国見山(霜野山)の麓の山岳密教寺院                          文字サイズ:               
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熊本県山鹿市の
  鹿央町霜野に
  ありますよ
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約700年後の天文15年(1546)に院主禎賀法印が造立した

    開基暁圓上人の位牌            BACK

位牌の表
位牌の裏
開基暁圓上人の位牌(表)
開基暁圓上人の位牌(裏)
「當山開基暁圓上人尊儀」
「寔(~ニ)天文十五年丙午五月廿九日
造立施主 院主禎賀」
霜野山康平寺の開基暁圓上人様の尊いご位牌 天文15年(1546)の5月29日に、
康平寺の院主である禎賀が造立しました。


 なぜ、9世紀の人の位牌を、16世紀に造ったのでしょう?

 平安時代には、康平寺以前の寺院(真堂廃寺)があった !!

 平城天皇の第三皇子と言われている「暁圓上人」は、平安時代初期の9世紀の人です。
 暁圓上人は、真言宗の開祖である空海の弟子でした。
 60歳を越えて、唐に渡られるほどの、求道心の厚い高僧です。

 康平寺は、康平元年(1058年)に建てられました。
 つまり、康平寺は、暁圓上人の在世より200年後の天台系の密教寺院です。

 康平寺では、長い間、康平寺の開基を「暁圓上人」と信じていたようです。
 江戸時代の『霜野来由記』という本が残っています。
 それには、康平寺の開基は、平城天皇の第三皇子の「暁圓上人」と記しています。


 
鎌倉時代は、康平寺の興隆期 !!

 鎌倉時代前期には、千手観音と二十八部衆が造られました。
 さらに、院主禎久が堂舎や仏像をたくさん造ったり、仏像の彩色供養をしました。

 室町時代にも、康平寺の開基は暁圓上人と語り伝えていた !!
 室町時代末の天文15年(1546)に、康平寺開基として、「暁圓上人」の位牌をつくりました。
 施主は、時の康平寺の院主「禎賀」法印です。

 現在は頭部の笠が失われていますが、位牌は、漆に金箔を施した立派なものです。
 康平寺の興隆に力をそそぐ目的で、禎賀法印は、位牌を造ったと思われます。

 その「院主禎賀」を、周りの弟子僧たちは支え、敬い、共に修行に励んだと思われます。
 弟子たちは、禎賀法印の死に対して、供養の碑「ミースさん」を真堂浦に建立しています。

 霜野の真堂浦に、康平寺建立以前、200年前から真言系の寺院があったことが考えられます。
 そして、「真堂廃寺」と、「暁圓上人」との関係が、なお謎として残っています。

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