国見山(霜野山)の麓の山岳密教寺院                          文字サイズ:               
康平寺バナー
熊本県山鹿市の
  鹿央町霜野に
  ありますよ
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             康平寺の歴史
時  代
                  摘                 要
奈良時代
延暦7年(788) 最澄(サイチョウ)が比叡山(ヒエイザン)に、天台宗の比叡山寺(延暦寺エンリャクジ)を建立(コンリュウ)
 *(のち、康平寺には、この「天台(テンダイ)系」と空海の興した「真言(シンゴン)系」の両方が入ってくる)
平安時代
大同4年(809) 嵯峨(サガ)天皇即位(ソクイ)。高丘(タカオカ)親王を皇太子となす
 *(高丘親王は、のち出家して「暁圓(ギョウエン)上人(ショウニン)」となったという説がある)
大同5年(810) 藤原薬子(クスコ)の乱。高丘親王を皇太子にすることをとりやめる
弘仁10年(819) 空海(クウカイ)が高野山(コウヤサン)に、真言宗の金剛峰寺(コンゴウブジ)を建立
弘仁13年(822)頃 高丘親王、空海の弟子となり、真如(シンニョ)と改む
貞観元年(859) 合志(カワシ)郡を分けて山本郡(「霜野荘(シモノノショウ)」が入っている)を置く  (『三代実録』 五月四日の条に記載 )
貞観3年頃(861) 平城(ヘイゼイ)天皇の第三皇子の「暁圓上人(=真如親王?)」、霜野にて修行(?)
貞観4年頃(862) 真如親王、僧の宗叡(ソウエイ)たちと入唐(ニットウ)
貞観7年頃(865) 真如親王、羅越(ラエツ)国(シンガポール付近)にて、死去 67歳
(平安中期~) この「霜野」一帯が、藤原氏の私領地である荘園(ショウエン)となる
永承7年(1052) この年より、末法(マッポウ)の世に入ると信ぜられ、人々の不安が増していった
康平元年(1058) 康平寺建立
恵公
(ケイコウ)上人、長福寺(のち、永福寺)建立
霜野荘(シモノノショウ)は康平寺領として、叡山(延暦寺)に寄進し、比叡山を本所(ホンショ)と仰いでいたか?
保安元年(1120) 藤原信通(ノブミチ)、父宗通(ムネミチ)の臨終(リンジュウ)に際し、「三重荘(ミエノノショウ)を伝領(デンリョウ)した」(『台記』)
保延3年(1137) 平清盛(キヨモリ)が肥後守(ヒゴノカミ)となる
嘉応年中 平重盛(シゲモリ)、康平寺を再興(?)
鎌倉時代(1185~) 
文治2年(1186)  『吾妻鏡』この年の二月、「今日、(大江)広元(源頼朝から) 賜 肥後山本庄・・・」とある 
永仁2年(1294) 康平寺に、(元寇ゲンコウに対し)異国降伏(イコクコウフク)の祈祷(キトウ)の関東御教書(カントウミキョウショ)くだる
永仁6年(1298) 霜野の稲荷山(イナリヤマ)中腹に、トウリン平(ビラ)の板碑(イタビ)建立
正安4年(1302) 「(康平寺の)住僧禎宣(テイセン)法印(ホウイン)、依請御祈祷所(コヒニヨリゴキトウショ)トナリ院宣(インゼン)
左ニ記ス云々
(ウンヌン)」  (『肥後国史』)
この間に この頃、禎久(テイキュウ)法印、盛んに堂舎(ドウシャ)仏像を開発する。
元亨2年(1322) 禎久法印、死去 63歳
霜野の真堂浦
(シンドウウラ)に、禎久法印の供養のために、如法経塔(ニョホウキョウトウ)造立
南北朝時代
この間に 菊池氏、肥後守となり、霜野荘は、菊池市の配下に入る
明徳元年(1390) 内空閑(ウチノコガ)基貞(モトサダ)、伊賀国(三重県)より下向(ゲコウ)し、山本郡主(ヤマモトグンシュ)となる
この間に 一部の寺領を残して、霜野荘は消滅し、内空閑氏の所領となる
康平寺は、
内空閑氏の菩提寺(ボダイジ)として援助を受ける
安土桃山時代
天文年間 康平寺、一時繁栄する
天正15年(1587) 肥後国衆一揆がおこったが、豊臣秀吉方により鎮圧されて、内空閑氏滅亡
天正16年(1588) 加藤清正、肥後守となる
池田忠兵衛、禄高(ロクダカ)二千石をもって、山本郡(霜野荘も)を治める
江戸時代
寛永年間 慶致(ケイチ)法印、真堂浦から、康平寺を現在の地に再建
寛永13年(1636) 現在の康平寺開山、慶致法印、死去
現代
昭和51年(1976) 本堂内の地蔵像(平安時代)など仏像の美術的価値発見
平成2年(1990) 地蔵菩薩像(平安時代)と千手観音と二十八部衆(鎌倉時代)が、県の重要文化財に指定される
平成4年(1992) 県の収蔵庫完成  
平成5年(1993) 収蔵庫を1年余り乾燥させて、この年、本堂内の仏像群を移して、安置する 
平成9年(1997) 4月1日から、「霜野老人クラブ」が収蔵庫の管理を始める(~平成24年3月31日)
平成24年(2012) 4月1日から、「霜野区康平寺管理組合(35人)」が収蔵庫の管理を始める
                    角田 豊著『肥後国霜野山康平寺』の年表をもとに作成
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