国見山(霜野山)の麓の山岳密教寺院                          文字サイズ:               
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熊本県山鹿市の
  鹿央町霜野に
  ありますよ
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 院主楨賀を弔う碑文         BACK


院主楨賀を弔う碑
碑に記された文字
真堂浦にある院主禎賀(ていが)の碑
碑に記された文字


院主禎賀(ていが)を弔う碑文

 碑の上部に、弥陀三尊の種子(しゅじ)が、蓮華の花で荘厳した月輪(がちりん)の中にある。
   上に、阿弥陀如来を表すキリーク
    右下に、勢至菩薩を表す「サク」
    左下に、観音菩薩を表す「サ」


  七月十九日 孝弟 敬白
 権大僧都法印禎賀尊霊位
     干時天正二年甲戌

 この石碑は、「干時(時に)天正二年甲戌」とあるので、1574年7月19日、弟子が建てた、康平寺の院主であった禎賀(ていが)法印のための墓石であることがわかる。
 禎賀法印は、康平寺の開基「暁圓上人」の位牌を、天文15年(1546)の5月29日に造った人。
   (参照、「開基暁圓上人の位牌」のページ)
 


 この霜野地区では、この石碑を「ミースさん」と言って、「歯の神さま」と敬ってきた。
 「ミースさん」とは、農作業に使う箕(み)のような形から、そう呼んだものである。
 大正元年(1912)生まれの私の父も、子どもの頃、虫歯が痛むと、祖母に連れられお参りしたという。
 その際、年の数だけ大豆を煎ってお供えし、「後で戴いて噛むと痛みがとれる」と祖母は語っていたそうだ。
 心なしか、父は痛みがとれた気がしたそうである。

 ところで、この石碑は、「鍋田石」のとても大きなもので、これだけの扁平な大きな石を、山鹿市鍋田から霜野まで運ぶのは、大変なことである。
 以前は、真堂浦の阿弥陀如来が祀ってある「真堂」の向かって左後ろの土堤(どて)の上にあった。それがずれ落ちて、下の小川のはたの小道に落ちていた。それを、昭和の初めの頃、竹下真浄氏が、現在地に移したとのことである。

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