−7月−

7/1 以上で今回の「国際理解」にかかわる研究授業の顛末記は終わりですが,これにちょっとしたエピローグを。授業後の検討会で主事さんから数々のご指摘を頂き,私は「大変参考になるご意見ありがとうございました。」とは言ったのですが,あまり意見を言わなかったためか,同僚が心配して後から「授業,あっぱれでした。先生と一緒の職場で仕事ができて幸せだなぁと心から感じたいい日でした。」と慰めのメールを入れてくれていました。こんな温かい職場が私の宝です。

7/2 教務や生活指導の研修会などに行くと時々変な人がいます。例えば読書に対する取り組みとか,基礎学力に対する取り組みとか,生活指導の取り組みの実践内容を順に話していくことになると,人の実践に対して否定,批判的なことは言えても,自分の実践は,「しっかりした授業をすること」だとか,「読書はしてますよ」なんて鼻を高くして,理屈の世界の,内容のないことしか言えない人がいるのです。これはまるで,「何が食べたい?」と聞かれて,「おいしいもの。」と答えるようなものです。

7/3 この1学期に暗誦してきたのは,百人一首,平家物語,寿限無,春の七草等です。昨日の朝会では,子どもたち全員が平家物語(6行),寿限無の暗誦ができることを確かめてみました。どの子も家の人の前で言ったことがあるということでした。そこで,家の人にどう言われたか聞くと,「寿限無を言ったら,すごいすごいと言われ,平家物語を言った時は,えらいえらいと言われた。」と言う子がいたので,「すごいねー,みんなもう家の人を超えているかもしれないなー。」とお世辞を言うと,ある子が「もう超えてるよ。」と偉そうに言うので,「それ体重じゃない?」と返し,その子もみんなもハハハと笑ったところで,「はい,国語始めましょう。」と勉強に入っていきました。

7/4 この世でただ1つ確実なことは,誰もが必ずいつかはいなくなるということです。今しかできないことがあります。後で後悔しても人生は一度しか訪れてくれません。例えば私はこの10年近く,5時には学校を出ています。今は帰ると小5の息子とキャッチボールをしています。運動が苦手なので,少しでもボールに慣れさせようと思っています。仕事はその後になります。学校では5時までに全力で仕事をします。休憩中は水筒のお茶を飲みながら子どもと将棋をしたりもします。自分の趣味と仕事と家族。どれも「今」大事にしてこそ価値があると思います。

7/5 以前の学校で,学期末の反省で学級経営の取り組みを具体的に細かく話していったことがあります。その後家庭科の専科でクラスをみてもらっていた先生から「ああ,それだけ締めてあるから家庭科の時間騒ぐのね。」と言われたことがありました。私は交換授業で他のクラスの体育を受け持ち,なかなかまとまらなかった時,自分の指導面の反省しか考えたことがなかったので,こういう意見に少々驚いたのを覚えています。今になって思うのは,こういう人はもし逆に担任がクラスを「締め」ずに,大まかに指導していたら,「ああ,それだけゆるくしているから家庭科の時間騒ぐのね。」と,やはり同じことを言われるのだろうということです。

7/6 時々研究授業で,教卓の上に指導案を置いて授業をしている人を見ることがあります。これは計画書をみながら医者が手術をするようなものです。どんなプロも何回も実際の動きのシミュレーションをイメージの中で行い,本番ではスムーズな無駄のない作業を行うものでしょう。中学で授業をしていた頃は,3クラス目ぐらいに授業の中のいらない部分がとれ,効率的な指導ができるようになっていました。小学校では一度だけの勝負です。研究授業の時でも全ての流れを体に染みこませて,指導案などしまっておいて,継ぎ目のない授業にしたいものだと思っています。

7/7 大学を出て1年間臨時で中学校で数学を教えていました。2校勤めましたがどちらも各学年7クラスありました。週に20から24時間ぐらいの時間数で,空いた時間は他の数学の先生の授業を見せてもらいに行ったりしていました。「数楽,数が苦」という題名の通信のようなものを発行していました。月に一度か二度は我ながらうまく授業が進んで「ジーン」と感動しながら廊下を歩いて帰った覚えがあります。1時間の密度が濃く,小学校ではこのような「ジーン」はなかなか感じられないものだと後で知ることになります。

7/8 中学では,「数学を好きになってもらいたい」という思いを持って,授業自体も堅苦しくないようにと他の話も意識的に入れたり,ミカンを教室に持って行って,連立方程式を解くとそのミカンの中の袋の数が分かる(予めみかんのへたを見て,中の袋の数を調べておきます。へたの部分を見ると袋の数が分かるんですよね。)問題を出し,解いた後実際にむいて確かめたり(数が当たるので,ちょっとしたマジックになります。),音楽室に移動し,まず歌を聞かせ,その歌詞の中に,ある言葉が出てくる回数を方程式の答えになるようにして,全員に解かせた後もう一度確認のために聞いて数えてみる(別に教室でも聞けるのですが,「数学」を「音楽室」でという意外性をねらって。)といったような授業をしていました。が,これはアマチュアの域の仕事だったと後で反省することになります。

7/9 中学では中間試験や学期末試験があります。その平均点が各学級毎に一覧表で出されるのですが,私の担当している学級はどこも平均点があまりよくありませんでした。今になってその理由を考えてみると,演習量の少なさが問題だったのではないかと思っています。当時,1つの問題に時間をかけて,少しずつヒント1,ヒント2と出していって,全員が自ら問題を解いていくことを重視していました。もし仮に1つの問題をじっくり考えて解き方の理解ができたとしても,それだけでは次の問題がまたできるとは限らないのです。また,早くから解けていた生徒はじっと待っているだけになります。生徒の一人が「もうじれったくなる。」と言っていたのを覚えています。一人ひとりに隙間時間を与えないような多くの問題にあたる流れの工夫が大切だったと後で思いました。「意欲」を持たせること,「理解」させることと共に「習熟」させることも当然考えておかなければいけなかったと反省しています。

7/10 ほんの短い間でしたが,中学に勤めてみて分かったのは,仕事の中でいわゆる「教科指導」というものの占める割合はほんの一部にしか過ぎないということです。生活指導,クラブ指導,進路指導等に多くの時間を割くようになります。また,中学生ともなれば批判精神も旺盛になりますから,精神的にタフでなければ相手ができないところもあります。しかし,話していくと人間同士の純粋な部分の触れ合いも可能になってきます。

7/11 中学で教えていたある日,参観日に数学の授業を見てもらったことがありました。次の日,生徒が「お母さんが,あれなら塾に行かなくてもいいじゃないって言ってたよ。」と教えてくれたのを今でも覚えています。次の年,小学校に採用になりましたが,そのうち中学にいくつもりでした。が,1ヶ月もしないうちに小学校で教える楽しさにすっかりハマッてしまいました。全体の仕事の中で,「教科指導」の占める割合の差が原因かもしれません。

7/12 以前の学校で,音楽と体育の授業を交換して,自分のクラスの音楽の授業をお願いしていたことがありました。その先生が,ある日一度だけため息交じりに「なかなか大変だ。」という意味の話をされたことがありました。どうも音楽の授業を受ける態度がよくなかったようです。しかし,その日以降一度もそのことについての話はないまま1年過ぎてしまいました。年度末の反省会で食事をしていた時,その先生に「子どもたちの音楽を受ける態度は変わりませんでしたか。」と聞くと,「先生,どんな魔法を使ったの?」と言われました。

7/13 「音楽の時間の子どもの態度がよくない」ということに,ある日の「ため息交じりの話」から気づき,これは何とかしなければと思いました。前学年の時から元々落ち着きのないクラスのようでした。が,どの子も幼い感じで,それなりの「感心」「驚き」「おだて」を行うことで日頃は落ち着いていたので,つい安心していました。先生が真面目で,粛々と授業を進めていかれると,他の方に注意がいっていたようです。そこで,まず全員を立たせて,音楽の時間の態度がいいと思う者は座るよう指示しました。ほとんどの子が立ったままだったので,「おいおい,このままじゃ,音楽の先生がもうみんなは教えられないと言われるかもしれない。そして,先生がみんなの音楽を教えることになる。そしたら,みんな音痴になってしまうぞ。」と脅しました。が,これは効果ゼロです。この後本当の脅しをかけていきます。

7/14 クラスの中でも特に落ち着きのない子が2,3人いました。悪気はないのですが,すぐに注意がそれるのです。いわゆる幼い子です。しかし,5年前の私の日記を見ると,5月14日にその中の一人の子が「先生は何で優しいのか?ボク,先生が大好きだ。」と言い,16日には「先生を連れて帰りたい。先生がいたらやる気になる。」と言ってくれたと書いています。担任に対しては信頼感を持ってくれていました。そこで,はっきり何人だったかは覚えていないのですが,この2,3人の子に音楽の時間の報告係を頼みました。誰の態度が良かったかを報告してもらうのです。また,他の児童たちにはこの2,3人の態度が良かったら教えてくれるよう頼みました。

7/15 「報告係」をつくる本当の目的は,音楽の時間の態度の悪い者を担任が知り,注意をするためですが,「態度の悪い者を探す」ことを児童の中でお互いにさせるようにしてしまうと,後で大変なことになってしまいます。音楽が終わって帰ってきた子どもたちに誰の態度が良かったかを聞いていると,自然に態度の悪かった子の話も出るようになり,何度か同じ名前が聞かれると,その子にはちょっと座禅の練習をしてもらったりしていました。

7/16 「音楽の時間の態度が悪い」と聞いて,担任としては何か手を打たなければなりません。「学習意欲と規律のしっかりした集団を育てていれば,誰が教えようと態度が変化するものではない」なんていうのは絵に描いたモチのようなものです。人間はそんなに機械的で単純なものではありません。とにかく即効的な手だてが必要です。しかし強力すぎて,後に歪みを生じるようなものでは逆効果になってしまいます。

7/17 即効的な手だてとして,「音楽の授業を受ける時の自分の態度を意識させる」ような何らかのシステムを作り出そうと思いました。勿論,これは正規の取り組みとは違います。どんな指導者についても自分たちのために真剣に学習できる集団づくりへの努力,子どもたち全員が1時間集中するような授業を教師誰もが行えるような研修の創造,というものがまず大切です。が,裏技も時には使うのがまたプロというものだとも思います。

7/18 とにかく,「態度の良かった子を見つける報告係」を一番問題のありそうな2,3人に命じ,音楽が終わって帰ってくる度に毎回毎回必ず様子を係からも周りの子からも聞いていきました。そこまですると,さすがに子どもたちも分かってきます。やさしい女の先生で気を抜いていたのが,「報告係」のシステムによって,その1時間中いないはずの担任の教師の「目」を感じるようになり,授業中の態度に変化が現れたようです。

7/19 「変化が現れた」と分かったのは,年度末のその反省会の時でした。「ため息交じりの話」を聞いてから始めたこの取り組みが実際に効果があるのか,気にはなっていましたが,直接音楽を担当してもらっている先生に聞くことはしませんでした。もし,いくらかの授業のし易さを感じるような変化があれば自然に話に出てくるはずだと思っていたからです。また,プライドの面からも,人に自分の授業中での子どもの態度を注意してもらっているということを快く思う人はいないでしょうから,できるだけそっとしていました。

7/20 質の高い学習集団を育てられていない故の,小手先の「カタチ」から入る学習態度のリモートコントロールに過ぎないという引け目は感じながら,たちまち今日の音楽授業を真剣に受けてほしいという思いからの指導でした。また,最初は「カタチ」であっても続けていくことで,それが普通の学習態度に昇華していってくれたらという願いもありました。しかし,授業態度について,よくある「説教」や「説諭」,または「強要」等を行うことではあまり効果がないだろうと思っていました。音楽の授業態度について後から様子を聞くということは,どこでもよくある指導です。それでも「魔法」のように感じられるぐらいの効果があったとしたら,きっと,毎回しつこく必ず報告を聞いてその様子に一喜一憂する姿を見せてきたせいかもしれないと,勝手に思っています。

7/21 この時は「ため息交じり」の話で済んだのですが,その前の学校では1学期の反省で7月5日に紹介しているように「そんなに締めているから家庭科の時間騒ぐのね。」と家庭科の専科の先生から職員会で堂々と言われたことがありました。そのクラスはこのHPで紹介している「やまなし評論文」を6年の2学期に書くことになるクラスです。まとまりがなく,5年生の4月の家庭訪問ではあるお母さんが「このクラスは参観日に行って見る楽しみがない。」と言われていました。耳鼻科検診か身体検査を受けに行った時は養護の先生から後で「最低です。」と言われました。

7/22 このクラスは出会った最初には1つのゲームでもなかなかできない状態で,1学期中をかけて様々な取り組みをしていきました。2学期になった頃から話も通じるようになってきていましたが,専科の授業等では地がまだ出るだろうと思われました。しかし担任としてはやはり何とかしなければなりません。そこで,1学期中の「取っ組み合い」からどうにか担任として認めてくれるようになってきていましたから,家庭科の時間,私自身が教室の後ろにいることにしました。その当時,この方法以外に担任としてあのクラスの家庭科の授業態度を改善する方法が見つかりませんでした。また「私の時は楽しく授業をしている。先生も頑張って下さいね。」と言えるような度胸もありませんでした。しかし,「私が後ろで見張っていますから。」とも言えません。

7/23 結局その時は2学期になって,その専科の先生に「家庭科の授業の勉強をさせて下さい。」とお願いし,授業中後ろでノートをとりながら座っていることにしました。1学期の反省から夏休みを挟んでの,私なりの取り組みを考えての結果でした。

7/24 学校のHPについての問題点の1つに,「開設はしたがほとんど更新されず,担当者まかせになってしまう」というのがあります。これは,まず最初の開設の時点での勘違いが原因だと思われます。HPの開設などというものは専門知識を持った者でしか行えない,という意識が校内にあるとこうなるはずです。確かにハード面での設定等は視聴覚担当が行うものでしょうが,中に入れる文章や資料は全員で分担するべきものです。それを視聴覚担当が何もかもやってしまうと,いつまでもHPは人事になってしまいます。

7/25 「箱を作ってから何を入れるか考える」ような学校HPでは,更新なしの担当者まかせになってしまいそうです。まずは第一に「発信したいもの」があってからの箱作りが本来の姿でしょう。写真ばかりのアルバムのようなページが多いPTA向けのHPなら,他の方法で確実に全保護者に伝えられるようにした方が不公平にならなくていいかもしれません。以前,iモードによるHPの提案をした時,「携帯を持っていない家庭はどうするのか」ということで却下されたことがあります。

7/26 やはり学校HPに,保護者を対象に「行事予定」のようなものを載せるのは便利なようで,見られない人もいて不公平にもなり,好ましくないようです。そこで内容としては見られる対象を教育関係者,他の学校の児童・生徒と想定し,その人たちにとって参考になるような研究成果,学習方法・内容等の発信になると思われます。とにかく「何故」「何のために」「誰に対して」のHPなのかをまずよく吟味検討してからのHP開設となるものだと思います。

7/27 という事で,私が視聴覚担当だった時に「HPをつくるように」との指示があったので,2日目に表紙と各学年,学校,保健室,地域の紹介等へのリンクページをつくり,それそれ背景と題名だけつけたページを印刷し,朝会で原稿のお願いをしました。箱は作っても中身を作るのは視聴覚担当の役割ではありません。原稿は手書きでもワープロでもいいし,できればフロッピーで文章をもらえると助かるが,資料として載せる写真等もあればそれも一緒に担当の方に出してもらえれば,それをHPの形に構成し点検を受けてupしますと提案しました。表紙には学校の写真とカウンターとBGMと各ページへリンクするコンテンツ名をつけ,一応HPのアドレスは町内の全学校に取ってあったので,登録できることも確認し,自分一人で接続して看板だけ出して中身が空っぽのHPを見ていました。

7/29 それから2年が過ぎ,ある学年以外のページは未だに空っぽのままで,当然URLの公表もせず,「幻のHP」となっています。やはり,「発信したい」という強い意志とそれなりの内容が無い時は,見栄を張って無理にweb上にデータを置く必要もないでしょう。

7/30 以前の「家庭科の授業」の話について,ある方から「続きがあると思っていたら,急にHPの話になりましたね。」というメールを頂きました。確かにそうです。実はあまり乗り気でない話で,早く切り上げようと思っていたのです。少しあの後を続けると,「家庭科の授業の勉強をさせて下さい。」とお願いし,2学期中家庭科の授業には毎時間後ろでノートを取っていました。本気で,自分が家庭科の授業をする時の指導案にしようと思っていました。子どもたちも落ち着いて授業を受けていました。そして,3学期になって家庭科の先生から,「もう来ないで。」の一言でこの勉強も終わりになってしまいました。あまりお勧めできない方法ですが,担任に向かって「授業中騒ぐ。普段の経営のせいだ。」と言われてしまったら,その時の自分の力量の中で精一杯の「騒がない」という効果のある方法をとるしかないと思いました。

7/31 ある日鉄棒をしていて,逆上がりを始めたとき,一人鉄棒に向かう顔付きが違うなと思った子がいました。鉄棒をにらむようにして,2,3歩振りをつけて鉄棒に向かっていき,ぐっと鉄棒をつかむとあっけなくクルッと逆上がりができたのです。その時,後からの本人の言葉を借りると「一番びっくりしたのは自分」だったそうです。それまで一度も逆上がりができたことはなかったそうです。その後,何回か挑戦し殆どできていました。体育の時間そんなに時間をとって鉄棒の練習はしていませんでしたが,毎回少しずつ何回かトライして終わりということはしていました。

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