作品の時代区分
どういう作曲家でも時代ごとに作風は変わる物です。そこで個々の作品解説に入る前に、そういった時代ごとの変遷を概観してみるのも悪くないかと思います。
ゼレンカの作品を時代で区分すると、おおむね以下の5段階に分けられるでしょうか。
初期 | 1709~1714 | ゼレンカ登場 |
楽員期 | 1715~1723 | ウィーン留学を経てドレスデンで売り出し中 |
副楽長期 | 1724~1732 | 副楽長の時代 |
転換期 | 1733~1736 | ハッセに宮廷楽長を取られた後の苦悩の時期? |
晩期 | 1737~1745 | 最後の境地に達した頃 |
- ゼレンカはずっとドレスデンに留まっていたので、バッハみたいにワイマール時代とかケーテン時代みたいな言い方はできないんで適当に名前を付けてみました。
初期
この時期はゼレンカが音楽史上に登場した時代です。
初期と言いましたが1709年といえばゼレンカは30歳です。従って普通の作曲家なら中期の始まりという所なのですが、なにぶんそれ以前の資料が全くないので初期としておきましょう。
ドレスデンの宮廷楽団に採用されたという事実より、その時既にゼレンカは実力ある音楽家として認められている存在でした。また採用時には彼がクレメンティヌムにおける学校劇:栄光の道 ZWV245(散逸)や宗教カンタータ主は疫病を生じさせ ZWV58を作ったことは知られていたでしょう。
ただ彼がすぐにばりばり作曲しなかったということは、彼がその時作曲家としてはまだあまり認められていなかったことを示唆します。
あのバッハでさえも作曲家としてよりはオルガニストとして著名だったことを考えると、まあ納得のいく話です。
この時期の代表作として、1711年の聖チェチーリアミサ ト長調 ZWV1が挙げられることになりそうです。この作品はその後1712年、1719年、1728年と何度も改作を繰り返すことになります。
思うに「君、作曲もできるんだって?一つ作ってみるか?」「はいっ!やります」とか言う感じで作られたのではないでしょうか? そしてまたこれが認められたことによって、ゼレンカのウィーン留学が決まったのかも知れません。
そういう意味ではゼレンカにとって最も思い入れの深かった作品かもしれません。
この時期の音楽はまだ何も録音がない状態なので聴いたことはないのですが、この頃既にゼレンカの特徴である半音階進行や変わった和声の使い方などが顕れているといいます。
ゼレンカはウィーンに留学してフックスの元で対位法を学びます。
この時期現在でも有名な傑作がかなり書かれています。
まず挙げられるのが6つのトリオソナタ ZWV181でしょう。これは以前は1715年頃の作と言われていましたが、最近の研究では1720年頃の作品という説がメジャーになったようです。実際この作品で使用されるオーボエやファゴットの超絶技巧は、ドレスデン宮廷楽団レベルでないと演奏不可と前から言われていました。
宗教音楽では聖週間のための6つの哀歌 ZWV53(エレミアの哀歌)そして聖週間のための27のレスポンソリウム ZWV55がこの時期の音楽です。
この時期の最後を飾るのが、1723年プラハで行われた戴冠式用の音楽です。
その中でも特筆すべきはオリーブの木の下での和解:聖ヴァーツラフの音楽劇 ZWV175でしょうか。聖ヴァーツラフはチェコの国民的な聖人です。そのためかも知れませんが1930年にチェコで蘇演されゼレンカ再評価の最初のきっかけとなったようです。
またこの時にコンチェルト ト長調 ZWV186ヒポコンドリア イ長調 ZWV187序曲 ヘ長調 ZWV188シンフォニア イ短調 ZWV189といった現在残されている器楽曲の多くが作られています。
いずれにしてもこの時期にゼレンカは、対位法技巧やイタリア風のコンチェルト形式などに完全に習熟した、自他共に認められる作曲家となったと思われます。同時にゼレンカの音楽スタイルもここに完成しました。
楽員期における様々な傑作やプラハでの成功はゼレンカの宮廷楽団内の地位を一気に高めたと思われます。
今出ている物でいくつか挙げるとすれば、まず1733年のアウグストI世逝去の際のレクイエム ニ長調 ZWV46でしょうか。これはレクイエムといいつつ派手なファンファーレで始まったりする大変特徴ある作品です。
また1731年頃のレクイエム ニ短調 ZWV48も優れた作品です。これは大変レクイエムらしいレクイエムです。また1724年のゼレンカの父イジー死去の際に作られた詩編129編:我深き淵より ニ短調 ZWV50も10分程度の小曲ながら大変印象深い作品です。
ミサ曲では我らが主イエスキリストの割礼ミサ ニ長調 ZWV11やミサ「大いなる感謝を捧ぐ」 ニ長調 ZWV13があり、これは非常に祝祭的なミサ曲です。
とにかくこの時期は作品数が多いので、いちいち名前を挙げていられません。その他を大ざっぱに言うと、ミサ曲に関しては上記以外にも ZWV5~ZWV16 がこの時期のものです。詩編唱に関しては(ZWV99)を除けば全てこの時期の作品です。2曲残っているマニフィカト ZWV107 ZWV108 もそうですし、同じく2曲あるテ・デウム ZWV145 ZWV146 も同様です。
しかしなぜかこの時期の作品は紹介が遅れていて、どれが代表作か大変言い難いです。乱作して質が落ちているということもありません。録音が出てきている作品を聴いてみれば、詩編唱などの小曲であっても素晴らしい物が多いです。
1733年の選帝候の死はゼレンカにとっても大転機になりました。彼がどの程度本気で狙っていたのかは分かりませんが、いずれにしても本来ならば手にしていたであろう宮廷楽長の座を逃したのは彼にとって大きなショックだったでしょう。
まずこれ以降ゼレンカの新作の数がめっきり減ります。ただこれは選帝候の死と同時にポーランド継承戦争が起こり、それどころではなかったというのが実状でしょう。
それより重大なのはこの時期を境にゼレンカの作風が変化していくことです。
ここで問題なのが、イタリア的作風への転換が一時的なものではなく、ゼレンカはこの後も、特に誰に気兼ねする必要もない最後のミサ曲にまでも、一貫してそういった要素を取り込み続けたということです。
この転換期はゼレンカがそういう苦心をしている期間といえるでしょう。
この時期の代表作として、1735年に作られたオラトリオのカルバリオのイエス ZWV62や同1736年の救い主の墓前の改悛者 ZWV63があります。これらはほぼ全編ハッセ風のアリアで構成されている作品です。
評価するにはいわゆるバロックオペラの傑作、例えばヘンデルのオペラあたりと比較してみないといけませんが、これがまた入手しづらい上に、海外盤を買うと何を歌ってるのかさっぱりなんで手を出すのになかなか根性がいるもんで……
1736年の末、ゼレンカは聖三位一体ミサ イ短調 ZWV17を完成させます。これよりゼレンカが最後の境地に達した時期が始まります。これ以降の作品にはゼレンカの持てるあらゆる要素が含まれています。
このあたりでゼレンカはイタリアの最新様式に関して自分なりの結論を出したように思います。
この時期の音楽はいずれも傑作揃いです。ミサ曲では上記の物の他に、1739年の奉納ミサ ホ短調 ZWV18そして最後のミサ曲シリーズの父なる神のミサ ハ長調 ZWV19神の御子のミサ ハ長調 ZWV20全ての聖人のミサ イ短調 ZWV21が生み出されます。
また後にチェコで筆写譜が発見されたレクイエム ハ短調 ZWV45もまたこの時期の物ではと推定されているようです。
この時期のゼレンカの音楽は基本的に父親とクレメンティヌムの教育によって形作られた物と思われます。従って逆にこの時期の音楽を聴くことで、当時のボヘミアの音楽やイエズス会の推奨する音楽の動向が分かりそうで興味深いところです。
楽員期
この楽員期と名付けた期間は、その成果が現れ、ドレスデンで作曲家としての地位を固めていく期間です。
レスポンソリウムは当時ではゼレンカの代表作と考えられていたようで、ゼレンカの死後ピセンデルがテレマンにこれを出版してもらうよう頼んだというエピソードがあります。
しかし逆にこれがゼレンカの作ったほとんど最後の器楽作品となりました。その理由に関してはよく分かりませんが、皇太子の音楽の好みに合わなかったということが一番考えられそうな理由です。
副楽長期
その後ゼレンカはルーチン的に教会音楽の作曲を開始します。残されているゼレンカの音楽のなかで最も数が多いのがこの時期の作品です。
この時期はゼレンカの世俗的な意味での絶頂期で、ハイニヒェンの後を継げるという望みもあり、最も自信にあふれていた時期かもしれません。
他の節で特記しなかった曲はほとんどこの時期に書かれたと思って良いです。
これは多分いろいろとエピソードのある後期作品に比べて、そういう意味でのインパクトに欠けるためでしょう。後期作品は一通り録音が出そろった感があるので、今後はこの時期の作品の紹介が進むと思われます。
転換期
生涯の所でも書きましたが、1733年の8つのイタリア風アリア ZWV176で最初にゼレンカはハッセ風の音楽を取り入れようとしています。
このことはゼレンカが政治的な理由で作風転換したのではなく、そういうスタイルの作品にも十分な価値を認めたからなのではないでしょうか。ゼレンカはこの年54歳ですが、なおかつ貪欲に新しいことを吸収しようとしているのは頭が下がります。
これらの作品はかなり評価が分かれているようです。上記の二つは実際にCDが出ていて筆者も聴いてみましたが、これらが成功しているかどうかは、ちょっとまだ私には判断がつきかねます。
晩期
ここに来て、もはや他人には真似のできないゼレンカ独自の世界が作り上げられたと言っていいでしょう。
ゼレンカは結局「メインの旋律と和声的な伴奏」というハッセの、そして今後主流となる方法をそのまま取り入れることはしませんでした。彼は主旋律はカデンツァを含むイタリア風を導入していますが、伴奏部はあくまで通奏低音で、しばしば対旋律が主旋律と対位法的に絡み合ってきます。すなわちイタリアのオペラアリアとは違う、古典的なモノディ形式とも違う、いわば「ゼレンカアリア」とでも言うべき物ができあがっているのです……などと言い切っていいのか?
1737年のミゼレーレ ハ短調 ZWV57やマリア・ヨゼファ妃の病床の折に作られた二つの聖母マリアのためのリタニア“傷ついた物の慰め"ZWV151“病める者の快癒"ZWV152 も、最後の5大ミサに劣らぬ素晴らしい作品です。