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カトリック典礼

ゼレンカの作品はほとんどがカトリック宗教音楽です。
筆者もミサ曲とかレクイエムあたりならばまだ何とか知っていたわけですが、聖務日課だのレスポンソリウムだのアンティフォナだのと来るともはやお手上げです。
でもこういうサイトを作る以上ある程度そういうことについてウンチクを垂れられないといけないわけで・・・? ともかくそういうわけで、カトリック典礼と音楽について付け焼き刃で調べてみた結果が、このコンテンツとあいなります。

なお以下の内容は、中世からゼレンカの時代までのカトリック典礼の話で、現代の話ではないことに留意下さい。

カトリック典礼の基礎

カトリック音楽とは、カトリック典礼の際に演奏される音楽のことです。従って、カトリック音楽の事を知るためには、カトリック典礼のことを知っておかなければならないということになります。
このカトリック典礼ですが、これを構成する二つの柱があります。それが聖務日課ミサです。

カトリック教会では、毎日以下のような礼拝が行われます。
1朝課深夜に行われる。そのため徹夜課と呼ばれることもある。
2賛課夜明け前に行われる。
3一時課朝に行われる。
4三時課午前中に行われる。
5六時課正午頃に行われる。
6九時課午後に行われる。
7晩課日暮れ時に行われる。
8終課就寝前に行われる。

これらの礼拝をひっくるめて聖務日課と呼びます。文字通りの聖務の日課なわけです。

カトリック教会では通常1日は上記のようなサイクルで繰り返されます。しかし祝日(教会暦の項参照)には1日のサイクルが変わって、前日の晩課から当日の終課までが1日サイクルになります。そのような日には晩課と終課が2回あることになります。そのため前日の晩課を第一晩課、当日の晩課を第二晩課というように区別します。
すなわち祝日はその前の晩から祝われるということです。クリスマスイブを祝うことの根拠は実はここにあるわけです。

何だか1日中礼拝ばっかりという感じです。それもそのはず、この習慣は元をたどれば初期の修道院での礼拝形式が、後にローマカトリックの標準となったものです。修道院であればこういうことをしていても問題ありませんが、在俗教会(普通の教会のこと)では何かと多忙なため、これを完全に守ることは不可能になってきました。
そのためこの中の晩課だけを盛大に実行して、それ以外は個人的に唱えるという形式に変化していきます。

バロック期以降の聖務日課の音楽はかなりの比率で晩課の音楽が占めていますが、その理由はこういうわけなのです。

ミサに関してはみなさんもよくご存じでしょう。
これは有名なキリストの最後の晩餐に由来するキリスト教の最も重要な儀式で、キリストの血と肉に見立てたパンと葡萄酒を食すことで、主と霊的に一体化することを目指した儀式です。プロテスタントで言えば聖餐式に相当するものです。

カトリックの教義では聖別されたパンと葡萄酒はそのままキリストの血と肉、すなわち聖体と化すことになっています。カトリック特有の聖体祭という祭典はこれにちなんだものです。

大きなカトリック教会では基本的にミサは毎日数回実行されました。時間的には上記の一時課の後、三時課の後が多かったようです。

カトリック典礼と音楽の簡単な歴史

キリスト教が発祥した時から、典礼と音楽は切っても切り離せないものでした。
キリスト教はユダヤ教から分化した宗教のため、初期の典礼はユダヤ教の典礼に大きく影響されています。

初期の音楽はいわゆる単旋律聖歌でした。10世紀以降、これに別の旋律を重ねて歌ういわゆるポリフォニー音楽が発生します。
これはルネッサンス時代のジョスカン・デ・プレやパレストリーナの時期に一つの頂点を形作ります。

それからバロック期になると、音楽の性質が急に変わります。それまではパレストリーナのような静謐な音楽だったのが、オルガン以外の様々な楽器を導入したり、オペラ的な要素を取り入れたりして、典礼音楽は急に派手なものに変わっていきます。

これは音楽と歌詞との結びつきをより明確にさせようという流れの一環でもあって、その萌芽はルネッサンス期の音楽にも認められます。
しかしこの時期それがどんどんエスカレートしていきます。

典礼を執り行っていた聖職者集団は専門の聖歌隊に変わり、場合によってはプロの歌手やオーケストラを雇って華麗な典礼を競うようになっていきます。
下世話な言い方をすればミサや晩課のショーアップ化が進んだわけです。

もちろんこれには地域差があります。教皇お膝元のローマではこの時期もずっとパレストリーナ風の音楽が守られていたようです。それに対してヴェネチアやナポリといった都市ではオペラの隆盛も相まって、典礼はどんどん派手になっていったようです。
ゼレンカのいたドレスデンはこういったイタリアの影響を大きく受けていました。

なぜこのような変化が起こったのでしょうか。それには有名な宗教改革が大きく影響しているようです。

カトリックの典礼の起源は、元々5~10世紀頃の初期の修道会で行われていた典礼にさかのぼります。修道会ですから典礼を構成するメンバーは当然修道士で構成されていました。その結果、カトリックの典礼には非常に細々した決まりができて、いわゆる「聖職者」でないとそれに参加することは不可能になりました。

これは在俗教会でも同様でした。そのため一般信徒は典礼そのものに参加するのはもちろんのこと、典礼を見ることさえほとんどできませんでした。教会の物理的構造で、ミサなどが行われている所は見えなかったのです。彼らにできることは、ただ遠くから聞こえてくる祈りや歌を聴いているだけでした。

宗教改革はそのような典礼に大改革を加えて、信徒が自ら典礼そのものに参加できるようにしました。現在のプロテスタント教会では一般的に賛美歌を歌いますが、そういう伝統はこのときからの事です。

それに対抗してカトリックも内部改革を始めてそれなりの成果をあげます。その際の旗頭となったのがイエズス会です。しかし、それでも信徒を典礼に直接参加させる所までは至りませんでした。
そのような状況で信徒をつなぎ止めるための重要な手段の一つが音楽であったことは容易に想像できます。

ゼレンカ、ハイドン、モーツァルトの時代である18世紀にはそれが絶頂に達します。しかし何事にも程度というものがあります。私たちにとっては美しい音楽がたくさん作られてラッキーとしか言いようがありませんが、宗教的見地から言えば、それは行き過ぎでした。

19世紀中盤にセシリア運動という華美な典礼を戒める運動が起こり、カトリックの典礼音楽はパレストリーナのような古典音楽へと回帰していきます。このような動きはプロテスタント系の教派でも同様で、その結果現在我々が想起する宗教音楽のイメージは、この時代に固まったものなのです。

このため今ではモーツァルトやハイドンでさえ実際の典礼では使用されなくなってしまいました。これは逆の意味でまた行きすぎているように思います。確かにこの時代のミサ曲などを聴くと、もろオペラ風のアリアや派手なオーケストレーションが目立ちます。
だからといってこの時代の作曲家が不敬な気持ちでそれを作ったのでしょうか?

いろいろな意味で現在はカトリック宗教音楽にとっては不遇の時代といえるでしょう。
以上に加えて20世紀の第二バチカン公会議でカトリック典礼の母国語化が進み、パレストリーナなどの伝統的なラテン語ミサ曲さえほとんど使用できなくなりつつあります。
せっかく素晴らしいレパートリーが大量にあるのに、これはあまりにも惜しい状況ではないでしょうか。


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