甲斐清子    
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  2008.12.22      ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
いよいよ今年も残すところあと10日となり、クリスマスも近いというのに、異常に暖かい冬ではありませんか?今週から本格的寒さが訪れると天気予報は言っていますが、我が家の暖房も、ほとんど稼動せず、厚手のセーターを着た回数は皆無です。コートもまだまだ軽いもので済ませられるのが現状。まさに「暖冬」です。地球の今後を考えると不気味ですね。私は去年から湯たんぽ派となりました。湯たんぽを早めにベッドの中に入れます。ちょうど寝たとき、背中の辺りがぽかぽかになるように置き、ベッドに入ったら足元に移動させる。もうこれで全身が温まります。翌朝は湯たんぽのお湯が、洗顔にちょうどいい温度になっており、エコですね。是非お試しください。
 
VANQ 話は変わり、21日夜は「VANQ」というフォークバンドライブを銀座のライブハウス「Rocky Top」に聴きに行きました。「VANQ」のベースマン中嶋さんからのご案内に誘われて初めて聴いたのです。「VANQ」は、アメリカの「モダンフォークカルテット」の曲を中心に演奏活動をしているバンドで、今年結成20周年を迎えるフォークカルテットですが、大変すばらしいライブに感動でした。4人の男声のハーモニーはさすが20年のキャリアだと敬服。演奏もエネルギッシュで久々にトラディショナルフォークライブを満喫しました。
 
 
 
 
  2008.12.15   教室忘年会   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
恒例の「第22回甲斐清子デッサン教室展」(イベントギャラリー参照)が11月に終了し、教室はいよいよ今年の終盤へと急ぎます。神楽坂教室は今年も早いものであと1週で描き納めです。そんな慌しい師走ですが、先週10日は今年も恒例の忘年会が教室終了後、教室の真ん前にある食事どころ「籐や」に於いて行われました。参加者の中には、モデルをやってくれたフランスからのジュリアさん(彼女は今年9月から神楽坂にホームステイしている日本語留学生で、来年3月の帰国まで、教室のデッサンモデルを引き受けてくれています)も加わり、鍋を囲んで楽しい歓談が続きました。   教室忘年会
 
 
 
 
  2008.12.1   

 
11月29日午後、新宿の東京厚生年金会館ロイヤルホールに於いて「中村ヨシミツ・ギター人生45周年を祝う会」がパーティ形式で行われ230名の人々が集いました。
中村ヨシミツせんせいとは、不思議な縁です。宮崎在住時代にたまたま購入した1冊のギター教則本がこの人の著によるもので、後年上京し、1986年新宿5丁目にデッサン教室を開いたことが彼との遭遇のきっかけとなりました。ある日教室実習を終えて、一人の生徒に連れられて行った新宿3丁目の居酒屋「石の花」の経営者の一人が中村ヨシミツせんせいだったのです。偶然といえばそれまでですが、あまりの偶然に唖然とし、感動し、「これが初めて見る幻の師匠かあ!!」というわけ。彼は自ら弟子をもたない「魂のギター」演奏家ですが、私は宮崎の楽器店でこの人の著書をギターのテキストとして買い、これに学んだわけですから、この人の弟子といっても過言ではないはず。そんなことで私はその日から彼を「ヨシミツせんせい」と呼び、実際には教えてもらえない「弟子」となり、当然「石の花」の常連客ともなったわけでした。
13年後の1998年にデッサン教室が神楽坂に移り、なかなか新宿3丁目界隈で飲むことも少なくなったこの頃ですが、この「師弟関係」の絆は細々なれど途切れることなく続き、このたびの「ギター人生45周年を祝う」パーティに参加し、新宿時代の懐かしい人たちにも再会し、楽しい時間を過ごしました。写真の1枚は、ヨシミツせんせいのギターに和太鼓、フルート、パーカッション、三味線、尺八などがセッションし、感激の演奏がまさに終わった瞬間のプレイヤーたちの笑顔です。
※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。
中村ヨシミツ・ギター人生45周年を祝う会1 中村ヨシミツ・ギター人生45周年を祝う会2
 
 
 
 
  2008.11.12 

 
ことしの寒さはいつになく厳しいものになりそうです。振り返れば、夏の猛暑の名残で、秋の訪れも遅かったのですが、ここへ来て急に冷え込みが激しくなり、いよいよ本格的冬の到来かと思われます。私の監修による「第3回 龍居道子個展」が9日に終了し、11月17日からは恒例のデッサン教室展(22回)が控えています。イベントでお知らせの通り、銀座東和ギャラリーでの教室展は今年が最後となるため、思い出深い充実の1週間になればと準備を進めています。初日17日は午後5時半より、会場においてささやかなオープニングパーティを予定しています。どうぞお出かけください。
 
 
 
 
  2008.10.15   

 
厳しかった今年の残暑がようやく影を潜めたかと思うと、いつの間にか10月も半ばを過ぎました。ちばぎん日本橋支店アートギャラリーでは渡辺英子展が17日まで開催中(教室ニュース参照)。この後は11月3日より木曜昼クラスの「龍居道子第3回個展」(教室ニュース参照)が控え、その準備もいよいよ追い込みに差しかかりました。今年で第22回目を迎える「甲斐清子デッサン教室展」(11月17日~11月22日 於・銀座東和ギャラリー)も目前に迫り、教室ではこの1年間の成果を展観に示すべく、デッサン、油彩ともに作品の最終選定や案内状の制作に慌しい恒例の教室風景となりました。
 
 
 
  2008.9.29 <今年後半の展覧会> 

 
本格的な秋の到来。教室は創立23周年目に入りました。今年後半の教室関連の展覧会は次の通りです。
 
渡辺英子日本画展   10月7日(火) - 10月17日(金)
  日本橋 ちばぎんアートギャラリー
 詳細は絵画教室ニュースをご覧下さい
 
龍居道子展 第3回 ― デッサン・油彩 ―
監修: 甲斐清子
  11月3日(月) - 11月9日(日)
  銀座ギャラリー向日葵
 
甲斐清子デッサン教室展 第22回
監修: 甲斐清子
  11月17日(月) - 11月22日(土)
  銀座東和ギャラリー
 
 
 
 
 
  2008.9.16   原田真由美さんを悼む

 
去る8月20日、木曜デッサンクラスの原田真由美さんがガンのため56歳で亡くなりました。
つい数ヶ月前、神楽坂セッションハウスガーデンに於いて、「第二回・原田真由美展」(教室ニュースにて個展報告参照)を開催し、盛会のうちに終了したばかりでした。振り返れば2年前からの闘病のかたわら、この個展へ向けて全力投球で制作を続けた彼女でした。小さな体で最後までエネルギッシュにやりたいことを貫き、花のように笑っていた原田真由美さん。風のように私たちの前を通り過ぎたあなたに、安らかな眠りが訪れますよう、ご冥福をお祈り申し上げます。
 
「第二回・原田真由美展」会場にて
 
写真は「第二回・原田真由美展」会場にて、デッサン教室のメンバーと共に。(右から4番目が原田真由美さん)
尚、デッサン教室では、来る11月に開催される「第22回 甲斐清子デッサン教室展」に於いて、故 原田真由美さんの作品を展示し追悼する予定です。
 
 
 
 
  2008.9.5   田舎の川

 
8月16日~23日の1週間、九州に里帰り。集中豪雨と雷の不安定な空模様の合間を縫って、田舎の川などを撮影してきました。懐かしい川や、すでに廃線となった高千穂鉄道の鉄橋などを抜粋してみました。
※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。
鞍岡の川(1) 鞍岡の川(2) 鞍岡の川(3)
鞍岡の川 (1)
 
鞍岡の川 (2) 鞍岡の川 (3)
まぼろしの高千穂鉄橋 上野(カミノ)の川(2) 上野(カミノ)の川(3)
まぼろしの高千穂鉄橋
 
上野(カミノ)の川 (2) 上野(カミノ)の川 (3)
上野(カミノ)の川(1) 岩戸 岩戸の川
上野(カミノ)の川 (1)
 
岩戸 岩戸の川
 
 
 
 
  2008.8.15  

 
猛暑のエスカレートはとどまるところを知りません。すでに立秋を過ぎたにもかかわらず、本日も優に33度を超える暑さとなりました。神楽坂デッサン教室も8月のすべての授業が昨日の夜クラスで終了しました。今年は暦の関係上、全国的にはお盆の最中にもかかわらず熱心な教室が続きました。
この教室は1986年9月に新宿5丁目でスタートし、今年の8月で22年が経過しました。9月から新たな年度を迎え、いよいよ23年目に突入です!!9月からは今年後半のスケジュールが満載で控える中、私は明日から九州へ1週間の予定で帰郷し、8月後半の夏休みとなります。
 
 
 
 
  2008.8.2  

 
連日30度を超える猛暑。厳しい夏となりました。宮崎に暮らした頃の南国特有の焼け付くような酷暑の夏には、「ただただ非生産的にしてじっと生息し、無事この季節を乗り越える」というのが私の信条でした。東京の暑さには湿度の高さが加わります。これが不快度に輪をかけます。地球温暖化にともなう気温の上昇に対しても、一人ひとりがこれをまじめに受け止め、最小単位の小さな暮らしの中で、1ミリずつの意識改革とささやかな努力を始めることからしか何も変わりはしないのです。マンションの部屋がばっちり西を向いている私の家ではさすがに真夏を冷房無しで過ごすことは不可能です。せめて出来ることは、午前中は冷房無しでも凌げるけれど、日差しの強くなる午後から夜にかけては、冷房の室温を28度にします。就寝時は冷房を止め、タイマーを2時間セットした扇風機のお世話になる。それから無駄な部屋の灯を消してまわる程度のことでしょうか・・。余談ですが毎日最低2リットルの水を飲みます。そうそう水で思い出しましたが、真夏の深夜、熱中症による自宅での高齢者の死亡率が高いのをご存知ですか?お年寄りによくありがちなことですが、冷たい風を嫌い、クーラーも扇風機も使わず窓を閉め切った上、夜中のトイレを避けるため水分を全く摂らずに就寝し、脱水症状で死亡する老人が多いのですよ!!水の補給の大切さ、これもこの夏を乗り切るために再確認すべき要素でしょう。
さて最後になりましたが、8月1日~6日、銀座・竹川画廊に於いて、田辺弥生・平野民子二人展が開催中です。詳しくは絵画教室ニュースをご覧下さい。皆様のお出かけをお待ちしています。
 
 
 
 
  2008.7.5  1年ぶりの宮崎   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
一年振りに宮崎の「グループ71デッサン講習会」のため、帰宮しました。6月27日町田「新芽会」の6月定例会のあと、羽田に直行し、19時10分発に乗り21時前に宮崎空港着。グループ71の山下、黒木の出迎えを受けて、宮崎市内で遅い夕食を摂り、山下宅に逗留。
翌28日は、山下の実家に出向き、今年2月に亡くなった父上にお線香を上げ、いつものように彼女のお母さんに遅い朝食をご馳走になる。その後は、師匠である亡き太佐先生宅でお線香を上げ、しばらく奥様と近況などの話に花が咲く。
宮崎県庁前宮崎県庁庁舎 この季節、宮崎県庁前の楠の並木通りが美しいので、なんとかこの緑を撮ろうとやってきました、県庁前。ついでに今や東国原知事の出現で観光地ともなった宮崎県庁庁舎の全貌をパチリ。この時も観光バスが2台出て行きました。
夕食は西橘通り(通称ニシタチ)の一つ通りを入った中央通りの「萬歳亭」で、長年の念願だった地鶏料理を頂く。中でも「チキン南蛮」が懐かしく感動だった。思えば昔、「おぐら」という洋食屋で、この「チキン南蛮」なるものをよく頂いたが、あの頃は他の店でこのようにポピュラーだったかどうかわからない。このレシピを入手したので早速我が家で作って見ることにしましょう。
 
さて、今回のメインであるデッサン講習会に加え、もう一つ楽しみにしていたことがあります。
「Jada」での即興ライブ「デカ・チビ・ノッポ」のデカちゃんと これもまた大昔の宮崎時代、私が二つ目のバンド「FOLK SEEKS」を組み活動していた頃、いわば弟分ともいえる「デカ・チビ・ノッポ」という3人の男の子のバンドがありました。そのうちのデカちゃんとの再会でした。2年ほど前のこのコラムに、宮崎の「Jada」という店で歌ったことを書きましたが、この店のオーナーが私のバンド仲間の吉田君のお店で、この度この店で実に38年ぶりにデカちゃんと再会し、時空を超えて、即興ライブに興じる事が出来ました。お互いいいおばさん、いいオヤジになったけど、ひとたびギターを持てば気持ちはあの頃へタイムスリップという流れです。他にも若い頃の音楽の先輩との感動的な再会があったりして、28日の夜は熱く熱く過ぎて行きました。
 
さて、29日は今年初めて、実に一年ぶりのデッサン講習会が昼夜続けて熱心に行われました(詳しくは教室ニュースで報告していますのでご覧下さい)。
 
宮崎神宮 30日朝、東京への飛行機の時間に余裕があったので、宮崎神宮へお参りしました。宮崎神宮の森も、私は昔このあたりに住んでいたので、あの頃はまるで自分の庭のような感覚で過ごしていました。こうやって遠く離れてみるとなんと美しく深い杜の懐に抱かれて過ごしていたのだろうと感慨を深くしました。この日車を出してくれた黒木千代香と、青島まで足を伸ばし、堀切峠からの太平洋を眺め、鬼の洗濯岩で心の洗濯をした思いで帰途に着きました。
 
 
 
 
  2008.5.19     ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
5月に入っても、真夏のような陽気が続いたかと思うと、突然の冷え込みや中国の大型地震など、やっぱり地球はだんだんおかしくなってきています。
 
さて、5月9日から12日まで九州に帰りました。久留米に住む甥っ子の結婚式に出席するためです。式は11日別府の城島高原にあるホテルのチャペルで行われました。式当日の朝、田舎から現地まで4時間近い車での移動でしたが、道中新緑の若葉が目にまぶしく、すべてが緑一色に染まるようなドライブでした。写真は挙式の行われた教会です。挙式、夜の披露宴ともに、楽しく暖かいひと時でした。母や新郎の親である姉夫婦、弟夫婦とホテルに1泊し、翌12日大分空港から帰京しましたが、もう1枚の写真は国東半島にある大分空港の滑走路です。飛行機ならぬ1機のヘリコプターが飛来していたのが面白くシャッターを切りました。この4日間は前半が寒く雨に見舞われましたが、後半はお天気に恵まれて美しい写真が撮れました。
 
さて、「絵画教室・ニュース」では5月31日~6月8日に開催の「原田真由美展」のお知らせを掲載中です。初夏の神楽坂へ是非お出かけください。
  教会
 
大分空港にて
 
 
 
 
  2008.4.28  

 
久々の近況報告です。第18回個展(3月26日~4月1日)を無事終了後、早速翌日から神楽坂教室が始まり、次には原田真由美展(神楽坂セッションハウスガーデン・5月31日~6月8日)のための作品選定、案内状はがき印刷などがスタートして、この4月も相変わらず慌しく過ぎました。早くもゴールデンウィークに突入し、遅くなった個展の残務に追われていますが、いつの間にか景色は新緑の初夏を迎えようとしており、慌てて衣替えを済ませたところです。5月に入ると、21日には第11回「特別ヌードデッサン講習会(於・神楽坂教室)」が開催されます(詳細は教室ニュースをご参照ください)。
 
 
 
 
  2008.3.7  <18回個展へのお誘い> 

 
花粉が舞い、黄砂が飛来し、ようやく訪れた遅い春の空もどこか荒れ模様の毎日です。それでも日いちにちと確実に暖かさは増し、鉢植えの小さな葉っぱの緑も鮮やかに勢いづき始めました。一月に痛めた私の腰も毎週のリハビリの甲斐あり、少しずつ回復に向かっています。
さてこの度、18回目を数える銀座煉瓦画廊での「甲斐清子ドロ-イング展」(イベント参照)が目前に迫っています。2003年の第16回展(於・神楽坂/セッションハウスガーデン)以来、人物デッサンをメインとした展観は4年ぶりとなります。木炭による大判の人物ドローイングを中心に、人体クロッキー・油彩静物など、約35点を展示するものです。
皆様のご足労、ご高覧を心よりお待ちしています。
 
 
 
 
  2008.2.24 

 
1月末に腰を痛め、2週間ほとんど寝たきり生活をやむなくしました。3月26日からの個展を前に、大きな時間のロスかと思いきや、暮れも正月も返上の制作の毎日に加え多忙なスケジュールに体が悲鳴を上げていたものと思われます。この際、神様がくれた休日と思えば、痛みを伴いながらも、ただただ体を休めるという毎日が、もしかしたらありがたい2週間だったのかもしれません。月が改まり、整形外科通いをしながら活動再開。コルセットと痛み止めと湿布は生活の必需品となりましたが、あの時の地獄の痛みから比べれば、1ヶ月たった今はずいぶん楽になったと、少しずつの治癒力に感謝しています。近況としては、個展本番まで、いよいよ最終追い込みの段階に入ったというところです。
 
 
 
 
  2008.1.20   

 
宮崎県立高千穂高等学校昭和41年卒業生の東京在住者第4回同窓会が、20日都内竹芝のホテルに於いて行われ、17名が集まりました。昨年還暦を迎えた私たちですが、会えば全員があの頃の高校生の顔に戻ります。同級生とはそんなものですね。その中には幼稚園時代からの同級生K君がいたりするのです。また、42年間も会わないメンバーもいたりして、懐かしい高千穂弁も飛びだして、時間の経つのも忘れるほどのにぎやかなひとときでした。
※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。
同窓会風景1 同窓会風景2 同窓会風景3
 
 
 
 
  2008.1.11   町田「新芽会」新年会    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
町田「新芽会」の描き初めは11日午後から町田市立国際版画美術館内アトリエで実施されました。実習と講評終了後、市内ホテルのレストランで恒例の新年会が行われました。この会も創立以来16年半を数えました。昨年の6月版画美術館市民ギャラリーにおいて「第3回新芽会デッサン展」が開催されましたが、会場を訪れ、エネルギッシュなデッサン群に刺激を受けてこの会に入会した新しいメンバーも加わり、新旧一体となる盛会のひと時でした。   町田「新芽会」新年会
 
 
 
 
  2008.1.14   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
暮れの31日、朝早い飛行機で熊本に飛び、タクシーにて実家へ向けて帰る途上、思わぬ積雪に遭遇し、高森峠を越えるあたりでは道路の凍結もみられ、車はスピードを落としてのノロノロ運転でした。そのおかげで私は車窓から眺める雪景色の美しさに視線を奪われっぱなしでした。毎年暮れの帰郷は欠かさないけれど今回のような体験は初めてのことで、感動というおまけがつき、大変得した気分でした。
元旦は一日中家の中で寝正月を決め込んだものの、翌2日には夕方の飛行機でトンボ返り。雪は止み温かい陽ざしも射す高森峠のあたりから、雪化粧した阿蘇連山がくっきりとあざやかでした。帰京後は4日から再び神楽坂アトリエにてデッサンを再開。8日には教室も始まり、2008年がスタートしました。
  新年2日の阿蘇連山
新年2日の阿蘇連山
 
 
 
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