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  2011.12.10   VANQライブ   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
VANQライブ 私にとってはすでに4年目、年末恒例となった「VANQライブ」は、12月10日銀座ライブハウス「ロッキートップ」に於いて、にぎやかに開催されました(過去のライブ写真はバックナンバーにてご覧いただけます)。
「モダンフォークカルテット」を知る者にとっては、これをコピーし追求する「VANQ」の音楽的ハードルの高さに感服し、あらためてこのバンドのサウンドのすばらしさに酔いしれた一夜でした。
 
 
 
 
  2011.11.26   グループ71創立40周年記念パーティ

 
イベントで報告の通り、宮崎の美術集団「グループ71創立40周年記念展」(於・ひまわり画廊)を祝うパーティが、宮崎市内のライブハウス「PARK」で開催されました。
この日は、甲斐清子が学生時代にバンド活動をしていた頃の後輩バンド「デカチビノッポ」のデカちゃんこと黒木千秋さんとの再会による即席ユニットが実現しました。なんといっても、このように同じ舞台で二人が演奏することは全く初めてのこと。25日に宮崎入りした甲斐がデカちゃんと2時間ほどの短い音合わせで臨んだ翌日の本番でした。皆さんの耳に優しいカレッジフォークや、お馴染みのカントリーやオリジナルなど、10曲を二人で演奏しましたが、25年ぶりの宮崎でのノリノリの演奏にも感慨深いものがありました。
お客様の南邦和さんが書かれた昔のメッセージ朗読をはじめ、花束の大町先生、中学時代にお世話になった竹下先生ご夫妻などなど・・・もう、名前を挙げればきりがありませんが、たくさんのなつかしいお顔に出会えて嬉しく感動のひと時を過ごしました。
この記念すべきイベントの実現に尽力を頂いたグループ主宰者の山下裕子さんと教室の皆さん、そして何よりも私の演奏にお付き合い頂いたデカちゃんに心からお礼申し上げます。
 
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ライブ本番前のデカちゃんと   パーティ司会は教室主宰の山下   ミニライブ風景   ミニライブ風景
ライブ本番前の
デカちゃんと
  パーティ司会は
教室主宰の山下
  ミニライブ風景   ミニライブ風景
メッセージを朗読する詩人・南邦和氏   映像作家・大町先生からの花束贈呈   会場風景   会場風景
メッセージを朗読する
詩人・南邦和氏
  映像作家・大町先生
からの花束贈呈
  会場風景   会場風景
会場風景   会場風景   なつかしい人たちと   高校の同級生・戸高君と
会場風景   会場風景   なつかしい人たちと   高校の同級生・戸高君と
 
 
 
 
  2011.11.12   晩秋の佃島

 
教室ニュース「風の詩がきこえますか?」展で報告の大塚さんの作品を早稲田大学内のワセダギャラリーに観に行った。大塚さんの作品を鑑賞してから、デッサンクラスのメンバーとランチを食べながら彼の絵をめぐって佃島の話に花が咲いたら、Oさんが「今から佃島に行きませんか」と言う。
そういえば今日はお天気も穏やかで、午後の散策にはもってこいではないか、ということになり、午後のひと時を佃島散歩と決めた。早稲田から東西線で門前仲町まで行き、大江戸線に乗れば思ったよりアクセスは楽だった。今回大塚さんが描いたという隅田川の旧佃の船着場の現場にたどり着き、ベンチに腰掛けた私たちは、川を行き来するさまざまな船を眺めながら、のんびりと昼下がりの岸辺のひと時を過ごした。ウォーターフロントの高層ビルの谷間にあって、いまだに大正昭和の風情を残す猫の額ほどの空間にタイムスリップしたような、不思議な時間を楽しんだ。そしてやはり佃煮の老舗「天安」では名物の佃煮を買うことも忘れなかった。
 
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旧佃の渡し付近にて   佃煮の老舗 天安   夕暮れの隅田川・佃島より   晩秋の佃大橋
旧佃の渡し付近にて   佃煮の老舗 天安   夕暮れの隅田川・佃島より   晩秋の佃大橋
 
 
 
 
  2011.11.3   秋川渓谷・芋煮会    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
山形出身のバンドのベースマンK3さん主宰の「芋煮会」が、武蔵五日市で開かれた。数十年間、毎年11月3日が恒例の「芋煮会」と決まっているらしく、数年前からその話は聞いており興味津々だった。持参するものの指示がある。お椀、お箸、包丁、エプロン、手ぬぐい、敷物など。
バンドのK2、T1、数人と誘い合わせて、早朝の新宿から快速特急あきがわ号で67分の電車の旅。東京にいても知らないところが多すぎる。電車で1時間も足を延ばせばここも東京!こんな自然に出会えるというのが、大都会東京のもう一つの魅力なのだなあ・・などと感心しながら、皆で駅から15分も歩けば秋川の現地に到着。渓谷というより広い川原が公共のキャンプ場になっていて、祝日のこの日はすでに何十組もがバーべキューや鍋を楽しんでいる。炊事場も完備していて、山形から直送されたという大量の里芋や野菜、こんにゃくなどを女性群で下ごしらえする。里芋の皮剥きは包丁の背を使って薄皮をしごいていく。男性群は薪で火をおこし、2つの大なべを火にかけ材料を煮込んでいくが、厄介なアク取り作業にも手を抜かない徹底的な鍋奉行が約3名活躍した。K3さんたちの芋煮流儀は、余計なものを入れずシンプルに、里芋、ねぎ、こんにゃく、牛肉だけを醤油ベースのほのかな甘みで煮込んだシンプルなものだった。里芋は丸々1個を切らずに煮るのが理想だが火の通りに時間がかかるため大きめに切って煮込んだ。
自然の中で熱々の芋煮を自前のお椀とお箸で頂く最高の贅沢!お酒はビール、ワイン、日本酒、焼酎と、どれにでもよく合った。この日集まったのは山形出身の皆さんや「素人」の私たちを含めて15,6名だったが、来年へのリピーターとなった私だった。
 
秋川渓谷・芋煮会   秋川渓谷・芋煮会   秋川渓谷・芋煮会   秋川渓谷・芋煮会
 
秋川渓谷・芋煮会   秋川渓谷・芋煮会   秋川渓谷・芋煮会   秋川渓谷・芋煮会
 
 
 
 
  2011.10.24   教室25周年記念祝賀会    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
イベントで報告の通り、創立25周年記念・第25回デッサン教室展の祝賀会が淡路町「中国料理 王府酒家」においてにぎやかに開催され、約45名の参加者で賑わいました。
乾杯と同時にバンド「KTM」の演奏9曲に加え、展覧会実行副委員長Uさんの「エーデルワイズ」・「我は海の子」の独唱、会場全員で唄う「野ばら」と「埴生の宿」、甲斐の古い友人Iさんのウクレレと歌が続き、盛りだくさんのおいしい中華をいただきながらの歓談で束の間の感動的なひと時を過ごしました。名残惜しいエンディングはKTMの「TODAY」で〆て盛会のうちにお開きとなりました。
皆さま、おでかけいただきありがとうございました。また、この夜のKTMのみなさんのご協力に感謝します。
 
教室25周年記念祝賀会   教室25周年記念祝賀会   教室25周年記念祝賀会
 
教室25周年記念祝賀会   教室25周年記念祝賀会   教室25周年記念祝賀会
 
 
 
 
  2011.9.25  宮崎「グループ71デッサン講習会」  ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
吐夢乃家珈琲店
《 吐夢乃家珈琲店 》
恒例となった宮崎でのデッサン講習会に呼ばれて宮崎入りしたのは24日だった。迎えの山下裕子の車に乗せられてまず連れて行かれた のが、宮崎市郊外にある「吐夢乃家珈琲店」(とむのや珈琲店)。山下から話は聞いていたが、まず店に入ると、エプロン姿のやさしそうな奥様がカウンターからお出迎え。静かでシンプルな佇まいがいい。極力装飾的な要素を省き、深い緑色と木の暖かさが基調の店のしつらえに気持ちがゆったりと休まる。珈琲のおいしさもさることながら、この店のもう一つの主役はカウンターの大花瓶に活けられた天井を這うほどの大きな枝(写真:喫茶店)であることに気づく。聞くと、この店のマスターが宮崎近辺の山から切り出してくる野生の植物たち、しかもそれは週替わりに取り替えられるらしく、その大掛かりで変化に富んだ過去のデータは、ブログ「吐夢乃家花日記」で見られます。
ところで何故この店の話を書くかというと、実はここのマスターMさんは、今は亡き私の師・太佐豊春先生が教鞭をとっていた南九州大学の教え子であり、彼の同窓生である神戸在住のY君が、山下裕子にこの店を紹介したとのことで、この日、店の壁には先生の懐かしい色紙が控えめに数点掛けられており、遠からずの縁を感じたのだった。近い日に先生の色紙展をこの店でやりたいとのマスターのお気持ちが嬉しかった。
《 デッサン講習会 》
26日は昼と夜の2回のデッサン特訓。お昼のポーズは立ちでスタートしたが、始まってしばらくしてモデルが貧血のアクシデント。よくあることだが、急遽寝ポーズに変更して再スタート。なかなか寝ポーズを描く機会がない様で、全員四苦八苦で鍛えられた。夜の部は別のモデルによる腰掛のポーズ。昼に体験した苦労がここで良い結果をもたらし、今回も手ごたえ十分の実習を終えた。
そして「グループ71」は今年創立40周年を迎え、その記念展が11月に予定されている。今回描かれたデッサンも数点展示されることだろう。
 
宮崎「グループ71デッサン講習会」風景   宮崎「グループ71デッサン講習会」風景   宮崎「グループ71デッサン講習会」講評
 
宮崎「グループ71デッサン講習会」作品   宮崎「グループ71デッサン講習会」作品   宮崎「グループ71デッサン講習会」作品

《 青島 》
アトリエに残していった膨大な私のデッサン、クロッキーなどを整理したいとの山下の要請。それもそうだ、宮崎で描いた主な作品はほとんど東京に運んでいるし、そのほかにも宮崎の倉庫にしまってあるが、それでも数知れないデッサンの束が残されていた!!1枚1枚めくりながら思ったのは、これほどまで描いていたのかというほどのデッサンの量。「1本でも多く線を引け」とドガに言ったのは、確かアングルだっただろうか?その言葉を思い出した。描き始めた宮崎での15年間を振り返り、初心に帰るひとときだった。
 
飛行機にはまだ時間があった。見送りの山下裕子と、実に久しぶりに青島に足を延ばした。曇りの1日だった。満潮で波が激しく押し寄せていたが、「鬼の洗濯岩」の水際まで行った。青島神社に参り、島を1周した。貝殻が造った砂浜をゆっくり歩くとおよそ20分かかった。真夏のシーズンが過ぎて人影も少なく寂しい青島はまさに「今はもう秋・・・誰もいない海」だった。
  青島神社
 
青島
 
 
 
 
  2011.8.21  秘蔵の名品 アートコレクション展    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
帰京した翌日の21日、木曜クラスのSさんのお誘いで、ホテルオークラで開催中の注目の展覧会を観た。
第17回秘蔵の名品 アートコレクション展
「文化勲章受章作家の競演」(日本絵画の巨匠たち)
8月6日 ~ 8月28日
ホテルオークラ東京アスコットホール 別館地下2階
日本文化勲章受賞者58名の作家(日本画、洋画、版画)の作品が一堂に展示されるという見応えのあるものだった。私の目をとらえた作品の中でも、特に片岡珠子の「西湖の富士」(制作年不詳)と、林武「花」(1972年作)の2枚は強く印象に残った(写真は片岡珠子の作品)。
  片岡球子「西湖の富士」72.7×116.7cm
片岡球子「西湖の富士」
72.7×116.7cm
 
 
 
 
  2011.8.20  雨の九州

 
恒例のお盆休暇は13日より1週間のやや短い帰郷だったが、連日スコールのような大雨が降ったかと思うと、突然晴れては激しい暑さがぶり返すという不安定な空模様に見舞われ、その大雨の合間を縫っては2匹のワンコの散歩や、慌しい家事に追われる毎日だった。それでも朝夕は、ベランダの網戸からひんやりとした冷たい空気が流れ込み、薄い布団が欲しくなるほどの涼しさで、毎晩快適な夜を過ごした。東京では18日だかに練馬区が37,8度を記録したとのニュースを見ると、標高200メートルもあるこの田舎の夏は極楽である。
帰京の20日は、やはり朝から大雨が降った。熊本空港は大雨が降ると霧の発生で視界が遮られ欠航を余儀なくされることがよくあるが、幸い今まで私はその難を逃れ、この日も無事に飛び立つことが出来た。
 
 
 
 
  2011.8.5   町田でデッサン会と暑気払い    ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
6月末に早々と梅雨が明けたとたん猛暑が始まったと思いきや、7月には台風6号のノロノロ接近と上陸で西日本や東北に甚大な災害をもたらした。その後進路は太平洋に抜けたが、大気は冷え込み、間違って秋が来たかと思えるほどの冷たい毎日が続いた。しかし甘くはなかった。8月に入ったとたん猛暑がぶり返し、「電気予報」は連日かなり高めの電力使用量を示している。
 
そんな5日、町田「新芽会」は、午前中のデッサン会を版画美術館アトリエで実施。実は7月の実習は上記の台風6号接近のため、臨時休講を余儀なくされ、今回は2ヶ月ぶりのデッサン会となり20名近い会員が参加した(写真はその実習風景と作品群)。
さて実習終了後、美術館近くの居酒屋「海鮮市場」に於いて、「暑気払いランチ会」が開かれ、新鮮な魚料理を囲みながら束の間の歓談を楽しんだ。
 
町田「新芽会」実習風景   町田「新芽会」作品群   町田「新芽会」作品群
 
 
 
 
  2011.7.12  夏は来ぬ!!「パウル・クレー展」 ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます

 
例年より10日余り早い梅雨明けが9日に宣言された。「今年は去年の猛暑ほどではないヨ」などと気休めを言っていた気象庁の予報はどこへ行ったのか!6月も半ばからすでに30度を超える蒸し暑さが始まったではないか。今年の全国民老若男女の課題は「節電」!!夏が苦手で、暑いとすぐにエアコンに手を出す常習犯の私が、一大決心して今年設置したのが玄関網戸。マンションの玄関によく見るルーバー調節可能で網戸も付いた施錠式玄関扉である。ベランダを開けておくと玄関まで風がよく通るので、果たしてどこまでこの猛暑を凌げるのかというのが最大の課題である。関東で最も電力を消費するといわれる午後から夕方にかけては、南西向きに部屋のある我が家にもベランダから猛烈な日差しが入ってくる。そこに遮光カーテンと遮熱のレースカーテンを施し、ベランダを開け、扇風機を回しながらピーク時をクリアしようと悪戦苦闘している。エアコンは日没後の遅い時間に数時間かけて、就寝時は扇風機だけで、というコースで今日までなんとか凌いできた。
ただこれには難点がある。ほとんど終日戸を開けることで車道に面する4Fの部屋に入ってくる埃が気になり床の水拭きが日課となってしまう。また車の騒音が半端ではなく、室内での作業にも集中力を欠いてしまう。
自然の風対策もなんだかなあ・・・?
あ、もっともこれは1日中在宅するときの話です・・。
 
そんなある日の午後、竹橋の国立近代美術館に「パウル・クレー展」を見に出かけた。前から好きだったクレーだが、こんなにまとまった作品群を初めてじっくり見ることで、あらためてこの作家の魅力と難解さに踏み入ることが出来たように思う。
中でも今展のメインテーマである4つの試行を見せる次の展示は興味深かった。
プロセス1 ・ 写して / 塗って / 写して・油彩転写の作品
プロセス2 ・ 切って / 回して / 貼って・切断、再構成の作品
プロセス3 ・ 切って / 分けて / 貼って・切断、分類の作品
プロセス4 ・ おもて / うら / おもて・両面の作品
◆ 提案 ◆
真夏の午後は美術館に行き、クーラーのよくきいた空間で
クリエイティブな刺激をいただき脳をリフレッシュいたしましょう。
「パウル・クレー展」は今月31日まで開催中
  パウル・クレー「首を傾げている婦人(オレンジ色と黄色)」1919年
 
パウル・クレー「平原の庭II(園亭のある)」1920年
 
 
 
 
  2011.6.18   雨に唄えば、、、、、   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
今まさに梅雨の真っ只中、唄う中高年バンド「KTM」は18日、約1年半ぶりに新宿ライブハウス「ノアノア」に於いて久々のライブを敢行しました。南米帰りのT1が何年ぶりかでバンドに戻り、5人編成となったその演奏には、ふくらみと奥行きが増したように思えます。
実は1998年にこのバンドを結成するきっかけを作り、以来いつも背中を押してくれたMさんがこの4月に他界し、今回のライブには姉上が彼女の写真を胸にしのばせて聴いていてくださいました。KTMの「M」はMさんの「M」だと思えば、彼女はいつもKTMと共にいるのだと私たちは感じるのです。
さて、午後4時半に1部がスタートし、PPMの曲(風に吹かれて、悲惨な戦争、パフ、時代は変わる、etc、、、)を中心に8曲、2部では懐かしい日本のフォークソング(イムジン河、夕陽が沈む、星に祈りを、、、)や、ブラザーズフォーの名曲(グリーンフィールズ、風は激しく、、、)などに続き、アンコールも入れて全20曲を演奏しました。また、余興タイムでは、返り咲きのT1が、バンドネオンをバックにギターの弾き語りで得意のタンゴを披露。続いてベースのK3は三線(さんしん)を弾き語り、イーヤーサーサの掛け声もにぎやかに会場に花を添え、ライブは盛会のうちに幕を下ろしました。
  「KTM」ライブ at「ノアノア」
 
「KTM」ライブ at「ノアノア」
 
「KTM」ライブ at「ノアノア」
  「KTM」ライブ at「ノアノア」
 
「KTM」ライブ at「ノアノア」
 
「KTM」ライブ at「ノアノア」
当日は夕方からの本降りで足元の悪い中、多くのお客様を迎え、最後まで暖かい声援をいただきました。また、お酒やおつまみなどの差し入れもありがとうございました。あらためてお礼申し上げます。

(追伸1) 当日のささやかな収益金は東日本大震災の義援金として、郵便局を通して送らせていただきました。 (追伸2) 次回のKTMは、今年10月に開かれる「第25回甲斐清子デッサン教室・創立25周年記念展」のオープニングパーティのゲストとして神保町のライブハウスでの出演を予定しています。
 
 
 
 
  2011.5.25   追悼 針生一郎展   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます

 
只今「イベント」に掲載中の、原爆の図・丸木美術館企画展「追悼 針生一郎」と同時緊急開催「チェルノブイリからみえるもの」展は、6月11日まで東松山の丸木美術館において開かれています。その関連記事が「中央公論」6月号「Art」のページに掲載されました。そのページのトップに甲斐清子の描いた針生一郎先生のデッサン像が掲げられています。
 
中央公論 2011 6月号 表紙   中央公論 2011 6月号 記事【Art】「チェルノブイリから見えるもの」展
 
さて、「内野沃 黒の世界展・第6回」は、5月29日~6月4日、銀座煉瓦画廊に於いて開催されます。詳しくは「教室ニュース」をご覧ください。
 
 
 
 
  2011.4.19   それでも花は咲く   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
飯田橋 総武線と4分咲きの桜 今年の桜の開花は例年より2週間近くも遅かった。しかし考えてみると、私が子供だった時代、満開の桜の下を友達と駆けずり回った入学式のころの記憶があり、それは4月の7-8日前後だったように思う。今や「暖冬」とか「冷夏」とか云われて久しい近年の異常気象が、この1年ですっかり様変わりしてしまったように思われる。それに加えてこの大震災だから、大自然の前にいかに人間が無力であるかをつくづく思い知らされることとなった。
春がすみののどかな空を、薄桃色の桜の花にすかして見上げると、これとつながる同じ空の下の東北の地に、あのような、試練というにはあまりにも過酷な惨状を突きつけたのも、大自然の仕業であるということが夢のようだ。
4月7日の夕方、飯田橋のお堀端に、夕陽を浴びて対岸を走りぬける総武線と、まだ4分咲きの桜を見た。
自然の美しさが隠し持つ悪魔の力は底知れぬ。
 
 
 
 
  2011.4.8   あれからそろそろひと月

 
3月11日の大震災の影響で、教室の活動は残された3月の授業を全て休講とし、完全に機能停止の状況となった。埼玉や千葉や神奈川など、遠距離から通ってくる生徒たちが往復する交通機関に及ぼす「計画停電」による被害、そして新たな福島原発の不安材料などを考慮に入れての休講だったが、月も改まり4月3日の午後、南青山にあるNHK文化センターでスタートした私のデッサン塾を契機に活動を再開する運びとなり、神楽坂でも懐かしい面々と久しぶりのデッサン、油彩の実習を実施した。
電車のホームのエスカレーターは止まり、改札ホールや売店などの照明がことごとく消されている。飲食店やコンビニ、スーパーの看板も消灯し、店内も薄暗いが、不便は少しも感じない。私たちの日常が電気の無駄な消費にいかに麻痺していたかを痛感する。しかし街は薄暗く、どこか活気もなくもの寂しく、街灯の消された夜道も歩いていて物騒だ。
どこかの知事が今回の災害について「人類の傲慢と慢心に対して落とされた天罰だ」と、またもや危険な発言をしてドキリとさせたが、実はどこかで共感を得てしまったのは私だけだろうか。
私が個人で節電出来ることといえば、エアコンを使わない、トイレ便座の電源を切る、いない部屋の照明を消す、一日で一番長く暮らすリビングの照明をLEDに替える、エレベーターを使わず階段を使う、くらいのことだ。これから暑い夏に向かうなか、他人事ではなく真剣に暑さ対策を講じなければならない。
こんなことを書き連ねていた昨夜23時半過ぎ、11日以来の激しい揺れがあった。震源地は宮城県沖でマグニチュード7、1。震度は宮城県で6強。これも11日の余震らしい。余震というにはあまりにも激しい揺れは相当長く1分以上続いたので私も扉を開けて通路に飛び出してしまった。もうこれは本腰でかからねばと覚悟を新たにした。

さて第6回内野沃展(5月29日~6月4日・銀座煉瓦画廊)が近づき、にわかに忙しさを増してきた。その前に越川初美・新協千葉展コーナー展(4月26日~5月1日・千葉県立美術館・教室ニュースに掲載中)も控えている。こんな時だからこそ沈みがちな空気を一掃し、元気なエネルギーを呼び込みたーい。
 
 
 
 
  2011.3.19  東北関東大震災

 
3月11日午後は町田国際版画美術館アトリエに於いて「新芽会」でのデッサンの実習中だった。突然停電となり驚く間もなくガタガタという激しい音とともに強烈な揺れがやってきた。アトリエの大きなガラス窓からみえる広場の樹木が大きく揺れ、館内にいた人たちが飛び出していた。デッサンの最中だった私たちは、そのまま部屋にとどまった。当初この地震がこんなにものすごいものだとは想像も出来ない私たちは、揺れが落ち着くと「いやーこんなに揺れたのは初めて、よく揺れたねー。」などと言いながら、再びデッサンを続けていた。2度目の激震が来たのは間もなくのこと。美術館員がやってきて「今日は間もなく閉館しますから実習を中止してください」と言われ、いつもの講評を中止して全員があたふたと解散となった。美術館員に電車は全てストップしたと聞いた。幸い会のメンバーであるMさんのご厚意で、美術館の真ん前にあるお宅に一夜完全保護された。
ことの重大さを知ったのは、Mさんのお宅で電気が戻ったテレビでのニュースを見た時だった。恐ろしい速度で畑や車や船や住宅を呑み込みながら黒い波が広がる津波の地獄絵だった。私たちはその夜約15分おきに繰り返す激しい余震におびえながらも、帰宅難民となった人々が深夜帰宅の途を歩く都心の状況をただ打ち眺めるだけだった。それにしてもこの夜暖かい布団の中に身を横たえることができた私は幸いだった。余震は翌日も繰り返し続き、恐怖におののきながらMさんに見送られノロノロ運転の電車に乗り継ぎ帰途に着いた。幸い自宅は被害もなく、停電もなかったようだ。
あの日から1週間が経った。今も繰り返す余震に、新たな福島の原発事故の恐怖が加わり、終息の兆しは一向にみえてこない。3月の神楽坂教室はあと1週間のスケジュールを残したまま中断したが、急遽これを休講とし、4月の第4週に繰り越すことを決定した。わが国の気象観測史上最大規模の地震と津波で被災された多くの人たちに1日も早い安息の日が訪れることを祈るしかない。

11日の夜、暖かな夕食と寝床と朝食を私のために提供してくださったMさん、ご親切忘れません、本当にありがとうございました。また、当夜自宅に帰れなかった私を案じて電話やメールを下さったたくさんの方々にお礼を申し上げます。
 
 
 
 
  2011.2.24   銭湯で「エンカペラG」ライブ   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
この写真をご覧ください。どう見ても昔懐かしい銭湯。時は2月20日正午、所はJR新大久保駅から歩いて5分の「万年湯」。ここで男声カルテットコーラスグループ「エンカペラG]の第38回銭湯ライブが行われたのです。というのは、このところ木曜夜デッサンクラスのNさんは「エンカペラG」の熱烈なファンで、私も去年から幾度となくこのライブに誘われていたのですが、ついに腰を上げ20日、教室の数人を誘い彼女に連れて行ってもらったというわけ。で、その「エンカペラG」についての詳細はこの名前でネット検索すると動画と共に演奏も聴くことが出来ますから是非お試しください。彼らの主なレパートリーは一昔前の演歌を中心に幅広く、演奏の特徴は伴奏もボーカルも全てアカペラというのが面白く、たとえば「天城越え」や「函館の女」、「憧れのハワイ航路」、「見上げてごらん夜の星を」・・などの名曲を楽器に見立てたボーカルで演奏するのです。メインボーカルは真ん中のオレンジ、気持ちよさそうに歌っていますね。これを約1時間に亘り鑑賞しました。「エンカペラG」は演歌、アカペラ、オヤジ、をもじった名前とのこと。メンバー全員が若いころ本格的コーラスの体験者ということですが、お湯をたっぷり張った開店前の、程よく湿度も保たれ、暖房も効いた銭湯での男声コーラスは、お風呂場に心地よく反響し、20名余りの鑑賞者は少々硬い椅子に座らされながらも愉快なひと時を過ごしました。
そうそう、ライブの鑑賞料は1000円でした。また、ライブが終わって入浴したい方は450円の銭湯代ということでした。
  銭湯で「エンカペラG」ライブ
 
銭湯で「エンカペラG」ライブ
 
 
 
 
  2011.2.16   麻生区デッサン会展2011

 
私が時々デッサンの指導に出かけている「麻生区デッサン会」の定期グループ展は、新百合ヶ丘の麻生文化センター内市民ギャラリーにおいて2月11日から2月16日まで開催された。実は15日に合同合評会に招かれたのだが、この日は神楽坂教室が昼夜と続くためお断りを余儀なくされた。唯一16日の最終日に時間がとれたため午後から出かけた。この日は最終日ということもあり4時過ぎには出品者の全てのメンバーが会場に集まったため、にわか即席講評会となった。出品作品を通して全ての作家と交流する時間が持てたのが思いがけなく楽しいことだった。
※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます
麻生区デッサン会展2011   麻生区デッサン会展2011
 
 
 
 
  2011.2.14   東京音大生の本格オペラを聴く   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
高橋未苑さん出演のオペラ「コジ・ファン・トゥイッテ」ここ数年、デッサン教室の着衣モデルのアルバイトで神楽坂教室に来てくれる高橋未苑さんは、現在東京音楽大学の大学院オペラ研究領域1年生に在席しています。
その高橋さんが出演するオペラ、モーツアルトの「コジ・ファン・トゥイッテ」(全幕・原語上演 / 於・同大学100周年記念ホール)を鑑賞しに2月5日午後、教室のメンバー数人が出かけました。
高橋未苑さん出演のオペラ「コジ・ファン・トゥイッテ」  
「いつの世も変わらぬ人の心の移ろいやすさ」を描くモーツアルトの繊細な表現に挑み、約1年をかけて練り上げた音大生たちの熱演に感動しました。
高橋さんはその第1幕(約1時間半)に出演し、ドラベッラ役を見事に演じ切りましたが、初めて聴く彼女の豊かで凛とした歌声を私たちはしばし堪能したのでした。
 
 
 
 
  2011.1.21   新芽会描き初め

 
町田デッサン会「新芽会」の描き初めは1月21日、町田市立国際版画美術館内アトリエで実施された。町田への途上、代々木上原で電車が止まり、代々木八幡で人身事故があったとアナウンスが流れた。その後電車は特快から急行に変更となり、しかものろのろ運転を続けながら新宿より約1時間20分をかけて町田に到着。デッサン開始1時半に間に合わず10分遅れてのスタートとなった。写真は描き初めの熱心な実習風景とそのデッサンの1部。
 
デッサン講評終了後、町田市内のお豆腐懐石「梅の花」に於いて、恒例の新年会が開かれ、13名の参加者で盛り上がった。その中で、昨年6月に開催された第4回「新芽会デッサン展」に引き続き、来年には5回展を目指そうという提案があり、その現実化へ向けて話を進めることになりまたひとつ新しい挑戦の始まりである。
 
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新芽会描き初め   新芽会描き初め   新芽会描き初め   新芽会新年会
 
 
 
 
  2011.1.16   油彩描き初めのモチーフは「コールラビ」   ※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

 
宮崎の親友から11日、冬野菜が大きな段ボール箱で届いた。葉っぱものも根菜類も、都会のスーパーで買うのとは根本からちがうおいしさと新鮮さだ。サトイモやカブやほうれん草やレンコンなどなど、より取り見取りで贅沢な食卓を楽しむ日々となった。そのさまざまな野菜の中にこんな珍しい形状のかたまりを見つけた。
絵描きらしい職業病だと思うが、色や形など興味のそそられるものを目にすると、「まず描いてから、食べるのはそのあとでね」というアンテナが働く。たまたまその日の夜は油彩教室の描き初め。少人数クラスの教室で田北さんが2枚の小さなカンバスに一気に描き切った。
さて、モチーフの名称は「コールラビ」(ドイツ語名)。和名を「カブカンラン」という。一見カブのようだがキャベツの仲間で、風味と食感はブロッコリーの茎やキャベツの芯に似るが、果肉部はやわらかく甘みもあり、特に若い茎ではリンゴのようなサクサク感とみずみずしさがある。ビタミンA ・Bも豊富で、サラダをはじめスープや煮込みなどにも適している、とウィキペディアには記されている。
結局このモチーフは田北さんの健闘を称え「ご褒美」にプレゼントしたところ、翌々日の13日デッサンの日に彼女からおすそ分けが届いた。大喜びで帰宅してチンして頂いたのだが、牛肉、セロリ、マッシュルーム、人参、など具沢山のじっくり煮込んだトマト風味豊かなポトフだった。問題のコールラビは、大き目の櫛形にカットされており、やわらかく煮込んだカブの食感だった。この逸品は彼女の姉上の手料理らしかった。大変おいしくいただきました、馳走様でした。
  コールラビ
 
田北家のコールラビ料理
 
「まずは描いてから、食べるのはそのあとでね」
 
 
 
 
  2011.1月   雪に明け暮れた故郷

 
今回の里帰りは、暮れから大雪に始まり大雪に明けた日々だった。
故郷高千穂に雪が降るのは別段珍しいことではないが、新年にかけてのこのような雪景色はめったに見られない。我が高千穂町の標高についてはその高低の差が大変大きい。たとえば私が通った町立高千穂小学校が標高330メートルであるのに対して、最近観光地として富に有名になった高千穂峡「真名井の滝」のボート乗り場が150メートル。この途中に市街地があるのだが、1箇所として平坦な地形がなく、全て上り下りのきつい坂道により成り立っている。当然我が家も神殿通りの坂道の途中にある。このあたりで250メートル以上はあるのではないかと思われる。この地が大まかに平均250メートルの標高ということになると、九州宮崎県全域が南国だという印象を裏切る理由はこの辺にあるのだろう。今回はその美しい雪景色をまとめて掲載した。中でも圧巻は、1月2日、東京へ帰るため車で熊本空港へ向かう早朝の、陽に映える高森峠あたりの絶景、そして難所高森峠を越えた高みから臨む阿蘇外輪山などは、心に沁みる感動の数枚となった。

2011年は6日よりスタートです。神楽坂教室は今年25周年を迎えます。
また、今年の主な展覧会はイベントに掲載中です。
 
※ 写真をクリックすると大きな画像をご覧いただけます
実家の2Fより左方に二上山を臨む   朝日に映える山間部   朝日に映える山間部   高森峠を越えて広がる阿蘇外輪山
実家の2Fより
左方に二上山を臨む
  朝日に映える山間部
 
  高森峠を越えて広がる
阿蘇外輪山
高森峠を越えて広がる阿蘇外輪山   絶景ポイントからの阿蘇山   朝日を浴びる俵山の風車   熊本空港離陸直後の機内から
高森峠を越えて広がる
阿蘇外輪山
  絶景ポイントからの
阿蘇山
  朝日を浴びる
俵山の風車
  熊本空港離陸直後の
機内から
 
 
 
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