国見山(霜野山)の麓の山岳密教寺院                          文字サイズ:               
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   稲荷山の永仁六年の板碑       BACK

永仁六年の板碑の寸法や書いてある文字


『曼荼羅の里 霜野』(角田豊著)
稲荷山の永仁六年の板碑
稲荷山の永仁六年の板碑

キリーク(阿弥陀如来の種字)
キリーク
阿弥陀如来の種字

    上に「阿弥陀如来の種字(シュジ)キリーク」の梵字がある。

    (文字の部分)

     永仁六年
        孝子 ○ ○

       ○ 潟 無 菩 薩

          時 三月三○  

*霜野に現存する金石文の最初のもの。
*この板碑があるのは、霜野の南西にある稲荷山の中腹で、頂上には巨岩があり、古代の岩くらがあり、古代からの信仰の跡がうかがえる。
*山上に稲荷大明神を収めた石宝宮(江戸時代に作り直したもの)が祀ってあったが、今では、日吉神社の神殿の横に奉遷した。
*明治の頃、ここで神楽を奉納し、直来(ナオライ)の儀もやっていたそうである。
*この板碑は、円墳状の塚の上に、今では櫟(クヌギ)の木に寄りかかるようにして立っている。
*この板碑の読みは、『曼荼羅の里 霜野』の角田豊の読みに従っている。
*永仁六年は、鎌倉時代末期の1298年
*「孝子○○」が、親の供養のために建てた板碑と思われる。
*「○潟無」は、僧または、菩薩の名と思われるが、よくわからない。
*読めない文字があり、全容はわからない。
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