聖徳太子とキリストの共通点

  • 日本書紀の聖徳太子伝説とキリスト教のルカの福音書
  • 聖徳太子の母キリストの母
  • 生まれた場所 厩の
  • 聖徳太子信仰の広隆寺の十善戒とモーセの十戒

日本書紀の片岡山伝説とルカの福音書の共通点

「墓の中は空っぽで衣服だけが残っていた」が共通点。

聖徳太子の片岡山飢人伝説

日本書紀推古天皇条。”厩戸豊聡耳皇子(聖徳太子)が片岡山に行啓された時、飢えた旅人が倒れていた。太子は食物を与え、衣服を脱いで旅人にかけた。翌日、旅人を見に行かせた。使者は、旅人が既に死んでいたと告げた。太子は、墓を築いた。数日後、太子が「過日埋葬した人は聖に違いない」と言い、墓を見に行かせた。遺体はなく、太子の衣服だけが残されていた。”

聖書のキリスト復活。ルカの福音書

ルカの福音書の23章52節から24章12節

23章52節。”イエスの体の引き取り方を願い出て、それを取りおろして亜麻布に包み、まだ誰も葬ったことのない岩を掘って造った墓に納おさめた。”

24章2節。”ところが、石が墓からころがしてあるので、中に入ってみると、主イエスの体が見当らなかった。”

24章12節。”ペテロは立って墓へ走って行き、かがんで中を見みると、亜麻布だけがそこにあった。”

聖徳太子の母とキリストの母マリアの共通点。受胎告知

「観音菩薩か聖霊により身籠もった」が共通点。

聖徳太子の母

「聖徳太子の母の穴穂部間人皇女は、救世観音菩薩が口から体内に入り、太子を身籠もった」
という話が、上宮聖徳法王帝説に書かれています。

キリストの母マリア

ルカの福音書1章26節。天使ガブリエルが聖母マリアの前に現れ、受胎を告げます。

マタイによる福音書1章20節。「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。」

生誕の場所 厩(馬小屋)の前と中の共通点

「生誕の場所が厩」が共通点。

聖徳太子が生まれた場所は厩(馬小屋)の前

日本書紀 推古天皇元年四月条。”母の皇后を穴穂部間人皇女と曰す。皇后、懐妊開胎さむとする日、禁中に巡行して、諸司を監察たまふ。馬官に至りたまひて、乃ち厩の戸に当たりて、労みたまはずして、忽ちに産れませり。”
と、書かれています。

厩の戸に当たったという事は、馬屋の前で産まれたという事でしょう。よって、聖徳太子は厩戸皇子と呼ばれ、最近の日本の教科書でも厩戸皇子という表記が使われています。

キリストが生まれた場所は厩(馬小屋)の中

聖書の中にキリストが厩(馬小屋)で産まれたという記述はありません。

ルカの福音書第2章7節。「初子を産み、布にくるんで、飼葉桶の中に寝かせた」
とあります。飼葉桶は必ずしも、厩の中にあるとは限りませんが、少なくとも、寝室にはないでしょう。

広隆寺の十善戒とモーセの十戒

宗教の教えですから、共通点があるのは当たり前ですが(殺すなかれは、どの宗教も言います)、十善戒も十戒も、聖徳太子やキリストが直接、唱えた訳ではありません。

広隆寺の十善戒

広隆寺の十善戒広隆寺は、秦 河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した聖徳太子信仰の寺です。写真は2007年5月撮影。クリックで拡大。

秦氏

秦氏は、景教(キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人が祖とされる、とwikipediaに書かれています。

モーセの十戒

十戒の内容は、申命記5章7節から21節に書かれています。

申命記5章22節に「二枚の石の板にこれを書かきしるして、わたし(モーセ)に授けられた」
と、あります。

日本とキリスト教の関係

「1549年にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えた」と、教科書には書かれています。しかし、1549年より前に、今とは違うキリスト教が伝わっていた可能性を完全には否定できません。

  • いろは歌のキリスト

    聖なる数字7。いろは歌を7文字ずつ区切って縦に読むと、「とが なくてしす」。いゑすという文字も現れます。
    ろはにほへ
    ちりぬるをわ
    よたれそつね
    らむうゐのお
    やまけふこえ
    あさきゆめみ
    ひもせ
    いろは歌とがなくてしす47文字
  • 戸来村のキリストの墓

    青森県のヘライ(戸来村)にはキリストの墓があります。(現在は新郷村)30年以上前に、ここを訪れた時はキリストの墓に六芒星は描かれていなかったと思いますが、今では、観光地化され、キリストの里伝承館には五芒星が描かれています。Googleマップのストリートビューで見る事ができます。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。