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レクイエム

レクイエムといえば宗教音楽の中では最もメジャーなジャンルになるでしょうか。

普通の宗教音楽は主に神を讃えることが目的なので、ある意味抽象的なものになりがちです。例えばミサのグローリアは「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ」と始まりますが、信者でない人にとっては、ふーんといった程度の印象しかないでしょう。
しかしこれが「主よ永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らに照らしたまえ」となったらどうでしょう。この詩句から引き起こされる感情は、多分世界共通でしょう。

理由はそれだけではないでしょうが、ともかくレクイエムには古今東西の傑作が目白押しです。そしてゼレンカもまたその中に大変素晴らしいレパートリーを少なくとも3曲残してくれています。

ゼレンカ作もしくはその確証が高いレクイエムは ZWV45,ZWV46,ZWV48,ZWV49 の4曲あります。ただZWV49は不完全な形でしか残されていないようなので、ほぼ形の揃ったものは最初の3曲ということになります。

残された曲を聴いてみるとどれも大変に個性的な名曲揃いと言っていいでしょう。これらは間違いなく、後期バロックレクイエムの最高傑作でしょう。なにしろありそうでないのがバッハのレクイエムなもんで……

レクイエム対訳を別ウインドウで開いとく

“レクイエム ハ短調 ZWV45

編成:solo SATB; ch SATB; 2 tbn; bass tbn; 2 vn; va; b.c.;

この作品はゼレンカの最高傑作の一つであり、クラシック音楽全ジャンルひっくるめてた中でもトップクラスの名曲だと思います。
また同時にこれを聴いたことをきっかけにゼレンカにはまってしまったという、私にとって最も思い入れの深い作品でもあります。

思い起こせば今から15年にもなりますか。ちょうどその頃の確か正月にTVでアマデウスをやってたわけです。そして私の場合も多くの人と同様にその後レコードショップに走ってモーツァルトのレクイエムを買ってきて、うお~やっぱこいつ侮れん~とか叫んでました。
で、しばらくそればっかり聴いてたんですが、やっぱりさすがに飽きて来るんで、じゃあ何か違った物を……という時に掴んだのがこの作品だったわけです。

ところで多くの場合「あの感動をもう一度」と思って別物に手を出したら、大抵は失望します。ところがこの場合は違いました。モツレクを聴き倒した後に聴いたというのに、全く遜色なしに感動できたわけです。これがどういうことかというと、この作品はモツレクに匹敵する名作だと言うことを意味するわけです……少なくとも私の中では、と書いておかないとやばいか?

といってもゼレンカの音楽はモーツァルトに比較するとかなり地味です。ドラマティックな盛り上げ方とかを比較したら、そりゃお話にもならないわけです。しかしゼレンカのレクイエムを聴いた後だと、モーツァルトの音楽はゼレンカに比較するとケバい!という気になってきたりして、モーツァルトを大輪の薔薇に例えれば、ゼレンカは野の白百合とでも言いますか、何だか勢いだけで書いてますが……要は、両者の音楽の作りには当然ながらかなりの違いがありますが、レクイエムとして聴いたときに聴き手に与えられるインパクトにおいては、両者かなり拮抗していると言いたいわけです。

また特にこの作品は、モーツァルト以降のレクイエムと直接比較できる、いわゆるレクイエムらしさを持っているように思います。
何か意味不明ですがここで言う「レクイエムらしさ」とは、私たちの良く知っているレクイエム、モーツァルトとかフォーレとかヴェルディなどのレクイエムに共通する(と筆者が思っている)特徴のことを指しています。

古典派以降の音楽とそれ以前の音楽の最大の違いというと、やはり中心に人間がいるかいないかというところにあると思われます。ルネッサンスポリフォニー音楽は大変美しいですが、それは何か人間離れした幾何学的美しさとも言えるでしょう。それに対して特にベートーヴェン以降の音楽となると、音楽とは生々しく人間の感情を現すものになっていきます。

バロック期とはそれのちょうど橋渡しの時期ですが、やはりまだまだ感情表現という意味では未発達と言わざるを得ません。そのためバロック以前の音楽を聴くときは、感情表現のやり方が現在とは異なっているという知識を持って、音楽を聴く必要があったりします。

しかし、ゼレンカのこの作品はそういう前知識なしに素直に聴いて全然OKです。その理由はこれが単に美しいからだけではなく、ここからゼレンカの真摯な想いがひしひしと伝わって来るような音楽だからなのでしょう。
そういう意味では当時としては非常に先進的な音楽だったのかも知れません。

ゼレンカの音楽には多かれ少なかれこういう要素が含まれていますが、それ故に彼の作品は現代の聴衆にもそのまま受けとめられる、時代を超えた普遍性を持っていると言えるのだと思います。

ところでこの作品はドレスデンの目録には含まれていません。プラハで発見されたゼレンカ作とされる写譜が元で、現在の研究ではほぼゼレンカの物ということになっているようです。
そういうこともあって、この作品はいつどうして作られたかはよく分かっていません。

ゼレンカのレクイエムは当時の人をも魅了したようです。そのため彼はいろいろなところかレクイエムの依頼を受けたという話もあります。
ゼレンカはプラハのクレメンティヌムやハルティッヒ家とは最後までつながりがあったようなので、そこから個人的に依頼が来るのは当然ありそうです。この作品もそういった中の一つなのかも知れません。



さて曲の内容ですが、この作品はレクイエムの詩全てに対して作曲されているわけではありません。Offertorium はなく、Sequentia も一部にのみ作曲されているようです。また最後の Communio も全部作曲されているわけではありません。

最初の Introitus ではまず合唱で Requiem (1)と歌われた後 aeternam dona eis Domine の部分は、見事な対位法的合唱が続きます。
et lux perpetua luceat eis の所になるとSTの美しい二重唱になります。
2の Te decet 以下はABの二重唱となり、3では再び1と同じ楽節が再現します。

続く Kyrie の部分は、まず4のキリエはフーガになっています。5の部分はASの二重唱によるアリア、6ではまた4のフーガが再現する構造です。
このキリエのフーガですが、これはすごいです。私個人としましては、古今東西のあらゆるフーガの中で一番好きな曲と言っていいです。
フーガの後半部に出てくる下降音型は、“父なる神のミサ ハ長調 ZWV19”のクレドの Crucifixus にも出てきています。

続いて Sequentia すなわち、ディエス・イレの部分に入りますが、ここは歌詞の一部にしか曲が付いていません。こうなっている理由はよく分かりませんが、たぶんここにまともに曲を付けていたら長くなりすぎるからのような気がします。
実際ゼレンカはここに完全な音楽を付けているのはZWV48だけですが、これも歌詞の同時並行技を使っていて曲の長さを短縮させています。たぶんこの当時の習慣として、ここは完全なものではなくとも良かったのだと思われます。

7の Dies irae の部分は付点音符の伴奏の上に、荒々しく始まります。
次いで中間部の歌詞によるアリアが4曲続きます。
最初は8の Quantus tremor 部をSTの二重唱で歌います。次いでAが9の Tuba, mirum を歌います。この部分の伴奏ではよく本当にラッパを吹き鳴らすのが多いのですが、この作品の場合はシンプルなA独唱になっています。
続いてBが10の Mors stupebit を非常に打ち沈んだ雰囲気で歌い始めます。この曲はなぜか11、12を飛ばして13の Quid sum にそのまま連続していきます。
そして次に11の Liber scriptus の部分に戻ってAが独唱で歌い、そこからすぐに24の Lacrimosa の合唱が始まります。

この Lacrimosa も構造は非常にシンプルですが、大変印象的な美しいラクリモーサです。
それが終わると25の Huic ergo のフーガが始まります。このフーガは後半に、キリエのフーガにも出てきた下降音型が入ってきます。

この作品には Offertorium がないので続いて Sanctus が始まります。
31、32の部分は連続した音楽になっており、最初は静かな合唱で始まります。その後 Pleni sunt の所ではSTの二重唱が入り、Hosanna(32)ではまた合唱になります。
33の Benedictus はSABの重唱となります。34の Hosanna はフーガ風の合唱となってこの節が終わります。

Agnus Dei の部分は、3度繰り返されますが1回ごとに音楽が異なります。
最初の Agnus Dei は静かな合唱で歌われます。2度目の物は最初T独唱で始まり、それに他の独唱者が加わり、最後には合唱という形式になります。3度目の Agnus Dei はまたがっしょになりますが、dona eis 以降がフーガになります。

曲の最後になる Communio は36の Lux aeterna の部分のみで、37の Requiem aeternam には曲は付いていません。
36の部分はB独唱で歌われる短くてシンプルな曲ですが、大変美しい部分です。
それが終わると再び合唱で cum sanctis が歌われて全曲が閉じられます。

レクイエム対訳を別ウインドウで開いとく

“レクイエム ニ長調 ZWV46

編成:solo SATBB; ch SATB; 2 tpt; 2 hrn; timp; 2 fl; 2 ob; chalumeau; 2 vn; va; b.c.;

前回取り上げたハ短調レクイエムZWV45は、ある意味非常にレクイエムらしいレクイエムでした。言い換えると私たちが一般的にイメージしているレクイエムのイメージそのままの音楽だからです。
それに対してここで取り上げる作品は、最もレクイエムらしくないレクイエムかもしれません。

この作品は1733年のアウグストI世逝去の際に作曲されました。アウグストI世はもちろんドレスデンの盟主でありゼレンカの雇い主でもあります。当然ゼレンカにとっては最も重要な人物と言っていいでしょう。

ところがこの作品は見ての通りニ長調という調性です。器楽構成も今までの中で最も派手と言っていいでしょう。実際音楽が始まると、いきなり金管楽器全開の華やかな雰囲気で始まり、知らなかったら「おい!ちょっと!王様死んでるんだぞ」と突っ込みたくなるかもしれません。
もちろんゼレンカが王の死を喜んでいるわけではなく、これにはもっと深い理由があります。

国王の逝去というのは最も悲しむべき出来事ですが、それは同時に次の国王の即位という最も喜ばしい出来事の前触れでもあります。ここでひたすら悲しいばっかりの音楽を作ってしまうと、次に即位するアウグストII世に対して失礼にあたる恐れがあるわけです。

このレクイエムはそういった意味で、前王の死の悲しみと、新王即位の喜びを同時に表している作品なのです。しかもその二つの気分が単に並列されるのではなく、対位法的に絡み合ったりして、両極端の雰囲気が見事に解け合っている、ゼレンカの非凡さを現す名曲といえると思います。

Introitus はまずフルオーケストラの派手な前奏から始まります。金管楽器全開で非常に華やかですが、前に述べた“我らが主イエスキリストの割礼ミサ ニ長調 ZWV11”などの脳天気さはなく、どこかに愁いを帯びた感じがするのはやはりレクイエムだからでしょうか。
その後1の Requiem aeternam の合唱が始まると、ここからは紛れもなくレクイエムとなります。et lux の部分では合唱に前奏で流れたモチーフが対位法的に組み合わされます。

2の Te decet の出だしはグレゴリオ聖歌で歌われ Exaudi orationem 以降は叫ぶような合唱となります。
これが終わると Requiem aeternam の再現がなく、連続して Kyrie(4)が始まりますが、ここはごくシンプルで、すぐ Christe eleison(5)のSのアリアとなります。
この作品だけでなく次の“レクイエム ニ短調 ZWV48”もこのように Introitus と Kyrie が音楽的に連続していますが、これはドレスデンの習慣だったのでしょうか。

第二 Kyrie(6)は祝典的晴れやかな雰囲気の合唱によるフーガです。伴奏も派手です。

Sequentia は明るい楽節と沈んだ楽節が交互に現れるような構成となっています。
Dies irae(7)もかなりイメージと違う人がいるかも知れません。ここは3拍子の祝典的合唱です。Quantus tremor(8)では沈んだ感じのモテット風になります。

しかし Tuba, mirum(9)になると今度は本物のトランペットファンファーレ付きの喜ばしい男声合唱となります。
Mors stupebit (10)で再び沈んだ合唱となり、11~13の Liber scriptus 以降はAによるなかなかな独唱となります。

Rex tremendae(14)以降がこの部分のクライマックスでしょう。
まずここの部分が合唱で歌われると、次いで Recordare(15、16)がAによって歌い上げられます。曲が Juste judex(17、18)に入るとTが加わってきます。
この部分の音楽はゼレンカの書いたアリアの中でも最高傑作の一つでしょう。ヴァイオリン、オーボエの物憂げな旋律とATの絡み合う様は、ひたすらうっとりと聞き惚れてしまいます。

19~23が省略され、Lacrimosa(24)が始まります。ここの音楽は「涙」よりも「罪人の裁かれる日」という言葉に呼応して作られたのか、泣き叫ぶような激しい音楽になっています。

最後の Huic ergo(25)では再び冒頭の雰囲気が戻り、最後の dona eis requiem では打ち沈みますが、全体は華やかな終曲となっています。

で、申し訳ないですが、実際は更にこれ以降も音楽が続くのですが、録音が1種類しかなくその Offertorium 以降がカットされてるので、このあとがどんなもんなのかはこれ以上書けません。

“レクイエム ニ短調 ZWV48

編成:solo SATB; ch SATB; 3 tbn; 2 fl; 2 ob; chalumeau; 2 fg; 2 vn; 2 va; b.c.;

この作品はオーストリア皇帝ヨーゼフI世(1711年死去)の追悼のためにマリア・ヨゼファ妃より依頼され、1730~32年頃書かれたと推定されています。
これも国王級用のレクイエムですが、ニ長調レクイエムZWV46のような微妙な問題があるわけではないので、こちらの方はレクイエムらしいレクイエムとなっています。

しかし同じレクイエムらしい音楽といっても“レクイエム ハ短調 ZWV45”とはまた違った趣があります。ハ短調レクイエムはある意味古典派・ロマン派系の音楽に近いのに対して、こちらのニ短調レクイエムはバロック的な表現方法をとっているといえるでしょう。

ゼレンカはこのように残した3曲のレクイエムがそれぞれ異なっており、なかなか興味深いところです。
このニ短調レクイエムはこの3曲の中では表現的には最も地味ですが、やはりそこに秘められた情感はすばらしく、これも傑作の一つと言って良いでしょう。

ところでこの作品は他と違ってほとんど歌詞に省略がありません。
しかしそうした場合、全体が長くなりすぎるという問題が生じます。ミサなどの儀式に要する時間は決まっているため、それに合わせて音楽を作るのは常識でした。

レクイエムの場合は特に Sequentia の詩(すなわち Dies irae)が非常にドラマティックで創作意欲を刺激するのですが、いかんせん長大なため本気で曲を付けていると時間オーバーしてしまいます。
他のレクイエムでこの部分の詩が一部カットされているのは、無理して全文に曲を付けて駆け足な音楽にするよりは、適当に抜粋してじっくりと音楽を付けた方がより効果的だという判断によるのだと思われます。

それに対してこのニ短調レクイエムでは別な方法が採られています。それは複数の歌詞を同時並行させるという大技です。対位法の得意なゼレンカにとってはある意味朝飯前の方法だったでしょう。
これはゼレンカの専売特許ではなく、この当時の作曲家にはよく使われた時間短縮の手法でした。しかし19世紀に入るとこういう手法を使うのは禁止になってしまったといいます。

さて、作品の Introitus はまず器楽の渋いフーガから始まります。しばらくして同じテーマで Requiem aeternam(1)のフーガ合唱が入ります(たぬきさんよりの譜例)
Te decet(2)の部分はグレゴリオ聖歌旋律で歌われ Exaudi 以下がSATBによる重唱で導入されその後合唱も加わります。Requiem(3)は省略され、そのまま Kyrie(4)に入っていくのはZWV46と全く同じ構成です。
Christe eleison(5)はSBによる対位法的な重唱で、その後第二 Kyrie(6)の見事な半音階的フーガがになります。

次いで Sequentia ではまず Dies irae(7)が速いテンポの荒々しい合唱で歌われます。
その後8~23の部分が平行して歌われる所です。
この部分は5部に分けられ、以下のような構成になっています。
B (8)S (13-14) B (9)A (15-16) B (10)S (17-18) B (11)T (19-20) B (12)T (21-23)

この部分はいずれもまずBが歌い出して、その後それに呼応するようにS,A,Tが入ってきて、両者がかけ合うように続きます。どの部分も見事な音楽と言っていいでしょう。

その部分が終わると Lacrimosa(24)が始まり、この部分は1行1行じっくりと想いを込めて歌われます。最後の Huic ergo(25)は合唱フーガとなってこの部分が終わります。

Offertorium は大きく2部に分かれます。
まず Domine Jesu(26)の部分はグレゴリオ聖歌で歌われます。続いて libera animas の部分はモテット風の美しい合唱になります。
ibera eas 以降(27-28)はSATBによる重唱となります。この部分は各行ごとにソリストが交替するような感じで入れ替わり立ち替わりの音楽です。
その後 quam olim Abrahae は合唱フーガとなります。

Hostias et(29)ではまたグレゴリオ聖歌が入り、tu suscipe 以下はモテット風の合唱となります。そして30の quam olim Abrahae でまた同じフーガが繰り返されます。

Sanctus(31)ではまずここが前奏風に合唱で歌われたあと、もう一度フーガで歌われます。続いて Dominus Deus 重唱で始まりますがすぐ合唱が加わり、様々に交錯した音楽となります。
続く Hosanna(32)はSATBが同様に交錯する対位法的音楽となります。
Benedictus(33)はまた穏やかなフーガ風合唱となりますが、Hosanna(34)と同時並行して進むところが特徴的です。

Agnus Dei(35)はシンプルな楽曲が3回繰り返されます。
最初の Agnus Dei1は全体が合唱で歌われますが、Agnus Dei2はSAに導入されて合唱が続きます。同様に Agnus Dei3ではTBに導入されて合唱になります。

最後の Communio は非常にシンプルで、Lux aeterna luceat eis Domine(36)はグレゴリオ聖歌で歌われ、cum sanctis 以下はモテット風のシンプルな合唱です。
最後の Requiem(37)冒頭(1)の音楽が繰り返されて全曲が終わります。37の cum sanctis 以下はありません。


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