『鹿央町史』所収(角田豊作成の『康平寺関係地図』の一部)
『肥後国霜野山康平寺』(角田豊著)所収
1.平安初期、9世紀 康平寺(康平元年、1058年)創立より 約200年前の寺院 2.密教寺院(真言宗) 3.場所は、真堂浦にあり、のち、「康平寺」が 創立されたと思われる
4.9世紀の考古学資料
「地蔵菩薩立像」
「越州窯磁器」
「布目瓦」
阿弥陀如来(鎌倉時代、11世紀) 定朝様式 昭和6年と、10年に火災に遭うも、熊本市花園の松原祥雲師により修復してもらう。
『肥後国誌』 「(補)又云真堂本尊阿弥陀仏聖徳太子御作。 座像の大佛ナリ。」とあるが、聖徳太子作ではないと思われる。 但し、「真堂本尊阿弥陀仏」とあるのは、「真堂」の存在を示している。
霜野の人々が「ダントウさん」 と呼ぶ、古塔の集まっている場所
元亨(ゲンコウ)2年(1322)3月26日 僧「禎久(テイキュウ)法印」の菩提を弔うために 13人の大徳(学徳ある僧)たちが建立。 162.5cm 現在、双輪上部が欠けている。 塔の中に「如法経(法華経)」を書写して収めてある。
『肥後国誌』(真堂浦の条) 「備考云該所(ガイショ)ハ原(モ)ト真言宗古刹(コサツ)ノ旧跡ト云、何頃(イツゴロ)廃セシヤ詳(ツマビラカ)ナラズ今墓地ト成ル山寺号トモ伝ラズ云々」とある。
この如法経塔の銘文によると、 「禎久(テイキュウ)」という鎌倉時代の康平寺の院主は、「當山ノ堂舎仏像ヲ開発シ・・・」と書いてある。
また、「千手観音と二十八部衆」の中の「帝釈天(タイシャクテン)」と、「満善車王(マンゼンシャオウ)」の足枘(アシボソ)に墨で、「彩色供養、院主禎久、正和(ショウワ)元年(1312)十月日」とあり、2つの記述が一致する。
「禎久」は、平安時代の康平元年(1058)に、真堂浦に建立された康平寺を、鎌倉時代に再興した高僧と言える。
『肥後国霜野山康平寺』 『古仏の群像』 『曼荼羅の里 霜野』 (いずれも角田豊著)参照