−5月−

5/1 自分の身の周りで考えてみて,つい話しかけたくなる人には共通点があるように思います。つまり,自分を認めてくれる人,話を驚いたり,感心しながら聞いてくれる人です。おとなしくてこちらから話しかけてもなかなか話に乗ってきてくれない子とか,グループの中心にいて,その子が自分(教師)を認めてくれると全体にも影響がありそうな子とか,その時の状況によって課題にする子は違いますが,そういう子が自分からいつかこちらに話しかけてきてくれるような,少しずつのさりげない「認め」「驚き」「感心」を意図的に様々な場に入れていきます。簡単なようで,私自身はここまでくるのに何度も頭を打ってようやくたどり着いています。そして確かな手応えもいくらか得られるようになってきました。

5/2 朝会の中でクイズを出していた頃,おとなしかった子が休憩中に自分から友達と一緒にクイズを出してきてくれたことがありました。この時の驚き,嬉しさは今でも忘れられません。話しかける努力より,話しかけられるようになる努力の方が何倍も難しいと感じていたからです。5,6年と担任したその子は卒業文集にこんな言葉を残してくれました。また活発で,いつも女子の中心的存在だった子はこんな言葉を残してくれました。以前には決して見られなかった文です。「認め」「驚き」「感心」を意識するようになってからの成果と,自分では勝手に思っています。

5/3 以前は図工の時間に指示をした後,プリントのマル付け等をしていました。教室に張り出した子どもの絵を見た同僚に「ヘタな絵だなー。」と言われても,その意味がよく分からず,気にもなりませんでした。子どもたちは図工の時間よくしゃべり,「黙って描きなさい。」と何度も注意していました。今,時々描くことをストップさせ,体をほぐす運動をさせるぐらい集中しています。

5/4 最近の図工の時間は,1時間中歩き回り,感心し,ほめまくっています。注意するとしたら,サッと線を引いているような時だけです。本気でいい所を見つけ,本気でほめていると,子どもたちがどんどんどんどん集中していくのが分かります。時々全員の前で一人ずつその絵の良さを紹介していくと,更に本気になり,周りもその絵の影響を受けていきます。「先生が近づいてきた時,自分がほめられる期待感がわいてくる」ような心理状況をつくり出したいと思っています。

5/5 今年,私は教室移動がなく,前年度と同じ教室を使うことになりました。しかし,教室内に私の私物がそのままあると,始業式の朝子どもたちは教室内を探索して,担任が誰になるか勘づいてしまうので,今年は教室内にある全ての私物を片づけてパソコン室の奥に隠しておきました。少しは始業式まで担任が誰になるか分からないドキドキ感を味わわせてやりたいと思ってのことでしたが,大変な労力で,次回はできるかどうか?になっています。

5/7 ようやく,今年行う「国際理解学習」30時間の1時間毎の活動内容予定とそれぞれについての評価規準を一覧表にまとめました。・・・大変でした。コンセプトは,「国際的な諸問題,文化の理解」と「英会話」のサンドイッチです。

5/8 5年,6年と持ち上がった子(「日記2」で日記文を紹介している子です。)が4月に算数のテストで初めて市販テストの表裏とも満点を取りました。「分数の足し算,引き算」の単元です。「オートマチック通分」も功を奏したのではないかと思います。さっそくその日は子どもが下校した後,家に電話しました。「○○君,今日算数のテストで表も裏も満点を取ったんですよ。夕食の御馳走をちょっと増やして,ほめてあげて下さい。」というような内容でした。次の日の彼の日記からは家族の喜びも伝わってきました。

5/9 6日ほど前に,このHPもおかげさまで1万アクセスを越えることができました。毎日飽きずに訪れて下さる方々,ありがとうございます。週5日制になって,今までより忙しく感じているのは私だけでしょうか。どうぞみなさんお身体には気をつけられて,毎日をのほほんと過ごしていきましょう。いや,いきたいですね。

5/10 草取りを全員でするような時,一人で真面目に取っている子を見ると,「ああ,しっかりしているな。」と思うし,ほめることもします。逆に何人かで話していて手が動いていない子たちを見ると,「こいつらは。」と思い,当然注意もします。が,心のどこか奥では,一人で取っている子を心配し,話している子たちをいいなあと思う感覚もあった方が,注意の言葉も子どもたちに入りやすくなるのかなとも思っています。

5/11 几帳面な教師には,「気づきすぎてしまう不幸」もあるように思います。子どもとしては,見逃しておいてほしいこともあるでしょう。つい言わなくていいことまで言ってしまって,窮屈な思いをさせてしまいます。暗ーいクラス,中学に行って荒れるクラスの原因の一つかもしれません。

5/13 大久野島に行ってきました。今はナビのおかげでどこでもとても楽に行けます。スペースワールドの時も楽に着けました。大久野島には毒ガス製造の 資料と実物が現在も生々しく保存されています。それと共に島内全体が平和の象徴そのもののような穏やかさと各種のレクレーション施設で整備されています。島は「ウサギの島」とも言われ,島内至る所にウサギが(500羽ほどいるそうです)見られます。人が通ると近寄ってきます。なぜか大きなニワトリも一羽海岸近くに住んでいて,これも人に近寄ってきます。サイクリングや散策をしていると,出会う人の多くがお互いに自然に挨拶をするようになります。自転車で島内一週するのに1時間もかかりません。海で外部と隔てられているので,自転車に鍵もついていませんでした。国民宿舎も新しく,展望浴場と大浴場の2つがあり,24時間いつでも入れます。対岸の忠海港に無料駐車場があり,船に12分乗れば,瀬戸ののどかさが迎えてくれます。

5/14 今までの経験から,この何年間は一切「親への要求」と受け取られるような通信,連絡はしないようにしています。この種の要求は,様々に受け取られる可能性があるようです。また,新採の時から「音読をして家の人にサインをしてもらう」ような課題は一度も出したことがありません。学校で保障するべきことでもあるし,家の方にお願いするのは,とても気が引けてしまいます。宿題にする時はただ「音読練習」だけにしました。読む子は読むし,ごまかす子はどんな方法でもごまかすものです。当たり前ですが,読めない子は学校で読めるようにしていくしかありません。

5/15 日本に初めて伝わった仏像はどうなった?島原の乱の後,そこに住んだのは誰?咸臨丸のその後は?平城京の跡は何になった?生類憐れみの令が廃止された後「お犬様」はどうなった?龍馬なき後の海援隊は?勝海舟が海軍をクビになった理由は?大岡忠相は寺社奉行になってからいじめられた?清少納言のその後は?龍馬の妻・お龍の晩年は?吉宗発案の目安箱のその後は?日本で最後に踏絵を拒否したのは誰?東大寺大仏の開眼に使った筆のその後は? などなど,興味のある方は 「歴史の以外な結末」−−事件・人物の隠された「その後」−−(日本博学倶楽部) PHP文庫 をご覧下さい。面白いですよ。

5/16 現在,国際理解学習の一環として,英語の歌もいろいろ歌っています。また相変わらず百人一首もよくしています。ということで,朝,教室に入ろうとすると,教室から「♪Four little monkey's ・・・」とか,「あいみての〜」という子どもたちの声が聞こえてくることがあります。まるで学校のよう?で,つい笑ってしまうのですが,こんな文化的なにぎやかさを子どもたち自身も楽しんでいるように思います。

5/17 年間30時間を予定している国際理解学習の中で,今は「世界の偉人」について自分の選んだ人物の調べ学習をしています。これが,予想に反してなかなか盛り上がっています。今日はナポレオンについての発表でしたが,途中で時間になり,「つづく」となりました。この学習後,次回に予定している「おとなりの国,韓国」では,まず授業の最初に,発売中止から30年以上を経て最近封印を解かれた「イムジン河」を聞いて,ハテナと思うところの発表から始めようと思っています。その他30時間用に,いろいろネタを仕入れています。もしご希望があれば,簡単な年間計画でよければメールに添付してお送りしますので,ご連絡下さい。

5/18 ある車屋に行ってオイル交換をしている間に壁に書いてあった言葉を見て,思わずメモしたことがありました。「平凡な事を非凡に努める」「したたかな会社より,しなやかな会社が社会を良くする」「根を養えば樹は自ら育つ」等々,厳しい社会の中で成功を収めた人にはそれだけの骨太の行動理論がありますね。このメモの端には,「したたかな教師より,しなやかな教師が学校を良くする」と書いています。

5/19 歴史の授業の中に「勾玉」(まがたま)が出てきます。卑弥呼たちが首にかけていたものです。この制作キットがあります。最も柔らかい石を材料にしてあるようです。先日このキットを子どもたちに一つずつ渡し,作り方の書いてある説明書を自分で読んで作ってみるよう伝えました。私は一切作り方の説明はしませんでした。次の日,子どもたちは四角の石から見事に形を切り出し,3段階のヤスリがけをし,きれいに着色までした(石の着色方法も書いてあります)「勾玉」を作り出してきました。

5/20 ある授業で,一つのねらいを持ってそのために様々な工夫をし,リズムをつくり,授業後の子どもたちの表情にも満足感がうかがえ,ねらいに近づけたと手応えを感じたことがありました。しかし,その授業に対して,全く筋違いのステレオタイプの意見を出されたことがありました。確かにその意見だけを聞くと100パーセント正しい正論でした。しかし,それは明らかに,事前に提示してあるねらいを確認していないことが分かる発言でした。

5/21 「小さな鍋はすぐたぎる」ということわざがあります。小さな鍋は火にかけるとすぐ煮立ち,たちまち噴きこぼれて始末が悪くなります。その鍋を人間にたとえて,人物の器が小さいと,ささいなことにすぐかっとなるというような意味を表しています。ねらいも確認せずにどこにでも通用するようなありふれた意見を出されるのを聞いて,この時私は「小さな鍋」になりました。

5/22 「小さな鍋」になってつい言ってしまったのは,「例えば,ビタミンをどのように摂らせようかとニンジンの料理法をいろいろ考えている時に,−−でもタンパク質も必要でしょ。−−と言われても,それはねらいが違うのだから話にならないのと同じように,この授業では何をねらいにして行っているのかをまず確認されることが必要ではないか。」というような内容でした。以前から時々理不尽な,ねらいから外れた意見を聞く度に感じていた思いを出してしまいました。

5/23 「勝ちっぷりの良さ」はあこがれられます。誰もがうまく済ませたいし,成功したいし,ほめられたいと思うものです。逆にうまくいかなかったり,不注意があったり,恥ずかしい落ち度があったりすると,劣等感にさいなまれるものです。しかし,そういう時こそ無理矢理にでもあっけらかんと素直にその状態を認め,周りと一緒に自分を笑えるような「負けっぷりの良さ」を持っている人は愛されるものです。失敗した時こそ人が表れると思っていれば,失敗もまたチャンスのように思います。

5/25 近畿へ1泊2日の修学旅行に行ってきました。修学旅行に行く度に思い出すのは,以前出会ったことのある絶妙な「語り」2つです。ものすごくインパクトがあり,まるで脚本の世界に迷い込んだような錯覚と,心地よい言葉の応答,流れを経験させてもらったことがありました。一人はバスガイドさん。今までのどのガイドさんとも違っていました。説明の流ちょうさというような次元の問題ではなく,子どもたちを手玉に取る臨機応変の対応術の見事さに驚いたことがあります。

5/26 そのバスガイドさんは時々子どもたちのことを「お坊ちゃん,お嬢ちゃん」と呼ぶような,ちょっとした毒気もありました。しかし,マニュアル的な説明や子どもに遠慮がちに機嫌を取るような対応でなく,自分自身の個性を出し見事に自分の世界に引き込む対話をしておられました。力強い個性を持った,本当のプロの対応術を感じさせられました。

5/27 そのガイドさんは50才は過ぎていると思われる女性でした。それに対して,20才の男子学生アルバイトガイドさんの時もありました。とても熱心で,人柄もよく,スケッチブックに大きく問題を書いたり,ジョークを入れながらクイズ形式で説明を進める工夫もされていました。優しく,温かな語りでした。しかし,子どもたちの評判は予想に反するものでした。十分な準備をし,子どもたちの反応を大切にした丁寧で優しくにこやかな若々しい男性の語りが,50才過ぎのおばさんガイドの,毒舌的ではありながら当意即妙の話術の玄人芸にはかなわないのです。

5/28 この対照的な2人のガイドさんを通して私が感じたのは,「努力は大切だが,その方向性を見定めるセンスが問題」ということでした。どちらのガイドさんも人一倍の技術向上への努力をされています。多分50才過ぎのおばさんガイドさんも,若い時は20才の学生ガイドさんのような時期もあったろうと思います。これは教師も同じです。「うまく行かない」・・・そこからどちらの方向へ自分を磨いていくかが大きな分かれ道になっていくように思います。

5/29 修学旅行で思い出に残る「絶妙な語り」のもう一人は,東大寺で説明ガイドをしてくれたおじさんです。これがまたけた外れに面白いのです。流ちょうなのは言うまでもなく,一言でも聞き漏らすともったいないと思う程次々と予想外の言葉が飛び出てくるのです。子どもたちも,「よく聞きなさい。」などと言わなくても体中を耳にして聞いていました。二月堂では全力で走って階段を登り,すぐに降りてきました。おじさんは登らず,下で待っていたからです。二月堂を見るより,一刻も早く次の話を聞きたかったと後で子どもたちは話していました。

5/30 そのおじさんの話は簡潔明瞭でしたが,説明の内容がそんなに他のガイドさんと違ったわけではありません。それでも子どもたちが本気で聞いていたのは,説明の途中に時々遊びの部分が入っていたからです。南大門の力士像を説明する時には,真面目な顔で,「ご覧下さい,これが金剛力士像です。・・・短足です。」当然,聞いている者は意外な言葉に「エッ?」と思いながらつい笑ってしまいます。この後「高さ,寄木の数,作者」等の説明が講談師のように続いていきます。もう最初のパンチが効いていて子どもも教師もつい聞いてしまいます。

5/31 門を通りすぎて,大仏殿を前に説明を始められると,子どもたちは事前に学校で練習したように,メモを始めました。すると,そのおじさんは「メモはしなくていい。大仏殿を見ながら,説明を聞いて下さい。」というようなことを言われました。確かにメモに目をやるより,実物をしっかり見た方がいいのです。しかし,普通自分の言葉をメモされると,自尊心をくすぐられるものです。「よくメモができるね。」と感心してもいい場面です。「メモなんかいい。」とはまたなんとドラマチックな言葉でしょう。自分の「説明」に自信がなければ言えない一言です。ここにも,あの個性的なおばさんガイドさんと共通する確固たるプロとしての自我を感じます。

6月へ

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月