甲斐清子    
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コラム

2013年

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  2013.12   師走   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
12月18日・19日 食事会
忘年会 18日、木曜昼クラスのメンバーが中心になって、神楽坂「増田屋」で今年最後の食事会を開くことになり、火曜クラスの数人と谷口がこれに加わり、豚シャブ宴会が開かれた。お店の2階が貸切となったおかげで、時期的には忘年会の気分。食事の合間に、幹事のTさんがジェスチャーやら連想ゲームみたいな遊びを色々提供してくれて、思いがけないにぎやかな集いになった。増田屋はお昼はコロッケをはじめ、行列のできる人気の惣菜屋で、夜は牛鍋、牛すきやきや豚シャブなど、良質な肉を比較的安いお値段で出してくれる鍋専門店で、たまに出かけるお気に入りの1軒。
 
翌19日は今年最後のデッサン教室。年に1度の恒例のヌードクロッキー会が昼夜と続き各クラスで25ポーズを描いた。遅い終了時間にもかかわらず、木曜夜クラスで教室近くの「アジアンパーム」でささやかな打ち上げ食事会となった。
 
12月15日 VANQ LIVE
VANQ LIVE 昨年は心を残したままついに行けなかった「VANQ」LIVEが、銀座「ロッキートップ」において開催された。アメリカの「モダンフォークカルテット」のレパートリーを中心に演奏する男声4人組のパワフルバンド。12月ということもあり毎年クリスマスソングの大盤振る舞い、また最近ではジャズのナンバーにも果敢に取り組み、VANQならではのハーモニーをこれでもか、と熱唱してくれた。そしてバンドのオリジナル曲「空」は、観客の大のお気に入りで私も大好きなナンバーだ。VANQライブを聴くと、今年もまた冬がやってきたと思う年中行事になった。
 
12月6日 新芽会
新芽会 月に1度の町田国際版画美術館での新芽会も今年最後の実習日。1ヶ月に1度訪れる美術館周辺というのは、自然も多く、季節の移ろいに過敏になる。美術館の庭の樹木の葉っぱの色一つとってみても、1ヶ月前とは当然大いなる変化を遂げているわけで、この日はご覧のようにかろうじて紅葉は残っているものの、落ち葉の量を見れば、もう季節は初冬なのだということをあらためて思い知らされる。とにかく空が高く青い。
この日は、会員の甥っ子である美大生が立ちポーズに挑戦してくれた。新芽会は来年10月に美術館内の市民ギャラリーで第6回目のグループ展の開催が決まったばかりで、これを目標にこれから制作が続くことになる。写真はデッサン実習と終了後の作品群と講評風景。
 
新芽会   新芽会   新芽会
 
毎年のことで時の流れの速さには戸惑うばかりだが、今年も慌しい1年が過ぎていった。
皆さん美しい年をお迎え下さい。
 
 
 
 
 
  2013.10   ほっと一息   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
ウクレレライブ会場
10月12日
10月も半ばというのに、まるでハワイアン日和とでも思えそうな夏日、中目黒のライブハウス「try」において、「第2回ウクレレライブ」が開催され、80名の観客で埋め尽くされた。
実は私のウクレレの師匠Iさんのワンマンショー。Iさんの元NHK同僚をはじめ、音楽の仲間や口笛の高橋先生関係者などなど、多くのギャラリーが詰め掛けた。
演奏は1部、2部あわせて20曲、誰でも知っているハワイアンソングから、珍しい現地の曲、そして彼のオリジナル曲などで、会場はウクレレサウンドに染まる楽しいひと時を堪能した。
 
10月13日
雲ひとつない秋晴れの行楽日和!!
我がバンドのベースマンをはじめ山形出身の人たちが主催する毎年恒例の芋煮会は13日、秋川渓谷川原において開催された。
新宿発「ホリデーあきがわ号」で10時過ぎに武蔵五日市駅に18名が集合。私は一昨年以来の2度目の参加で、教室のS、O、Tさん等3人も加わった。また、バンド「KTM」のメンバーもそろった。
 
秋川河畔
 
芋煮
 
鍋奉行
KTM
 
教室の生徒さんと
現地に着くと、女性群は会場特設の台所で芋の皮むきやこんにゃくちぎりなど包丁片手に奮闘。その後は男性たち鍋奉行が調理を担当し、お昼過ぎには待望の大なべ芋煮が完成し、午後3時過ぎまで、それぞれ座ったり立ったりしながらワイワイと飲んだり食べたりのひと時を過ごした。
 
しかし雲ひとつない秋の日差しは焼け焦げんばかりの熱さでジリジリと背中を直撃した。今年の残暑は特別なのだったが、救われたのはすぐそばを流れる秋川の豊かな水がひんやりと冷たく、何度も手ぬぐいに浸して首にあてると心地よく癒された。美味しい芋煮に乾杯の1日だった。
 
 
 
 
  2013.9.21- 22   長崎一泊の旅    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
フェリー長崎湾 甥っ子の結婚式・披露宴に招かれてたった一泊のとんぼ返りの長崎への旅をした。
それでも今回は長崎在住の古い友人Yさんが待っていてくれて、21日大村空港から宿泊先のホテルに荷物を預けた午後からの半日をたっぷり遊んだ。とはいえ観光めぐりをしたわけではなく、数年ぶりの再会で積もる話に花を咲かせた。偶然にもこの日は私の誕生日とあってYさんの心やさしい「おもてなし」に思いっきり甘えさせて頂いた。「長崎歴史文化博物館」を観て、館内にある喫茶店「銀鈴」で美味しいケーキと珈琲を堪能。「銀鈴」は10年ほど前に長崎を訪れたとき、市街地で飛び込んだ老舗の珈琲店がこちらに移転していたことが判り、その偶然にあらためて感動した。
 
女神大橋新しい造船所 その後車で長崎港へ向かう。午後4時過ぎのフェリーで長崎湾を20分ほどクルーズして「伊王島」へ渡った。長崎湾のクルージングは長崎造船所が新しく移転する風景や、女神大橋の下を潜り抜けながら束の間のタイムスリップを体感した。到着した伊王島は温泉やホテルやレストランを有するリゾートランドだった。Yさんの心づくしの食事の時間が嬉しかった。
 
夜景 このあとフェリーで長崎港までもどるとYさんと別れ、タクシーでホテルまで戻る途中、心優しいタクシードライバーのガイドで稲佐山展望台まで足を伸ばし、束の間の長崎夜景を満喫することができた。心残りはYさんとこの夜景を一緒に眺めたかったのです。Yさん、今日は本当にありがとうございました。
翌22日は甥っ子の結婚式と披露宴で慌しく、帰りは大村空港から東京に帰宅したのは午後10時を廻っていた。
 
 
 
 
  2013.9月   第27回教室展作品選定    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
第27回教室展作品選定 9月に入ると神楽坂教室はにわかに慌しくなります。毎年恒例のデッサン教室展の作品選定が始まるからです。
教室展は1986年9月にスタートしたデッサン教室が、1年後の1987年に開いた第1回展から毎年継続してきたメインイベントです。毎年ということは、前年の教室展から次の年の教室展までの1年間に描きためたデッサン、油彩の中から厳選された各人の秀作数点が出品されるということです。その数は総数80~90点に上ります。会場は新宿の「ギャラリー絵夢」から始まり、銀座の「東和ギャラリー」を経て現在の神田神保町にある「文房堂ギャラリー」へと続き、その回数は今年で27回を数えます(今年は10月21日~10月26日)。つまりこの教室は今年の9月で28年目に突入したというわけです。
この教室展は全ての運営が生徒さんたちの自主運営で成り立っており、私の役目は、案内状印刷のレイアウトと校正、作品選定、メセナへの作品搬入とフレーミング(大判のデッサンはパネルの張替え)依頼のための打ち合わせ、などなど色々とありますが、特に作品選定作業は選者の肉眼が問われる厳しい作業です。あまり広くない教室スペースに所狭しと広げたデッサンを眺めながら、本人を含めギャラリーも参加しての意見交換なども参考にしながら、10月第1週までふるいにかける厳粛な作業は続きます。着実な1年間の歩みを実感し続ける9月でもあるのです。
 
 
 
 
  2013.8.31   お墓参り    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
昨年8月5日、北アルプス奥穂高より下山中、滑落死したバンドリーダーKさんのお墓参りに吉祥寺へ出かけた。
メンバーは11時に吉祥寺駅に集合。時間は真昼間、猛烈な照り返しの下、Kさんの夫人の案内で吉祥寺駅から汗だくで歩いて20分のところにお寺はあった。吉祥寺の街をこよなく愛し、長く住み慣れた自宅から歩いて行けるようにとの夫人の想いだろう。よく手入れされた真新しいお墓に花を手向けて全員で手を合わせた。
本来だとこの日、ささやかな「彼を偲ぶKTMライブ」を予定していたが、メンバーTの突発性難聴発症のため、当分の見送りとなり、その代わりのお墓参りとなったのだった。その後、洋食の老舗「ぶどうや」で全員そろっての昼食会でKさんの思い出話に花が咲き、演奏こそなかったが「偲ぶ会」としては充実の数時間が過ぎていった。
  墓地にて
 
ぶどうや
 
 
 
 
  2013.8.12   猛暑の九州へ    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

  東京の暑さはしつこい湿度を含んだたちの悪い暑さ。その灼熱地獄から逃れるように熊本入りしたが甘かった。飛行機から降り立つと湿度こそ低いが照り返しの変わらぬ暑さにうんざり。空港からのバスは、盆、暮れだけの満席。背中の痛い補助席にやっと座れて夕暮れの阿蘇連山を眺めながらの恒例の帰省だ。
 
いつもより長めの休暇のお陰で、日田の姉ともゆっくり会え、この10月で88歳になる元気な母と11日間を隠居で暮らした。滞在中は一度も雨には降られず、日中は関東と変わらぬ残暑だったが、さすがに標高の高いこの地は夜ともなるとそよそよと吹き込んでくる冷たい風が心地よく、毎晩癒された。
 
休暇の後半には東京から谷口モミエが今年も来訪した。今年6月に車を出して田舎の穴場スポットを案内してくれた小学校時代の同級生Tさんが、今回も絶景パワースポットを案内してくれた。
 
天岩戸 天の安河原 天岩戸神社から岩戸川に沿って下ると、古事記にもある「天の安河原」(日本神話で天上にあったという河。神々が会合した所とする。… 広辞苑より)にたどり着く。このエリアに入るといつもヒヤッとした霊気に包まれ背中がぞくっとするから不思議。
 
岩戸川 岩戸川は安河原の横を流れる水量ゆたかな渓流。
 
大平岳より阿蘇連山を望む 車はこれでもかというほど山を登り続けた。大平岳頂上展望台からはるかに四方を望む。
写真の向かって右の阿蘇根子岳は釈迦涅槃像の頭部に見えるといわれ、そこから左に阿蘇中岳へと連なり涅槃像の胴体部分へ連なる。昨年はこれを熊本の大観峰から逆位置に見たのだった。
 
天翔大橋より五ヶ瀬川を見下ろす 天翔大橋から見下ろす五ヶ瀬川の流れが青空を映して美しい。
 
秋元神社本殿前 エーッ!!こんなところに神社が!?天翔大橋を渡りたどり着いた向山の「秋元神社」本殿にて。車は山奥へ山奥へと深く入り込み、断崖絶壁の谷間にひっそりと立たずむ秘境の神社。空気もしんと静まり返る佇まい。
 
国見ケ丘の一本松 最後に訪れたのは観光地としてはメジャーな国見が丘(標高513m)。小学校のお別れ遠足はいつもここだった。真夏の空も暑さを忘れるほどのこの日の青さだ。樹齢は忘れたが、見事な枝振りの一本松にしばし見とれた。
 
今回もまた新しい発見のドライブだった。Tさん、お世話になりました。この夜は昨年に続きまた小学校の同級生が集まり、思い出話に花が咲いた。いつもより少しばかり長い九州の休日が過ぎて行った。
 
 
 
 
  2013.7.14   久々のKTM    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

  7月は毎年最もハードな教室のスケジュールとなる。8月分の教室を前倒しにしてぶっ続けの予定を組むのが恒例となっている。8月の盆休みから月末にかけて、まとまった夏季休暇をとり猛暑を凌いで欲しいからだ。デッサン・油彩教室をはじめ、デッサン塾、特別ヌードデッサン、町田新芽会などが盛りだくさんで、このスケジュールを気合でクリアするためには体調管理も重要な要素となってくる。特にこの季節の飲みすぎは要注意。
 
一方、バンドでは、リーダーTが5月に突発性難聴を発症し、しばらく治療に専念を強いられる羽目になった。このため8月末には、昨年夏北アルプスで滑落死したメンバーのKを偲ぶ会開催予定を急遽延期。バンドは路頭に迷う現実を突きつけられた。
中目黒トライ そんなKTMは、かねてより出演依頼を受けていた「目黒 口笛サークル・はと 5th Anniversary since 2008」が、14日午後中目黒のライブハウス「中目黒Try」にて開催され、これにゲスト出演し、「一つ葉トールウェイ」と「小さなシャンソンの店の片隅で」を演奏した。この日は難聴治療中のリーダーが不在で、ベースK、ギターTと私の3人だけのステージだったが、力強い二人のバックに支えられた楽しいステージとなった。
 
増田屋にて その後20日には、治療中のTを交え久しぶりにバンドが顔を合わせ、神楽坂「増田屋」で暑気払いをした。思ったより元気なTの様子でとりあえずは全員ほっとした夜だった。
 
ぞうさんと歌いましょう 翌15日には、ダークダックスのぞうさんからご招待いただいていた「ぞうさんと一緒に歌いましょう」ライブ(於・新井薬師/シオン群教会)に出かけた。ダークも今はぞうさんお一人だけが歌の活動を続けておられる。この日は約20数曲もの歌詞カードが渡され、ご覧のような礼拝堂で、全員がぞうさんと思い切り歌うのだが、私も昔の合唱部を思い出しながら、「浜辺の歌」「琵琶湖周航歌」「おお、シャンゼリーゼ」「銀色の道」・・・などなど、を歌いまくった。なんといっても感動的だったのは、客席の私たちの旋律に、ぞうさんがあの低音でコーラスを入れてくださると、さながら混声合唱団で合唱しているかのようなハーモニーを感じることが出来た。またぞうさんがソロで歌うシャンソンやカンツォーネなども楽しんだ。
 
ライブ終了後、新井薬師から中野までバスで出て、JRで吉祥寺まで足を伸ばした。この日はお盆の最終日だったので新盆を迎えたバンドのKさん宅を訪問、お線香を上げた。Kさんには色々と積もる報告もあったし、久々のM夫人とKさんの思い出話に花が咲いた。
 
 
 
 
  2013.6.22 - 27  宮崎「グループ71」デッサン会への旅  ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
6月22日
芳しくない梅雨空だが、毎年恒例の「グループ71」デッサン会は6月に行われた。怪しい大雨雲が九州を覆っていたが飛行機は無事宮崎に飛んだ。出迎えてくれた主宰者の山下、浅井両氏がランチに付き合ってくれたのは、宮崎牛でお馴染みの「みやちく」。宮崎観光ホテル内のレストランで信じられない安さのステーキコースに舌鼓を打った。「みやちく」は東京・銀座にも出店している高級牛を提供するステーキ店だが、地元宮崎にはこんなにもお得なランチがあるのだ。それに地元産の新鮮な野菜もみずみずしい。ランチの後は恒例となっている珈琲店「吐夢乃家」で、美味しいコーヒーを飲み、一息ついた。宮崎神宮近くにある逗留先の山下宅に荷物を置き、すぐそばの彼女の実家の母上に会いに行く。
この日の夕食は、昨年から交流が始まった小学校時代の同級生Sさんと、西橘通りにある食事どころ「なわや」で7ヶ月ぶりの会食。楽しくわいわいと飲むも、明日のデッサン会本番を控えての早めの解散となった。
6月23日 デッサン講習会
デッサン実習は12時と、3時半からの2クラスの集中講座。前半、後半と、ポーズを変えての熱心な実習が続く。写真はデッサン風景とその作品群。今回も充実した講習会だった。実習終了後、中央通の宮崎地鶏専門店「万歳亭」で会食。デッサンの話を中心に時間を惜しんで盛り上がった。
  宮崎「グループ71」デッサン会 実習風景 宮崎「グループ71」デッサン会 実習風景
日南海岸   日南海岸   日南海岸にて
日南海岸   日南海岸   日南海岸にて

6月24日
宮崎市江平にあるうどんの老舗「大盛りうどん」で、黒木千代香が加わりてんぷらそばでブランチしていると、店主が話しかけてきて、スマホに撮り、「今日のフェイスブックにこの写真を載せていいですか?公式ホームページで大盛りうどんのフェイスブックを開くと見られます」とのこと。さっそく山下のスマホで見ると3人のおばさんがそばをすする画像が出てきたので大笑い。この日は午前中激しい雨に見舞われたが、午後からは雨も上がり、高千穂までの移動に車を出してくれた山下と帰郷の途へ。その途中八戸では、3月に弟さんを事故で亡くした黒木千代香の実家に寄り、お線香を上げ、母上とお嫁さんに会いご冥福を祈った。
高千穂の実家に着いたのは5時を廻っていた。
 
国見大橋から五ヶ瀬川を望む
6月25日 雨の合間を縫ってドライブ
小学校の同級生Tさんから電話がかかってきて、普通の観光ルートではないパワースポットを案内したいという。2時には高千穂を発つ山下の時間的制限もあったので朝9時半にはTの車が迎えに来た。まず国見が丘からは裏道というのか、めったに下りない山道を走り、五ヶ瀬川を望む絶景ポイントは「国見大橋」から。目もくらむ高さから見下ろす五ヶ瀬川全景が眼下にあった。このあたりもめまぐるしいバイパス工事などで、交通の便も驚くほど便利になっている昨今だが、地域によっては取り残されていく村落があるという現実も見逃せない。
 
八幡神社階段 小学校遠足の写真を再現 次に、小学校の遠足で行ったという八幡神社(下野)へ連れて行かれる。小学校4年生位の頃の遠足の記念写真があり、Tがそれを持って来ている。神社の石段で全員が並んで写った白黒の集合写真を再現すべく、なんと実に50数年ぶりのご覧の記念写真となった。
花に負ける美女荒立神社のあじさい  
次の荒立神社は芸能の神様を祭る神社として最近全国的にメジャーになり、多くの芸能人がここを訪れるらしいが、それよりも何よりも、ここの駐車場に咲いた見事な紫陽花群に感動した。今年見た紫陽花では一番のヒット、しかも時期的にはこれが最後の花見となるだろう。
このあと数年後に新築なる母校・高千穂小学校や神代川などを訪れ、雲海橋のレストランでランチを終え、山下が住んでいた田口野などを廻り、およそ4時間の中身の濃いドライブを楽しんだ。

6月26・27日
26日は終日大雨に見舞われた。22日より大分の日田から帰郷していた姉が、危ぶまれる空模様の中を日田に向けて帰って行き、私は27日に甥っ子の見送りで熊本から無事東京に帰った。
今回の宮崎ツアーに暖かい友情を頂いた山下さん、Sさん、Tさんたちにお礼申し上げます。ありがとうございました。
 
 
 
 
  2013.6.19   大賀蓮をスケッチする    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
千葉公園の古代蓮が開花を始めたと火曜クラスのOさんが新聞の切抜きを持ってきてくれた。
実は昨年夏、蓮の花を描いて欲しいとの依頼を受け、あわてて上野の不忍池に見に行ったが時すでに遅く、制作は見送りとなっていた。
今年になり、蓮の色々な開花情報が集まったが、ベストタイミングがなかなかつかめず迷っているところへOさんからの千葉公園のこの朗報だ。千葉からやってくる木曜デッサンクラスのKさんが同行してくれるという。19日に決めた。その日は朝から強風で今にも降り出しそうな怪しい雲行きだったが、思い切って出かけた。現地は千葉駅からモノレールで一つ目の千葉公園下車、駅の真ん前から入園してほどなく歩くと蓮池が見え、蓮と葉っぱの集団が激しい風になびき揺れている。池には板の通路が渡してあるので目の前に鮮やかな大輪のピンクが手に取れる。池を一廻りしたあと岸辺に陣取り、二人でスケッチにかかった。私は目をつけた一輪をまじまじと鉛筆デッサンする。すると描き始めた瞬間、私の中で「情報」として飼いならしていた「蓮の花」という概念が吹き飛び、今まで見たこともない不思議で珍しいモチーフに遭遇する。ただ見るだけではない、カメラでとらえて記録するだけでもない、描くためにじっと見つめる、目を凝らす、そしてとつとつと写生することで見えてくる「新しい世界」がある。私は描きながらそんな衝撃を覚えていた。「見ること」の原点に立ち戻った感動だった。結局私は一輪の花をまじまじとスケッチしただけだったが、たしかな手ごたえを元にようやく描くきっかけを持つことが出来た。Kさんも数枚のクロッキーを見せてくれた。鉛筆の線が踊っていた。
スケッチの後、池のそばのレストランでいただいたオムライスが美味しかった。そしてこの日私たちが別れるまで雨はついに降らなかった。
  千葉公園の古代蓮
 
千葉公園の古代蓮
 
千葉公園の古代蓮
 
 
 
 
  2013.5.15  森林浴  

 
ウクレレのI師匠と野外ウクレレレッスンに出かけた。新緑鮮やかなこの季節。所は東京都立神代植物公園! 実はこんな有名な公園に恥ずかしながら1度も行ったことがなかった私。「知らない」というと笑われそうなくらい広大で立派な 植物園にびっくり。時はバラ満開の季節。そう、まさしくあの名曲「5月のバラ」の世界を堪能した。平日なのにヒト、ヒト、ヒト、 の数も大変なものだった。しかしウクレレを弾くにはもってこいの緑の休憩所があり、しばし5月の風に吹かれながらハワイアン気分で レッスンというより「森林浴」を満喫したといっていい。
公園近くにはこれも深大寺そばの名所「そば街道」があり、行列していただいた「多聞」のおそばと山菜の天ぷらの美味しさに感動した。
I師匠、大変お世話になりました!
 
※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます
東京都立神代植物公園のバラ   東京都立神代植物公園のバラ   東京都立神代植物公園 緑の休憩所
 
 
 
 
  2013.5.12   ゴールデンウィーク    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
ゴールデンウィーク期間中はひたすら自宅でカンバスの下塗り作業にまい進した。私の油彩制作に必須なのは完璧な下塗り準備だ。これさえ整えておけば、何時いかなるモチーフに出会っても、より取り見取りのカンバスが選べる。その下準備は乾燥と塗りの繰り返しで長い時間を要する。ゴールデンウィークはほとんど在宅で黙々とこの仕事に専念した。まだまだ続く根気の要る世界だ。
ウクレレ そしてその傍らで、私のギターの隣に新しい家族が増えた。ウクレレである。
この歳になって、何でまた?とあきれられそうだが、その出会いには理由がある。大昔、私の宮崎でのフォーク活動時代、NHK宮崎支局のラジオ番組で「FMリクエストアワー」というのがあり、レギュラー出演のためしょっちゅうNHKに出入りしていた私だったが、その頃ディレクターとして宮崎支局に勤務されていたIさんがやはりギターを弾かれていて、フォークフェスティバルなど一緒に出演したことがあった。そのIさんとの再会が東京であったのだ。現在は定年で現職を退かれたが、臨時のNHK業を除いては、ウクレレミュージシャンとして日々めまぐるしい活動をされている。私の属するバンド「KTM」のライブなどでも時々飛び入りで演奏していただいたこともあり、2年前にははじめてのワンマンショーでハワイアンのステージを拝見した。
ウクレレの小さなかわいい形状、そして驚くほどの軽さ、ポロンと弾くと心に響くやさしい音色、しかし簡単ではない新しい領域への挑戦は覚悟の上だけれど、私はIさんの押しかけ弟子になった。4月にウクレレを購入して1ヵ月近いが今は入門のやさしいコードマスターの自主トレを続けているという次第。
それにしてもウクレレの世界の奥深さ・・・である。
 
 
 
 
  2013.4.5   春のギャラリーへ

 
4月7日が最終日となる三つの展覧会を観た。
銀座では、デッサン塾生の木上伸一さんが油彩を学ぶ「NHK文化センター入江一子教室」のグループ展をギャラリームサシで鑑賞。全体的にカラフルな作品の中でも特にヌード作品では、我が塾で学んでいるデッサンの成果を感じ取ることが出来た。
上野の都美術館において開催中のスペインの巨匠「エル・グレコ」展は、没後400年を記念する国内最大規模の回顧展。最終日が2日後に迫って、案の定多くの鑑賞者が詰め掛けていたが、それでもまだまだスペースがありじっくりと観て廻ることが出来た。主なる宗教絵画は独特で、多くの細長い画面のなかのひどくデフォルメした間延びの人物が強烈にまぶたに残った。
まるで初夏のように汗ばむこの日、JR市川駅から徒歩で20分ほど歩かされると、「芳澤ガーデンギャラリー」があり、立派な庭園を臨むギャラリーでは「牧本隆木炭画展」が開かれていた。テーマは「雪化粧」。広々とした会場に並ぶ全作品は、木炭とネリゴムのみで描かれた雪景色の大画面(50号~100号)。今回はその中から私が特に好きだった数点を紹介します。皆さん、是非クリックして拡大画面で木炭画の醍醐味を感じていただきたいものです。
さて、3月に開催された田北ゆたか展の報告をイベントに掲載しました。ご覧下さい。
 
※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます
柚子50F
柚子 50F
  雪80F
雪 80F
  国府台100P
国府台 100P
 
江戸川岸100P
江戸川岸 100P
  裏小路50F
裏小路 50F
  会場風景
会場風景
 
 
 
 
  2013.3.23   急ぎ足の春    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
今週から月末にかけて桜が急に満開を迎える。本当にこんなに早い満開は記録の上では2番目のことらしい。4月初旬の花見会を張り切って予定していた友人が、あわてて期日変更メールをよこしてきたけれど、私は田北展本番(3月24日展示・本番25日ー31日)のためお断り返信を入れた。
 
そんな21日木曜日の昼クラスが終わると、残った生徒の数人が飯田橋の桜並木を見に行く約束をしていたらしく、私も夜クラスまで少し時間があったので一緒に出かけた。私の神楽坂へのアクセスは教室真下の大江戸線だから、毘沙門天前の坂を上がってまた下りて飯田橋まで足をのばす機会も少ない。しかし毎年桜の時期にはカメラ片手に散策がてらぶらぶらして、過去のコラムにも飯田橋の桜情報を載せてきた。21日現在の飯田橋の桜並木はまだまだ5分咲き程度だった。それでも夕陽を浴びた花をすかして川向こうをひっきりなしに走り抜ける中央線や総武線の眺めが美しい。このあと私は夜クラスのため教室へとんぼ返り。残った連中は川面の見える水上レストランでワインを傾けたらしく、美味しそうな料理とワインの写メールが送られてきていた。今年の桜の記録はこれで終わりだ。
 
宮崎のバンド時代の後輩デカちゃんが、「いま友達所有の竹の子山で毎日竹の子堀りをしているから竹の子を送りましょうか?」とメールが来た。大大大好物の季節の旬!!東京ではもう少し待たないと新竹の子は出回らない。来週一杯は料理も何もあったものではないから、急いで堀りたてを送ってもらった。ご覧のような見事な2本の竹の子!これを湯がくための米ぬかもスーパーにはまだ出ていないため、米店から分けてもらった。湯がきたての竹の子の先端の方は薄くスライスしてわさび醤油で刺身にして頂くと、えぐみは全くなく、甘みと香りが引き立つ。感動の旬の味覚の醍醐味だ。竹の子煮は近くの谷口にもおすそ分けした。残った分は冷水に浸して冷蔵庫で保存し春の味覚を楽しんだ。デカちゃん、感謝です。
  桜と電車
 
教室の皆さん
 
竹の子
 
 
 
 
  2013.3.15   神楽坂火災    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
教室前の消防車 去る12日火曜日の夜は油彩クラス。午後6時過ぎに、いやに消防車や救急車のサイレン音が聞こえた。日ごろも教室の最中によくサイレンの音を聞くので、はじめは気にも留めず、田北ゆたか展の打ち合わせなどをしていた。ところがだんだんサイレンの音や近所の騒ぎが大きくなり、いつもと様子が違うことにやっと気づき教室のドアを開けると、そこはずらりと消防車の列。今まで気づきもしなかったが教室前の歩道に消火栓があったのだ。すでに人も車も通行止め状態となっていた。火元は教室の通りをわずかに登った交差点を左に曲がったすぐのところで、幾分奥へ入りこんだアパートからは、火が少し治まったのか、ものすごい勢いで黒い煙を吹き上げていた。私たちも野次馬の人となり現場近くまで行き空を見上げると、2機のヘリが空を飛んでいた。報道はリアルタイムでニュースを流していたらしく、いち早く知り合いや教室メンバーから安否を問い合わせるメールがきた。後日入ってきた情報では焼けたアパートの住人が一人死亡し、隣接する家主の家にも燃え移ったらしい。
過去2007年にも、神楽坂の住宅密集地で料亭などが延焼する大火事があり、狭い路地に消防車が入れず民家の2階から放水して消火にあたったことが思い出される。神楽坂は一歩入ると、昔からの木造民家が密集し、車の入れない狭い路地が多いため、消火に大変な時間がかかったことで問題になっていた。
神楽坂という昔ならではの風情を残す趣きある美しい裏通りも、いったん状況が転ずると、深刻な問題をはらんだ町となるわけだ。
幸い私の教室は大久保通りから坂道を上がる途中にあり、車の通りに面しているし、消火栓が教室の前だということもわかった。しかしながらあらためて火災の恐ろしさを実感した夜だった。
 
 
 
 
  2013.3.10   黄砂かと思えば・・・    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
黄砂かと思えば・・・ ベランダから見えるいつもの風景だが、今日の天候は晴れ、気温は関東地方は初夏の陽気だという。しかし青空どころかどんよりと重たい灰色、どこかしら黄色くかすんでいるからこれはまちがいなく黄砂だと思った。午後2時ごろから急に強風が吹き荒れ、砂塵のようなものが巻き上がり目の前の桜の枝が荒れ狂ったように乱舞する。いつもだとはっきり望める遠方のビル群が、まったくその姿を消してしまった。テレビの情報で知ったが、実は寒冷前線による「煙霧」という砂嵐らしかった。関東地方の乾燥した土が突風により舞い上がり荒れ狂う異常気象なのだ。一時間半も過ぎると、嵐は治まり遠方がはっきり見えてきた。こんな不気味な光景を見るのは初めてのことだった。また、中国から飛来する黄砂や有毒大気汚染物質についても不気味で、それらがある程度治まるのは4月末頃のことらしい。
いよいよ長い冬から解放される春の到来だが、こんな現状では季節感もなにもあったものではない。花粉症もこれからが本番で、マスク、点鼻薬、目薬が手放せないつらい春です。
 
 
 
 
  2013.3.4   春まだ・・・

 
今年も花粉症の薬に頼りながら、春を待つ。
1月から2月にかけては荒れ模様の気象に振り回されがちだった。気象情報に左右されるのも特に関東地方は仕方ないことかもしれない。交通機関の麻痺がネックになっているのだ。神楽坂教室だって、都内以外にも埼玉、千葉、神奈川からと、熱心な生徒さんが通ってきていて、もしも悪天候にやられると帰りのアクセスがストップするというリスク。
2月も3ヶ月に1度の特別ヌードデッサン講習会が6日に予定されていたが、大雪になるという気象情報で最悪を考慮して20日に延期したが、当日天気は快復し結果はなんということのない結末となったのだった。それにしても今年の冬は、よく冷えている。まっとうな冬といえる。
3月になり、急に暖かい日が中旬まで続くという。このまま安易に春がくるとは思えないが、ともかく時間は矢のように速く流れるのだから、そのうちすぐに春は来るのだ。
さて、「田北ゆたか展・第二回」於・銀座 ギャラリー向日葵(3月25日ー3月31日)が迫っている。今年になってから私はこの展覧会に全力を挙げてきた。案内ハガキも上がり、今週末には作品をメセナへ搬入し、本番を迎える。彼女は去年大病を患い、展覧会の開催も危ぶまれたが無事快復し、開催の運びとなった喜びはご家族にとっては特別ひとしおだろう。この内容はまもなくイベントにて掲載します。
また、教室ニュースでは、特別ヌードデッサン会報告と、越川初美・美術誌掲載をアップします。ぜひご覧下さい。
 
 
 
 
  2013.1.30  新年会シリーズ  

 
1月は新年会が立て続け。神楽坂教室は、まず1月8日火曜日夜油彩クラスは実習終了後の束の間の時間を全員そろったところで、月1回油彩の生徒さんの夜版メンバーも加わりアジアンパームで。
1月16日にもデッサンクラスが集まりにぎやかに、といいたかったが14日の大雪の影響もあり大変な冷え込みで当日になってのドタキャンがたくさん出て、ご覧のような控えめのメンバーで、しかしワイワイと。
1月30日水曜日は、町田新芽会のデッサン講習はロシア出身のナターシャ嬢を迎え熱心に、終了後市内の居酒屋で恒例の新年会。昨年の新年会は暖房の故障した寒い部屋で防寒着に身を包みながら飲んだ忘れられないこの店(バックナンバー2012年1月)だったのを思いだす。
このほかデッサン塾やらバンドやらと「新年会」を銘打ち宴会がらみで1月が終了した。2月も遅まきの会合がいくつか待機している・・・。そんな中3月の田北ゆたか展の準備がいよいよ始まった。
 
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デッサンクラス
デッサンクラス
  町田新芽会実習風景
町田新芽会実習風景
  新芽会
新芽会
 
 
 
 
  2013.1.14   大雪

 
1月14日、実はこの日が最終日の「ベンシャーン展」を観に、埼玉県立近代美術館へ行こうと決めていた。気象情報は成人式のこの日、全国的に大荒れになると前の日から警告していたが、予報よりも早く空から白いものが落ちはじめ見る見る激しく降って来る。これを無理してでかけると、京浜東北線が不通になるおそれもあるという不安がよぎり、思い切って断念したのが正しい判断だった。この日京浜東北線をはじめほとんどの電車が運転見合わせとなった。ベンシャーンをあきらめ、急遽予定を変え、避けられぬ野暮用のため新宿へ出かけたが、雪は猛烈な勢いで吹雪き、おまけに強風にあおられた。新宿の街はシャーベットとなった雪の上を歩くのも困難なくらい。用事を早々に済ませて急ぎ足で帰宅したのだが、このような徹底した雪に見舞われる東京は近年珍しいことではなかったか。
積もった雪がカチンカチンに凍結した翌日の教室へは、雪の中新宿の靴屋で仕入れたスパイクのはめ込まれた優れもののゴムバンドが滑り止めに活躍した。(「ABCマート」で一足945円で売っている)
 
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大雪の日の駅前
大雪の日の駅前
  大雪の翌朝
大雪の翌朝
 
 
 
 
  2013.1.6   ふるさとの冬    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
南国九州宮崎とはいえ、私の故郷は熊本県境の宮崎県高千穂町である。一言で宮崎県とはいえ、その最も北に位置し、数十分走ると阿蘇連山をいただく標高250メートルの高地にある。冬の寒さも九州とは思えない厳しい寒気に見舞われる。
今年は大雪は免れたが、全国的にも大まともな冷え込みの中、久しぶりの新年を田舎で迎えた(昨年は3月の個展開催の準備のため帰郷を断念したので2年ぶりだった)。里帰りとはいえ、毎年変わり映えのしない1週間ほどを、まだまだ元気な87歳になる母の隠居に寄生し、母屋の弟の家族とわいわい過ごすだけだが、今回も店の忘年会や餅つきなどの恒例行事をこなして無事大晦日を迎えた。元旦は何もすることもないので、近くの高千穂神社へ一人で初参りをした。かなりきつい石段には長い参拝者の列ができていた。
帰京は毎年2日と決めている。あそくまもと空港を発つ満席の最終便で帰京し帰宅は午前零時を回っていた。
写真は、12月26日熊本空港到着後、田舎へのバスの中から夕焼けに染まる阿蘇連山を接写した1枚。雪はなく、夕陽が冬の山肌を美しく照らしていた。もう1枚は元旦の高千穂神社を石段下から撮影。
  阿蘇
 
高千穂神社
 
2013年はこのように明け、神楽坂教室が8日からスタート。また今年の主な展覧会はイベント参照。3月の「田北ゆたか第2回個展」へ向けてそろそろ始動です。
 
 
 
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