−2月−

2/1 道路の工事中で一方通行の所に行くと,信号があり,最近はその下に信号が青になるまでの時間をデジタル表示するようになっています。状況が分かると人は安心し,無理をする事故も減るのでしょう。学校でも,子どもたちのいろんな面の発達段階をタイミング良く具体的に「こんなに伸びてきたよ」と知らせていくことで,精神的な安定や,意欲的な雰囲気も創り出していけるのではないかと思っています。

2/2 いつ頃からか気をつけるようになったのは,例えば宅配の方が学校に荷物を持って来られた時,受け取りの印鑑を押した後,お礼の言葉と共に「お気をつけて。」と一言付け加えることと,職員室に業者の方やお客さんが来られた時は椅子から立って話をすることです。

2/3 教師になって初めて「長期研修」(6ヶ月)の希望を出しました。今まで現場でこそ毎日創造し,検証できると思っていたのですが,前々から少し時間をとってじっくり研究してみたい課題が一つあったのです。テーマは「算数の文章問題につまずく子の分析と対策」です。教師になった時からずっと気になっていました。これから面接があるので,どうなるか分からないのですが。

2/4 整理整頓とは言いますが,普段からいつもきれいにしているような者は子どもにも教師にもそういるものではありません。学級で大事なのは,「整理する時間」をちゃんと取ることです。毎日か週に何度か一定の時間を決めて,簡単に整理させること。これができなければ,教師の方に整理の力がないことになります。これを続けていくことで子どもに自然に「整理の習慣化」を図っていくことができるのでしょう。子どもができないのは教師のせい。子どもの性格は親のせい。と,教師も親もそれぞれ自分の立場を悪者にして考えた方が「浮かぶ瀬もある」というものではないでしょうか。

2/5 何校か集まって小さな会議をしました。最初のプログラムから時間を大幅にオーバーしていました。その後話し合いがありました。予定の半分しか討議する時間はありません。その後にはまた違う連絡項目が入っています。しかし,そこで司会者は一人ひとりの意見に小さなコメントを入れながら,または今参加者が言ったばかりの内容を再度まとめながら進めていくのです。しかもその時の課題の一つは「子どもに時間を守る行動をさせるには」というものでした。

2/6 「先生,あれはどこにありますか。」なんて子どもが聞いてくることがあります。私は「あれはあそこにありますよ。」と答えることにしています。

2/7 自分が授業をしている時は気付かなくても,人の授業を見ていて気付くことがあります。例えば「背を向けて話す」ということ。自分が黒板に字を書きながらとか,何かの作業をしながら子どもに背を向けて話していても気にならないものが,人の授業で子どもの側からそういう場面を見た時,初めて気になるのです。きっと自分もしているはずです。本当のプロは板書をしながらでもちゃんと子どもを見ているスタンスを持っているとか。そこまでは無理としても,せめて「すごいねー。」とか言ってほめている時ぐらいはその子の方を見て言いたいものです。

2/8 「あとみよそわか」・・・「後を見よ」ということを呪文のように言った言葉。道徳学習の教材にあります。幸田露伴の娘,文が14歳の時父に「そうじが終わって,これでいいと思ってからも,もう一度この呪文をとなえ,終わった後をふり返って見るものだ。」と教えられます。私の場合の「あとみよそわか」は,「窓,ストーブ,電気」です。これを仕事が終わって教室から出る時,声に出して確認します。おかげでこの何年間は学校帰りに「あれっ,電気,消したかな?」というような不安を感じることはなくなりました。

2/9 私が今までで最も影響を受けた教師は,その頃の自分と全く正反対のタイプの教師でした。その教師のおかげで私は教師生命を救われたと思っています。

2/11 「影響を受けた教師」その人はよく座って授業をしていました。研究授業の時,ズボンのポケットに片手を入れていました。1時間目の半分までは世間話に花が咲いていました。しかし,受け持たれた子どもたちは劇的に変化していくのです。「カリスマ教師」その教師と1年間一緒に勤めたある先生はこう呼んでいました。そして,「すごいと思うけど,真似をしたら大やけどをする。」と。

2/12 しばらく「カリスマ教師」の思い出話を・・・。ある日子どもが何かのアンケートで「あなたの夢」というような内容をきいてきたことがありました。私は教師の仕事が楽しかったもので,「できるだけ長く教師を続けられること」というような文を書きました。それを見たカリスマ教師,「プッ」と吹き出していました。

2/13 その人が教育に情熱がなく,ただのいい加減な教師だったら気にすることもありません。気になるのは,熱心さとは違う世界にいるように見えて,クラスの子はよく発言するようになり,記録会では良い記録を出し,発表会では大きな声で生き生きと劇を演じるようになり,球技大会では声を出し合い全員がまとまって優勝し,尊敬する人に「先生」と何人かが書き,「おかげで泳げるようになった。」「勉強の仕方が分かった。」と言う子が現れてくるのです。ある日,どうすればあんなに発表するようになるのかと聞いたことがありました。

2/14 「言え。と言えば,言うようになる。」というのが質問に対する答えでした。別に何かを隠しているわけでもなく,たぶんそれが本当だったのだと思います。「役者が違う」と思いました。ガキ大将になれる者となれない者は子どもの時から決まっているのです。そしてこの時,「自分にはこの真似はできない。だから同じような子どもの状況を,積み木を組み立てるように技術でつくり出していくしかない。」と思ったのを今でもはっきり覚えています。「発表するようになる」「泳げるようになる」「書くようになる」「笑うようになる」方法を創り出していこう。平凡な教師が誰でもそのステップをたどればできるようになる道筋を見つけていこう,と思いました。

2/15 その教師から私が勝手に学んだことは数知れません。「車が真っ直ぐ走られるのはハンドルに遊びの部分があるから」などと,改めて気付いたものです。「寛容性,合理性,先見性,洞察力,機知力,判断力等々・・・」社会人としての能力の必要性を強く感じたのもこの時期です。例えば当時,聡明で人望のある校長とその先生が将棋を始めたことがありました。

2/16 将棋の対戦の結果は校長先生の勝ちだったようです。しかし,「途中から勝ちを譲ってもらったようなもの。」と笑っておられました。普段の様子から,「きっとそうだったんだろう」と思えるような「空気をよむ」「立場を考える」ことに長けている人でした。きっとサラリーマンの世界では常識なのでしょうが,学校ではそこまで気をつかうようなことはあまりありません。こんな教師にかつて出会ったことはありませんでした。「爪を隠す」「清濁併せ呑む度量」「底なしのおもしろさ」「威厳,風格,迫力」「ニヒリズム」「情報量」「本音」「緊張と緩和」「見極め」「義理と人情」「子にまかせる」・・・いろいろ学ばせてもらった時期でした。

2/17 いろいろな校長のタイプがあります。教師の力量を引き出すタイプ,いろいろな問題性を持つタイプ。不満を持つこともあります。しかし,自分たちは教室で子どもたちに不満を持たせるような自分勝手な行動はしていないでしょうか。校長の話が長いと言いながら,自分も教室で長々とお説教をしていたり,参観日や公開研究会の前に,何故か大きな模造紙に必要性の低いカラフルな記事を時間をかけて書かせたり,チャイムが鳴っていても教室に遅れて行ったり,給食の準備ができたことを報告しに来させたり・・・。校長の姿を通して,自分がどうすれば,どのように子どもから見られるかイメージすることができます。

2/18 探し物をしていて,「ないだろう」と思って探していると見つからず,「そこにあるはず。」と言われて再度探すと見つけられたということはないでしょうか。「ないと思って探すとなくて,あると思って探すとある」 これは,人(子ども)を見るときも同じことが言えそうな気がします。

2/19 以前,「提案書類は事前に出して読んでおいてもらう」ということをこの欄で書きました。私が視聴覚担当だった時,ある書類を検討日の1週間ぐらい前に配り,質問,改善点等を考えておいてもらうよう伝えたことがありました。会議の日,「質問,意見をお願いします。」と言うと,「ちょっと初めから説明してもらえる?」という声。「全部ですか?」と聞くと,「そう。」との返事。さて,どう対応するか。ここから道は2つに分かれています。

2/20 「全部説明しろ」と言われて,「1週間前に配っている。読んでおいて書き込みをするぐらいの準備をしておくのは当然。読めば分かる箇所も多い。せっかく読んで質問,意見を準備した他の職員には,全部最初から読まれて説明を受けていくのは,二度手間で時間の浪費。」等々を言うのは野暮な正論というものです。私は「時間の節約のためにこの会議までに読んでおくことが大事だ」と考えますが,人によっては全く違う価値観を持っていることもあります。自分の正当性と同じだけの正当性を相手も持っているものです。「事前に配って,当日はすぐ質疑から」にしたいと思ってはいますが,実際はこういうことがあります。この時は2つの道の片方を前もって決めていました。

2/21 読まずにおいて「説明して。」と言うのが「甘え」なら,それに対して「読んでおいて。」と言うのも「甘え」です。もし筋を無理矢理通そうとしたら,せっかく事前に配る努力をしていながら,悪口まで言われるのがオチです。いろんな人がいる中では大きな期待より,小さな覚悟が必要です。前もって決めていたというのは,「読んでと言われたら何も言わずに読もう」ということです。その時は全部読んで説明して,はい分かりました,で終わりでした。何気ない景色でしたが,裏にはこのような一人相撲があったというお話でした。

2/22 人生の時間を2倍にしたいなら,いい方法があります。朝の1時間です。いつもより1時間早く起きて,この時間を自分のために使います。夜の1時間とは全然違う重みがあります。一度騙されたと思ってやってみると分かります。私は犬の散歩を,時には子どもと一緒にして,淹れ立てのコーヒーを飲んでのんびりとこの時間を過ごしています。散歩をしながら朝焼けを見ると,それだけで元気が出てきます。また,この時間に芝生を刈ったり,ゴルフの練習をすることもあります。5年前にシングルになり,一昨年H.C5になれたのもこの朝の1時間のおかげだと思っています。

2/23 病気で学校を休んだ子へはその日必ず電話をするか,帰りに家に寄ってみるかしています。連絡,手紙等はきょうだいに渡すこともあります。最近はこれに「電子メール」も加わり重宝しています。先日は忌引きで休んでいた子への連絡用に使いました。その子とは以前にも休んだ時,メールのやりとりをしていたので,今回も多分来るだろうと開いて見たようです。葬祭の期間は家への電話も忙しそうで気が引けるものですが,こういう時,案外役に立つものだと分かりました。

2/24 まだ構想の段階ですが,来年度からiモード用の学校HPを開設し,行事予定を中心にして毎月学校便りを更新していきたいと思っています。携帯はほとんどの保護者が使用されている状況から少しは役に立つのではないかと考えています。

2/25 「10年日記」をつけていて役に立つのは,いつ頃どういう仕事をしていたかが分かることです。そして,そのおかげで計画的に仕事を進めていく刺激にもなります。先日は,2月の下旬に,抄本の名前,住所等の記入をしたと書いているのを見てあせりました。卒業文集や卒業製作についても以前の完成の日時を書いていますので,その日時を目標に気分に張りを持って仕事を早めに行うことができます。

2/26 iモード用の学校HPを試験的に作り,ページを印刷したものを配りました。そして,携帯を持っている職員にHPのアドレスをコピーしたメールを送り,実際にHPの実物を携帯で見てもらいました。1年間の学校の予定などが携帯で分かると,家の方も職場や外出先で日時の確認が必要な時などに役に立つのではないかと思うのですが・・・。

2/27 いくつかの学校から各部会の代表が集まる小さな会議がありました。輪番で私が議長をすることになりました。まず各部からまとめの報告があります。まとめは全て印刷して冊子に閉じてあります。最初の部会の報告が約6分かかりました。部会は9つあります。この調子でいくと,報告だけで54分かかることになります。定刻を過ぎて始まっているので,これでは予定時間内に終わりそうにありません。そこで,次の人が始める前に,「今の報告が約5分50秒かかっていますので,この時間をめどにお願いします。」と伝えました。次からは約3分で報告が終わり,全体の会議も予定時間内に終わることができました。

2/28 授業中板書をしていて,ふと自分の書いた「ひ」の字が目に留まり,冗談で,「いやー,この ひ の字はいいねぇ。こんなに自分で気に入る字は先生,1年に1度か2度しか書けない。どうですか,この曲線の美しさ。」と言って,しばらく子どもたちと笑いながら眺めていました。授業が終わり,休憩中にふと見ると,黒板を消す係がその「ひ」の一字だけを残してくれているのです。そして,その字の真似をして横に書いて笑っている子。忙中のどかさあり?の学期末です。

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