国見山(霜野山)の麓の山岳密教寺院                          文字サイズ:               
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熊本県山鹿市の
  鹿央町霜野に
  ありますよ
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        霜野の昔話と伝説    No.6 



翁が淵
康平寺に向かう参道の右下にある「翁が淵」
翁 
「老修行者?」
*『鹿央風土記』(角田豊著)の
 「霜野むかし話」をもとに、熊本
  弁にして再構成したもの


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6.
翁が淵
 霜野にゃ、なんさま、井川(イガワ、湧水を井戸として利用している所)の多かもん。何しろ、まわりば山でグルッと囲まれとるし、山にゃ、木の茂って、降った雨がずうっとしみ込んで、よか水のあっちにもこっちにも湧き出しとるとたい。
 康平寺のごたる、大がかりな山岳密教寺院が、この霜野村(もとの6部落からなる山内村全体)に進出してきたつも、よか水のどしこでん湧いて出(ズ)るけんだろうな。どがん干ばつの時も涸れたこつはなか。康平寺も、水ば大事(ジャージ)にして、井戸ば作る時も、梵字ば彫り込うで、立派な石組みをして、上には屋根ば葺いた井川ばいくつも作っとるもん。

 大体、川ていうとは、上流の湧き水の集まって流れとるばってん、そういう上流にゃ、お観音さんや、弁天さんば祀ってあるもん。だけん、お観音さんや、弁天さんな、水の神さんたいな。

 康平寺が真堂浦にあった時も、そこが、水のどんどん溢れち流るるところで、よか井川もいくつもあるところだけん、あの有名なお観音さんと、ご家来衆の二十八部衆ばお作りして、祀っとったったい。
 江戸時代に、真堂浦にあった康平寺の荒れ果てち、お観音さんが今の本堂口においでたつも、そこが霜野川の上流だけん、わざわざここば選んで、来なはったったい。


 とこっで、康平寺の観音堂からまっすぐ坂ば下る途中に、霜野川が、滝になって激しゅう流れ落ちとるところのあるもん。そこが、「翁が淵」たい。水の勢いの激しゅうして、岩盤ば深うえぐって、どしこ深かかわからんくらいたい。この「翁が淵」の左上は、参道になっとるばってん、道脇には、井川のあって、水が湧き出しとるもん。昔は、このあたりの農家は、朝晩ここから、桶に水ばくみ入れて、六尺の担い棒で、家まで運んで、飲み水、炊事、風呂に使いよったったい。「洗濯は?」、洗濯は、川でしよったったい。今でん、この滝の右上の家は、この井川かる、モーターで水ばくみ上げて使いよんなはる。


 この滝は、「翁が淵」ていうばってん、「淵」ていうとは、ふ~かか所ばいうもんな。ばってん、このあたりの人たちゃ、「おきながぐち」てしか発音さっさんもん。直訳すっと、「じいさんの口」ていう意味になってしもうち、滝と「じいさんの口」じゃ、何のこつかわからんたい。

 この滝は、上の方がちょっとした渓谷になって、鬱蒼(うっそう)と木の茂って薄暗かもんな。そして、5mくらいの高さから流れ落ちて、滝壺は、14、5畳ほどあって、子どもの背丈じゃ、うんぶくるる(おぼれる)ごつ深かもん。その上、滝壺の奥の方は、どこまで続いとるかわからんほど、深うほげち、そばさん近寄ったら、引っ張り込まるるごたる。
 だけん、昔は、子どもば持つ親は、「あすこに行っちゃならん。翁の、お前ん足ば握って引っ張りこますぞ」と戒めよったてったい。今ん子は、川遊びばせんけん、言わんごつなったばってん。
 で、「翁の、お前ん足ば握って引っ張りこますぞ」て、どうして言うかて言えば、こやん言い伝えのあっとたい。

 昔、ある日のこと、この滝の上に白装束の翁の立っとんなはったそうたい。長~かこつ、お経ば唱えとんなはったばってん、えゝさゝして(しばらくして)、身ば躍らせち、ザッブ~ンて、跳び込みなはったてったい。その後、どうなったかは、誰も知らん。きっと修行者だったつだろうな。
 この翁が、どうしてここに跳び込んだかと言えば、この滝の上流には、康平寺のあって、そこに観音さまのおんなはる。それで、この滝壺の奥は、普陀落(ふだらく)浄土(じょうど)につながっとるて、しんから思うて、入水(じゅすい)しなはったっだろな。

 普陀落浄土て言うとは、遥か遥か海の遠くに、観音さまがおんなはる極楽浄土があって、そこに行けば、な~も心配ごつもなか、苦しかこつもなか、死ぬこつもなか、永遠に平和で静かに暮らさるると考えられとって、例えば、玉名の繁根木八幡宮からは、「わたくし○○は、今かる普陀落浄土さん参りまする。」て、石碑ば刻んで、船に乗り込み、船の入口は上から戸板ば打ち付けちもろち、もう一切外さん出られんごつして、お経ば唱えながら、波の運ぶまま、船の中でミイラとなって、どこまでもどこまでも流されていった人の何人もおんなはったて。繁根木八幡宮の境内には、今も「普陀落渡海之碑」のいくつか建っとる。

 昔は、煩悩(ぼんのう)ば断ち切って、清らかな心で極楽往生ば願う、信仰心の厚か人の、あちこちにおんなはったつかなあ。「翁が淵」の老修行者も、きっとそういう人の一人だったつだろうなあ。(おしまい)

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