国見山(霜野山)の麓の山岳密教寺院                          文字サイズ:               
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熊本県山鹿市の
  鹿央町霜野に
  ありますよ
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霜野の真堂浦にある
康平寺の中興の祖、
「禎久」法印の菩提を
弔うために書かれた
鎌倉時代の金石文


如法経塔の銘文

如法経塔
如法経塔
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 『曼荼羅の里 霜野』 (角田豊著)より                        
如法経塔の銘文
            ○で囲んだ文字は、崩れた刻字を判読したもの   

 (書き下し文)

 奉納如法経塔 聖霊金剛佛子 禎久
  密教で灌頂を受けられた最高の僧である、康平寺の院主の禎久法印のため、如法経塔を奉納します。


 入滅元亨
(ゲンコウ)二年壬戌二月十五日 癸丑春秋辰・時六十三
  禎久法印は、元亨2年(1322)2月15日、63歳で入滅されました。


 寫経衆等
  如法経塔に収めるため、写経した弟子の僧は、大徳の位を持つ僧で、以下の通りです。

   浄正大徳  禎(字)大徳
   明乗大徳  俊(了)大徳
 金剛佛子(乗久)大徳  禎範大徳
 金剛佛子能意大徳    禎秀大徳
   慶俊大徳  慶幸大徳
  正達大徳   金剛佛子俊能大徳
 読誦辨業大徳
  写経した経を読誦した弟子の僧は、辨業大徳です。


 
造立志趣は、この禎久の尊霊の大菩提を證せんが為なり。
  如法経塔を建立した趣旨は、禎久法印の菩提を弔うためです。


 およそ禎久のこれに存するや、當山の堂舎佛像を開発し、苦行並びに毎季如法経を闕(カ)かさず、願主として諸山諸徳等を回(メグ)り、各々唯一清浄の意を抽(ヌ)きんでて、成仏(ジョウブツ)得道(トクドウ)を祈り、心を同じゅうして普(アマネ)く法界衆生の平等の利益(リヤク)の数を證すべし。
 志趣 件(クダン)のごとし。

  そもそも禎久法印は、康平寺の堂舎や仏像を建立・造立して拡充するとともに、自らも苦行をし、毎年如法経すなわち法華経を勤行することを欠かしたことなく、願主として、あちこちの有名な寺院を回り、多くの高僧を訪ねて修行を積んで、人々が等しく幸せになるよう努力した方です。
  如法経塔を建てた趣旨は、以上の通りです。


   元亨2年3月26日

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