国見山(霜野山)の麓の山岳密教寺院                          文字サイズ:               
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霜野の真堂浦にある
       天文の法華妙典の碑         BACK

天文の法華妙典の碑
法華妙典の碑文
法華妙典の碑
高さ1.1m 幅0.7m
法華妙典の碑の碑文
   天文五年(1536)丙申(ヒノエサル)

  心宝(シンポウ)妙金禅定尼(ゼンジョウニ)妙照禅定尼

奉読誦法華妙典一千部回春妙芳禅定尼

  誠恕(セイジョ)高忠禅定門妙国禅定尼

   八月時正(ジショウ)三日

 右一千部之妙経
 読誦之故者(~ノユエハ)偏(ヒトヘニ)
 妙芳禅定尼為(~ガタメナリ)
 出離生死(ショウジ)須臾(シュユ)聞
 之即(スナワチ)得究竟(キュウキョウ)金言
 有憑(ヨリテ)化功帰己欤(~カ)
 大施主(セシュ)高忠現当(ゲントウ)
 二世安楽如意所(ニョイショ)
  天文五年 丙申

  心宝 妙金禅定尼 妙照禅定尼

読誦奉(タテマツ)る 法華妙典一千部 回春妙芳禅定尼

  誠恕 高忠禅定門 妙国禅定尼

   八月時正三日

 右一千部の妙経読誦の故は、偏に妙芳禅定尼の生死を出離せんが為なり。
 須臾も之を聞けば、即ち究竟の金言を得ん。
 化に憑りて功は己に帰する有らんか。
 大施主 高忠 現当
 二世安楽如意所。

  天文五年丙申の年(1536)

 非常に心の豊かな「妙金禅定尼」と「妙照禅定尼」は、

回春妙芳禅定尼のため、法華妙典一千部を読誦しました。

 誠の心を持った「高忠禅定門」と「妙国禅定尼」。

  それは、八月三日でした。

 右の一千部の法華経を読誦したのは、ひとえに妙芳禅定尼が生死の
 迷いから離れて、往生を遂げられるようにするためです。
 即ち、法華経の中のみ仏の言葉を聞くことができるでしょう。
 そのことは、化功によって私たちにもはね返ってくるでしょう。
 供養主は高忠禅定門です。
 現世・来世ともに安楽なる所です。
これらの人々は、内空閑氏の一族と考えられる。

 妙金禅定尼
 妙照禅定尼
 妙芳禅定尼
 高忠禅定門
 妙国禅定尼

 天文五年丙申の年(1536)の頃は、中世城主、内空閑氏が、霜野城に居て、康平寺を守護していた。
 内空閑氏の一門が出家したり、死後、戒名を与えたりする時に、
 「禅定尼」とか、「禅定門」の名が、『財満(ザイマ)家系図』に見え、
 天文15年(1587)の、内空閑氏の滅亡以降は、霜野に、これらの
 表記を持つ僧尼の墓はいない。
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