(書き下し文)
奉納如法経塔 聖霊金剛佛子 禎久 密教で灌頂を受けられた最高の僧である、康平寺の院主の禎久法印のため、如法経塔を奉納します。
入滅元亨(ゲンコウ)二年壬戌二月十五日 癸丑春秋辰・時六十三 禎久法印は、元亨2年(1322)2月15日、63歳で入滅されました。
寫経衆等 如法経塔に収めるため、写経した弟子の僧は、大徳の位を持つ僧で、以下の通りです。 浄正大徳 禎(字)大徳 明乗大徳 俊(了)大徳 金剛佛子(乗久)大徳 禎範大徳 金剛佛子能意大徳 禎秀大徳 慶俊大徳 慶幸大徳 正達大徳 金剛佛子俊能大徳 読誦辨業大徳 写経した経を読誦した弟子の僧は、辨業大徳です。
造立志趣は、この禎久の尊霊の大菩提を證せんが為なり。 如法経塔を建立した趣旨は、禎久法印の菩提を弔うためです。
およそ禎久のこれに存するや、當山の堂舎佛像を開発し、苦行並びに毎季如法経を闕(カ)かさず、願主として諸山諸徳等を回(メグ)り、各々唯一清浄の意を抽(ヌ)きんでて、成仏(ジョウブツ)得道(トクドウ)を祈り、心を同じゅうして普(アマネ)く法界衆生の平等の利益(リヤク)の数を證すべし。 志趣 件(クダン)のごとし。 そもそも禎久法印は、康平寺の堂舎や仏像を建立・造立して拡充するとともに、自らも苦行をし、毎年如法経すなわち法華経を勤行することを欠かしたことなく、願主として、あちこちの有名な寺院を回り、多くの高僧を訪ねて修行を積んで、人々が等しく幸せになるよう努力した方です。 如法経塔を建てた趣旨は、以上の通りです。
元亨2年3月26日