−4月−

4/1 家族で行った九州の国営「海の中道海浜公園」は桜も満開で,自転車に最近乗れるようになったばかりの娘にとっては最高のサイクリングコースもありました。また,アシカやイルカのダイナミックなショーが見られるマリンワールド,動物と直接触れ合える動物の森,遊園地,5,000平方メートルの花畑,3,000平方メートルのバラ園,7.3haの広さの池でのサイクルボートなどすばらしい施設がありました。そして,クロマツの原生林を抜けて行くと,無料で木工作ができる「森の家」があり,ここには2日共行って親子で工作に熱中してしまいました。やはり自然の素材を使った工作は面白いですね。今年の図工にさっそく取り入れようと思っています。

4/2 「暗いと不平を言うよりも,すすんで明かりをつけましょう。」早朝のテレビで何かの団体が流していたコピーです。年度当初,校務分掌を決める時はこの言葉を思い出しながら引き受けることもあります。

4/3 仕事を人にやってもらう方が一見楽そうに思えますが,そこまでの仕事の分担のいざこざで気を遣う心苦しさを味わうくらいなら,自分が引き受けて「自分がやりさえすれば済む」状態の方がよほど気分が楽になります。

4/4 自分の喜びは人の喜びにならないのが世間。せめて学校の中では,子どものほんのささいな喜び,発見,驚きにしっかり共鳴し,共感し,大いに反応していきたいものです。

4/6 「自覚実行」 高学年を持った時,最近はずっとこれを学級経営目標にしてきました。高学年として学校全体を動かしていく立場としての自覚と実行という意味と,小学校の最終段階として学習のまとめをしていく自覚と実行の2つの意味を込めていました。中学校でこれを使ってもらったこともあり,高学年用としてはなかなか気に入っていたのですが,今年はそろそろガラッと変えようと思っています。

4/7 ある郵便局で,いつ行ってもとても感じの良い所があります。全体の雰囲気が温かいのです。普通のコンビニなどのデジタル的挨拶言葉より,よほど血の通った対応をして下さいます。学校に訪ねて来られた人は校内に入ってどんな感じを持たれるのでしょうか。ほんの一瞬の対応のイメージがその学校の臭いになってしまうこともあるかもしれません。人に媚びるという意味でなく,人に対する当たり前の態度として,あの郵便局の空気を私は意識しています。

4/8 先日バラを3本,と赤のハナミズキを1本ずつ植えました。バラもハナミズキも,植えた次の日から花が開き始め,毎日の楽しみを増やしてくれています。日曜には花の苗を112本花壇に植えました。まず家族で草取りから始め,半日かかって植え終わりました。こんな日がずっと続けばいいなあと,記念写真まで撮りました。

4/9 学校から出される通信類で一番子どもたちに読まれているのは何だと思われますか? 答えは「こんだて表」です。できればその次ぐらいに読んでほしいと思っている学級通信の今年の名は「Challenge(チャレンジ)」にしました。8日に発行した第1号の最後には次のように書きました。毎年意識的に通信は手書きにしています。
 −−−「チャレンジ」には「挑戦」「課題」「難問」「やりがい」「覚悟」「疑念」「説明要求」などの意味があります。今日から学級の様子をこの「Challenge(チャレンジ)」で伝えていこうと思います。家庭と学校で束になって子どもを認め,励まし,鍛えていきましょう。−−−
 そういえばカードゲームの「UNO」にも「あやしいと思ったらチャレンジをコールすることができる」という言い方で「チャレンジ」という言葉を使ってありますね。

4/10 ある問題が起きて,学級会などで話し合いをするようになると,子どもも教師も大きなエネルギーが必要になります。人の気持ちについて真剣に考え合うことは大切ですが,それだけではいくら小さな問題でも,「理解はできても,納得はできない」「分かったけど,許せない」ということもあります。理性に感情が勝ってしまう場合です。

4/11 「分かったけど,許せない」の反対は,「なんやよう分からんけど,まあええわ」という感じのものでしょう。これは性格の問題というより,どちらも人間関係が根っこにあるものです。問題が起きないようにするために人間関係をつくるのではありませんが,普段のかかわりがあり,時々のガス抜きを教師が意図的に行っていれば,お互いにトゲもささりにくくなるはずです。

4/12 学級経営はまるで遠足の列のようなものです。遠足では,つい気を許して楽をしていると,いつの間にか前と間が開いていて走って追いつく苦労をしなければならなくなります。学級も,平和だからとつい気を許していると,いつの間にか陰でいじめが起きていたり,馴れ合いになって指示が通らなくなったりすることがあります。一度崩れた態勢を元に戻すには大変なエネルギーが必要になります。平和な時こそ,前の列についていくための少しの緊張感と努力を継続することで,急に走る必要も少なくなるはずです。

4/13 教室のイスに座った話し合いで「仲良くしようね。」と言うのは,家庭科の「楽しい会食」の単元で「さあ,今から楽しい会話をしながらサンドイッチを食べましょう。」と言われるのと同じような白々しさが漂ってきます。生活の中の問題性を見抜く力も当然つけていかなければいけませんが,ささいなことまで問題にしてしまう人間関係にならない集団づくりも当然必要です。しかし,関係づくりのゲームやイベントを仕組めばいつでも子どもが喜ぶとは限りません。

4/14 かかわりづくりの一つとして,朝会でゲームをすることを嫌がる子はあまりいませんが,これを夕会に行うと面白味も半減する子が出てきます。小学校では「放課後」,中学では「クラブ」を楽しみにしている子がいます。以前,かつて経験したことのないほどまとまりのないクラスに出合ったときは,この朝のゲームを1学期中ほとんど毎日行っていきました。関係づくりに言葉はいりません。とにかく体を動かし触れ合うこと,心をほぐすことを1日の始まりに行おうと思いました。

4/15 ゲームをしていると,小さな問題も起きてきます。そこでお互いの本性を出し合い,いざこざを経験し,収束をはかっていくことでガス抜きができることもあるし,そこから新たな問題への火種をつくってしまうこともあります。「かかわりづくり」は予防接種のような側面があります。体調が良い時に行えばそれなりの効果もあるし,調合や体調の判断を誤るとより体を弱めることもあります。ただどちらにしても少しの間試みて効果のあるなしを判断できるものではありません。100日,100回,月では3ヶ月ぐらい続けてみるのが「かかわりづくり」や「学力づくり」等に費やす時間の一つの単位だと思います。

4/16 「体を弱める予防接種」 ゲームをすることでよけい人間関係に悪影響を与えることもあります。例えばゲームを始める前の,「○人組になりなさい。」というような指示です。これは最悪の指示の一つだと思っています。自分が言われてみれば分かります。どんな集団でも相性や好き嫌いはあるものです。子どもどころか教職員の中にでもあるはずです。そういうものを白日の下にさらすような残酷な仕打ちをなぜするのでしょう。一人残されて泣いている子に「なぜ 入れて下さい って言っていかないの!」と叱るように言われている場面を見たことがありました。「荒治療」として,そこから関係の改善,意識の変革を図っていけるという理論が成り立つのでしょうか。人間関係の階層化,序列化をより促進してしまう危険性はないのでしょうか。

4/17 五木寛之さんの「生きるヒント」だったでしょうか,その中に「毎日何か良かったなと思えることを探していく」ということが書いてありました。そう思っても最初はなかなかいいことが見つからなかったそうですが,そのうちに「今日食べたラーメンが美味しかったな」とか小さなことも喜びに思えるようになってきたそうです。同じように,子どもをほめることが大事だ,とは分かっていても,常に何かほめよう,どこかほめようというような意識がないと,「あれども見えず」になりそうです。

4/18 心をくすぐるほめ言葉には,普段私たちが思っている以上の大きな秘められた力があるように思います。扱い方次第ではモルヒネのような危なささえ感じます。昔からその本当の威力,魔力に気づいていた人は様々な場面でこっそりと使ってきたはずです。縁台将棋のような場では相手の手を褒めちぎり,まいったまいったと言いながら最後は自分が勝つような策士もいます。また,妻が夫を上手に扱う常套手段でもあります。使い方次第で慢心から人をダメにもし,潜在能力を引き出しもします。

4/19 もうずいぶん昔ですが,某国営放送の実験番組で,2つのグループにそれぞれ違う管理方法で作業をさせ,どちらが正確に早くできるか調べていました。Aグループは厳しく厳格に指示,管理し,Bグループは優しく評価し,おだてながら管理するのです。確か,最初の時点ではAグループの方が作業能率も高く,良い成績だったのに,後からそれをBグループが抜いたように覚えています。

4/20 例えば「窓を閉める」という仕事をある子にさせるとします。毎日仕事の遂行のチェックを教師が行い,できていない場合厳しく注意し,その都度練習もさせていく方法と,できていなくてもあまり厳しい注意はせず,できた時を待ってその時大いに感謝し,みんな助かるよという語りかけをしていくような方法では,厳しい方が責任感も育てられ,仕事も確実に行うはずです。しかし,その仕事の役が終わってからでも窓を閉めるかもしれないのは,後者の指導の方かもしれません。

4/21 つい最近,ラジオで聞いた話です。金メダルを取った柔道家が大学の柔道部の監督になって最初の2,3年全然だめだった部が,監督を辞める最後の年に初優勝したそうです。その人の話では,自分が今までこうしてきて強くなったという方法では全く効果がなかったというのです。それで,一から出直しで様々な講習を受け,教え方を変えたそうです。

4/22 それまでの自分のやり方ではダメだと分かり,教え方を変えて初優勝するまでに育てることのできたその方法とは,「ヨイショ」だったそうです。相手をほめて「乗せる」ように工夫したというのです。そして,相手の自分の柔道,自分の人間性,自分らしさを作っていくお手伝いをするんだという考えになって強くなっていったと言われていました。社会が変わり,人も変わってくると,いい悪いは別として,昔の方法では通用しなくなることがあるようです。その柔道家の名前は斉藤仁。オリンピックで2度金メダルを取り,現在国士舘大学の助教授をされています。

4/23 「短所」は見えやすいものです。そして,教師としてはついそこをつつきたくなるものです。「よりよく」していこうとして。基本的で大切なことですが,これは一つ間違うと暗い暗い世界へ迷い込むことにもなりそうです。逆に,よく言われるのに,長所を伸ばすことで短所が目立たなくなることもあります。

4/24 「長所を伸ばす」 こちらは明るさがあります。子どもの良い点を見つけてより伸ばそうとするか,不十分に思える所に目を向けて何とか補完しようとするか,どちらも大切なのでしょうが,教師の性格によってどちらかにかたよりがちでもあります。どちらにしても,中華料理のテーブルを回すように,自分がじっとしていて周りを動かそうとするか,斉藤さんのように輝かしい自分の過去のうまくいった方法に固執せず自分を変えて指導していくかでは,自ずと結果は違ってくるはずです。

4/25 私は新採の頃,子どもたちの描いた絵を鑑賞,評価していて泣かせたことがあります。「ここはこうすればいいね。」というような話をした後,その絵を描いた子を見ると,目に涙をためていたのです。その時から一切絵については,ほめる所ばかりを探すようになりました。「ほめて,乗せる」というのは,例えば穴があればそこを塞ごうとするのでなく,まわりを厚くしていくことで自然に穴も小さくしていくということなのかもしれません。一滴のインクがコップの水の中に入ると目立っても,水をバケツやドラム缶のような量にしていけば,目立たなくなるようなものかもしれません。

4/26 人心の掌握は学級経営に限らず,社会一般の「経営」上大変重要で難しい要素です。人の心を川の魚に例えると,ある子に課題を持って直接話しかけていくのは,川の中にすくい網を持ってザブザブ入って行ってすくい捕ろうとするような積極的な行動です。それに対して川の外から釣り糸を垂らしておいて,魚の方から寄ってくるのを待つような一見消極的で,気の長い方法も考えられます。

4/30 子どもたちの思いを知ろうとして,話しかけていくにしても,そこは人と人,なかなか本音を出してくれない場合もあります。追いかければ追いかけるほど口をつむってしまいかねません。時には急がば回れで,子どもの方から話しかけてきてくれるように努力をしてみることもあります。直接語りかけるのでなく,その子が興味を引きそうな話題を全体の中で出していき,またその子でも話しかけてきやすいような壁の低さを演じていきます。

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