Green happines : 06

 あれからというもの、たまに廊下でエルキドゥさんを見かけると、手を振って挨拶しあうようになった。最初の数回こそ私が先に手を振っていたが、最近はエルキドゥさんのほうからしてくれる機会も増えてきた。
 エルキドゥさんが他の人たちといる時は手だけの挨拶に留めていたせいか、私が他の人といる時はエルキドゥさんも決まって手を振るだけ。
 でも、私が一人でいる時は、
、こんにちは」
「エルキドゥさん、こんにちは」
 声をかけてくれるようになったし、もちろん私も声をかけるようになった。
 互いに時間に余裕があれば、立ち話もするようになった。とはいっても、エルキドゥさんとの会話はささやかなものだ。エルキドゥさんも話が長くなると作業の邪魔になって迷惑になると思っていてくれるのか、話が長引きそうな空気になると気を使って切り上げてくれる時もある。
 その時のエルキドゥさんはどうしてか残念そうな表情を浮かべるものだから、どことなく申し訳無さで胸の奥が一杯になってしまい、ひどくいたたまれない気持ちになってしまう。
 そのまま話を続けたいような、でもエルキドゥさんにそこまで贔屓してもらえるような出来た人間ではないんですと言い訳をしたくなるような謎の感覚に最近もっぱら襲われている。でも、喜ばしいことだ。
「……見事に懐かれたな」
 手をふる私を見ながら、男の先輩がぼやいた。
「エルキドゥさんに失礼ですよ。それに勘違いしないでください、エルキドゥさんが懐いたんじゃなくて、私が懐いたんですから!」
「お前もすっかり絆されちまって……」
 先輩はなぜか目頭を押さえている。
「なんとでも言ってください。馴染みの薄い人と話したりするのってすごく新鮮で、嬉しいですし」
 エルキドゥさんがくるりとこちらに背中を向けてくれたのを確認して、私は手をおろした。
 ここ最近のエルキドゥさんは変な方向に学習してしまったのか、たまに振り返ってフェイントをかけてくるようになった。無視するなんて到底出来ないし、このまま見送るしか無い。遊ばれているような気がするけれど、でもいいのだ。構ってもらえるうちが華と言う。
「先輩は、こんなふうにしているサーヴァントの方っているんですか?」
「いるように見えるか?」
「……それじゃあ、他の方は?」
 さてなあ、と先輩はぼやいて、思案を巡らせている。
「俺の知ってる限りだと、酒の席にお邪魔させてもらったり、食事を用意してくれるサーヴァントに料理のコツを教えてもらったり、そんくらいだな」
 先輩は顎を指でなぞりながら言う。その間に、エルキドゥさんの姿が完全に見えなくなってしまった。
 床に置きっぱなしだった工具箱を持ち直す私を、先輩はしげしげと見下ろす。
「こうなったら、みんなで賭けでもするかなあ」
「賭け?」
 首をかしげる私に、先輩はにやっと笑う。
「決まってんだろ。あっちが先に落ちるか、こっちが先に落ちるか、だ」
「エルキドゥさんに対して失礼にも程がありますよ。ていうか、落ちるってどこにですか」
「うーん。じゃあが落ちるか落ちないか」
「だからどこにですか~!」

「すみません」
 静まり返った廊下を一人で歩いていると、ふいに声をかけられた。振り返って声の主を確認する。
 端正な顔立ち。現実離れした鎧姿。もうひと目見ただけでサーヴァントだとわかる出で立ちだった。その顔に見覚えはないし、会話した覚えもない。完全に初対面の人だ。視線を下げてみると、彼は小脇に本を数冊抱えていた。カルデアにいる間は何もすることがなくて暇だからと鍛錬に精を出す方もいらっしゃれば、図書室や資料室から本や古書物を借りていく方も珍しくはない。
「どうかしましたか?」
 私は緊張しつつ、それでもつとめて明るくを意識して返事をすると、彼はとても物腰穏やかに話を始めた。この人は、多分とてもいい人だ。いい人というのは決して変な意味ではなくて、話がまっとうに通じて、職員にも対等に接してくれるという意味だ。
 彼の話を要約すると、図書室の電球が切れている、とのことだった。別に彼がその原因を作ったわけでもないだろうに、とても申し訳無さそうに喋ってくる。本当に人が良さそうだ。
「はい、わかりました。今交換しに行きますね」
 腰のホルダーから無線を取り出して通信を入れると、その通信を聞いていた他の技師班員から折り返し通信が返ってくる。図書室の電球は第二倉庫にある事と、電球の型番について教えてくれたので、私はそれを端末のメモ帳アプリを開いてメモしておく。
 人の良さそうなサーヴァントと別れた私は、足早に倉庫区画へと向かった。倉庫の整理にあたっている技師班員に挨拶をすると何か入用なのかと尋ねられたので、事のあらましを説明した。すると電球が置かれている棚番を教えてくれるので、私はスムーズに物品を手にする事ができた。
 箱に入れたままの電球をショルダーバッグに詰め込み、ついでに脚立もいるだろうと思ったので倉庫にあったものを一つ借りていく。カルデアに来た頃は肩にかけると重みで痛くて運ぶのが大変だった脚立も、いまや小走りで運べるようになった。しみじみ成長を感じる。
 図書室に向かうと、扉の前にあのサーヴァントが立っていた。小脇に本を抱えていない。借りた本を一旦どこかの部屋に置いてから、わざわざここに戻って来たのだろうか? とびっくりして目を丸くする私に気づくと、彼は柔和な笑みを浮かべて頭を下げた。小走りで近づく。
 彼の正面に並ぶと、私に「お疲れさまです」と声をかけてわざわざ図書室の扉を開けてくれた。その紳士然とした態度と、ぴかぴかの鎧を眺めて、なるほどこれが騎士というものかと納得してしまう。
「あそこなんですが」
 言いながら指で差し示すので、私は視線をその方向へ向けた。天井に規則正しくぶら下がる複数のシェードランプの列。手前から見て三列目の真ん中らへんに一つだけ、ちかちか明滅する電球がある。
「何かお手伝いできることはないでしょうか?」
 嬉しい申し出だ。でも、サーヴァントの方の手を煩わせるわけにはいかない。
「一人でも大丈夫です、ありがとうございます、どうぞお構いなく」
 私の言葉に納得してくれたようで、サーヴァントの方は立ち去っていった。
 図書室の中に足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉める。いったん脚立を壁に立て掛けた。部屋の中を少し歩いて、誰かいないか確認する。
「誰かいますかー?」
 返事はない。図書室の中をうろうろ歩きながら本当に誰もいないことを確認しつつ、交換しなければいけないランプはどの場所にあるのか、念の為本棚の番号も確認しておおまかな位置を覚えておく。
 立て掛けておいた脚立を手にして、図書室の電気スイッチがある場所へ向かう。
「備品交換のため、一旦電気を落としますね」
 もう一度、声をかけて確認。これで後から文句を言われても、私は事前に声をかけましたよという証明を作っておく。これがけっこう大事で、確認を怠った結果サーヴァントの機嫌を損ねてしまい、詫びとして片腕を差し出すことを要求された職員が過去にいたらしいのだ。私はその現場を目にしたわけでもないし、噂で聞いただけなので詳しいことはわからないけれど、用心するに越したことはない。
 照明を落とすと、一気に部屋が暗くなった。それでも、電球内部に残る明るさがじわじわ消えてゆくのが確認できる。しかし、これだけ暗いと歩くのもままならない。本棚にぶつかってしまう。ポケットから端末を取り出してカメラ用のライトをオンにする。その光で足元を照らした。これならぶつかる心配もない。
 そのまま光を前方へスライドさせると、白い足。
「うひゃああああっ!?」
 思わず大声が出て、そんな声を出した自分自身にびっくりして更にあたふたしながら、光で顔を照らす。
 エルキドゥさんだった。
「まぶしいよ」
「す、すみませんっ」
 慌てて端末のライトを下げる。エルキドゥさんの声がいつもの落ち着いた調子だったから、そのおかげで私も落ち着きを取り戻すことができた。
「エルキドゥさん、どうしてここに」
「借りていた本を返しに来たのさ。入ってみたら暗くて少し驚いたけどね。……それよりも、こんにちは、
「は、はい。こんにちは」
 エルキドゥさんに名前を呼ばれるのは、やっぱりまだ少し慣れない。こそばゆい感じがする。
「何かあったのかい?」
「電球が寿命を迎えてしまったので、交換に来ました」
「ふうん。そう」
 エルキドゥさんは興味なさそうに頷いて、そのままスタスタ歩き出し、図書室の奥へ進もうとする。
「エルキドゥさん? ちょ、ちょっと待ってください、今電気点けますから!」
「大丈夫だよ、夜目は利くほうだから。気にしないで」
 エルキドゥさんは私の静止の声を歯牙にもかけず、本棚の合間へ姿を消してしまった。いまいち釈然としないまま脚立を抱え直して、例のランプの下へと向かう。
 上着の胸ポケットにライトをつけたままの端末をしまい、布地から漏れ出る光で視界を確保する。脚立を開いて固定し、ショルダーバッグから電球が入った箱を取り出す。中身の電球を手に取り、おそるおそるポケットの中へ突っ込んだ。そんな簡単には割れないだろう。
 暗がりの中、足元を確かめながら、ゆっくり脚立を登る。シェードランプに手が届く高さまでくると、つばのところを片手で押さえて固定しながら、駄目になった電球をくるくる回した。ゆっくり丁寧に。
「何か手伝えることはあるかい?」
 私の足元からいきなり声がして、思わず肩が震えた。
「……ごめんね、驚かせてしまったかな」
 エルキドゥさんの申し訳無さそうな声に、私の動揺もすぐに落ち着いた。
「大丈夫です! すぐに終わりますので」
「そう」
 電球をくるくる回すたびに、ソケットの部分からたまにキュッと音がする。
 エルキドゥさんは、まだそこにいた。じーっと観察するような視線を感じるし、一向に立ち去る気配もない。
 もしかすると、今日は自由な日だったりするのだろうか? それとも今だけ?
 なんにせよ、こんな機会はめったに無い。私の方は仕事中であるけれど、これ幸いと話しかけてみる。
「サーヴァントの方たちって、みんな親切なんですか?」
「いきなりどうしたの?」
「さっきもエルキドゥさんとは別の方に、お手伝いの申し出をされたので」
 うーん、と小さな唸り声をあげるエルキドゥさん。
「暇を持て余してるだけじゃないかな? 僕だって、レイシフトに呼ばれなければ退屈でしょうがないよ」
「たいくつ……」
 いったん手を止めて、エルキドゥさんを見下ろした。
「エルキドゥさんも、そういうふうに考えるんですね」
「……うん? どういう意味だろう」
 顔を上げて、再度手を動かす。くるくる回すと、キュイキュイ音がする。
「勝手な話ですけど、エルキドゥさんってなんだか達観しているイメージがあって……時間の感じ方も普通の人とは違うのかなって」
「明確な比較はした事がないけれど、人間と同じだと思うよ」
 人間と同じ。つまり、私や藤丸くんやマシュさん達と同じ。
「じゃあ、エルキドゥさんもみんなと同じように時間が平等に与えられているんですね……あ、わわっ」
 いきなり外れた電球を取り落としそうになった。あたふたしながらなんとか掴んで、ほっと一息。
「大変そうだね。大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
 エルキドゥさんに、みっともない所を見られてしまった。
 外した電球を空いたポケットの中へ。そして新品の電球を取り出してソケットにはめ込もうとするけれど、ほの暗いせいでいまいち上手にはまらない。
、もうちょっと右。……うん、そこだよ」
 エルキドゥさんのナイスアシストでやっと穴にはまった。
 さっきと同じ方向に回転させ、カチッとハマるような音がしてから、今度は逆方向へくるくる回転させる。
「あ、ありがとうございます、エルキドゥさん」
「別にいいよ。……しかし、人間は不便だね。光がなければ視野が制限され、行動もままならくなってしまう」
「そうなんです。そのための電球交換ですよ」
 エルキドゥさんはそれっきり何も言わなくなってしまったので、私も何も言わずに作業に集中する。なんとなくエルキドゥさんの視線をひしひしと感じるのは、きっと気のせいじゃないと思う。私の作業を観察しているつもりなのかな?
 やがて、電球がピタッとはまるように動かなくなった。どうやら回すところまで回したらしい。締めとして少し強めに力を入れて回し、動かないのを確認してから、私はのろのろと脚立を降りはじめる。一歩ずつ慎重に。
 床に降りて一息ついてから、エルキドゥさんが脚立に手をかけて押さえていてくれた事に気付いた。思わず目を丸くする。
 いつからだろう? もしかすると、声をかけてくれたあたりからだろうか? それとも今だけ? いまいち判断がつかず、脚立にかけてあるエルキドゥさんの白い手とエルキドゥさんの顔に視線をさまよわせると、エルキドゥさんは何も言わずにそっと手を離した。
「明かりをつければいいんだね」
「えっ、あっ、はいっ」
 エルキドゥさんは言うなり、くるりと踵を返して足早にどこかへ行ってしまった。一人取り残された私はその場に佇んだまま、さっさとお礼を口に出しておけば良かったと後悔の念に襲われる。
 パチンとスイッチの音が響いて、急に明るくなった。思っていたよりも眩しい。目に痛みを感じるほどだ。片手でひさしを作りながら少し俯いて、光に目が慣れるのをじっと待つ。
 そろそろ大丈夫かな、と手を下ろして顔を上げると、正面にエルキドゥさんがいた。
「ちゃんとついたみたいだね」
「そうですね」
 見上げると、明るい電球がある。明滅もしていない。
「それで、僕には時間も平等だと言っていたけれど、どういう意味かな」
「……へっ!?」
「そんなに驚くような事かい?」
「そ、その……話を蒸し返されると思わなかったので」
「だって気になるだろう? あんな言い方をされてしまったら」
 確かに思わせぶりな事を喋ってしまったような覚えがする。そして申し訳ないけれど、私が何を考えてそんな事を言ったのか、まるっきり覚えていないのだ。
 何を思ってそんな事を話したんだっけと記憶を掘り起こす。エルキドゥさんの時間は、私達とおなじ速さで進んでいる。こんな事を考えていたような気がしてきた。
「……エルキドゥさんって、物がなんで見えるか知ってますか?」
「光の反射。それくらいは知ってるさ」
「そうですそうです」
 私が光を放ち続ける電球を見上げると、エルキドゥさんも顎を上に向けて、同じように電球を見上げた。
「光って、一秒間に30万キロの速さで進めるんですよ。すごい速さですけど、それでも30万キロ進むのに一秒かかるんです」
 いったん言葉を切って顎を引き、視線を光からエルキドゥさんのほうへ。するとエルキドゥさんも同じように私の顔を見返してくる。真っ直ぐにジーッと見てくるから、少し緊張した。
「つまりですね、手で掴むことが出来ない光にも時間の概念があるんです。だから神様が作ったっていうエルキドゥさんも、みんなと同じく平等に時間を与えられていて、人智の外にあるようでいて内側にいたというか、その……そういう感じです。はい」
 だんだん居たたまれなくなってきて、言葉尻をぼかしてしまった。肝心な所でヘタれるだなんて格好がつかなくて、もう消えてしまいたい気持ちでいっぱいになる。
 エルキドゥさんはほんの少しだけ瞼を持ち上げるけれど、私がまばたきを挟んだ次の瞬間にはいつもの表情に戻ってしまった。ただ、さっきよりは穏やかそうな表情で私を見てくる。
「君は、変な事を言うね」
 エルキドゥさんの言葉が私の柔らかい所にぐさりと突き刺さった。とはいえ、自覚があるから反論できない。エルキドゥさんの顔を見ていられなくて、じわじわと視線が下がるにつれ、肩がすぼまっていくような気がする。
「はい。変な事を言ってしまい申し訳ありません。穴があったら入りたいです……」
「入らなくていいから。そんなに投げやりにならないでよ」
 言いながら、エルキドゥさんはふっと吐息を漏らした。
「そうだね。僕に与えられた一秒も、に与えられた一秒も、まったく同じだと思うよ。その一秒を無為に積み重ねていけば、それはおのずと退屈につながるね」
 穏やかに語るエルキドゥさんの声を聞いていると、不思議としぼんだ気持ちがもとに戻っていくような錯覚を覚える。それでも、エルキドゥさんの前で変な事を言ってしまったという棘が刺さったまま抜けない。
「話してくれてありがとう。退屈はしなかったよ」
「……気休めの言葉はご遠慮願います」
「そういうつもりで言ったわけではないんだけれどな……」
 呆れたような、仕方が無いものを見るかのような目つきから逃れるように顔をそらす。そのまま脚立の後ろに移動してみるけど、エルキドゥさんの視線が追尾してくる。それを気にしないように努めながら、脚立をたたむ。
「それならば、が考える人智の外にあるものって何かな?」
 言葉でちくちくとつつかれる気分だった。
「死、でしょうか」
「そう考えた理由を教えてくれるかい?」
 食いついてくるなあ。畳んだ脚立を本棚のふちに立て掛け、思案を巡らせる。
「んんと……死は訪れた瞬間に、当事者の記憶の連続性が失われます。死んだ人を『死んだ』と認識できるのは、その事象を確認した観測者だけで、死んでしまった当事者は『死』を体感することはもちろん、実感も得ることもできません。むろん、意識を保ったまま『死』を抱え続けることも不可能です。死に至るまでの過程に時間の概念は発生するけれど、死そのものに時間の概念が適用されているとは考えられません」
 喋り終わってから、ごそごそとポケットを漁る。
「この電球みたいなものでしょうか。この子はもう連続して光ることが出来ないから、私とエルキドゥさんに死んだものとして観測されました。じっさい、この子はもう連続性が失われていますし、あとは廃品として処理されるだけです」
 ショルダーバッグから空箱を取り出して、死んでしまった電球を箱の中に収める。棺に取って代わったその箱を再度ショルダーバッグにしまってからエルキドゥさんの顔を見ると、なんともいえない表情を浮かべていた。
「や……やっぱり変な事を言ったって思ってますか? 思ってますよね?」
「ううん、そんな事はないよ。……ただ、僕としては少し思うところがあってね」
「思うところ……」
 復唱しながら、目をしばたたかせる。
「やっぱり変な事」
「違うよ。……まったく、人の話を聞かない子だな。別に恥を感じる必要はないよ」
 エルキドゥさんは私の言葉を遮るように言った後、演技っぽく肩をすくめてから目を細めて微笑んでみせた。なんだか子供扱いされているような気がしなくもないけれど、エルキドゥさんは遥か目上の人だし子供扱いも当然の事だ。
 そんな目上の人に馴れ馴れしく大層な口を利く私に、エルキドゥさんは怒る素振りもみせない。もう少し踏み込んでみてもいいんだろうか? いまいち距離感を測りかねる。
「興味深い話だったよ。……死は訪れるものか。それは他人に命を奪われるような事であっても?」
「そうです。何かをしてても、何もしなくても、誰にでも平等に訪れるものです。そのタイミングに個人差があるから、太く短く生きる人もいれば、細く長く生きる人もいますし、綺麗な打ち上げ花火みたいに散ってく人もいるでしょうし」
「そうか。はどういう風に生きたい?」
 すごい事を聞いてくるなあ。とはいえ、死について語った私が言えた立場じゃないけれど。
「そうですね……太く長く生きたいです!」
「なるほどね」
 納得したのか、エルキドゥさんは頷いた。
「しかし、君の年齢でそこまでの見識を得ることができるんだね。僕が生きていた神代と比べて現代はぬるま湯のようであり、生死の境目も曖昧になって無頓着となり、逼迫さを失い弛緩した環境だと思っていたけれど、認識をあらためたほうがよさそうだ」
 買いかぶっておられる気がする。
「今は平和だから考える余裕があるという事ですよ。それに、私の育った環境が少し他とは違うからそうなっただけなので……こんなので認識を改められても荷が重いというか、なんというか……」
「他とは違う? どういうふうに?」
 エルキドゥさんは首をかしげる。
「聞きたいですか? ここから先は有料になりますよ?」
「有料……お金を取るの?」
「はい!」
 目を丸くするエルキドゥさんに手のひらを差し出す。するとエルキドゥさんは私の顔と手のひらを見比べて自分の手を乗せようとしたので、私はすぐに手を引っ込めた。
「お金は、持っていないな」
 どことなくシュンとしているエルキドゥさん。冗談がすぎてしまったみたいだ。でも私のような小娘に良いようにあしらわれてこんな風になってしまうのも、兵器を自称する身ではどうかと思います。
「他とは違うと言っても、私の両親が研究者の中でもひとかどの人間だったんです。ただそれだけですよ」
「なるほど。でも、それだけで君みたいな考えを持つようになるものなのかい?」
「ん!」
 手のひらを差し出すと、エルキドゥさんはキョトンとして、それからまばたきを数回繰り返して、眉間にほんの少しシワを寄せた。しかめっ面である。
「ん!」
 そんなエルキドゥさんに負けず、手を突き出して更に催促してみると、
「だから、持っていないよ……」
 またシュンとしてしまう。エルキドゥさんの表情がコロコロ変わるのがちょっと面白い。
はもしかすると、僕と話をしたくないのかな?」
 面白がっている場合じゃなかった。慌てて手を引っ込める。
「そ、そんなことないですよ!」
「なら、どうして言葉をかわすのに金銭を要求するんだい? おそらく君なりの冗談だとは理解しているけれど、裏を返せば僕には話したくないということ他ならないだろう?」
 真正面から言葉で殴りかかられてしまい、私はぐうの音も出なかった。
「ち、違います!」
「何が違うのかな?」
「その、全部喋ってしまったら、エルキドゥさんはきっとそれで満足しますよね?」
「うん」
「そうしたら、なんとなく話す機会が減っちゃいそうで。小出しにしたほうが話す機会も増えるかなって……」
 エルキドゥさんが日頃私に構うようになったのは懐いたからじゃなくて、興味があるからだ。それは私に感心があるという意味ではなく、私から何か有意義な情報が引き出せるのではないかという意味合いのもの。おまけに私の引き出しなんて小さくて限りがあるし、吐き出せる量は微々たるものだ。エルキドゥさんはその知識欲を満たした瞬間、私に対する興味を失うはずに違いない。
 エルキドゥさんは反応を見せずに、無言で私を見つめている。なんだか決まりが悪くて、私も口を閉じて無言になるほかない。でも目は逸らさない。
 しばらくして、
「……ふふ」
 エルキドゥさんが、声を出して笑った。
「わ、笑わないでください」
「笑ってないさ」
「今笑ってますよ!」
 声を荒げる私にエルキドゥさんはまた笑う。
「それなら、すぐに教えなくてもいいから。でも、いつか話してね。約束だよ」
「……は、はい」
 エルキドゥさんが私に投げかける言葉はまっすぐで、視線はとても素直だ。だから、私も素直に応じる意外の選択肢が用意されていない。
 私の返答に満足したのか、エルキドゥさんは満足気に目を細める。それを合図に、私もエルキドゥさんから視線をずらす事ができた。
「……それではエルキドゥさん、私は戻ります。ごゆっくりどうぞ」
「そこまで長居はしようとは思わないけれど。うん、またね」
「はい、また今度」
 脚立を肩に抱えると、エルキドゥさんがひらひらと手を振ってくれる。私はそれに空いた方の片手で応じて、くるりと踵を返した。振り返らずに進む。振り返ったらまたエルキドゥさんに構ってしまいそうだった。
 図書室を出たとたんに、不思議と大きなため息が出た。作業に戻るにも、まずはこの借りてきた脚立をあの倉庫へ戻さなければ行けないという現実がのしかかってくる。気を引き締めるために大きく息を吸い込んで、私は廊下を小走りで進んだ。