−6月−

6/1 どうもこの東大寺のガイドさんに遭遇された方が私の知り合いにも何人かおられるということが,このHPを通して分かってきました。その方々は,こんな話覚えておられるでしょうか。「これが奈良の大仏さんです。頭をよく見て下さい。・・・パンチパーマです。」「あの2頭のシカを見て下さい。あの2頭は兄弟です。なぜ分かるか。・・・顔が似ています。」「向こうに見えるのが奈良の街です。あの○○の隣にあるのが・・・おじさんの家です。良かったら訪ねて来て下さい。お茶をごちそうします。」

6/2 修学旅行から帰った次の週に表現朝会があり,旅行の発表をすることになっていました。今までは模造紙に大きく大仏や金閣寺など思い出に残っている場所を描いてその説明をしていました。下絵を描き,色を塗り,発表原稿を作成するのに多くの時間をかけていました。今年からはとてもそんな時間は取れません。そこで,パワーポイントで実際の写真を提示しながら報告することにしました。

6/3 修学旅行には,家庭へ配る写真を撮るための一眼レフカメラと,発表用の資料を撮るデジカメとの2台を持って行き,2種類の使用場面を考えてそれぞれで撮っていきました。普通の写真は,発表するにはスキャナで読み込む手間がかかるので,それが面倒だったのです。旅行中荷物にはなりましたが,デジカメは発表専用としてそれなりに構成も考えて撮っていたので,帰ってスライドを編集する段階では,この方式でとても楽に作業ができました。

6/4 表現朝会は15分間の設定になっています。しかし,チャイムが鳴って,全員が集まるまでの時間がありますから,実質は13分ほどになります。旅行のスライドは39枚作り,それぞれについて子どもたちが説明と感想を手分けして書き,発表の分担を決め,練習しておきました。月曜から編集を始めて,木曜日の朝会で発表しました。当日は13分以内で発表は終わったのですが,感想を聞く時間はさすがに取れませんでした。何と言ってもその後は各学級での「朝読書」が待っているのです。

6/5 最近ようやく分かってきたことは,自分が見ている世界と人が見ている世界が同じとは限らないということです。63億の人がいれば,それだけの見え方があるのですね。自分には「青」に見えていても,人には「赤」に見えるようなことがあるようです。そしてそれはどちらも自分にとっては正しいのです。地球は1つの太陽を回っていますが,63億の人にはそれぞれ違う太陽が存在しているのです。「自分」という太陽です。よってどんな真実も「自分」というフィルターを通した「真実」になってしまいます。どんな出来事も自分にどうかかわりがあるかが最大の関心事です。そして,自分を否定する真実は小さなことで,自分を認める真実は大きな真実になります。

6/6 今,心底後悔していることがあります。このHPでも紹介しているように,人の話が時間を大幅にオーバーしている点を指摘したことです。それから私はずっとその人に恨まれているようです。きっとこれからも私の名前を見る度に恨みと共に思い出されることでしょう。批判,否定,苦言はそれが真実であればあるほど,人の心にアザとなりいつまでも違った場所で生き続けることになります。人は誰もが自分の中では自分が太陽であり,論理的に感情までコントロールできる生き物ではないということをもっとはっきり意識しておくべきでした。自分が「主人公」である人に対して意見を述べるときは,話しかける方は「脇役」として登場するべきだと学びました。

6/7 「江戸の敵を長崎で討つ」と言います。批判や苦言はそれを受け止められるだけの人物かどうか,それが受け入れられる関係かどうかをよく吟味してから表に出すようにしないと,プラスの効果は何もないただ「恨み」を作り出すだけの戯言になってしまいます。機械と違って,猜疑心や劣等感,偏見,自尊心,嫉妬心などが渦巻く「人」を相手にするときは,批判より共感から始めるべきだと今は思っています。同じ結果を期待していても,その方がよほど効率がよく,効果的です。

6/9 「共感から始めるべき」というのは,無理に合わせるという意味ではありません。「相手の立場になって考えてみる」ということです。その人は嫌みでその行動をしているわけではなく,その人なりに一生懸命なはずです。自分ならそんなことはしない,ではなく,自分もそうすることがあるかもしれない,と思うところから始めるのです。すると自然と,発する言葉にもトゲがなくなり,相手にも伝わりやすくなります。そして,「恨み」どころか「好意」まで得られることもあるはずです。

6/10 自分がどう評価された時,次も頑張ろうと思えるか考えてみれば,人への言葉の気配りも分かってきます。もし,「おだてられてばかりでは甘えが生じる。厳しく鍛えることが必要だ。」とか,自分は厳しく,ストレートに真実を言われた方が,より「何くそ」とやる気になると思われる人は,そんな人間は世界中で自分だけだと思った方がいいかもしれません。ストレートはあまりにも稚拙な方法だったと今反省しています。

6/11 ある年に道徳の研究授業をすると,その事後研で「よく発表する子らがいれば楽だ。」と言った人は,その次の年にパソコン利用の研究授業を見て,「あんなにたくさんの使い方はできない。」と言いました。それはそれは負けず嫌いのとてもプライドの高い人でした。中途半端に力のある人は,人をあまりほめられないような気がします。

6/12 人前でおならをする人はあまりいません。しかし,人前で感情的に大声を出す人はいます。怒りを声の大きさで表して人に伝えようとするのは,理性の部分ではなく,生理的,本能的な部分の行為です。つまり生理現象として,おならと大して変わらないものです。どちらも周囲の空気を凍らせることがあります。恒常的なおだやかさを保つには大きな理性の力とまわりの人へのおもいやりが必要です。怒りから生まれるのは,やはり怒りです。怒れば怒るほどより冷静になる必要があります。

6/13 目には目を,といいます。「害を与えられたら,それに相応する報復を」という意味ですが,本当に効果のあるお返しは,やはりよく言われるように,慈悲の心だと思います。(ちょっと宗教ぽいかな?)難しいことですが,本当に相手がドキッとして,自分の矮小さをつい感じてしまうのは,トゲのある自分を包み込まれたと感じた時かもしれません。もしそうなれば,そこから新しい状況が生まれるはずです。川を海が包み込むように,向かってくる相手のエネルギーを自分の栄養として吸収できるようなしなやかさ,は理想でしょうか。

6/14 13日に総合的な学習の時間の研究授業を行いました。国際理解の分野で,「おとなりの国,韓国」という単元です。まず「ある動物の絵を描きます。」と言って黒板に絵を描くところから始めました。子どもたちからは「ウサギ。」「カンガルー。」という声が聞かれました。全員がノートにその図を写した後,これは2つの国の形なのだという説明をし,おなかに線を引き,それぞれの正しい名前を漢字で書きました。そしておなかの線の近くに一本の川を書き入れ,「臨津江」と書きました。

6/15 「臨津江」を何と読むのだろうと,子どもたち一人ひとりに自分なりに読ませていきました。その後これを「イムジン河」といい,この河を題名にした朝鮮で作られた歌があるという説明をしました。次に歌詞を書いた紙を配り,イムジン河のCDを聞きました。そして「この歌にはどんな気持ちが込められていると思いますか。」と問いました。1分ほど書き込みをさせた後,発表に移りました。

6/16 発表の中身は,一人「山や川の自然を感じている」というのがありましたが,後は全員「2つに分けられた国を悲しく思っている」という内容でした。次に「昔この2つの国は1つの国だった。何年ぐらい前だと思うか。」と聞きました。100年,1000年というような長い期間をどの子も予想しました。実は約57年前ごろには1つの国だったと話した後,「では今からみんなでタイムマシンに乗って昔に戻ってみましょう。」と,まずプロジェクターで朝鮮の弥勒菩薩と広隆寺の弥勒菩薩を比べたり,朝鮮で発掘されている勾玉などの写真を見て,日本への影響の気づきを発表していきました。

6/17 児童の気づきには,朝鮮が昔日本にいろいろな文化を伝えたことが分かるということ,伝えた人は社会の勉強で渡来人と習ったというものがありました。それに対して,日本は何度か朝鮮に攻めていき,終戦までの約35年間は植民地としていた様子と,更にその後,アメリカと当時のソ連により2つに分断されて今に至る説明を行いました。そして,2年前の2000年,画期的な3つの出来事があった説明をしました。

6/18 「今から2年前の2000年,大きな出来事がありました。」と言って,プロジェクターで二人の男の人が握手をしている写真を映しました。「右側の人は南の国の大統領です。この人が初めてこの年の6月に北の国に行って,その国の代表者である委員長と握手をし,仲良くしようという話し合いをしました。」という説明をした後,次の写真を映し,「これは何をしている写真か分かりますか?」と問いました。多くの人がつないだ手を上に上げて歩いている写真です。

6/19 2000年,9月15日,シドニー・オリンピックの開会式に朝鮮の南北選手団は分断後55年ぶりに揃って,同じ服装で手を取り合って入場しました。写真を映しながらその説明をした後,選手が掲げている旗を見て気づくことはないか聞きました。すると,「あ,朝鮮の国の形だ。」という声がありました。その写真には,選手がウサギの形をした国が描かれた統一旗を掲げて入場している様子が写されていました。「この2つの国はきっとこれから先,本当に1つの国に戻る日がくるでしょうね。そういう思いがあのイムジン河という歌にも込められているのだということを考えながら,もう一度歌を聴いてみましょう。」と統一旗を掲げ揃って入場している南北選手団の写真を見ながら,再度イムジン河を聴きました。

6/20 歌を2番まで聴いた後,具体的に韓国の様子について時折問題を出しながら紹介していきました。この時間は,「興味を持った韓国に関係する事柄について自ら調べようとする。」というのがねらいの1つだったので,紹介の仕方は,どの事柄も半分を明らかにし,半分は疑問を残しておくという方法をとりました。取り上げた項目は,「ソウル全体の風景」「各種料理」「食事の風景と作法」「学校」「時間割」「日本語と読みの似た単語」「遊び」「正月の様子」「徴兵制度」「服装」「韓国の若者の日本と日本人に対するイメージ」「国旗」等です。どれもパワーポイントで関係する写真や資料を提示しながら考えていきました。

6/21 「食事の作法」では,実際にテーブルを用意し,私が食事をする場面を演技して見せました。片膝を立て,お椀を持ってスプーンで食べるのです。「この中で,韓国では行儀が悪いと言われるところはどこでしょう?」と問いました。子どもたちはすぐ,「膝を立てること。」と言いますが,これは女性に限ってはいいのだと説明します。しかし,「どんな服でもいいとは限らないらしいよ。また,右膝か左膝かどちらを立てるのか決まっているらしいよ。さあ,どっちなんだろうね。」等,全部は説明せず,「?」の部分を残しておきます。そして,膝以外でどこが行儀が悪いと言われるのかな?と,どうにかして「よし調べよう」という気持ちを盛り上げる流れを意識していきました。

6/22 授業の最後の段階で,子どもたちにこれから何について調べていこうと思うか聞くと,「ソウル」「遊び」「言葉」に分かれました。この授業のために9冊ほど朝鮮に関係のある本を購入したので,それも参考資料として教室に置いておくことにしました。この授業についての事後の検討会では対照的な意見が聞かれました。

6/23 1つ忘れていたことを付け加えます。「2000年に画期的な3つの出来事があった説明をしました」と6/17にありますが,3つ目の出来事の説明をしたのを落としていました。2回目のイムジン河を聴いた後,3つ目の出来事,金大中大統領がある賞を授与されている写真を映しました。「6月に2つの国の代表者が会って,9月に選手が揃ってオリンピックの入場行進をし,12月には韓国の大統領にある賞が贈られました。さてどんな賞だと思いますか?」の質問に,子どもたちはすぐ「ノーベル平和賞」と答えました。実はその日,本当に偶然だったのですが,道徳の時間に「キング牧師」を題材に学習していたのです。キング牧師は黒人の立場から人種差別をなくす運動をし,ノーベル平和賞を授与されました。道徳の年間計画を立てる時点ではまだ国際理解の中身ははっきりしていなかったので,これは本当に偶然で,自分で驚いて?いるくらいです。

6/25 この授業で使用した資料は次のような物です。「すぐ覚えられる,日本語と似てる単語」「韓国の小学校4年生の時間割」(これは授業の何日か前に,何の説明もせずに教室の後ろに掲示しておきました。子どもたちは高校か中学の時間割だと思っていたようです。)「韓国の現代っ子へのインタビュー」「写真26枚」

6/26 授業後の検討会で,先生方からは,授業の準備,組み立て,流し方,テンポ等について肯定的な評価を頂きました。そして指導主事の先生からも子どもたちの力があること(授業中,一度も指名されずに全員が自ら立って発言していったことや,イムジン河の読み取り等を通して)や,授業がうまいという評価を頂きました。が,・・・

6/27 その指導主事の先生は今年なられたばかりでしたが,明快に意見を言われる方でした。まず質問されたのは,「なぜ今日の授業で韓国をとりあげたのか」ということでした。私は指導案に書いていた通り,「近くて遠い国と言われた韓国について理解を深めていくことは,日本人として,国際的な視野で世界をみつめていくためにまず必要な第一歩と思われる。」という考えを説明しました。しかし,それでは総合のねらいに沿っていないというのがまず最初のご指摘でした。

6/28 「この授業では社会科ですることと重なることになる。」「まず子どもたちからサッカーなどの話題を通して自分の興味を持った国を調べてみたいという発想が生まれ,そこから学習を始めていく。それが自ら課題を設定していく総合の学習となる。教師がこの国について調べようと言うべきではない。」「全体的に教師が引っ張りすぎである。」「知識より,自ら判断し,自ら調べ,学び方,考え方を身に付けていくことが大切である。」と指摘は続きました。

6/29 あるもののレベルを上げようとすれば,それに対する批判の中にこそヒントがあります。よく,意見が出されると,1つひとつ全て授業者が何か一言答えるパターンが見られますが,私は殆どそういうことをしたことがありません。大体黙って聞いています。全ての意見は自分のためにあります。どんどん言ってもらって,自分に使えるところは使わせてもらうことにしています。相手は自分の力量の中で精一杯意見を出して下さっています。そこで,お互いの考えの正当性を主張することには大して意味はないように思います。自分はもう授業という形を通して,1つの提案をしているのですから,後は多くの意見を聞かせてもらって,自分の考えに固執せず次のために少しでもためになる新しい方向性を見つけていくことが大切です。が,・・・

6/30 私はこの授業でははっきり子どもを「引っ張ろう」と思っていましたし,調べる観点の例示もどんどんこちらから出していこうと思っていました。今年始まったばかりの総合で,初めから「自分でやってごらん」だけではクラスの実態からみても無理ですし,初めのうちにはっきりと学習の進め方を「手取り足取り」指導しておくことが大事だと思っています。また,「どんな国を調べてみたいかな」から広げていくだけの力量は子どもより,まず教師の私にありません。一人ひとりの興味に沿った支援では浅くなってしまいそうです。国を決めたり,いくらか範囲を狭めて,その中での各自の追求を指導していこうと思っています。という訳で,人の話を聞いているふりはしていても,「できることはできるし,できないことはできない」のです。

7月へ

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月