−3月−

3/1 百首全部を使う百人一首,最近6分台で終わるようになりました。一人の机の上には25枚あります。上の句を読みかけて取れるようになってくると,すぐ次の札を読むので,時間も短くなってきます。子どもたちは毎日後ろの黒板に書かれた短歌1首を1日かけて覚えていき,夕会終了後一人ずつ暗誦して,合格した者から放課になります。最初は苦労していますが,ある程度覚えてきたところからは,放課後次の日のために私が新しい短歌を書いているうちに,その場で暗誦できるようになってきます。毎朝のゲームで百首聞いているのも影響があると思われます。

3/2 4月に新しい学級を持つと,いろいろ初めから指導しなければならないことがあります。姿勢,鉛筆の持ち方,ほうきのはき方,机の運び方(イスを上げて反対側から持ち上げるくせをつけないと,机の中身が全部出てしまうことがあるのです。)などなど。その中でも特に指導が難しいのは,給食の配膳の「気配り」です。「先生にはそれなりの量をつぐものですよ。」なんて言っても分かってはくれません。それどころか,デザートの数が足りない時などは「あれー,先生のがない。」とか言うことがあるので,つい「あのー,もしもし,何でないのが,先生の分なんですか?」とツッコミの一つも入れたくなることもあります。このあたり,さすがベテランの先生はお上手なようで,あるベテラン女先生の後を担任したら,子どもたちが先生用にすごい大盛りについでくれていてびっくりした。という話を聞いたことがあります。

3/3 「サッカーがこんなに楽しいとは思わなかった。」以前勤めていた学校でのある女の子の言葉です。体育でボールゲームなどをした時は,その後集めて,テクニックポイントとは別に,そのゲーム中に見られた一人一人の姿の面白さ,かっこよさを再現しながら話していきます。全員の名前を出すためによく見ておかなければならない苦労はありますが,この話でお互い笑い合うひとときが楽しくてよくやっています。そんな話をした後聞こえてきたのが,あの女の子の声でした。

3/4 5年生の算数に「円の面積」の学習が出てきます。円を半分に分けてスイカのように切って合わせていくと長方形に近づいていきます。この長方形はたてが円の半径,横が円周の半分になることから,円の面積は(半径)×(円周の半分)で計算できることが分かります。この後,すぐに公式に向かわず,この「長方形の面積を出す」計算方法で何度も何度もいろんな円の面積を計算させます。この時間を多くとることで,その後の公式を導き出す学習や,公式で計算する合理性についてより深く理解できると考えています。

3/5 研究授業の質は教師の年代によって少しずつ変わっていくべきものだと思います。20代の研究授業はとにかく「教えてもらうために」いろいろな方法をどんどん試していく時でしょう。30代は勉強もしてきて,そろそろ自分らしさも出せる時です。「これでどうだ」というぐらいの自分でなければできないような「特別仕様」の大がかりな授業を提案していけるはずです。40代,50代になると,自分の力量も客観的に分かってきて,無理はしないが,今までの経験の上から「こうすればうまくいく」という自分の中では珠玉(粒は小さくとも尊ぶべき価値が有る意にも用いられる,と辞典に書いてあります。)の技術がこもっている授業の提案ができるのではないでしょうか。30代が「特注部品の授業」とすれば,40代以上は「日用雑貨部品で組み立てられる」ような「誰でもできる」普遍性,一般性を持っていながら効果的な内容を持たせたいものです。

3/6 例えばパソコンを操作する学習の入った授業研究をする時,後ろで参観している教師が勝手に途中で入って行って,子どもたちに操作方法等を教えているようなことがあります。中学校に参観に行った時は,中学校の教師がプリントを丸めて親しげに生徒の頭をポンポン叩きながら話していました。「授業」を「研究する」という緊張感を欠いているように思うのはカタすぎるのでしょうか。

3/7 新採の頃,「あなたは柳のような人だ。」と言われたことがありました。「セールスマンのようだ。」とも言われました。その頃は八方美人で,誰に対しても「はいはい。」とよく言われることを聞いていたのだと思います。それが段々硬くなってきています。また「柳のようになりたい」と思っている今日この頃です。

3/8 授業中,窓ガラスに何か当たったような音がしました。「先生,鳥がぶつかったのかもしれません。」と,ある子が言いました。瞬間,ここは演技をするいい場面だと思い,「よし,偵察に行ってこい。」と本気らしく言いました。すると,近くの子から「先生からそんな言葉が聞かれるなんて。」という言葉。描いた通りの反応です。偵察に行った子は,しばらくして,ぐったりとしたホオジロらしき鳥を鉢の中に入れて帰ってきました。案外子どもは大きくなって,こういう場面だけを覚えていたりするものではないでしょうか。

3/9 教師がある指示をした時,子どもたちから「エーッ!」というブーイングが起きることがあります。ここで,「じゃあ・・・」と物分かりのいいところをみせようとした瞬間から学級は荒れていきます。子どもたちの「エー」と言う言葉の中には「甘え」と「教師の吟味」が無意識に含まれているものです。集団を統率するにはある程度の覚悟が必要です。「はいはい。」と言いながら,顔はにこやかでも指示したことはやらせてしまう。そして,時々は意外性ももたせる。こんなビジョンを描いてはいるのですが。

3/10 教師が「当たり前のことを当たり前にする」。例えば,「掃除時間には一緒に掃除をしている」「始業のチャイムが鳴った時には教室にいる」「チャイムが鳴ったら授業をやめる」ようなこと。こういうところを見る子は見ているものです。そういう教師が言う一言にはそれなりの背景の力があるはずです。

3/11 以前の学校で,新学期,何か指示すると,「エー!」という声が聞かれたことがありました。それで,「エー,というような言葉を言ってはいけません。エーというのは,今日からやめて下さい。」とはっきり言いました。そして,「もし言うとしたら,先生が出張で明日いません,と言った時だけにして下さい。」とも言い,練習までしてしまいました。それからの1年間,何度か実際にそういう場面がありました。次の年,その子たちがクラスが変わって隣から「エー!」という声が聞こえてくると,「あ,出張だ!」と言っていたそうです。

3/12 人にやさしくするというのは,話しかけたり,教えたりすることだけではありません。世話をやけばやくほど逆に相手に負い目を持たせることもあります。相手のことを思えば思うほど,無理をせず,時には「教えてもらう」ということが大切ですね。「教えを請う」やさしさです。これは老人ホームに行っても,対人関係でも同じだと思います。また子どもに接するときも,「話しかける」ことと同じくらい「話を聞く」ことが大事です。しかも,テレビドラマの先生のように「何か話をしてくれそう」なタイプになるのは大変ですが,大した話はしないが,「いつでも自分の話を聞いてくれそう」なタイプになるのだったらできそうな気がしてきます。

3/13 幽体離脱。体から魂が離れることだそうです。これ,おすすめです(?) 例えば,心がしんどい時など効き目があります。対人関係でムカついている時もいいですよ。自分と相手のどちらでもなく上の方に視点をもって行って,自分からとにかく離れるのです。困っている自分,怒っている自分,悲しんでいる自分,恨んでいる自分を離れて観察してみるのです。人ごとのように。

3/15 2年前,算数の公開研究会を開きました。その時実践発表を20分ほどすることになりました。発表原稿は作りませんでした。「読んで発表」は聞く気になりにくいだろうと思ってのことです。プロジェクターも使いませんでした。既に紀要に書いてあることをスクリーンに横から下からシュッ,シュッと映し出す必要性を感じなかったからです。紀要は後で興味があれば読んでもらえばいいと思いました。発表では紀要を元にしながら,そこに書かれていない部分の話をしていきました。使った物は数点の教具と黒板です。

3/16 実践発表では,全てオリジナルの教具を,低学年用から高学年用まで数点紹介しました。要旨は,教具と学習意欲との関わりについての考察でしたが,少し紹介の仕方に演出を加えて,笑いの出るものにしました。黒板(ホワイトボード)は,補助計算等の説明用として話の途中で3回ほど利用しました。プロジェクターを使った今はやりのプレゼンと比べると,とてもアナログ的な発表でしたが,実践発表であんなに笑ったのは初めてだと,参加された先生が話されていたと後日教えてもらいました。真面目な先生には必要ないのでしょうが,私自身は「読んで発表」より,前を向いて,語りかけるような発表の方が聞きやすいので,自分もそうしたいと思っています。

3/17 今年度は総合的な学習の時間の公開研究会を開きました。年度当初,公開研で実践発表はしない予定でしたが,やはり・・・ということになり,急きょ発表用にバケツ稲の取り組みをまとめることになりました。内容的にこの場合はプレゼンソフトを使うのが伝わりやすいと思い,今度はしっかりプロジェクターを使うことにしました。もみすりや精米の方法を自分たちで考えて試している様子等は,動画と音で再現することで,効果的に伝えられたと思います。(プロジェクターに内蔵されているスピーカーの質はあまりよくないので,アウトプットでラジカセにつなぎました。)また発表の中に「3つの無」の過激?な話も入れてしまいました。今回も発表原稿は作らず,(事前に校内で発表を聞いてもらい検討はしてもらいます。)発表時間は25分以内で済ませました。最近のプロジェクターはパソコンのマウス端子とつないでおくことで,リモコンでスクリーンのカーソルを動かしたり,クリック動作を行うこともできます。しかもこのリモコンにはレーザーポインタもついていて大変役に立ちました。

3/18 「パンが床に落ちる時はバターを塗った面が下を向く。その確率は床の絨毯が高価なほど高くなる。」 ご存じ,「マーフィーの法則」です。「事態はいつも最悪な状況で訪れる」 これは,学校の中でもあてはまりそうです。 「探している子のノートは一番下にある」 「資料として必要な日の新聞だけない」 又は「必要な月の雑誌だけがない」 「叱っている時に廊下を人が通る」 「教室が散らかっている時に限って来客がある」 「整理している時は誰も来ない」 「コピーを急いでいる時に用紙がなくなる」 「毎日持って帰るカバンの中に必要なものはない」 「といって,置いて帰ると必要になる」 「参観日の次の日にいい授業ができる」

3/19 散髪に行きました。主人が「2日も休みになったらどうするのか。」「土曜出ない分,給料は安くなるのか。」「えっ,先生たちが要求して休みになったんじゃないの。」と,世間では今どう言われているのかが分かるような話をして下さいました。なぜ週休2日になるのかは,随分昔(1992年の9月から月1回の土曜休業が始まりました。)にはっきり答えが出されている問題です。子どものためや,教師のためなどではありません。学校でしか友だちと会えないような田舎の子には無惨な週休2日制です。

3/20 卒業文集がやっとできました。最近の手法は,一人一人が今までの自分のアルバムの中から自分の「6年間の思い出」の作文内容に合う写真を何点か選び,それをスキャナで読み込み,文章の中に貼り付けていきます。また一人一人の図工の作品を載せた「ギャラリー」コーナーを作ったり,最後には「旅立ちの言葉」に,実際に卒業式に写すスライド用の写真を貼り付けたページを作っています。また毎日書いてきた1年間の「学級の歴史」も手分けしてパソコンに打ち込み,一覧表にします。

3/21 卒業文集の表紙を今年はどんな紙にしようかと,事務用品店に行って長い時間悩み,ようやく決めて,卒業生が決めた題名を印刷し,製本しました。やれやれと,ふと前回作った卒業文集を見ると,何と全く同じ種類の紙で,しかも背表紙まで同じ色のものを使っているではありませんか。う〜ん・・・,自分のセンスの成長のなさに落胆してしまいました。

3/22 以前,男子が多く,いさかいのよくある学年を担任したことがありました。ケンカが多く,忘れ物等もよくありました。頻度が高いので,説教は一々せず,作文用紙1枚分,「この出来事が起きたのはなぜだと思うか,どこがいけなかったと思うか,これからどうすればいいと思うか。」を書かせていました。問題が起きる度に作文用紙1枚,最後の行まで「理由,分析,展望」のようなものを書くのです。「前の先生の,腕立て伏せの方が良かった。」と嫌がっていました。そのせいかどうか,段々ケンカも少なくなっていきました。

3/23 22日(金)に卒業式がありました。式の後半,司会の「卒業生,旅立ちの言葉。」で,卒業生が立ちます。同時に中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」のイントロが流れます。しばらくして音が小さくなり,卒業生の言葉が始まります。バックにはプロジェクターで,言葉の内容に関係する場面が映されていきます。こういう時,リモコンでプロジェクターもパソコンも操作できるのは大変便利で,一見,職員は席から誰も動いていないのに,ステージの近くにある機械に自然にスイッチが入り,自然にスライドショーが行われているように見えます。このBGMはやはり感動的な効果があったと保護者の方から後で聞きました。

3/24 宿根草を10何種類か注文し,先日全部植えました。ハナミズキの苗木も1本植えました。大きなダンボールに入ってきたものを,忙しくて1週間ぐらいそのままにしていて,開けてみると,暗い中でモヤシのように青白い茎を伸ばし始めているものもありました。長期研修の希望者が最近は大変多いそうで,今回初めての希望をしたものの,見事落選してしまったので,今年の土日は家で,予定していた算数の研修と庭作りに励もうと思っています。

3/25 3月はかつて経験したことのない程の忙しさでした。評価規準の作成とは別に,2月になって,各学校で急に「シラバス」(大学等で学生が単位を取るために参考にする講義内容を表したもの)の2002年度小学校板を「保護者,児童用」に作ることになりました。各学年別に全ての教科と総合的な学習の時間について,1年間に学習する単元毎にその時間数とそれぞれの達成目標を保護者,児童に分かりやすい言葉で,一覧表にまとめていくのです。3月20日が締め切りでした。この他に来年度から変わる指導要領に合わせて,成績表の変更案(低,中,高用の3種類)を係として作りました。これに,卒業制作,卒業文集,旅立ちの言葉,成績表,要録,抄本の作成等が重なりました。今は「嵐の前の」でなく,「嵐の後の静けさ」といった感じです。

3/26 自分のものなのに,自分では分からなくて,人のものなら分かるもの。さて,何でしょう。答えは「癖」です。子どもに話をするとき,最後に必ず「いいですか。」とか,「分かりましたか。」と念を押すのが癖になっている人もいます。これ,人のためでなく,自分のために言っているような気がします。

3/27 人の癖がいつの間にか移ることがあります。それを意識していなくても,批判的に見ていても移ることがあります。「分かった?」と最後に口癖のように言うのを批判的に見ていて,気が付いたら自分も言ってしまうことがあってびっくりした。という話を聞いたことがあります。否定的に見ていても,印象的な部分はいつの間にか心の中で反すうしてしまいます。「他山の石」にしようとする強い意志が案外必要です。

3/28 異動の時期です。昨日,子どもの家に用事で電話をすると,家の方が「先生,異動がなくて良かった。家族で喜んだんですよ。」と言って下さいました。お世辞だとは思いながら,やっぱり,人はほめられることで心にエネルギーがたまるものだと,改めて実感してしまいました。

3/31 2日ほど休みを取り,に出てきました。やはりレールスターはいいですね。しかも車内放送一切なしのサイレント仕様の車両に乗ると,本当に静かに過ごせ,車内販売のサービスまで静かに黙って通り過ぎて行くのです。行った場所も静かで,広く,きれいな所でした。

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