Green happines : 04

 次の作業場所に向かうべく、窓のついた廊下を歩いていた時のことだった。外の猛吹雪を眺めながら、この一面の雪景色の中をソリで下ったらどんなに楽しいだろうかと考えた直後にいや死ぬな、と突っ込んで、ふと廊下に目をやると、前方に黒い塊が落ちていたのに気がついた。
 あれはなんだろう? とゆっくり近寄れば、徐々に形がわかってきた。
 人だ。倒れている。
 何かあったのかと慌てて駆け寄って覗き込めば、倒れていたのは藤丸くんでさらにビックリした。道具箱を足元に置いてしゃがみこみ、藤丸くんの口もとに手を当てようとした瞬間。ぷすー、とだいぶ間抜けな呼吸音が聞こえてきた。
 ――寝てる?
 ぷぴー、と小さないびきが聞こえてくる。変ないびきをかいている藤丸くんをしばらく眺めた後、私は手を引っ込めた。藤丸くんの口もとがむにゃむにゃと動いている。
 特に目立った病症のようなものは見られない。
 寝ているだけ、みたいだ。しかも廊下で。器用だ。
 こんな所で寝ていたら風邪を引いてしまう。起こすべきなんだろうけど、すぴすぴと鼾をかいて眠る藤丸くんはとっても気持ちよさそうで、声をかけるのがどうにも憚られる。でもここで寝ていたら体調を壊してしまうし――起こすべきか迷いながら、手を引っ込めたり伸ばしたり、無意味な行動を何回も繰り返す。
 と、足音がした。顔を上げて音がしたほうを見ると、マシュさんとエルキドゥさんが歩いてくる所だった。
「あっ」
 マシュさんは毛布を両手で大事そうに抱えたまま、寝ている藤丸くんとその隣にしゃがみこむ私を交互に見た。
「こんにちは、マシュさん」
「こんにちは」
 ぺこっと頭を下げるマシュさんを見て、それから後ろのエルキドゥさんに視線を向ける。
「エルキドゥさんも、こんにちは」
「……こんにちは」
 エルキドゥさんは相も変わらず凪いだ水面のように穏やかで無表情だけれど、挨拶を返してくれた。奇妙な感動が湧き上がってくる。
「先輩のこと、起こそうとしてくれたんですか?」
「うん。……でも、気持ちよさそうに寝てますし、どうしようかなと思って……」
「私も、起こそうとしたんです。声をかけたり、肩を揺すればいつもは目を覚ますんですが、今日に限っては起きなくて」
「そうですかー……」
 ほとほと困り果てた様子で、マシュさんが藤丸くんの身体に毛布をかけた。すると藤丸くんは少しむずがって、むにゃむにゃと寝言めいた言葉をぼやきだす。起きるかな? と期待したけれど、やがてすぴすぴと変な鼾が聞こえてきて、私とマシュさんは二人揃って落胆した。
「レイシフトで疲労が溜まっているみたいだ。このまま寝かせておこう」
 しわが寄った毛布を伸ばして、藤丸くんの身体をすっぽりと覆うようにしながら、エルキドゥさんは言った。
 伸ばした左手首にまだミサンガが結ばれていることに気付いて、少しの驚きのあとに、じわじわと嬉しさのようなものが心のなかに広がった。すぐに外したり、邪魔だと感じてとっぱらうってしまうかと思っていたのに。あまり迷信を好意的にとらえていないようだし、そういったものに縁遠い人だと思っていたから、意外だった。
 エルキドゥさんの手により毛布で出来たミノムシみたいになった藤丸くんは、幸せそうな寝顔を晒している。エルキドゥさんは満足そうにふっと笑う。
「魔力も少なくなっているようだしね」
「まりょく」
 カルデアに来てからよく耳にする謎ワードだ。
 魔力は、人が魔法を使う時に必要になるエネルギーのことで、個人差で容量が決まっているという。ここに来る時に、そんな漠然とした知識を教えてもらったけれど、私はそれしか知らない。あとはカルデアの電力を魔力に変換し、足りない量を補っているという事くらいだろうか。
 ここの職員の中には魔術師という謎めいた人たちがいるけれど、生まれてこの方魔術のまの字にすら触れてこなかった私にはちんぷんかんぷんだ。何もないところから炎や氷を出したりするところを見せてもらったけれど、手品にしか見えなかったのは言うまでもない。
 とりあえず、私が知らない魔法を使う人達の世界があって、藤丸くんもそれに両足を突っ込んでいるということだ。
「藤丸くん、魔法が使えるんだ。すごいなあ」
「普通だと思うよ」
「いや、普通の人は使えませんよ」
 当たり前のようにエルキドゥさんが言うものだから、思いっきり否定してしまった。
 するとエルキドゥさんはすっと目を細めて、私をじっと見つめた。緑色に透き通った瞳が、徐々に灰色を帯び、それから金色に光った。生物ならばありえない虹彩の変化に驚いて、身がすくんだ。奇妙な緊張感が足元から這い上がってきて、背筋にぞわぞわと鳥肌のようなものが立つ。蛇に見つめられた蛙とは、こんな感じなのだろうか?
 と、エルキドゥさんの目の色が戻ると同時に、口元をゆるめてふっと微笑んだ。一体何なんだろう。
「君の魔術回路は弱々しいね。マスターも凡より下といったところだけれど、君はそれをはるかに下回っている。確かに、君は使えないのが当たり前かもしれない」
 私を品評してくれた。しかも、出来はすこぶる悪いようだ。
「……見てわかるんですか?」
「なんとなくだけどね。心拍数とか血圧ならばすぐにわかるよ」
「す、すごい。すごいですね」
 あまりにも常識を逸脱している。思わず「すごい」と2回喋ってしまった。
「そういえば、ここに入る時にレイシフト適正値を調べたら小数点以下切り捨てゼロパーだったんですけれど、そういうのと魔力って比例するものなんですか?」
「魔力と適正値は比例する、という話は聞いたことがないです。個々の能力に左右されるものかと」
 マシュさんが答えてくれた。
「そうなんですか。じゃあ、私がそっち方面じゃ本当に駄目だって事なんですね……」
 藤丸くんを見下ろして、それから腕を組む。相変わらず変ないびきをかいている。一向に起きる気配がない。
「私がレイシフトしたら、分解・再構築の過程で失敗しちゃう可能性のが高いって事ですか?」
「流石に転送だけなら大丈夫だとは思います。適正値は、どんなサーヴァントとも適応できるか、というものですから」
「適応……」
 藤丸くんから視線を外して、エルキドゥさんの方を見た。
「エルキドゥさん含め、ここにいるサーヴァントの方々は、藤丸くんに適応しているということですか?」
「そうだよ」
 エルキドゥさんは藤丸くんを見下ろして、目を細める。
「僕たちサーヴァントはもともと聖杯を起点としている。けれど、僕らはマスターの手助けにより、今ここにいるサーヴァントは聖杯からカルデアを起点とできているんだ。マスターが僕と縁を繋いでいてくれたおかげで、僕は今ここに存在できるんだよ」
 エルキドゥさんはごくまれに舌がなめらかになる。場にそぐわない事を考えながら私はふんふんと頷いて、エルキドゥさんの言葉の要点を頭の中でまとめた。やっぱりよくわからない。魔法は難しい。
「つまり、藤丸くんは縁結びの神みたいなもの?」
 私が首を傾げると、
「……。縁を繋ぐのと、縁を結ぶでは意味合いが違うよ。前者は持続、後者は関連付け。僕は彼と、この施設のシステムで持続の状態にあるという事だ」
 ゆっくりとエルキドゥさんが喋ってくれる。
「ぼんやりとわかりました」
「……そう。ならよかった」
 そう言ってエルキドゥさんはふいっと顔をそらして、藤丸くんをじーっと見つめている。その横顔からは、もう私と話す興味の色は失せていた。何ともつかみどころがない人だ。でも、サーヴァントとはそういうものなのだろう。マスターの藤丸くんがきっと一番で、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
 エルキドゥさんの横顔をずっと眺めているわけにもいかないので、藤丸くんに視線を落とす。相変わらずいびきがぷーぷーうるさい。
「マシュさん、さすがにここで寝かせるのもアレですし、医務室とかに運んだほうがいいんじゃ?」
「そ、そうですね……」
 マシュさんも薄々そう思っていたらしく、しっかりと頷いた。
「移動させるのかい? それなら、僕が運ぼうか」
 エルキドゥさんがそう言って、藤丸くんに手を伸ばした時だった。
「こら! サボるなー!」
 遠くで怒声が聞こえて、ピョンと肩が跳ねる。声の主を探して視線をさまよわせると、数メートル先に技師班の人が立っているのが見える。工具箱を手に下げて、私を見つめている。怒っているふうには見えない。
「さっ、サボってませんよー!」
「どうだかな~」
 さっきの怒声はどこへやら、のんびりとした調子でそう言って、私に手を振ってくれる。手を振り返すと、「がんばれよ~」と声援を残して、廊下を曲がって通路の方へ入ってしまう。
「あはは……怒られてしまったので戻ります。それでは」
「はい。また」
 工具箱を持って立ち上がる。歩き出しながら二人に手をふると、マシュさんは手を振り返してくれたが、エルキドゥさんはぼんやりとこっちを見つめるばかりだった。そして興味なさそうに視線をそらして、藤丸くんを脇に抱えた。エルキドゥさんの腰のあたりでくの字に折れ曲がった藤丸くんを見て、マシュさんが慌てだす。それでも藤丸くんは起きないみたいだった。
 三人の和やかな光景を横目に見て、緩んだ口もとを元にもどしてから、私は小走りでその場を後にした。