「彩色供養 院主 禎久 正和元年(1312)十月日」 *禎久さんは、今から700年前に、すでに作られていた 「千手観音と二十八部衆」にお化粧してやったり、 衣服の色を新しくしてやったりして、供養なさった そうです。
・京都三十三間堂の二十八部衆は、火災・地震 のため、文永2年(1265)に再建されたそうです。 康平寺は、「1312年に彩色供養」されたわけで すから、三十三間堂の二十八部衆が作られて から、まもなくこの地でも作られたのですね。
・榧(カヤ)材で、110.7cm *榧の木は、碁盤にも使われる大変いい木材で、平安 時代(貞観の頃)に、奈良や京都の有名な仏像は榧 で彫ってあります。
・摩尼(マニ)宝珠を盛った鉢を持っています。
・昭和56年の調査の時、足柄(アシボソ)の内側に 「大弁功徳天」と墨で書いてありました。
・榧材で、高さは108.8cm
・くちばしのとんがった鋭い目つき、 背中の羽も大きい。まるで、天狗のよう。
・でも、音楽の神で、今笛をふいているところです。 (笛は、残念ながら、無くなってしまいました。)
・檜(ヒノキ)材で、高さは105.7cm