国見山(霜野山)の麓の山岳密教寺院                          文字サイズ:               
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熊本県山鹿市の
  鹿央町霜野に
  ありますよ
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    面山和尚の漢詩           BACK


    面山の詩
    面山の詩の前文


 『肥後国誌』に、「享保年中(1730年前後) 府ノ禅定寺、面山(めんざん)、当寺ニ来リ、 詩ヲ賦ス。曰。」とあり、その「前文」と「七言律詩の漢詩」を載せている。
 面山和尚は、鹿央町霜野に近い、熊本県鹿本郡の味取(みとり)の出身。熊本の玉竜山禅定寺の十二世の法主。
 面山和尚は、後の宝暦年間(1750年代)の康平寺改修前の、荒廃していた頃、訪れたものである。



 面山和尚の漢詩の前文
「康平寺ハ、熊府ヲ距(へだた)ルコト六里。山本郡ニ在リ。乃(すなは)チ、御冷泉院ノ康平年中、勅建(ちょっけん)スル所ニシテ、修練瑜珈乗(ゆがじょう)の法窟(ほうくつ)也。今茲(ここ)ニ、孟夏(もうか=旧暦4月)、二三ノ郷友ト、同遊ス。其ノ地ハ、山勢嵯峨(さが)、流泉皎潔(こうけつ)林樾(りんえつ)鬱茂(うつも)境致(きょうち)幽邃(ゆうすい)實(まこと)ニ、一方の靈區(れいく)也。但(ただ)恨ムラクハ、堂宇(どうう)傾斜、百廃(ひゃくはい)茲(ここ)ニ極(きわま)ル。感慨(かんがい)ニ堪ヘズ。卒(にわか)ニ、一律(いちりつ=律詩一篇)ヲ賦シテ、懐(かい)ヲ寫(うつ)シテ云フ。
  面山和尚の漢詩      
  夕梵(せきぼん)晨鐘(しんしょう) 事(こと)休ムニ似タリ
  千年ノ密院(みついん) 山丘(さんきゅう)ニ倚(よ)リ
  案頭(あんとう)ノ古册(こさつ) 塵(ちり)帙(ちつ)ヲ埋(うづ)ム
  壇上ノ明王(みょうおう) 煙(けむり)醜(しゅう)を福(そ)フ
  方石(ほうせき)苔ヲ帯ビテ 碑篆(ひてん)没ス
  圓荷(えんか=丸い蓮の葉)出水(しゅっすい) 壁杯(へきはい)浮カブ
  老僧ハ説キ盡(つ)クス 寺ノ来歴(らいれき)
  不覚(おぼえず)新蟾(しんせん=新月)ノ玉鈎(ぎょっこう)ヲ掛クルヲ  
(律詩の解説、角田豊『肥後国 霜野山 康平寺』より)


 朝夕を告げていた殷々たる梵鐘の響きも途絶えがちのようである。
 千年の歴史を秘める密教寺院、康平寺は山丘に椅(よ)りかかるようにして建っているが、
 一歩堂内に入ると、古い書冊が机のあたりに積んだまゝで、いつ読んだかわからないように塵をかぶっている。
 内陣の壇上には明王様が立ち並んでいるが、香の煙でまっ黒けにすすけて、一そうおそろしいような醜い姿でこちらを睨んでおられる。
 庭には四角い石碑に苔(こけ)むして、碑の文字も見えないようになっている。
 それでも池には蓮が葉を広げ、清水が湧き出て、葉の上で丸くなり、玉をのせた杯のような蓮の葉がいくつも浮かんでいる。
 老僧はこの寺の来歴を語り尽くそうとしてなおも止むことをしらなかった。
 その中、新月が、玉のようにきれいな釣り針を天空にかけたように、東の空にのぼってきた。


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