−10月−

10/1 −笑い7−
学級で何気なく子どもたちと話していれば,笑える話も自然と出てくるものです。しかし,それを意識的に毎日,毎朝続けていこうとすれば,少々の努力が必要になります。しかも相手は一筋縄ではいかない冷静に判断する厳しい批判精神を持ったクラスです。朝会で,「先生から」と日直の子が言った後,連絡,注意以外に子どもたちが興味を持ち,「笑い」にもっていけるものを必ず入れるようにしました。ここでいつか自分のペースに持ち込むことができるようになったら,人間関係もスムーズなものになっていくだろうと思っていました。

10/2 −笑い8−
「先生はみんなの笑い物ですね。」その前の学校で真面目な女の子が私にこう話しかけてきたことがありました。私は「おいおい,それ,ちょっと言い方が違うんじゃないの。」と言うと,「あっそうか!」とすぐ訂正してくれて,ほっとしたことがあります。

10/3 −笑い9−
4年前に転勤して持ったクラスについて,4月16日(木)には「今は子どもとの我慢比べ。いいところをほめてほめて,方向付けをしていくつもり。」と日記に書いていました。次の17日(金)には,「今週は一週間が早く過ぎる。学校で大休憩に子どもたちが「先生,遊ぼう。」と言ってくる。タイヤ跳びでジャンケンをする。放課後,女子3人(例の「さむゥ〜」の女子)がいっしょに白髪を抜いてくれる。下校時間には,「先生さようなら。」と言いに来てくれる。」と書いています。この時期は,毎年同じことですが,特に「朝の話」や「いっしょに遊ぶこと」「挨拶をすること」などに力を入れています。やはり「遊び」には大きな意味があります。そして,5月1日(金)には「子ども達との関係を今日初めて形勢逆転させることができる。明日は分からないが,とにかくユーモアの質と迫力とリズムが必要。」そして,次の日「久し振りに子どもが僕の給食を大盛りにしてくれる。」と単純に喜んでいます。

10/4 −笑い10−
学校に近づくと腹が痛くなり,教室に入る前に自分に気合いを入れていたクラスを,結局3年間担任し中学に送りました。その子たちの弟の一人が「お姉ちゃんが,小学校が面白すぎたので,中学校が面白くないと言っていました。」と教えてくれたことがあります。努力はしてみるものだと思いました。今はかつてのような緊迫した状況はなく,毎日をのほほんと以前のように過ごしています。嵐の「後」の静けさといったところでしょうか。

10/6 −笑い11−
笑いにもいろいろありますが,あの子たちがいた時,腹を押さえてヒーヒー笑っていたことがありました。そういう笑いは普通の「言葉」による笑いの誘発ではなく,「イメージ」によるものが多かったように思います。例えて言えば,普通の笑いが「仕事でつき合っている者同士の笑い」としたら,腹を押さえる笑いは「同窓会で話している時の笑い」のようなものです。他の人にとっては簡単なことであったり,陳腐なことなのかもしれませんが,私にとっては人格を作り替えるくらい大きな変換点でした。

10/7 −聞く(1)−
病気休暇を3ヶ月ほど取って職場に復帰した時,子どもたちがなかなか話を聞けないなぁと感じたことがありました。休む前もそうだったのかもしれませんが,こちらが話していても何となくざわざわしている状態に「あれ?こんなだったかな?」と思ったのを覚えています。今までの学校で特に子どもたちが話を聞いていないと思われるクラスにはある共通点がありました。

10/8 −聞く(2)−
「共通点」それは,教師の話し方です。言葉が次から次へと出てくる教師のクラスの子はその状態に慣れてしまうのでしょうか,教師が話していてもそれぞれ自分の世界に入ってしまって,まるでBGMを聞いているみたいに言葉を聞き流しているように見えました。また,話の内容が平凡だったり,話し方に抑揚がない場合も当然聞きません。

10/9 −聞く(3)−
ただの連絡事項にしても注意にしても言葉数はできるだけ少なくし,センテンス毎に区切って間をとりながらそれなりの雰囲気をつくって話せば,少しは聞く人数が増えるのではないでしょうか。テレビやラジオで聞いていると,同じセリフでも素人が言うのとプロの声優や俳優が言うのでは全く違うものになります。あれだけ言葉に力を持たせられたらなといつも思います。そこまではいきませんが,自分の今でも覚えている「いくらか聞いてもらえた」経験がいくつかあります。

10/10 −聞く(4)−「送別式1」
初めて勤めた小学校は児童数約1800人ほどの大規模校でした。その学校から転勤する時,送別式に行くと,体育館いっぱいに2年生以上が集合して,案の定いつものようにざわざわがやがや騒いでいました。60人近く教師がいるので,転勤する教師も7,8人になります。それが全員お別れの話をする訳ですから,聞かされる子どもたちもたまったものではありません。中には顔もよく知らない先生もいるはずです。

10/11 −聞く(5)−「送別式2」
一人,二人と転勤される先生が話されていきます。ざわざわは続いたままです。その学校にいて思っていたことは,集団はある数を超えると統率できる限度を超えるということです。2年生だけで7歳や8歳の子どもが約300人。それに加えて3年〜6年と各300人ずつ集まっているのです。自分の順番を待つ間どうしたものか考えていました。そして,最初が勝負だと決めました。

10/12 −聞く(6)−「送別式3」
私の挨拶の番が来ました。演台を前にして立ち,礼をした後少し間を取りました。「1,2」と数えるほどのわずかな間です。その間全体を見つめました。前に立った者が礼をして,当然これから「話す」だろうと思っているところへ,一瞬「話さない」という状態をつくることで,まず最初の関心を向けさせたいと思いました。人は周りの環境が予定通りの反応をする時は自分の世界を中心にしますが,何か予想外の事態が起きると関心をそちらに向けるものです。「変化」「変則」「不規則」「非常識」は「珍しさ」「好奇心」「こわいもの見たさ」の心をくすぐります。いわゆる「外す」というパターンです。しかし,「静かになるまで待つ」ような野暮なことをしていては,1000人を超える子どもたちはより騒がしくなってしまいます。

10/13 −聞く(7)−「送別式4」
全体を見つめた後,少し息を吸ってから話を始めました。まず自分の新しく赴任した学校の様子について,次にその学校の地域性を顕著に表している一人の子の日記の内容について,そして最後にこの学校で学んだことについてだったように思います。平凡なよくある内容ですが,話し方としては,センテンスを小さく区切って,間を取りながらゆっくり話していきました。例えると,「むかし・・・,むかし・・・,ある所に・・・,小さな学校がありました・・・。」といったような感じです。

10/14 −聞く(8)−「送別式5」
小さく区切って間を取ることで,いくらか聞くようになります。そして,一番会場全体が静かになり,聞く態勢になったのは,転勤先の学校の子が書いていた日記の内容の紹介をした時でした。手伝いのことでしたが,地域性の違いでこちらでは経験できないような内容でした。送別式が終わって数日経つと,転勤した先生方から転勤の挨拶文が届きます。その中の一つに「送別式での話は印象的,効果的,感動的でしたね。」と書いて下さったものがありました。しかし,本当はどんな話であろうと「聞く時は聞く」という態度の育成をこそしていかなければならないのが,私たちの仕事だとは思っています。

10/15 −聞く(9)−「披露宴1」
友人の結婚披露宴に招待され,友人代表としてスピーチしなければならないことがありました。何を話そうかなと思っているうちにその日が来て,まぁ往きの新幹線の中でと思っているうちに会場に着いてしまい,少しあわてながらロビーで考えたのを覚えています。そんな時思い浮かぶのは,会場で話している途中頭の中が真っ白になり立ち往生する姿です。冷や汗が流れていました。

p.s:Mさん昨日の研究会にわざわざ来て頂きありがとうございました。人格を変えなくても楽しくできる英会話授業のための他教科の授業作りに対するこだわりに反応して頂いたことを嬉しく思っています。

10/16 −聞く(10)−「読まないこと」
話す内容を紙に書いて読めばいいのでしょうが,それではやはり硬くなって聞く方も味気ないでしょうし,「読まないこと」にこだわっているところがあります。今日(16日)は私の学校の公開研究会がある日ですが,この中で行う実践発表も原稿を一度も書かずに発表します。学校の職員には実際に一度聞いてもらいご意見を頂いています。今年で3年連続の発表になりますが,いつも原稿なしで行っています。今年はパソコンの勉強をして,パソコン1台でビデオも音楽も流しながら20分かけて発表します。

10/17 −聞く(11)−「困ること」
とにかく,冷や汗を流しながら直前までスピーチの内容を考えた披露宴が始まりました。大勢の招待客の中でまずは重要な方々からの挨拶が続きます。しかし会場は話の最中も何となくざわついていて,あまり話も聞かれていませんでした。正直まいったなあと思っていました。というのも,自分の時にただ静かに聞いてほしいからという訳ではなく,私の考えた話の流れとしては,ある程度会場の笑いをとることを前提にした内容にしていたので,それが全く聞かれていなくて,結果的に自分一人が変な受け狙いの話をしながら見事に外れているような寂しい状況になりそうな予感がしたからです。

10/18 −聞く(12)−「友人代表」
いつもそうですが,スピーチを控えていると,その仕事が済むまで食事もゆっくり味わえないものです。そしてとうとう友人代表として司会者から呼ばれます。周りは騒がしいままで,やれやれと思いながらマイクを持ちます。もうここまできたら腹を据えるしかありません。「○○家,○○家の皆さん本日はおめでとうございます。私は○○君の友人代表としてスピーチを頼まれたのですが,大体友人代表の挨拶なんていうものは,新郎の独身時代の悪行を有ること無いこと暴露して,新婚初夜の夫婦喧嘩の種をばらまいておいて,本人は御馳走を食べるだけ食べてさっさと帰る。というのが普通なんでしょうが,彼の場合学生時代とても真面目で,例えると数学者のようでして暴露するような素行の悪さがあまり思い浮かばなくて困るのですが,まぁ,やってみます。」ここで笑いが生まれました。そしてこのあたりから「聞く」空気も生まれてきたように思います。

10/19 −聞く(13)−「起承転結」
「まぁ,やってみます。」のところでは「笑い」をとることを想定しているのです。これがもし聞かれていなくて,ざわざわした中でそのまま通り過ぎてしまうと,ほとんど意味の無い部分になってしまいます。話の中に聞く者の予想を「外す」部分をつくることで,聞く者におざなりでない聞き方をさせるようになるのではないでしょうか。感覚としては,「耳」で聞くのでなく,「目」が聞こうとするような感じです。そしてできれば話全体がいくつかの起承転結のある短い段落の集まりになっているような構成になると,聞く者も退屈しないはずです。

10/20 −聞く(14)−「披露宴2」
ついでに披露宴での話の一部を−−−「・・・高校生時代,彼はよく勉強していました。大学受験を控えていた頃は学校で「昨日は家でシャープペンシルの替え芯1本が全部なくなるまで勉強をした。」とか言っていたこともありました。それを聞いて私はてっきりよく芯を折る奴なんだなと思っていました。・・・大学時代にも2,3度,教職に就いてからも何度か会って話したことがあります。その時休みの日にはどうしているのか聞くと,何と学校に行って生徒を集めてクラブの指導をし,その後勉強を教えていると言うのです。すごいなあと言うと,「みんなそう言うが自分は全然無理をしていない。やりたいからやっているだけだ。」と言うのです。それを聞いてよけいすごいなあと思いました。ただ,気の毒なのはその学校の生徒です。せっかくの休みを三十過ぎの独身中年教師の相手をさせられて。・・・」会場の静けさと笑いから,こちらの話に関心を持ち「聞いて」くれるようになった雰囲気を感じていました。

10/21 −聞く(15)−「披露宴3」
スピーチの最後の部分です。「・・・という訳で新婦の○○さん,新郎はとても誠実で才能豊かな男性です。どうぞ使用上の注意をよくお読み頂いて,健康のため使いすぎに注意されれば,末永くご使用に耐えると思いますのでよろしくお願いします。本日はおめでとうございます。」ちょっと毒舌っぽかったのですが,後日人づてに,彼のお母さんがあのスピーチが良かったと言って下さっていたと聞きました。

10/22 −聞く(16)−「命の集会」
「いくらか聞いてもらえた」経験の紹介その3です。何年か前に道徳を主題にして校内研究をした年がありました。学期毎に価値項目の中から重点課題を決めて取り組んでいきます。ある学期は「命の尊さ」を中心に「総合単元的学習」と呼ばれる方法により,様々な教科で取り組み,学期の最後には取り組みのまとめとして,「命の集会」という集会で各学級で学習した内容の発表を作文等を通して行いました。

10/23 −聞く(17)−「先生方から」
全ての発表が終わると,「先生方から」という流れがこの学校でのいつものパターンでした。普段は私はあまり出ていくことをしていなかったのですが,この集会では何か言わなければいけない雰囲気でした。しかし,命の大切さをそのまま説いても聞き流されそうです。いつもはそんなに命の大切さを感じていないこと,でも今生きているということは本当はとてもすごいことなんだというような内容を小学生に「聞かせる」にはどうすればいいか集会の途中から考えていました。

10/24 −聞く(18)−「犬」
集会の最後,「先生方から」になりました。それぞれ先生方が感想等を話されていきます。あまり遅くならないうちに私も前に出て行きました。「犬が1匹・・・,道を歩いていたとします。その目の前に1万円が落ちていたとします。犬はどうするでしょうか・・・。そのお金を使えばおいしい肉をいっぱい買うことができるのに,犬は1万円を拾いませんね。それは,1万円の価値が分からないからです。」

10/25 −聞く(19)−「命」
「みんなは今日,命について考えましたが,普段「命は大切なものだ」と考えているでしょうか。今生きていることをみんな当たり前だと思っているかもしれませんが,気をつけていないと今日帰る時に事故に遇うかもしれません。命なんていつなくなるか分からないものです。今生きていること,命があることをありがたいと思えず,命の大切さにきづけなかったとしたら,それはとてももったいないことだと思います。今日の発表を聞いてみんなよく命について考えたことが分かりました。みんなの命は家の人から受け継いだものです。みんな一人ひとりは家の人たちにとっても大事な大事な命です。自分だけの命ではありません。今日の集会を機会に,自分の命を与えて下さった家の人へ感謝できる気持ちも持てるようになってほしいと思います。」話し終わると,子どもたちが拍手をしてくれました。「先生の話」で,拍手をもらったのは後にも先にもこの時だけでした。聞いて,納得してくれたサインだと受け取っています。

10/26 −聞く(20)−「習慣化」
朝起こされて起きている子はいつまでも自分から起きるようにはなりにくいように,静かにさせられてから話をきかせられている子は自分から注意して聞くようにはなりにくいはずです。聞く力,聞こうとする態度を育てるために,注意して聞いていないと自分が困る状況をつくることもしていきます。様々な場での各種の注意,連絡,指示等を行う時騒がしくしていてもそのままで,分かりやすくゆっくりはっきり,しかし一度だけ伝えます。その後の質問には「今言った通りです。」というパターンを繰り返していきます。とにかく聞いていないととんでもないことになるイメージを身に染みこませるぐらいの覚悟で毅然としつこく続けていきます。

10/27 −聞く(21)−「確認」
今はしていませんが,以前は全校朝会で校長先生の話があった後,教室に帰って今日の校長先生はいくつの話をされたか,それぞれ何の話だったか毎回聞いていたことがありました。その場で「聞きなさい」という注意では,いつまでも自らの態度として「聞く」という習慣はつきにくいと思ってのことです。子どもたちは教室に帰ってから話の内容を聞かれ,答えられないと休憩時間に校長室まで行って何の話だったか再度聞いてくることになっていました。しばらくすると,朝会時に指を折りながら話を聞いている子も見られるようになりました。当然校長先生には事前にその主旨を説明し,再度聞きに行く了解は得ていました。これも全て子どもたちの「聞く」態度の育成のためであり,決して校長先生の話が長いとか,内容のある話をするようにとかいうメッセージを送っていたわけでは絶対にありません。

10/28 −聞く(22)−「発信と受信」
小学校では授業の中で教師の説明が2,3分も続くと「講義式」の授業ということで批判を受けます。教師はできるだけ子どもに発言,作業,話し合い等の「活動」をさせようとします。このような「教師の発言は短く,子どもの発信を多く」という形ばかりがいつも繰り返されていると,子どもたちの中には「聞く」という受信の姿勢が長続きせず,つい途中で口を挟んだり,体が動き出したりする状況がみられるようになるのではないでしょうか。イメージとしては「動かす筋肉」は発達しても「じっとしている筋肉」が育たないという感じです。

10/29 −聞く(23)−「慣れ」
「聞く」という態度に問題があると思われる場合は,朝会や夕会,時には授業の中でも5,6分間ぐらい,子どもがつい聞いてしまうような話を教師がして,「じっとして聞く」という体験をさせ,聞くことに体を慣れさせていくことも大切ではないかと思います。新採の頃は朝会で話す内容を前日に考え,思い浮かばない時は事典や歳時記を参考にしてノートにメモしていました。その当時の今でも覚えている印象的な小さな2つの出来事があります。

10/30 −聞く(24)−「電子レンジ」
新採の頃朝会で話した話で今でも覚えているのは「電子レンジ」の話だけです。ある日保護者の方が,娘から毎日いろんな朝の先生の話を教えてもらうのを楽しみにしていると話して下さったことがありました。その時,「娘が,お母さん電子レンジからはね・・・というような話をしてくれるんですよ。」と言われたことを印象深く覚えているからです。「聞く習慣付け」のための取り組みは,家族との会話の材料になることもあるようです。

10/31 −聞く(25)−「静かに」
最初の小学校は43名のクラスでした。時には朝の話をしていてもおしゃべりが起きることもあります。ある日,話をしている途中私語が目立つことがありました。その時,どうせ大した話をしているわけではないからと,気になりながらも「ひょっとしたら」というある思いも持って,別に注意もせずそのまま話していました。すると,ある男の子がその私語をしている子たちに「ちょっと静かにして。」と注意をしたのです。聞こうとしても隣の声が邪魔になって聞こえにくかったようです。私は意識的にその時少し声を小さくしていました。「ひょっとしたら」というのは,私語が目立った時,こういう場面が起きたらなあという期待だったのですが,あまりにもそれにピッタリの成り行きに,印象深くこの時のことだけは昨日のことのように覚えています。それからは,こちらが「静かに」と言わなくても聞く者がつい周りに注意をしたくなるような話にすればいいのだと悟ったように思ったものですが,なかなかこれは難しいものでこれが最初で最後のヒットでした。

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