがバタバタと足音を立てて隣にやってきた。
「べ、別にいいのに……」
「そうもいかないよ」
藤丸くんは食器拭きを手にとって、洗ったばかりの皿を拭き始めた。
「……さっきの人は?」
「大丈夫。待ってくれるって」
少し体を傾けてカウンターの方を伺う。カウンターの奥、立ったまま、こちらを伺っている。
穏やかな表情だけれど、服装と不気味なまでの色白さと長い髪のせいで、ひどく不気味だ。まるで幽霊みたいだなと思ったら本当にそれっぽく見えてきて、背筋がブルっと震えた。あわててシンクに向き直る。水道から流れるお湯で手を温めながら、コップを洗う。
藤丸くんはてきぱきとした動作で食器を片付けると、後片付けをする私をわざわざ待ってから、先導するようにキッチンを出た。そのとなりに自然な歩みで緑色の髪の人が並ぶ。距離をおいて、私はその後ろをついていくか迷いながら進む。
食堂の区画を出た所で、先を歩く藤丸くんが一旦足を止めた。こちらを振り返る。
「さん、今日はありがとう」
「う……ううん。大したことじゃないから。それより、口の寂しさはおさまった?」
「おさまりました。満足しました」
「なら、よかった」
微笑み返すけれど、自分でも少しぎこちないものを感じた。いつもならうまく笑えるのだろうけれど、藤丸くんの隣にいる人から発する存在感がとんでもない。意識せざるを得ないし、かといって視線をそっちにやったらどうなるかわからない。目を合わせたくない。それがかえって緊張を煽る。
そういう空気の時に限って、目ざとく何かを見つけてしまうのは私の悪い癖だ。
「藤丸くん、よく眠れるおまじないをしてあげるよ」
勇気を出して近寄る。手を伸ばすと藤丸くんがビクッと身構えたのがわかったけれど、気にせず肩にふれる。親指と人差指でつまんだものを、藤丸くんに見せる。
「えっ……と」
「というのは冗談で、肩にゴミついてました。それじゃ、おやすみなさい」
「あ、ありがとう。おやすみなさい」
頭を下げて、二人を追い越して歩く。早歩きで少し歩いて、技師班がよく使う作業用通路へと足を踏み入れる。
それでようやっと私は安堵の息をつけたのだった。
「おまじないと言い出した時はびっくりしたよ」
それはこっちの台詞だ。思わずそう悪態をつきそうになり、立香は唾液を飲み込んで腹の中へと流し込む。一度呼吸を挟んで心を落ち着かせてから口を開いた。
「……びっくりしたのはこっちだよ。部屋で待ってて、と言ったのについてくるし。最後に至っては殺気丸出しだったし」
技師班の少女の手が立香の肩に触れた瞬間である。隣に立つサーヴァントから異様な気配を感じたのは。
立香はその気配を敏感に感じ取り、思わず体を震わせたが、あいにく技師班の少女はそうでもなかったらしい。のんびりとした動作で、肩についていたという糸くずを見せてくれた。あまりにも鈍感すぎる所作を目の当たりにして、殺気立った気配がすぐに消え去ったのを感じ取り、内心ほっと胸をなでおろしたしたのは言うまでもない。
「マスターに何かするのかと思ったんだ。それに僕は“まじない”というものにあまりいい印象を抱いていないから」
ごめんね、と言葉尻に付け足して、緑髪のサーヴァント――エルキドゥはふわりと空気に紛れるようにしてかき消えた。霊体化である。
立香は魔力が吸い取られるのを感じながらも、はぁと一息ついて足を踏み出した。