Green happines : 02
技師班の朝は早い。なにせ、地上にある円形の建屋から地中奥にまで伸びる建物のメンテナンスをしなければならないのだ。過去にあった不慮の自体により、作業に従事できる人が減っている今となっては尚更だ。今日も今日とて私は端末の目覚ましアラームに耳を劈かれて起床し、着替えを済ませて食堂に向かう。
こんな早朝でも食堂のキッチンには誰かしら料理をする人が立っていて、とても有り難い。
よく見かけるのはエミヤさんという浅黒い肌の男性と、ブーディカさんというナイスバディな女性だ。たまに、タマモキャットさんという洋食がべらぼうに美味しい女性が立つこともあるけれど、大抵はエミヤさんだ。他はどうやら当番制らしく、くるくるとローテーションを組んでやっているようだが、それでもこの三人だけはほぼ固定といっていいほどよくキッチンに立っている。
エミヤさんもサーヴァントのようだけれど、サーヴァントの中では会話が成立しやすいともっぱらの評判だった。私達と対等のところに降りてきて、話をしてくれる。というより、キッチンに立ち入るサーヴァントはおおむね親しみやすい性質の持ち主のようで、目立ったトラブルなんかもない。タマモキャットさんはかなり会話に難儀するが(クラスがクラスだから仕方ないという話らしいが、そのクラスがなんなのか私にはよくわからない)、洋食が美味しい。ブーディカさんはエミヤさんの要素にくわえて包み込むような優しさが加わる。声を荒げる事はないし、別け隔てなく接する態度から男性人気が高い。
「おはようございます」
「うん、おはよう」
食堂の男性陣がやたらほんわかしているなと思ったら、今日のチーフはブーディカさんだったらしい。なるほどなと思いながらも、彼女から極上の挨拶とともに朝食が乗ったプレートを受け取る。
「今日のお昼ごはんって、なんですか?」
「んー……ちょっと待っててね」
ブーディカさんはそう言って奥に引っ込んでいく。遠目に、キッチン内のホワイトボードを確認しているのが見えた。やがて早足で戻ってくる。
「カレーだって」
「カレー!」
俄然やる気が出てくるメニューだった。
「エミヤさんに伝言をお願いできますか?」
「うん、いいよ。なあに?」
「温玉をひとつお願いしたいです、と伝えてください」
「……うん、伝えておくね」
ふふっと笑って、エプロンのポケットからメモを取って書き込んでいる。職員の要望を聞いてくれるので、とてつもなくありがたい。
カウンター席で朝食を済ませる。ベーコンエッグと蒸し野菜とトースト。眠気覚ましにブラックコーヒー、に砂糖2個いれたものを用意して、いただきますと手を合わせた。
数分で完食。ごちそうさまを済ませてトレーごと返却口に押し込み、ミーティングルームへと向かった。
朝の挨拶から始まって、けれど何か一言があるわけでもなく淡々と物事は進んでいく。名前を呼ばれた人たちが一緒くたに固まって、資料を見ながらチームリーダーの説明を聞いたりしている。集まった皆にどんどん仕事が割り振られていく中で、私に任された仕事といえば。
「は西館の空調設備の点検を頼む。今から端末に地図を送るから、指定された場所の空調を見てくれ。不具合があったら逐一報告すること」
「わかりました」
カルデアは地上に見えている建物は氷山の一角であり、地下へ地下へと施設は広がっている構造だ。ゆえに、空調は人が活動する上で必要不可欠な機材のひとつとなる。それのメンテナンスとなると、なかなか手のかかる仕事だった。
設備点検に必要な機材を待機室から取ってきて、端末の地図を眺めながら廊下を歩く。とりあえず下から点検するより上から攻めて行ったほうがいいかなと思い、エレベーターへと向かった。
窓のついた明るい廊下を歩いていると、司令室へ通じる扉のところに藤丸くんとマシュさんを見つけた。挨拶をしにいこうかと思ったが、見慣れない人が数人いる。カルデアの制服を身に着けていないということは、サーヴァントだろう。
大きな体格の人たち。それぞれが手に武器を持っていて、みんなバラバラの形をしている。あの中で藤丸くんとマシュさんは和やかに談笑をしている。怯んでいる様子もない。凄いなと感心した所で、大きな体格の人が少し移動して、白い布地が見えた。
エルキドゥさんだ。
人影に隠れていたらしい。気付かなかった。
食堂で会った時は独特の存在感にびっくりしたけれど、こうして体格の大きい人の中に紛れていると、華奢な痩躯と女の人みたいな見た目のせいで、一見すると頼りなさそうに見える。けれどあの輪の中に混ざっているという事は、大きな体格の人に負けず劣らずに戦えるのだろう。想像がつかないけれど。
遠目に眺めていると、ふいにエルキドゥさんが顎を上げてこっちを見た。目が合ってしまった。
どうしたものかと思って、とりあえず頭を下げてみる。けれどエルキドゥさんは不思議がるような視線をこっちに向け、一瞬のうちに顔を逸らされてしまった。藤丸くんと談笑を始めている。
この前、話をしたのを覚えていないのかな?
思い返してみると、そんなに言葉を交わしたわけでもないし、馴れ馴れしく一方的に話しかけたのを軽くあしらわれたとも取れる会話だった。それに大して親しくもないなら、反応を返さないのは当たり前だろう。興味がないのであれば、尚更。
反応が当たり前に返ってくると期待した事を恥じるべきかもしれない。私はちょっと残念に思いつつも、その場を後にした。
機器に異常もなくスムーズに作業が進み、進捗の半分を過ぎた所でちょうど昼時になった。
一旦機材をその場に置いて、食堂へと向かう。とはいえ移動するにもそれなりに時間がかかるので、食堂へついたころには区画にひしめく賑やかさも控えめな時間帯になっていた。
カウンターに足を運んで声をかけると、エミヤさんが顔をのぞかせた。すぐにてきぱきとお皿にカレーを盛ってくれる。トレーの上にカレー皿を置いて手を離してから、
「……そういえば君はおまけ付きだったな」
「はい」
厨房の奥に引っ込んでいき、すぐに戻ってきて、カレーの上におまけを乗せてくれた。
お礼を言って受け取り、飲み物の用意をして空いているテーブルへ。席に座ってからいつもの習慣であるいただきますをして、食事をはじめて数分後。
「!」
背後の頭上から声がかかった。口からスプーンを離して振り返ろうとするよりも先に、左隣に誰かが座る。技師班の先輩だった。歳も割と近いし気さくに応対してくれるので、よく話しかける人だ。
「この前言ってたやつ、できたからさ」
「……ん!」
口の中のものを飲み込み切れず、咀嚼しながら頷いた。もぐもぐ口を動かす私をよそに、先輩は自分の上着のポケットをごそごそ漁って、取り出したものを「じゃーん!」と見せびらかしてくれる。白色と青色を基調に、ところどころ差し色で橙が編み込まれた、紐状のもの。ミサンガだ。
誰が言い出しっぺで、いつから始まったのかはよくわからない。けれど、言い出しっぺの人がこの発想に至った発端はあの爆発事件からだというのは暗黙の了解だ。
ここにいる職員の皆が無事にここでの生活を終えられるようにと、手先の器用な班員の間で、ミサンガを送り合うという風習が流行っていた。この取り組みに面白そうといって興味を持つ人は乗っかり、くだらないと切り捨てる人は反る。かくいう私は前者だった。
「左でいい?」
「んっ……はい!」
左腕を差し出すと、くるくると巻きつけて、丁寧に結んでくれた。
「やー、食事中にごめんね。あたしも急いでるからさ」
「先輩は午後から何やるんですか?」
「下水処理槽の点検」
先輩の口から出たそれは、おそらく技師班が携わる業務の中で一、二を争うほどやりたくない仕事だった。くさい、きたない、きついの3Kである。言いあぐねていると、先輩はふっと笑みを浮かべた。
「なにその顔。午後から代わる?」
「えっ……遠慮しておきます」
私の返事を聞いて、先輩は高らかに笑う。
「というかさ、仕事のあとのカレーが時と場合によっては結構キツいってのがわかったわ」
「あの、私、食事中ですし、先輩のその話が一番キツいんですけど」
「あはは、ごめんごめん」
「……んんと、ちょっと待ってください」
私もポケットをあさって、数日前に編み終えたミサンガを取り出す。先輩はその仕草で察してくれたのか、
「ありがと」
にこっと笑って、左腕を出してきた。私も先輩と同じように、手首にミサンガを巻きつけて結ぶ。先輩と私の手首には3本の、色とりどりの紐が並んでいる。
「やー、お互い結構増えてきたなあ」
「そですね」
二人で手首を見比べて、顔を見合わせてさらに笑った。
手を振って別れて、食事を再開する。カレーは少しぬるくなっていたけれど、それ以上の収穫があったから気にならない。スプーンで温泉卵の黄身を崩しながらお茶を飲んでいると、声がした。
「こんにちは。一緒してもいいですか?」
顔をあげると、藤丸くんだった。マシュさんもいる。なんとなく予感がして体を傾けると、エルキドゥさんが後ろに控えるように立っていた。
「藤丸くんに、マシュさんに、エルキドゥさん、こんにちは。……ええと、はい、どうぞ座ってください」
藤丸くんがお礼を述べながら私の対面に座ると、マシュさんがペコっと頭を下げながら「失礼します」とその隣に座って、最後にエルキドゥさんが何も言わずにマシュさんの隣に座る。藤丸くんとマシュさんはカレー皿を載せたトレーを持っているが、エルキドゥさんは相変わらずマグカップのみだ。きっと白湯が入っているのだろう。
何か話題はないものかと考え始めると、
「おんたま」
ぽつりと藤丸くんがつぶやいた。私の皿をぽけっとした顔で眺めている。
「美味しいですよね、カレーに温玉のせて食べるの。私カレーの時は毎回頼んじゃって……」
「それは凄くわかるけど……頼む? えっ? いつ?」
「……朝の内にエミヤさんにあらかじめ伝えておけば、作っててくれるんです。融通を聞かせてくれるから」
たとえば大盛りでと頼めばその通りにしてくれるし、次の日のお昼はランチボックスにしたいと頼めば、朝食で持たせてくれたりもする。
「マシュは知ってた?」
「はい。でも、そんなにこだわりがないので」
「へー、次から頼んどこ。そんじゃ、いただきます」
藤丸くんがそう言うと、マシュさんもいただきますをして、二人同じタイミングで食べ始めた。私もつられて残りのカレーに手を付ける。
お互いに今日は何をしていたのか話しながら、時折冗談も混ぜつつ雑談に興じる。とはいえ、あまり食堂で喋っていても、その分仕事が終わる時間が伸びるだけだ。すっかり冷めたコンソメスープを飲んでそろそろ席を離れる旨を切り出そうとすると、それよりも先に藤丸くんが口を開いた。
「そういえばさん、さっき誰かと相席してた時に、手首に何か巻いてたよね」
「……あ、これですか?」
左手を掲げると、藤丸くんがこくんと頷いた。隣に座るマシュさんも、興味津々と言った視線をよこす。なんだかちょっと緊張してしまう。
「ミサンガです。班内の一部の間でちょっと流行ってて……安全祈願みたいなのもかねて、皆で作って交換しあってるんです」
「はー、そうなんだ」
納得したそぶりの藤丸くんの隣で、マシュさんが首を傾げて尋ねてきた。
「それは、ご自分で作るんですか?」
「うん、指で編んで……や、でもすっごく簡単ですよ?」
編んで、と言った瞬間に二人の顔が曇ったのが少しおかしかった。
確かに、私も最初は拒否感がなかったといえば嘘になる。上手に編めるのかとか不安だったけれど、別に綺麗な模様だとかにこだわらず、二色使いでシンプルに作れば良いと気付いてせっせと編んだのを思い出す。
「よかったら、藤丸くんとマシュさんも付けてみませんか?」
声をかけると、二人同時にピョンと肩が跳ねた。おもしろい。
「あ、いや、俺そういうの編めないし」
「私もです……」
「そ、そういう意味で言ったんじゃなくて……ええと、余ってるんですよ、ミサンガ。調子に乗って作りすぎちゃって」
上手く作れるようになってきたなという自負が芽生えたら、だんだんテンションが上がってきて、次は別の色の組み合わせでだとか、最短何分で編めるのかとチャレンジしすぎてしまい、必要以上に作りすぎてしまったのだ。
「受け取ってくれる人がなかなか見つからなくて。……どうですか?」
苦笑を浮かべつつ促してみると、藤丸くんとマシュさんは二人で顔を見合わせる。それからこっちに顔を向き直して、しっかりと頷いてくれたのだった。
「ください」
「欲しいです」
「よかった。それじゃあ次に会った時に渡すね」
やったー、と二人そろって喜んでいるのを眺めて、仲が良いなと思った。そしてふと、何か忘れているような気がして視線をずらすと、エルキドゥさんがいた事を今更思い出した。二人に気が向いてばかりで、エルキドゥさんの事をおろそかにしてしまったという焦りが芽生える。すっかり忘れていた。
けれど、エルキドゥさんといえば我関せずといった雰囲気をまとって、静かにマグカップに口をつけていた。思い返してみれば、三人で話している間、エルキドゥさんはずっと無言だったような気がする。
どことなく、薄い隔たりを感じた。
話しかけるべきなのか、それとも放っておくべきなのか。私にはよくわからない。
結局、席を離れるまでエルキドゥさんに一言も声をかけぬまま、二人と挨拶を交わしてその場を後にした。